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ねえ、知ってる?  作者: 鈴太
第二章「あの子はだあれ」
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8/10

第8話:ずっといた子

結局、その日は誰にも聞けなかった。

私たち、いま何人に見える?

そんなことを真面目な顔で聞いたところで、返ってくる答えは想像できた。

三人。

たぶん、それだけだ。

朝のホームルームが始まってからも、私は何度か教室の後ろを見た。

誰もいない。

正確には、誰もいないわけじゃない。提出物を集めている子が歩いていたり、友達の席へ移動している子がいたりする。

でも、あの女の子はいなかった。

少なくとも、私には見えない。


「雨崎」


名前を呼ばれて、慌てて前を向いた。

担任が出席簿から顔を上げている。


「はい」


「いるなら返事してくれ」


教室の何人かが笑った。


「すみません」


先生はそれ以上何も言わず、次の名前を呼んだ。

一人ずつ返事をしていく。

私はその声を聞きながら、ぼんやりと人数を数えた。

欠席は一人。

名前を呼ばれた人数にも、おかしなところはない。

あの女の子の名前は呼ばれなかった。

当然だ。

名簿にはいない。

それなのに、美香たちはあの子を知っている。

いつも私と紬と一緒にいると言った。

だったら、どこに座っていると思っているんだろう。

出席を取るときはどうしているんだろう。

先生が名前を呼ばないことを、誰も変だとは思わないのだろうか。

ホームルームが終わった。

担任が出席簿を閉じ、教室を出ていこうとする。

私は立ち上がった。


「先生」


「ん?」


「昨日の写真のことなんですけど」


先生の顔が少し真面目になる。


「また何か来たのか?」


「今朝も」


紬も立ち上がった。

三人で廊下へ出る。

私はスマホを開き、今朝送られてきた写真を見せた。

先生は黙って画面を見る。

写真の私が席に座っている。

隣に紬。

撮影位置は、私たちのすぐ後ろ。


「これ、今日か?」


「そうです。八時十九分」


「撮った人は?」


「分かりません。メッセージが来てすぐ振り向いたけど、後ろに誰もいませんでした」


先生は写真を拡大した。

画面の端まで確認してから、教室の中を見る。


「この距離なら、普通は気づくよな……」


「先生」


「ん?」


私は少し迷った。


「私って、いつも誰と一緒にいますか?」


先生がこちらを見る。


「いつもって?」


「普段です。休み時間とか、放課後とか」


「白雲だろ」


「それだけですか?」


先生はすぐには答えなかった。

ほんの数秒だったと思う。

でも、その間が嫌だった。


「……あと」


先生が教室の中を見る。


「あの子」


隣にいた紬の肩が、私の腕に触れた。

小さく息を飲むような音も聞こえた。


「どの子ですか」


「ほら。いつも一緒にいる……」


先生の目が教室の中を探す。


「あれ、今日はいないのか?」


やっぱり。

私は紬を見る。

紬も私を見ていた。


「先生」


今度は紬が聞いた。


「その子の名前、分かります?」


「名前?」


先生が眉を寄せる。


「何だっけ」


美香と同じだった。


「ちょっと待てよ。毎日見てるんだから」


先生は本気で思い出そうとしていた。

私は聞いた。


「どんな子ですか?」


「どんなって……」


「顔とか、髪とか」


「黒髪だったよな」


「顔は?」


先生が黙る。


「顔……」


視線が宙を泳ぐ。


「いや、分かるんだけどな」


「どんな顔ですか?」


「だから……」


先生は言葉を探した。

でも、結局出てこなかった。


「……変だな」


小さく笑う。


「毎日見てるはずなんだけど」


毎日。

その言葉だけが耳に残った。


「先生、その子って何組ですか?」


紬が聞く。


「何組って、お前たちと同じだろ」


「うちのクラス?」


「ああ」


「でも、さっき出席取るとき名前呼んでませんよね」


先生の表情が止まった。


「あれ」


初めて。

本当に初めて、おかしいことに気づいたような顔だった。

先生が教室を見る。

それから手に持った出席簿を開く。

一人ずつ名前を確認していく。


「……いないな」


「ですよね」


「でも」


先生は出席簿と教室を交互に見た。


「いたよな?」


私たちは答えなかった。


答えられるはずがなかった。


     ◇     ◇


一時間目が終わってすぐ、私と紬は教室を出た。


「先生もだったね」


階段を下りながら紬が言う。


「うん」


「みんなが言ってるの、絶対あの子でしょ」


「たぶんね」


紬がスマホを取り出した。

私は反射的にその手を見る。


「写真撮らないよ」


「分かってる」


「カメラも開かないでよ」


「開かないって」


紬が見せたのは写真フォルダだった。


「確認しよ」


「何を?」


「いつからいるのか」


私は足を止めた。


「写真で?」


「だって、みんな前からいたみたいに言ってるじゃん」


「でも、私たちが気づいたのは先週だよ」


「だからだよ」


紬は画面を私に向けた。


「本当に先週からなのか、調べよう」


そのまま二階まで下り、人の少ない渡り廊下へ移動した。

次の授業まで十分もない。

全部を見る時間はなかった。

紬が写真を遡る。


「最初に気づいたのがこれ」


先週の昼休み。

私と紬。

教室の後ろに、あの子。


次。

駅前のクレープ屋。

通りの向こう。

同じ制服。

同じ黒い鞄。

白いキーホルダー。


その次。

土曜日のショッピングモール。

もっと近い。

ここまでは知っている。

問題は、その前だ。


紬がさらに遡る。

前日。

前々日。

一週間前。

写真はいくらでもある。

紬は何でも撮る。

昼ご飯。

放課後の空。

コンビニで見つけた変なお菓子。

私が机に突っ伏して寝ているところ。


「ちょっと待って」


「何?」


「これ勝手に撮ったでしょ」


「今そこ?」


「消して」


「後で」


「絶対だからね」


「はいはい」


さらに遡る。

二週間前。

三週間前。


「あ」


紬の指が止まった。


「何?」


画面を見る。

ファミレスだった。

先月、テストが終わった日に二人で寄った店。

窓際の席。

私がポテトを食べている。

向かいから紬が撮った写真だった。


「……いる」


私の後ろ。

二つ隣のテーブル。

黒髪の女の子が座っていた。

顔は横を向いていて見えない。

椅子の背もたれに黒い鞄が掛かっている。

そこに、小さな白いもの。

私は写真の日付を確認した。

一ヶ月以上前だった。


「この頃からいた?」


紬が聞く。


「知らない」


「覚えてない?」


「こんなの覚えてるわけないじゃん。普通にお客さんだと思うでしょ」


「でも同じ子だよね」


私は答えなかった。

もう「たぶん」で済ませる方が無理があった。

紬がさらに遡る。

五月。

四月。

新しいクラスになったばかりの頃。


「あった」


今度は教室だった。

何人かで撮った写真。

私もいる。

紬もいる。

美香もいる。

そして、教室の一番後ろ。

あの女の子が立っていた。

遠い。

顔はよく見えない。

でも、黒い鞄に白いものがぶら下がっている。


「四月だよ」


紬が言った。


「うん」


「私たち、あの子に気づいたの先週だよね」


「うん」


「じゃあ、これ何?」


答えられない。

予鈴が鳴った。

二人ともびくっとした。


「戻ろ」


私が言った。

紬がスマホをしまう。

教室へ戻る途中、紬が小さく言った。


「放課後、もっと遡ってみる?」


私は少し迷った。


「……うん」


別に知りたくはない。

でも、知らないままの方がもっと怖かった。


     ◇     ◇


放課後。

私たちは学校を出て、そのまま駅前のファミレスに入った。

家に帰ってから一人で見るのは嫌だった。

店内はまだ空いている。

奥の席に座る。

注文を済ませると、紬がスマホを机の真ん中に置いた。


「どこまで見る?」


「去年くらい?」


「中学まで?」


「そこまではいいよ」


「でもいたらどうする?」


「そういうこと言わないで」


「ごめん」


紬が写真を遡る。

三月。

二月。

一月。

去年の冬。

最初のうちは何もなかった。

私と紬。

クラスメイト。

家族。

景色。

食べ物。

どれも、普通の写真ばかり。


「あれ」


紬の指が止まる。

十二月。

駅前のイルミネーション。

私と紬が並んで写っている。

少し離れた後ろ。

人混みの中に、黒髪の女の子。


「……いるね」


「うん」


十一月、いない。

十月、いる。

九月、いない。


「全部じゃないんだ」


紬が言った。


「でも、結構いる」


「こんなの気づかないよ」


確かにそうだった。

全部、背景だ。

駅、店、学校。

人がいることが当たり前の場所。

同じ子が写っているなんて、わざわざ過去の写真を並べなければ気づくはずがない。


「待って」


紬が画面を戻した。


「どうしたの?」


「この写真」


十二月のイルミネーション。


「これ、誰に撮ってもらったっけ」


「え?」


「ほら、二人とも写ってるじゃん」


言われて気づいた。


私と紬が並んでいる。


自撮りではない。


少し離れた正面から撮られていた。


「誰かに頼んだんじゃない?」


「誰に?」


「通りすがりの人とか」


「覚えてる?」


「覚えてない」


「私も」


紬は少し考えてから、首を振った。


「まあ、去年だしね」


「うん」


それ以上考えないことにした。

写真を遡る。

去年の文化祭まで来た。

紬の指が止まった。


「灯」


「何?」


「これ」


教室の前で撮った集合写真。

七人くらいで並んでいる。

私。

紬。

当時同じクラスだった子たち。

その中に、少女がいた。

今までとは違った。

背景じゃない。

私たちと同じ列に並んでいる。


「……何これ」


少女は紬の隣に立っていた。

顔もこちらを向いている。

でも、よく分からない。

ぼやけているわけではなかった。

画質が悪いわけでもない。

目もある。

鼻もある。

口もある。

そういうものが写っていることは分かる。

なのに、どんな顔なのか頭に入ってこなかった。


目を離す。

もう一度見る。

やっぱり分からない。


「変じゃない?」


紬が言った。


「うん」


「顔見えてるよね?」


「見えてる」


「どんな顔?」


私は写真を見る。


「……分かんない」


「だよね」


紬が画面を伏せた。


「今、思い出せる?」


できなかった。

髪が黒かったことしか残っていない。

もう一度画面を見る。

顔はちゃんとある。

閉じる。

頭の中に留めていたはずの女の子の顔が消える。


「気持ち悪い」


紬が呟いた。


「他の写真は?」


「見る?」


「うん」


文化祭の日の写真を開いていく。

廊下。

私と紬。

その間に少女。

三人で並んでいた。


次。

模擬店の前。

三人。


次。

階段。

三人。


次。

教室。

三人。


背景に写り込んでいるんじゃない。

明らかに、私たちと一緒に写真を撮っている。

紬の指が止まった。


「これ」


三人で紙コップを持って笑っている写真。


「このとき覚えてる?」


私は画面を見る。


「文化祭は覚えてるよ」


「そうじゃなくて、この写真」


考える。

去年の文化祭。

紬と朝から回った。

焼きそばを食べた。

美香たちのクラスにも行った。

体育館で軽音部の演奏を見た。

夕方まで、ずっと一緒だった。


「……二人だった」


私は言った。

紬がすぐに頷いた。


「だよね」


「うん」


「私もそう覚えてる」


「この子はいなかった」


「絶対いなかった」


その言葉を聞いて、少しだけ安心した。

写真がおかしい。

みんなの記憶もおかしい。

先生までおかしくなっている。

でも、紬は同じだ。

私たちは二人だった。

そこだけは一致している。


「じゃあ、これ何なの」


紬が画面を見つめる。


「分かんない」


「写真が変わった?」


「そんなことある?」


「あるわけないじゃん」


「じゃあ昔から写ってたの?」


「それもおかしいでしょ」


「だよね」


結局、何も分からない。

店員さんがドリンクを運んできた。


「お待たせしました」


「あ、ありがとうございます」


紬が慌ててスマホを伏せる。

店員さんが離れてから、私は息を吐いた。

急に店内の音が戻ってきたような気がした。

隣の席の会話。

食器の音。

店内放送。

厨房から聞こえる声。

全部普通だった。


「もっと前のも見てみる?」


私は首を横に振った。


「今日はやめよ」


「うん」


紬もすぐに同意した。

怖かった。

どこまで遡ればいなくなるのか。

それとも、もうどこまで遡ってもいるのか。

確かめたくなかった。


     ◇     ◇


ファミレスを出たところで、紬が言った。


「今日泊まっていい?」


「急だね」


「だって怖いじゃん」


「紬の家はいいの?」


「聞いてみる」


紬がスマホを出す。

私は反射的にその手を見た。


「撮らないって」


「何も言ってないけど」


「顔が言ってた」


「言ってない」


紬が母親にメッセージを送る。

しばらくして、許可が出たらしい。

私も母に連絡した。

夕飯は家で食べることになった。

帰宅してからは、なるべく少女の話をしなかった。

母と三人で夕飯を食べる。

紬が今日の体育の話をする。

私は適当に相槌を打つ。

食後に順番で風呂へ入って、部屋に戻る。

普通にしていたかった。

それでも、ときどきスマホが気になった。

知らないアカウントからは何も来ない。

夕飯の間も。

風呂に入っている間も。

午後十時を過ぎても。


「今日は来ないね」


床に座っていた紬が言った。


「そういうこと言うと来そうだからやめて」


「あ、ごめん」


「もう」


「でも昨日も一日空いたじゃん」


「うん」


「毎日ってわけじゃないのかな」


「分かんない」


分からない。

何をしたら写真を撮られるのか。

どうして過去の写真にまであの子がいるのか。

クラスのみんなが、どうしてあの子を知っているのか。

分からないことばかりだった。

唯一分かっているのは、私と紬だけがあの子を知らないこと。

それだけだった。

午後十一時を過ぎた頃。

紬は床に敷いた布団に寝転がった。

私はベッド。

結局、電気は消さなかった。


「灯」


「何?」


「明日学校行く?」


「行くでしょ」


「休まない?」


「何て言って?」


「体調不良」


「二人同時に?」


「昨日一緒に食べたものに当たった」


「何食べたの」


「牡蠣」


「食べてないじゃん」


「設定だから」


「雑すぎ」


紬が笑う。

私も笑った。

少し安心した。

いつもの紬だった。

歩道橋のときもそうだった。

怖いことが起きても、二人でいる間は普通の話ができた。

今日だって同じだった。


「でもさ」


紬が言った。


「明日もみんな、あの子のこと知ってるのかな」


「たぶん」


「嫌だな」


「うん」


「先生までって結構やばくない?」


「かなり」


「警察とか行く?」


「何て言うの」


「写真撮られてますって」


「そこだけなら相談できるけど」


「昔の写真にも知らない子が増えてます」


「絶対信じてもらえない」


「だよね」


紬が枕に顔を埋めた。


「何なんだろ、あの子」


「知らない」


「何がしたいんだろ」


「分かんない」


「灯、全部分かんないじゃん」


「紬もでしょ」


「私は知ってるよ」


「何を」


紬が顔を上げた。


「明日の一時間目、英単語テスト」


忘れていた。


「……最悪」


結局、二人で単語帳を開いた。

十一時半。

眠くなってきた紬が先に布団へ戻る。


「もう無理」


「まだ半分じゃん」


「明日の私を信じる」


「今日の紬がやらないことを、明日の紬ができると思う?」


「できる。明日の私は強いから」


「はいはい」


紬が布団を被る。


「おやすみ」


「おやすみ」


しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。

私はもう少しだけ単語帳を見ていた。

でも、頭に入らない。

机の横に置いたスマホが気になる。

結局、今日はあれから一度も連絡が来なかった。

午前零時を少し過ぎて、私は単語帳を閉じた。

念のためスマホを確認する。

通知はない。

知らないアカウントを開く。

最後のメッセージは、昨日の朝。


『おはよう』


その下に、教室で撮られた私と紬の写真。

一メートルもない距離。

私は画面を閉じた。

それから、何となく紬とのトーク画面を開いた。

ずっと前まで遡ってみる。

去年の文化祭。

写真がいくつも送られていた。

食べ物。

教室。

体育館。

紬が買った変なカチューシャ。

私が嫌がっているのに撮られた写真。

メッセージも残っている。


『次どこ行く?』


『軽音』


『混んでそう』


『行くだけ行こ』


全部覚えている。

紬と二人で歩いた。

二人で話した。

二人で笑った。

あの子はいなかった。

今日見た写真だけがおかしい。

そう思った。

私と紬は、ずっと二人だった。

少なくとも、紬もそう覚えている。

スマホを置く。

机の電気を消した。

ベッドに入る。


「……灯」


暗闇の中で声がした。

心臓が跳ねた。

紬だった。


「何?」


「電気消した?」


「消したよ」


「そっか」


眠そうな声だった。


「怖い?」


私が聞く。

少し間があった。


「ちょっと」


「つけとく?」


「いい」


「ほんと?」


「灯いるし」


「何それ」


紬が小さく笑った。


「おやすみ」


「おやすみ」


それきり、紬は何も言わなかった。

私も目を閉じた。

美香も。

クラスのみんなも。

先生まで。

みんなあの子を知っている。

写真の中では、ずっと前から私たちと一緒にいる。

それでも、紬だけは私と同じだった。

あの子を知らない。

去年の文化祭も、二人だったと覚えている。

だから、まだ大丈夫だと思った。

何が起きているのか分からなくても。

明日になっても、紬と二人で考えればいい。

そんなことを考えながら、私は眠った。

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