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97話 歯粉男爵 (1)

聞き心地の良い鼻歌が聞こえてくる。


タカッ、タガタッと響く馬の(ひづめ)の音に合わせ、(くら)の上で揺られながら歌うその歌には、道を急ぐ様子も、何かに追われるような慌ただしさもない。ただゆったりとした、満ち足りた余裕だけが漂っていた。


「どうだ、レスカ……普段より荷が重いようだが、大丈夫か?」


レーベンが鞍の上で身を乗り出して尋ねると、レスカは短くプルルと鼻を鳴らし、わずかに増えた荷物の重さなど何でもないとばかりに、足取りを軽く速めた。


ブクレでブーロが魔石を売って得た利益は、かなりのものだった。


他の魔石商人とは違い、ヴェス・ディナスから東の険しい道をさらに進み、曲がりくねった岩山の間を抜けてブクレまで運んだ甲斐があった。


ブクレに着く前、ブーロは荷馬車を御しながら退屈を紛らわせるつもりで、値切ろうとする商人の言葉にどう切り返すか、取引が終わった後に手にする金貨と銀貨の数をあれこれ想像しながら馬車を進めていた。


だが、思いがけない幸運が彼に訪れた。普段ブクレに魔石を運んでくる商人たちが姿を見せず、街全体に回る魔石の量が極端に不足しているというのだ。


レンシロア近辺の他の都市の商人たちも、溢れる需要を満たす魔石を求めてブクレまでやって来ていたが、それでも必要な量には到底足りず、途方に暮れて街に入ってくる荷馬車をじっと見つめ、「どうか今回こそ魔石を積んだ馬車でありますように」と祈っていたところに、ブーロの馬車が街の関門(かんもん)をくぐって姿を現したのだった。


後でわかったことだが、ブクレだけでなくレンシロア全体で魔石が不足した理由は、実は大したものではなかった。


より高い値でレンシロア南部のディアート伯爵領(はくしゃくりょう)にあるダラバイが大量に魔石を買い集めているという噂が広がり、「二倍、三倍でも買う」という話まで飛び交ったため、すべての魔石商人がその噂を信じて南へ向かってしまったのだ。それでレンシロアに魔石を運んでくる商人がいなくなってしまった。


ブーロの口元から笑みが消えなかった。ダラバイまで行く時間と旅費を考えれば、ブクレで売った方がずっと良い値だった。呼び値がそのまま値になるほどではなかったが、普段は頼まない女神様にまで感謝し、その幸運を長い付き合いの相棒であるレーベンと喜び合えるだけの金を手にした。


そうして予想外の幸運でレーベンの手に渡った金貨。


レーベンがまずその金を使ったのは、ここ数年、馬上槍試合(ばじょうそうしあい)で使っていたレスカの馬面甲(ばめんこう)だった。


馬上槍試合で折れたランスの破片や、すれ違うランスから馬を守るための馬具に、真っ先に金が使われた。


これまで試合のたびに取り出していたレスカの馬面甲は、革と小さな鉄片を組み合わせた札甲(さねよろい)のようなもので、軽かったが、鉄片の隙間にレスカの毛が絡まったり、長年使い続けたせいで擦り切れてボロボロになっていたのがずっと気になっていた。


今回、思ったよりたっぷり入った収入で、しっかりした鉄板で作られた新しい馬面甲を買うことができた。


そしてもう一つ、レーベンが購入したのは、馬上槍試合専用の左肩甲冑(かたかっちゅう)一式だった。


試合で最も相手の攻撃を受ける左肩と左上半身を守るために作られたそれを、ブクレの評判の高い鍛冶屋で、既存のアラン卿の甲冑に重ねて着用できるよう調整してもらった後、ヴェス・ディナスへと旅立った。


そして今、西へ向かうヴェス・ディナスへの道の上で鼻歌を歌うレーベンの左肩には、新しく手に入れた肩甲冑が輝いている。


相手の槍を滑らせるためのフルーティング技法で入れた放射状の溝が美しく整えられ、磨き上げられた表面は陽光を反射し、古びた他の甲冑の中にあってひときわ存在感を放っていた。


そんなレーベンの新しい肩甲冑を作ったレンシロア最大の都市ブクレは、鉄鉱が豊富な山々に囲まれた街だ。


王国でも有数の鉄の産地として名高く、ブクレで生み出される鉄の質は抜群だった。


毎年、税の一部を免除する代わりに鉄塊五百ストーン(kg)を納めるよう命じられるほどの名声だった。


そのブクレの優れた鉄で作られた甲冑と馬面甲の性能を発揮しに行くのだから、レーベンの気分は最高に高揚していた。


ヴェス・ディナスに着く前から試合用の肩甲冑を着けているのも、その浮かれた気持ちの表れだったが、一日でも早く新しい装備に体を慣らしておくためでもあった。


非対称の甲冑がもたらす微妙なバランスの乱れに慣れなければならない。そしてその揺らぎは、両足で地面を踏みしめている時ではなく、馬の上での揺れ――試合なら前方へ疾走する馬の上での揺れ――なのだから、少しでもその感覚を自分の体と、乗せているレスカに染み込ませながら、レーベンとレスカはヴェス・ディナスを目指して道を進んでいた。


「レスカ。昨日干したノロジカの肉と一緒に買った干しブドウだ。一度食べてみろ」


レーベンの声に反応してレスカが首を横に向けると、レーベンは干しブドウを一握り差し出し、レスカが口を開けて受け取った。


「どうだ? ブクレの近くでは味の良いブドウが育つんだ。粒は小さいが、とても甘くて香りがいいぞ」


-ヒヒヒヒイ-


レーベンはレスカの嬉しそうな鳴き声を聞き、にっこり笑った。そして鞍の後ろの袋に手を突っ込み、もう一握りの干しブドウを取り出した。


「レンシロアでしか採れないブドウだって聞いたけど、色が珍しいな……。このブドウは何て呼ぶんだっけ?」


ピンクがかった干しブドウを眺めながら独り言を呟き、もう片方の手でいくつか口に放り込んだ。


-プルルル-


「わかったよ。お前にもやるから急かすなよ~」


レーベンは手に持った干しブドウをレスカにやり、鞍の後ろにもたれかかった。左肩を軽く上下させながら、くるくる回してみて、まだ少し違和感のある甲冑に体を慣らそうとした。


「さあ行こう、レスカ。今日はマブエン関門要塞までは行かねばな」





*****


マブエン関門要塞。


ヴェス・ディナスとブクレの間、ノレンド伯爵領であるレンシロア地方の最も西の外れに建つ小さな要塞だ。


レンシロアの入り口の役割を果たすこの要塞は、遠い昔、クルクートとの戦争の時に造られたもので、当時は西の広い森と平原を見下ろし、クルクートの侵攻を監視する重要な拠点だった。しかし長い年月を経て今では、ただ高い岩山の上を通る道を塞いでいる、古い石を積み上げた関門に過ぎず、廃墟寸前の寂れた要塞となっていた。


見捨てられた要塞。門を守る衛兵の代わりに、壁の上に止まってカアカアと鳴くカラスたちが、通り過ぎる人々を首を傾げて見つめるだけの、寂しさと荒涼とした空気だけが漂うマブエン要塞に活気を与えた者がいた。


リズトン男爵。リズトン家の小さな領主であるリズトン男爵が、レンシロアの領主ノレンド伯爵家から「贈り物」という名目で金を支払い、要塞の管理を長期間任されるという条件で、マブエン関門要塞の主となった。


リズトン男爵は手腕の優れた男だった。成人したばかりで家督(かとく)を継がなければならなかった彼に最初に与えられた仕事は、レンシロアの南の片隅にある、領民百人ほどの小さな村シャレを、他の領地に引けを取らない良い村にすることだった。


リズトン男爵がまず村の復興のために考えたのは、食料の安定供給のための小麦と大麦、そして領民の腹を満たす他の作物たちを安定的に育てる技術と道具。そして地力(ちりょく)を回復させる魔法を使える魔術師の招聘(しょうへい)だった。


本を読むのが好きではなかったリズトン男爵が、人生で最も長い時間をヴェス・ディナスの大図書館で本とともに過ごした。


新しい道具、新しい農法をシャレに持ち込むことにもためらいはなかった。領民たちの安定した生活や幸福といった大仰な理由からではなく、ただ何の心配もなく適度な贅沢をして穏やかに老いていきたいという、男爵の極めて個人的な願い――あるいは小さな欲望――が, その計画の原動力だった。だからこそシャレの領민たちは、その計画の一部として、寒い日に火の傍で暖を取るように自然と恩恵を受けることになったと言ってもよい。


始まりや過程がどうであれ、数年後、小さな村シャレの姿は大きく変わっていた。村の周囲は作物が育つ広い畑に変わり、住む領民も増えて数十軒の家が建ち、村の外れには八枚の大きな羽が回る風車式製粉所も建てられた。


こうしてシャレは、周囲のどの村や都市と比べても全く遜色(そんしょく)のない場所になった。だがリズトン男爵が思い描く未来には、まだまだ足りないように思えた。


「ただ他の村より少し農作物がよく育ち、食べ物に困らず冬を越せる領民が住む村では不十分だ」と彼は考えた。


「もっと金が必要だ」。領民からより多くの税を取るには領内の領民の数を増やさねばならず、領民を増やすには彼らが働く場所が必要だ。小麦や大麦、あるいはニンジンやカブを育てる畑を広げるだけでは限界がある。


そこでリズトン男爵が考えついたのが、遠くない未来に彼に「歯粉男爵」というあだ名をもたらすことになる、シャレの名産品「ドラゴンミント」の栽培だった。


シャレの周辺には野生動物の多い森や山はない。山がないので鉱山を開発して魔石や金、銀、果ては石炭が出ることを期待することもできない。


他の隣接都市の間や大都市と大都市の通り道にあるわけでもない。だから小さな村シャレが発展するには、広い平地という唯一の利点を活かし、畑を広げ、その畑で採れる作物の量と質を上げて売るしかない。それがリズトン男爵が選んだシャレ復興の道だった。


リズトン男爵がドラゴンミントの栽培を始めたきっかけには、短い逸話(いつわ)がある。


シャレでさらに大きな金を稼ぐ手段を考え抜くために、村の畑で育てた大麦で作ったビールが評判の酒場の二階、窓際の隅の席に座り、痛む頭を両手で押さえ、精神的な苦痛にもがいていた時のことだった。


地力を回復させてくれる「隠れ月の寺院」から招いた魔術師と、よく働いてくれる領民たちのおかげでシャレに溢れている農作物をどう活用するか――ドワーフの蒸留器(じょうりゅうき)を入れて蒸留酒を作ろうか、余った作物で牛や豚を飼おうか、それとも馬を育てようか……とあれこれ思いを巡らせていた。


しかしリズトン男爵の心を動かし、確信を与えてくれる完璧な金儲けの手段は、どうしても浮かばなかった。

思わぬ臨時収入で装備を新調したレーベン、心なしか鼻歌も軽やかでしたね。レスカへのプレゼントも忘れないところが彼らしいです。後半はガラリと変わって、「歯粉男爵」ことリズトン男爵の過去に迫りました。ただの平穏な村がどう変わっていくのか……次回の展開もお楽しみに!

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