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ねえ、知ってる?  作者: 鈴太
第二章「あの子はだあれ」
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9/11

第9話:誰のこと?

目が覚めたとき、最初に見えたのは天井だった。

カーテンの隙間から朝の光が入っている。

少しだけ眩しい。

時間を確認しようと枕元を探ったけれど、スマホが見つからない。


「あれ」


身体を起こす。

床を見る。

紬の布団は空だった。


「紬?」


返事はない。

机の上にもスマホはなかった。

昨日、寝る前に見たあとは充電器につないだはずなのに。

ベッドから降りる。

部屋の扉を開けようとしたところで、階段の下から声が聞こえた。


「灯ー! 起きたー?」


紬だった。


「起きた」


「朝ご飯できてるってー」


何で自分の家みたいに言ってるんだろう。

そう思いながら階段を下りた。

リビングに入る。

お母さんがキッチンに立っていた。

紬はテーブルでトーストを食べている。


「おはよう」


「おはよ」


「紬、早くない?」


「何が?」


「起きるの」


「灯が遅いだけでしょ」


時計を見る。

七時十二分。

たしかに、いつもよりは少し遅い。


「ねえ紬、私のスマホ知らない?」


「机の上じゃないの?」


「なかった」


「あ、充電器の横に落ちてたから置いといたんだった」


紬がテーブルの端を指した。

スマホがあった。


「ありがと」


椅子に座る。

お母さんが私の前に皿を置いた。


「はい」


「ありがとう」


トースト。

サラダ。

目玉焼き。

いつもの朝食だった。

昨夜のことを思い出す。

文化祭の写真。

知らない女の子。

みんなの記憶。

先生まで、あの子を知っていた。

でも紬だけは私と同じだった。

どの思い出にも、あの子はいない。

二人だったと記憶している。

スマホを見る。

通知はない。

知らないアカウントからも、まだ何も来ていない。

少し安心した。


「今日さ」


紬が言った。


「帰りどうする?」


「何が?」


「昨日の続き」


私はトーストを持ったまま紬を見る。


「写真?」


「それもだけど」


紬が牛乳を飲む。


「今日はあの子来るかな」


手が止まった。


「……誰?」


紬がこちらを見る。


「え?」


「誰のこと?」


一瞬。

本当に一瞬だった。

紬が何を言っているのか分からなかった。

それから、昨日の教室で美香に言われた言葉を思い出した。

今日、あの子休み?

いつも灯たちと一緒にいる子。

もう一人の子。

胸の奥が冷たくなる。


「紬」


「何?」


「今、誰の話してる?」


紬が笑った。


「何その聞き方」


「いいから」


無意識に、声が少し強くなった。

紬の笑顔が消える。


「……あの子だよ」


「だから誰」


「誰って」


紬が眉を寄せる。


「昨日もずっと話してたじゃん」


息が止まりそうになった。


「昨日?」


「うん」


「何を?」


「何をって……写真のこととか」


「写真?」


「そう」


紬が私を見る。


「灯、大丈夫?」


「待って」


私はスマホを掴んだ。

写真フォルダを開く。

昨日見た文化祭の写真。

指がうまく動かない。

アルバムを遡る。

去年。

文化祭。

あった。

教室の前。

私。

紬。

クラスメイト。

そして少女。

昨日と同じ。

同じ場所に立っている。

紬の隣。


「これ」


私は画面を紬へ向けた。


「この子、誰?」


紬が写真を見る。


「何でそんなこと聞くの?」


「名前」


「名前?」


「この子の名前、言って」


紬が写真を見る。

口を開く。

でも、何も出てこない。


「……あれ」


心臓が大きく鳴った。


「分かんないでしょ」


「いや、待って」


「昨日もそうだった」


「何が?」


「みんな、この子のこと知ってるのに名前だけ言えなかった」


紬が私を見る。

明らかに困惑している。


「みんなって?」


「美香とか、先生とか」


「何の話?」


「昨日、二人で確認したじゃん」


「確認?」


「先生に聞いたでしょ!」


声が大きくなった。

キッチンにいたお母さんがこちらを見る。


「朝からどうしたの?」


「…………何でもない」


お母さんは少し気にした様子を見せたけれど、それ以上は聞かなかった。

紬が小さな声で言う。


「灯、ほんとにどうしたの?」


「昨日ファミレス行ったよね」


「行ったよ」


「写真見たよね」


「見た」


「この子が昔の写真にもいたって」


紬が頷く。


「うん」


「それで、私たちはこの子を知らないって話した」


紬の表情が止まった。


「知らないってどういうこと?友達じゃん」


その一言で、分かった。

もう違う。

昨日までの紬じゃない。


「紬」


私はゆっくり聞いた。


「私たちって、普段何人でいる?」


紬は答えなかった。

答えなくても分かった。


「言って」


「灯」


「何人?」


紬が困ったように私を見る。


「三人でしょ」


頭の中で何かが切れたような気がした。

音はしなかった。

でも、昨日まで自分を支えていたものが、一本なくなった。


「違う」


「何が?」


「二人だよ」


「え?」


「私と紬。二人だった」


「灯、何言ってるの?」


紬が笑おうとした。

でも、私が笑っていないことに気づいてやめた。


「ずっと三人じゃん」


その言葉を聞いた瞬間、昨日の夜を思い出した。

暗い部屋。

「灯いるし」と言った紬。

私たちは二人だった。

少なくとも、昨日までは。


「違う」


もう一度言った。

紬の顔が少し曇った。


「何でそんなこと言うの?」


「何でって」


「昨日だって三人でファミレス行ったじゃん」


「二人だった!」


今度ははっきり声を上げた。

お母さんがまたこちらを見る。


「灯?」


「ごめん」


でも、もう抑えられなかった。


「紬、昨日ファミレスで何飲んだ?」


「え?」


「いいから」


「メロンソーダ」


「私は?」


「アイスティー」


「じゃあ、あの子は?」


紬が止まった。


「……何だったっけ」


「ほら」


「忘れただけでしょ」


「昨日あの子、どこに座ってた?」


「どこって」


「私の隣?紬の隣?」


紬が黙る。


「何着てた?」


「制服」


「鞄は?」


「黒」


「何話した?」


紬の表情が少しずつ変わっていく。


「……覚えてない」


「名前は?」


「それは」


「分からない」


紬が何も言わない。


「なのに、三人だったっていうの?」


私は自分でも嫌になるくらい強い声で言っていた。

紬が視線を下げる。


「でも」


「何」


「いたよ」


小さな声だった。


「いたのは分かる」


「どうして?」


「どうしてって言われても」


紬が胸元に手を置いた。


「分かるんだもん」


その言い方が怖かった。

根拠なんてない。

記憶も曖昧。

名前も分からない。

それなのに、紬の中では「いた」という事実だけが確定している。

昨日、美香たちがそうだったように。

私は椅子から立った。


「学校行こ」


「え?」


「もう行く」


「まだ早いよ」


「いいから」


紬は何か言いたそうだった。

でも、私の顔を見て諦めたらしい。


「……分かった」


     ◇     ◇


学校までは、ほとんど話さなかった。

紬は何度かこちらを見た。

私も気づいていた。

でも、何を話せばいいのか分からない。

怖い。

怪異が怖いのとは少し違う。

紬の顔も。

声も。

歩き方も。

全部いつも通りなのに。

私の知っていることと、紬の知っていることが違う。

それがたまらなく怖かった。

駅から学校まで歩く。

横断歩道。

コンビニ。

昨日までと同じ道。

その途中で紬が言った。


「灯」


「何」


「怒ってる?」


「怒ってない」


「怒ってるじゃん」


「怒ってないって」


「じゃあ何」


私は立ち止まりそうになった。

でも歩き続けた。


「怖いだけ」


紬が黙る。


「紬が昨日のこと忘れてるから」


「忘れてないよ」


「忘れてる」


「覚えてるって」


「じゃあ昨日寝る前、何話した?」


「英単語テストのこと」


「その前」


「写真のこと」


「どんなこと話した?」


紬は答えなかった。


「私たち二人だったって、何回も確認したんだよ」


「……そんなこと話した?」


胸が締めつけられる。


「話したよ」


「ごめん。ほんとに覚えてない」


その声は申し訳なさそうだった。

だから余計に苦しかった。

紬は悪くない。

たぶん。

いや、絶対に。


「ねえ、灯」


「何」


「あの子のこと、嫌いなの?」


足が止まった。

紬も二歩先で止まる。

振り返る。


「……何でそうなるの」


「だって、ずっと『いない』って言うから」


「いないよ」


「いるじゃん」


「どこに?」


紬が周囲を見る。

当然、少女はいない。

通学中の生徒がいるだけ。

紬は少し困った顔をする。


「今日はまだ会ってないけど」


「じゃあいないじゃん」


「そういう意味じゃないでしょ」


私は何も言えなかった。

紬が少しだけ苛立ったように言う。


「何かあったの?」


「何が」


「あの子と」


「だから、そもそも知らないって言ってるじゃん。友達じゃないよ」


「でも、それじゃ説明つかないじゃん」


「何が?」


紬が言った。


「一緒にいたこと」


私は口を閉じた。


「写真だってあるし」


「写真がおかしくなってるんだよ」


「そんなことある?」


昨日、私が言った言葉だった。

写真が変わった?

そんなことある?

そのときは紬も「あるわけないじゃん」と言った。

今は逆だった。

私はもう何も言わなかった。


     ◇     ◇


教室に入る。

美香がこちらを見た。


「おはよ」


「おはよう」


紬がいつも通り返す。

私は軽く手を上げた。

美香が私たちの後ろを見る。


「今日も休み?」


また。


「誰が?」


私は反射的に聞いた。

美香が一瞬止まる。


「ほら」


名前が出ない。

でも今回は紬が答えた。


「あの子?」


「そうそう」


美香が頷く。

その会話を聞いた瞬間、頭がくらっとした。

紬が、向こう側にいる。


「昨日もいなかったよね」


美香が言う。


「そうだっけ?」


紬が考える。


「いた気もする」


「えー、どっち?」


二人が笑う。

私は笑えなかった。

鞄を机に置く。

椅子に座る。

ホームルームまでまだ時間がある。

スマホを出した。

紬とのトーク画面を開く。

昨日のメッセージ。

ファミレスに行く前。


『駅前のとこ行こ』


『了解』


その下。

私は指を止めた。

見覚えのない文章があった。

私が送ったことになっている。


『あの子にも聞いといて』


意味が分からない。

送信者は私。

昨日の午後三時四十二分。

でも、送った記憶がない。

その下に紬の返信。


『来るって』


さらに。


『いつものとこで待ち合わせでいい?』


『うん』


指先が冷たくなる。

昨日。

私と紬は二人でファミレスへ行った。

待ち合わせなんてしていない。

私は隣の席の紬を見る。


「紬」


「ん?」


「これ見て」


スマホを差し出す。

紬が画面を見る。


「何?」


「このメッセージ」


「あの子にも聞いといて?」


「うん」


「それが?」


「私、送ってない」


紬が私を見る。


「送ってるじゃん」


「覚えてない」


「忘れてるだけじゃない?」


「昨日だよ?」


「でも記録残ってるし」


紬は簡単に言う。

私はスマホを引っ込めた。

記録が残っている。

その事実の方が、自分の記憶より強い。

誰に説明しても、そう言われる。

でも、違う。

絶対に違う。

そう思った瞬間だった。

頭の中に、何かが浮かんだ。

駅前。

紬と歩いている。

その隣に誰かがいる。

三人。


「あそこ混んでるかな」


誰かが言う。

紬が、


「大丈夫じゃない?」


と答える。

私は笑っている。

一瞬だった。

次の瞬間には消えた。

息を飲む。


「灯?」


紬がこちらを見る。


「今」


「何?」


「……何でもない」


怖かった。

今のは何だったんだろう。

記憶?

そんなはずない。

でも、夢みたいに曖昧でもなかった。

本当に昨日あったことを思い出したときの感覚に近かった。

私は両手でこめかみを押さえた。


「大丈夫?」


「うん」


「顔色悪いよ」


「平気」


紬が心配そうに見ている。

その顔を見て、また別のものが浮かんだ。

去年の夏。

三人で駅前のカフェにいる。

紬がアイスコーヒー。

私はレモネード。

もう一人は、ミルクティー。

その子は、いつもミルクティーを飲んでいた。

そこまで考えて、私は立ち上がった。

椅子が大きな音を立てる。

周りがこちらを見る。


「灯?」


「違う」


「何が?」


「知らない」


自分に言い聞かせるように呟いた。


「私は知らない」


紬が立ち上がる。


「保健室行く?」


「行かない」


「でも」


「大丈夫だから」


大丈夫じゃない。

紬だけじゃない。

私まで侵されている。


     ◇     ◇


昼休み。

私は一人で図書室へ行った。

紬には「ちょっと一人にして」と言った。

悲しそうな顔をされた。

悪いと思った。

でも、隣にいると怖かった。

どこまで紬の記憶が変わっているのか分からない。

そして、紬と話していると、私の中にも知らない記憶が増える。

図書室の一番奥。

人の少ない席。

スマホを机に置く。

メモアプリを開いた。

文字を打つ。


『私と紬は二人だった』


保存。

その下。


『知らない女の子が写真に写り始めた』


『最初は背景だった』


『写真を撮るのをやめると、向こうから写真が送られてきた』


『送られてくる写真の距離が近づいた』


『クラスのみんなが、三人だったと言い始めた』


『昨日までは紬も知らなかった』


最後の一文を何度も見る。

昨日までは紬も知らなかった。

これは本当。

絶対に。

さらに書き加える。


『私はあの子の名前を知らない』


『顔も覚えられない』


『友達ではない』


保存する。

これでいい。

もし私の記憶まで変わっても。

文字が残っていれば。

そう思って、スクリーンショットも撮った。

それから紙にも書いた。

ノートの最後のページに、全く同じ内容。

念のため日付も入れる。

やりすぎかもしれない。

でも今は、自分の頭より文字の方を信じたかった。

ノートを閉じる。

そのとき、スマホが震えた。

身体が固まる。

知らないアカウント。

久しぶりの通知。


開く。

メッセージはなかった。

写真だけ。

教室。

昼休み。

紬が自分の席で弁当を食べている。

向かいに少女が座っていた。

初めてだった。

向こうから送られてきた写真の中に、少女自身が写っている。

私は息を止めた。

でも、すぐに違和感に気づいた。

これは少女が撮った写真じゃない。

撮影位置。

角度。

見覚えがある。

紬のスマホだ。

嫌な予感がした。

写真フォルダではなく、紬とのトーク画面を開く。

新着。

紬から写真が一枚送られていた。

同じ写真。

その下。


『今日一緒に食べた』


私は画面を見たまま動けなかった。

少女は普通に座っていた。

紬の前。

弁当箱がある。

箸を持っている。

こちらを向いている。

やっぱり顔は分からない。

見えているはずなのに、どんな顔なのか頭に残らない。

私は紬へ電話をかけた。

すぐに出た。


『もしもし』


「今どこ?」


『教室』


「誰といる?」


少し間があった。


『……何で?』


「いいから」


紬の声が小さくなる。


『あの子』


喉が乾いた。


「名前は?」


『またそれ?』


「名前言って」


『灯』


「お願い」


紬が黙る。

十秒。

二十秒。


『……分かんない』


「じゃあ何で一緒にいるの」


『何でって』


「知らないでしょ、その子」


『知らなくないよ』


「名前も言えないのに?」


紬の声が少し強くなった。


『灯さ、朝から何なの?』


「何って」


『あの子のこと、ずっといないみたいに言って』


「いなかったから」


『いたって』


「いない」


『写真あるじゃん』


「だからそれがおかしいの!!!」


図書室だったことを思い出し、声を抑える。

周りの何人かがこちらを見ていた。

私は立ち上がり、廊下へ出た。


「紬」


『何』


「昨日の夜、私の家に泊まったよね」


『うん』


「誰がいた?」


『灯と私』


私は息を止めた。


「二人?」


『……あと』


紬が言葉を止めた。


「あと?」


『あの子もいたような』


「いない」


『でも』


「いなかった」


『灯』


「二人だった」


何度言えばいいのか分からない。


「二人だったよ」


電話の向こうで紬が黙る。

そして。


『何でそんなに嫌うの?』


その言葉に、何も返せなくなった。


「嫌ってない」


『じゃあ何』


「知らないの」


『だから』


「私はその子を知らない」


声が震えた。


「それだけ」


紬は少し黙った。


『……分かった』


明らかに納得していない声だった。


「何が?」


『もういい』


電話が切れた。

私はスマホを耳から離す。

廊下に一人。

窓の外からグラウンドの声が聞こえる。

普段なら何とも思わない音だった。

急に、ものすごく一人になった気がした。


     ◇     ◇


午後の授業は、ほとんど頭に入らなかった。

黒板を見ている。

先生の声を聞いている。

ノートも取っている。

でも、時々おかしなものが混ざる。

三人で映画を見た。

違う。

三人で夏祭りに行った。

違う。

あの子は甘いものが苦手。

知らない。

あの子は笑うと少しだけ目が細くなる。

知らない。

全部、知らない。

私はノートの端に何度も書いた。


知らない。


知らない。


知らない。


文字が増えるほど、自信がなくなっていく。


本当に?


本当に知らない?


写真がある。

紬も覚えている。

美香も。

先生も。

私だけが忘れているんじゃないのか。

そんな考えが浮かぶ。

違う。

昨日まで紬も知らなかった。

その証拠は、昨日の会話。

でも記録はない。

私の記憶だけ。

じゃあ。

もし、私の方がおかしいなら?

そこまで考えて、ペンを置いた。

考えたら駄目だ。

六時間目が終わる。

チャイム。

教室が一気に騒がしくなる。

私は鞄に教科書を入れた。

今日は一人で帰ろうと思った。

紬と一緒にいるのが嫌なわけじゃない。

ただ怖かった。

紬が隣に来る。


「灯」


「何」


「帰る?」


「今日は一人で帰る」


紬の表情が曇る。


「まだ怒ってる?」


「怒ってない」


「じゃあ一緒に帰ろ」


「今日はいい」


「何で?」


答えられない。

紬が少し俯いた。

泣きそうな顔だった。


「私、何かしちゃったかな」


その声で胸が痛くなった。

悪いのは紬じゃない。

分かっている。

でも。


「紬は何もしてないよ。でも、ごめん」


それしか言えなかった。

そのとき。


「紬」


知らない声がした。

私たちは同時に振り返った。

教室の入口。

女の子が立っていた。

同じ制服。

黒い髪。

黒い鞄。

そこから白いキーホルダーが下がっている。

一瞬で分かった。

写真の子。

初めて。

ちゃんと目の前にいた。

教室にいる誰も騒がない。

美香は一度ちらっと見て、それだけ。

男子たちも気にしていない。

まるで。

本当に、ずっとこの教室にいたみたいに。

紬の顔が明るくなった。


「あ、来た」


女の子がこちらへ歩いてくる。

私は動けなかった。

近づく。


五メートル。


三メートル。


一メートル。


写真の中で何度見ても覚えられなかった顔。

今は目の前にある。

普通の女の子だった。

でもやっぱり、どんな顔なのか分からない。

見ているのに。

目を逸らした瞬間には、もう思い出せない気がした。

少女が紬の隣に立つ。

そして私を見る。


「帰ろ」


普通の声だった。

私は何も言えなかった。

紬が私を見る。


「灯?」


少女も私を見る。

二人が並んでいる。

その光景を見た瞬間。

また、知らない記憶が浮かんだ。

この並びを、私は知っている。

何度も見た。

紬が左。

あの子が右。

私はその真ん中を歩いていた。

三人で、ずっと。

胸の奥が苦しくなる。

違う。

違う違う違う違う。

私は鞄の中へ手を入れた。

ノートを掴む。

昼休みに書いたページを開く。

そこには確かに、自分の字で書いてあった。


『私と紬は二人だった』


『私はあの子を知らない』


私はその文字を見た。

それから、目の前の少女を見る。

少女が小さく首を傾げた。


「どうしたの?」


私はノートを握った。

知らない。

私は、この子を知らない。

そう言い聞かせた。

でも、そのとき初めて。

自分の中に浮かんだ疑問を、完全には消せなかった。


――本当に?


私はまだ、それに答えられなかった。

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