226話 ダム攻防戦 (31)
「気をつけろ!! オーク共が破口 から入ってくるぞ!!」
城壁の上から声が響き渡ってきた。
オルデンが顔を上げた。
城壁の上のダウィ兵士の一人が、手にした松明 を左右に大きく振っていた。
低く垂れ込めた霧が城壁の内側の空き地にまで押し寄せ、地面を覆っていた。霧は足首の高さまで立ち込め、空き地に並ぶ槍兵たちの足元をぼんやりと呑み込んでいた。城壁の上の兵士の姿も、薄い霧の向こうに霞んで見えた。橙色の松明の灯りだけが、その上でひとり揺れていた。
「撃て!! 堀を渡らせるな!!」
続けて、別の声が城壁の上から聞こえた。崩れた城壁の脇では、明るい光の球が輝きながら危険を知らせていた。
弓の弦を弾く音が聞こえた。ビン、ビンビン、ビン。矢が次々と城壁の外へ放たれていく。まもなく城壁の下からオークたちの怒号が響いてきた。悲鳴と咆哮 が入り混じり、何かがぶつかる鈍い音も混ざっていた。
「破口の中に入ってくるぞ! 破口の内側だ! 気をつけろ!」
「オークどもが入ってくるぞ!!」
「翼兵!! 投げ槍の用意を!!」
「矢をもっと持ってこい! 早く!!」
声と声が交錯し、声を怒号が、怒号を悲鳴混じりの金属音が覆っていった。
ダウィ兵士たちの怒号、翼兵たちの鋭い羽刃の音、投げ槍の飛ぶ音、城壁のどこかで石が砕けて崩れ落ちる音。あらゆる音が方向もばらばら、高さもばらばらのまま、城壁の石の隙間を伝って下へと降り注いだ。どの音が上から聞こえてくるものなのか、どの音が崩れた城壁の破口の方から聞こえてくるものなのか、聞き分けるのが難しいほどだった。
オルデンの足が前を向いた。
ヴァルゴが足早に歩み寄り、オルデンの隣に並んだ。
「軍長。今はこの場をお守りいただかねばなりません。」
オルデンがヴァルゴを見た。
「わかっています、建築匠 。」
オルデンの視線が破口の方へと向いた。
「ですが、破口からこれほど離れていなければならないというのは、最初からそう決まっていたことなのですか?」
「サルン・ケのクラバがそうしてほしいと頼んできました。」
ヴァルゴが言葉を続けた。
「破口の周りの城壁には、まだひびが残っていますからな。投石機の石がもう一度飛んでくるかもしれませんし、衝撃で揺らいだ石がさらに崩れ落ちる可能性もあります。破口のすぐ前に隊列を並べれば、城壁がさらに崩れた瞬間、兵士たちが瓦礫 の下敷きになります。この距離からオークどもを破口へ誘い込み、両側の木柵から矢を浴びせる方がはるかに効果的です。」
オルデンは破口の方向を見た。埃がまだ完全には収まっていない破口の縁から、白い粉塵がゆっくりと流れてきていた。
オルデンが短く息を吸い込んだ。
「それにしても。」
オルデンが言った。
「それだけ、より多くの兵士が必要になったという話です。すでに地の側の城壁の兵の半分がここへ来ているというのに、それでも足りないとは。」
オルデンの視線が、集結した隊列を見渡した。槍と盾を手にしたダウィの兵士たちが前列に立っていた。その後ろには義勇兵たちが並んでいた。中には革鎧の上に荷袋をそのまま背負ったまま立っている者もいた。商団の護衛の一人が腕を組んだまま、破口の方向を見つめていた。腰に佩 いた長剣の柄が、組んだ肘の下から突き出ていた。その隣のもう一人の護衛が低い声で何かを言った。二人目の護衛が鞘 の先を指先で軽く叩いた。
隊列の端に立つエルフたちが数人、身を寄せ合うようにして長弓を手に、破口の方向を向いたまま立っていた。
ダムの兵士たちと、ダムを守るために志願した者たちの数は少なくなかった。しかし、破口へと押し寄せてくるオークたちを防ぐのに、その数が十分であるかどうかは、まだ誰にもわからなかった。
*****
城壁の上。
クラバが破口の縁の端に立っていた。
額の傷から流れ落ちた血は乾いて固まっていた。顔には白い粉塵が今も降り積もったままで、髪の間にもその粉が薄く残っていた。
クラバの目は休むことなく動いていた。そしてその視線がふと止まり、破口の下、内側を見下ろした。
城壁の内側の空き地では、ヴァルゴと大工たち、石工たちが防壁を築いていた。木柵の柱が一定の間隔で打ち込まれていた。柱と柱の間には石材と木材の切れ端が次々と詰め込まれていく。兵士たちが土嚢 を運んできては隙間を埋めていた。縄で括られ塊にされた小石が、空いた隙間へと詰め込まれていく。ガン、ガン。槌 の音が響き上がってきた。
見た目に完璧な石壁ではなかった。材料は入り混じっていた。石と木材と土とが互いを支え合うように積み上げられていた。だが、確かに築かれつつあった。速度も遅くはなかった。
クラバは破口の外へと視線を落とした。
堀の上をオークたちが絶え間なく渡ってきていた。盾の隊列が、木材が絡み合うように積まれた橋の上を踏みしめながら進む様子が、霧の合間に途切れては、また現れた。 矢が盾の上に突き刺さっていく。先頭の盾壁が衝撃に一度歪んだが、オークたちの足取りが緩むことはなかった。
クラバは破口の両脇の城壁を見渡した。
ひびはこれ以上広がってはいなかった。さらに崩れる可能性は低く見えた。だが、低いということと、無いということとは違う。足元の城壁の縁の石は、体重がかかるたびにわずかに揺れていた。
『核石の位置を突き止めなければ』
クラバが足を横へ移した。
視線を物見塔の方へと転じた。物見塔の頂上のバリスタが照準を変えていた。ダウィ兵士が二人、滑車を回して弦を引いていた。ムワの翼兵が一人、具現化した両手で太いボルトを溝の上に据える姿が見えた。方向を定めた兵士の一人が叫んだ。バリスタがもう少し方向を変えた。
そして、空。
茶色い羽に白い斑点がびっしりと散ったムワたちが、破口の上空を飛んでいた。ムワたちは破口の上を横切りながら、具現化した光とともに両翼を大きく左右に広げ、他の翼兵たちへ合図を送った。
合図を受けた翼兵たちがすぐさま位置を変え、破口の左右を覆う形で広がっていった。ムワの何羽かが破口の上空で急旋回し、城壁の外を見下ろす位置についた。具現化した手のそれぞれに投げ槍が握られていく。
破口の方からオークの怒号が再び湧き上がった。先ほどよりも近い音だった。
クラバの目が一瞬そちらへ向いた。そして再び下を見下ろした。
ヴァルゴの声が空き地から上がってきた。
「土がもっと要る!! 月の側! 積んだ列の右側に土嚢をもっと乗せろ!!」
人夫たちが動く音が聞こえた。
クラバが静かにつぶやいた。
『わしの方でも、そろそろ支度をせねばならんか』
*****
破口から埃がまた一塊立ち上り、散っていった。
白い埃の合間から黒い影が動き始めた。盾を前面に構えたオークたちだった。
重い足音が瓦礫の斜面を伝って降りてきた。埃をかき分けながら、黒い影が破口の中へと一つ、また一つと姿を現していく。
盾を構えたオークたちが、破口の内側の木柵を確かめるかのように、一瞬足を緩めた。後に続いて降りてきたオークたちも、その背に張り付くようにして立ち止まった。
オルデンが声を張り上げた。
「隊列、もっと後ろへ!! 奴らをさらに内側まで引き込んで、両側から叩く!」
兵士たちの足が一斉に後ろへと下がった。弓を手にしたダウィ兵士たちが隊列の側面へと抜け出し、木柵の両側の内側に位置についた。翼兵たちが高く舞い上がり、破口の上を覆った。具現化した手に投げ槍を握った。
兵士たちが後退してできた空間に、ヴァルゴの太い声が轟いた。
「ぼさっと突っ立ってるんじゃない! オーク共が押し寄せる前に土台は終わらせるんだ! そっちに土嚢をもっと持ってこい!」
正規兵ではないダオバやボウマのような義勇兵たちにとっては、武器を手にすることよりも、この防壁をしっかりと築き上げることこそが、今すぐ果たすべき急務だった。
ダオバが自分の体ほどもある太い木の柱を肩に担ぎ、うんうん唸りながら近づいてくると、待ち構えていた大工たちがすばやく受け取り、槌を振るって地面へしっかりと打ち込んだ。
「ボウマ! そっちの隙間に石塊を乗せろ!」
ヴァルゴの切迫した怒号に、ボウマが土埃をかぶったまま、縄で括られた重い石材を持ち上げた。
荒い息を吐きながら足で石塊をぎゅうぎゅうと踏み固めたボウマは、残っていた土嚢を持ち上げ、木柵の間の空いた隙間をしっかりと埋めていった。
土まみれの手の甲で額に流れる汗を拭ったボウマは、息を整えながら懐から干し肉の小さな一切れを取り出し、口にくわえた。
今なお積み上げられていく石壁の後ろ。
ボウマが干し肉を噛んでいた。顎がゆっくりと動いていた。ボウマの視線は破口の方に据えられたままだった。ダレンが肩の上から同じ方向を見つめていた。ダレンの首が、音を追うように少しずつ左右へ動いていた。
隣でダオバが首を片方へ傾けた。ぽきり、と音が鳴った。
「怖くはないのか?」
「怖いさ。」
ボウマは口の中の干し肉を飲み込んでからようやく言った。
「崩れた城壁を見て怖くないほうがおかしいだろ。」
ダオバが鼻から短く息を吐いた。それ以上は何も言わなかった。
バズが二人の間で銛の先を指先で軽く弾いた。小さな金属音が鳴った。
「あっちから入ってきたオークがこっちまで来るには、まず木柵を越えなきゃならないよな?」
「木柵が持ちこたえてくれればな。」
ボウマが言った。
「持ちこたえるさ。」
バズが銛を立てた。
「ヴァルゴ建築匠が、できるって言ってるだろ。」
三人のダウィは誰も口を開かなかった。
破口の方角から、鉄と鉄がぶつかり合う轟音、誰かの悲鳴、鎧同士が擦れ合う摩擦音、切迫した足音が一度に絡み合い、波のように押し寄せてきた。
だが、その騒乱のすべてを貫いて、ひどく低く、それでいて鮮明な音が響いた。金属が鞘から抜け出る音だった。
ニアだった。
ドロコの小さな足が鞘の側面を力いっぱい蹴った。鞘が横へ弾かれ、剣身 が上へと姿を現した。
ニアが「180金貨」の柄を掴んで持ち上げた。厚い刃が長く、ゆっくりと鞘の外へ抜けていく。
刃の表面に、薄暗い光が細長く乗った。
剣を抜いたニアは、刃を一度見下ろしてから、薄い霧が揺らめく前方を見つめた。
「来るだる。」
低くつぶやいた。それ以外には何も言わなかった。
「投げ槍や矢がもったいない奴らだぜ!! ガーッハッハ!!」
その時、背後から轟くような、笑いの混じった声が聞こえた。
オルデンが声のした方向へ顔を向けた。
ムールムックだった。
普段のムールムックよりも胴が小さく、重心の低い体つきをしていた。分厚い蹄 と短く太い脚が狭い間隔で地を踏みしめており、空き地の瓦礫を踏みながらも、体はまるでぶれなかった。
背にはダウィの騎手が跨っていた。分厚い毛皮を幾重にも重ね着した体つきで、片手には長い槍が握られていた。
ムールムックの後ろには、同じ体つきのムールムックたちが騎手を乗せて列をなしていた。槍を背に負う者もいれば、短弓を提げている者もいた。騎手たちの装いはどれも分厚い毛皮と、丈の短い毛皮帽で揃っていた。険しい山道を長く旅してきた者たち特有の匂いがあった。風と、道の匂いだった。
オルデンが前へと歩み出た。
「ニシャリン!」
ムールムックの上から騎手が降りてきた。足が地に着いた瞬間には、もう声が出ていた。
「俺が遅すぎたか? まだペストロナクの山道に商団の大半が足止めされててな、急いで騎手を何人か連れて駆けてきたんだ。」
風に荒れた顔だった。顎の下に厚く伸びた毛の間には土埃がこびりついていた。眼差しは城壁の向こうから聞こえてくる音の方へと向けられていた。
「ちょうどよい時にいらっしゃいました。遅れてはおりません、ニシャリン。」
オルデンが言った。
ニシャリンが口の端を吊り上げた。
「もう少し早く来られりゃよかったんだがな。クハハ! だが遅れた分は、俺たちがオークの首をより多く地に転がしてやるさ!」
ニシャリンは片手でムールムックの脇腹を叩きながら、再びその背に跨った。
お読みいただき、ありがとうございます。これからの物語もお楽しみいただけるよう力を尽くします!




