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ねえ、知ってる?  作者: 鈴太
第二章「あの子はだあれ」
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6/10

第6話:写り込んだ子

三十段目のことがあってから、二週間が経った。

結局、あれ以来おかしなことは何も起きていない。

家の階段は十三段のままだし、夜中に名前を呼ばれることもなくなった。

駅前の歩道橋は相変わらず使っていないけれど、それだって怖いからというより、横断歩道を渡れば済むことに気づいたからだ。

……たぶん。

少なくとも紬にはそう言っている。


「灯、早く」


「待って。まだ入ってる」


「それ昨日も言ってた」


昼休み。

購買で買った焼きそばパンを口に詰め込みながら答えると、紬が呆れたようにスマホを下ろした。


「写真くらいいいじゃん。食べてるところでも」


「嫌だよ。絶対変な顔になるじゃん」


「普段と変わんないって」


「喧嘩売ってる?」


紬が笑う。

窓の外では、グラウンドで男子がサッカーをしていた。

教室の後ろでは何人かが机を囲んでトランプをしているし、廊下からは隣のクラスの笑い声が聞こえてくる。

普通の昼休みだった。

この二週間、ずっとこんな感じだ。

授業を受けて、紬とくだらない話をして、放課後になったらどこかに寄ったり、そのまま帰ったりする。

最初の数日は、後ろから名前を呼ばれるたびに身体が固まった。

先生に呼ばれて驚いた。

お母さんに呼ばれて驚いた。

紬に呼ばれて怒った。

一週間もすると、それもなくなった。

人間、意外と慣れるらしい。


「はい、飲み込んだ?」


「まだ」


「遅い」


「焼きそばパンって急いで食べるものじゃないから」


「じゃあ何分かけるものなの」


「知らない」


ようやく飲み込む。

紬がスマホを構えた。


「はい」


「何」


「もっと寄って」


椅子を少し動かして、紬の方へ寄る。

紬が前髪を指で整えた。


「灯も髪」


「別にいい」


「あとで文句言わないでよ」


「言わない」


「絶対言う」


画面の中に私たちの顔が並ぶ。

紬が少しだけ顎を引いた。

私は適当にピースする。


「撮るよ」


小さく電子音が鳴った。

紬はすぐに写真を確認した。


「んー」


「何?」


「私、今日微妙」


「そうなんだ」


「ねえ、もう一枚」


「やだ」


「なんで?」


「パン食べたいから」


紬がスマホを机に置く。

私は残っていた焼きそばパンを食べた。

その時は、それで終わった。

その写真を次に見たのは、放課後だった。


     ◇     ◇


「見て」


帰りの電車で、紬がスマホを差し出してきた。


「何?」


「昼の写真」


「いらない」


「いいから見てよ」


仕方なく画面を見る。

昼休みに撮った写真だった。

紬が左。

私が右。

二人ともピースしている。

私は思ったより普通に写っていた。


「別にいいじゃん」


「でしょ?」


「自分で微妙って言ってたじゃん」


「見てたらよくなってきた」


「そういうもの?」


「そういうもの」


紬が画面を拡大する。


「灯も結構いいじゃん」


「結構ってどういう意味」


言いながら写真を見る。

背景には教室の後ろ側が写っていた。

机。

ロッカー。

掲示物。

窓際で話しているクラスメイトが二人。

その少し奥に、もう一人いた。

女子。

こちらに背中を向けている。

肩より少し長い黒髪。

私たちと同じ制服を着ていた。


「あれ」


私が言った。


「何?」


「この子、誰だっけ」


指で示す。

紬が画面を見る。


「どれ?」


「これ」


写真を拡大する。

女子生徒の後ろ姿。

顔はほとんど見えない。

横を向いているようにも見えるけれど、髪に隠れていて分からなかった。


「知らない」


紬が言った。


「うちのクラス?」


「違うんじゃない?」


「でも教室いるよ」


「誰か遊びに来てたとか」


「あー」


それなら別におかしくない。

休み時間には他のクラスの子も普通に入ってくる。

紬はもう興味を失ったらしく、写真を縮小した。


「ていうか、後ろの美香すごい顔してない?」


「ほんとだ」


「これ送ろ」


「怒られるよ」


「本人に送るんだよ」


「もっと怒られるでしょ」


話題はすぐに変わった。

写真の女の子のことも、その場で忘れた。


     ◇     ◇


翌日の放課後。

駅前に新しくできたクレープ屋へ寄った。

紬がずっと行きたいと言っていた店だ。


「高くない?」


メニューを見ながら言う。


「こういうのは値段見ちゃ駄目」


「六百八十円だよ」


「だから見ちゃ駄目なんだって」


「コンビニでアイス二個買える」


「灯、最近アイスを通貨だと思ってない?」


結局、私はチョコバナナにした。

紬は苺と生クリームが山ほど乗ったものを頼んだ。

店の前に小さなベンチがある。

そこに二人で座って食べる。


「一口ちょうだい」


紬が言った。


「やだ」


「私のあげるから」


「いらない」


「何で」


「そっち生クリーム多すぎ」


「そこがいいんじゃん」


「胸焼けする」


紬は自分のクレープを食べながらスマホを出した。

嫌な予感がした。


「撮らないよ」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてある」


「クレープだけ」


「ならいいけど」


紬はクレープを持った手を前に出す。

私は自分のクレープを横に並べた。

二つのクレープ。

背景に駅前の通り。

紬が写真を撮った。


「映えないね」


「持ってる人の問題じゃない?」


「灯の手が邪魔」


「紬が並べろって言ったんでしょ」


もう一枚。

今度は紬が角度を変える。


「これいい」


私はクレープを食べながら画面を覗いた。

確かにさっきよりはそれっぽい。


「送って」


「はいはい」


紬が何か操作する。

その途中で、指が止まった。


「……あれ」


「何?」


紬は画面を見たまま答えない。


「紬?」


「これ」


スマホを向けられる。

さっき撮った写真。

二つのクレープ。

駅前の通り。

通行人。

その奥に、一人の女子生徒が立っていた。

黒い髪。

うちの学校の制服。

顔は、やっぱりよく見えない。

私は少しだけ考えた。


「昨日の子?」


「だよね」


紬が昨日の写真を開く。

二枚を見比べる。

同じ制服なんだから、似て見えるだけかもしれない。

髪型だって珍しくない。

でも。


「鞄」


私が言った。


「うん」


二枚とも、右肩に黒いスクールバッグを掛けていた。

持ち手に何か白いものがついている。

小さなぬいぐるみか、キーホルダー。

拡大しても潰れてしまって分からない。


「同じ子っぽいね」


紬が言った。


「まあ、同じ学校なんだから」


「昨日は教室で、今日は駅前」


「帰り道同じなんじゃない?」


「そっか」


紬はそう言った。

私も、それ以上考えなかった。

同じ学校の生徒が二日続けて写真に写った。

それだけだ。

今考えれば、この時点で気にしてもよかったのかもしれない。

でも普通は、そんなこと気にしないと思う。

写真の背景に知らない人が写ることなんて、いくらでもある。

まして同じ制服なら。

私たちはそのままクレープを食べて、駅で別れた。


     ◇     ◇


土曜日。

紬と買い物に行った。

宵ヶ丘駅から電車で四駅。

大型のショッピングモール。

服を見て、雑貨を見て、途中で紬が欲しがっていたリップを探した。


「これどう?」


「赤すぎない?」


「じゃあ灯はどれがいいと思うの?」


「これ」


「地味」


「じゃあ聞くな」


結局、紬は私が選んだ方を買った。

夕方までぶらぶらして、一階のカフェに入った。

飲み物を買って、窓際の席に座る。

紬は買ったものを机に並べ始めた。


「何してんの」


「今日の成果」


紙袋。

リップ。

小さなポーチ。

なぜか途中で買った猫のキーホルダー。


「買いすぎじゃない?」


「灯が買わなさすぎ」


「必要なものなかったし」


「女子高生としてどうなの」


紬が笑いながらスマホを構えた。

机の上を撮る。

一枚。


「灯も入って」


「何で」


「記念」


「何の?」


「今日の」


「毎週会ってるじゃん」


「いいから」


仕方なく紬の隣に移動した。

スマホをこちらに向ける。


「はいはい」


電子音。

そのまま二人で画面を見る。

紬はまず自分の顔を確認した。


「今日いいかも」


「よかったね」


「灯もまあまあ」


「何で毎回上からなの」


紬が笑う。

私はストローに口をつけた。

そのとき。

紬の笑い声が止まった。


「……灯」


声が少し低かった。

私はストローから口を離す。


「何?」


紬がスマホを見ている。

さっきまでの顔ではなかった。


「これ」


見せられた写真を覗く。

私と紬。

その後ろにカフェの店内。

客が何人かいる。

店員。

壁。

観葉植物。

そして。

一人の女の子。

私たちの後ろ。

少し離れた席の横に立っている。

うちの学校の制服。

肩より少し長い黒髪。

右肩のスクールバッグ。

白いキーホルダー。

昨日の子だった。

私は何も言わなかった。

紬も黙っている。

写真を拡大する。

顔は見えない。

昨日より近いのに。

ちょうど髪がかかっている。


「……同じ子だよね」


紬が言った。


「たぶん」


「今日、土曜だよ」


「うん」


「ここ、宵ヶ丘じゃないよ」


「うん」


「制服でショッピングモール来る?」


「来る人はいるんじゃない」


「四駅離れてるけど」


答えられなかった。

私は顔を上げた。

写真で女の子が立っていた場所を見る。

そこには誰もいない。

空いた椅子が一脚あるだけだった。


「撮ったの今だよね。いつの間に出たんだろ」


紬も振り返る。


「分かんない」


「私、気づかなかった」


「私も」


「ずっといた?」


「知らないよ」


紬がもう一度写真を見る。

昨日の写真。

一昨日の写真。

今日の写真。

三枚を順番に表示する。

教室。

駅前。

ショッピングモール。

同じ女の子。

一枚目では、教室の一番後ろ。

二枚目では、通りの向こう側。

三枚目では、私たちから数メートルしか離れていない。

紬がスマホを伏せた。


「……写真撮るの、やめない?」


私は頷いた。


「うん」


それから私たちは、予定より少し早く帰った。


     ◇     ◇


家に着いたのは午後七時前だった。

お母さんはまだ帰っていなかった。

リビングの電気をつけ、冷蔵庫から麦茶を出す。

テレビをつける。

適当な番組が流れ始めた。

ソファに座ってスマホを見ると、紬からメッセージが来ていた。


『着いた』


『私も』


返す。

少しして、


『写真見返してる』


と来た。


『やめなよ』


『気になるじゃん』


『怖くなるだけでしょ』


既読。

しばらく返事がない。


『やっぱ同じ子だと思う』


私はスマホを見た。


『もう消せば?』


『消す?』


少し迷う。


『紬のスマホだし好きにしたら』


『冷た』


『怖いんだもん』


送ってから、自分でも認めたことに少し驚いた。

三十段目の件以来、怖いものを怖いと言うことへの抵抗がなくなった気がする。

紬から、


『私も』


と返ってきた。

そのあと猫が震えているスタンプ。

私は少し笑った。


『今日はもう写真撮らない』


『賛成』


『しばらく自撮り禁止』


『何日もつかな』


『一ヶ月はいける』


『三日だね』


『失礼な灯』


いつものやり取り。

少し気が楽になった。

テレビを見る。

夕飯のことを考える。

お母さんに何か買ってきてもらおうかと思っていたときだった。

スマホが震えた。

紬だと思った。

画面を見る。

違った。

見たことのないアカウントからメッセージが届いていた。

アイコンは設定されていない。

名前も知らない。

一行だけ。


『今日は楽しかったね』


私はしばらく、その文字を見ていた。

誰。

そう打とうとして、やめた。

三十段目のことが頭をよぎった。

知らないものに返事をしない。

今回も同じだという根拠はない。

でも、わざわざ試す理由もない。

紬に画面を送ろうとした。

その前に、もう一度スマホが震えた。

画像が一枚送られてきた。

開くか迷って、結局、開いた。

今日のショッピングモールだった。

カフェの窓際。

私と紬が並んで座っている。

私たちはスマホの画面を見ながら笑っていた。

さっき二人で撮った写真ではない。

少し離れた場所から、私たちを撮った写真だった。

見覚えがある。

この位置。

今日の写真の中で、あの女の子が立っていた場所だった。

私は画面から顔を上げた。

誰もいないリビング。

テレビでは芸人が笑っている。

冷蔵庫の音。

外を走る車の音。

スマホが、もう一度震えた。

同じアカウント。

今度は、短い文章だった。


『また明日ね』

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