224話 ダム攻防戦 (29)
空高く飛んでいく巨大な岩。
石の表面には、粗く形だけを整えて削り出した側面のあちこちに、泥がそのまま固まって食い込んでいた。石の窪んだ溝の隙間には、黒く細い土が石の表面に張りついたまま乾き固まっている。石全体を二重に巻き、幾方向にも交差させて縛りつけた太い縄が見えた。発射の瞬間にほどけているはずだったが、結び目の一方が固く引っかかり、いまだ石の側面に巻きついたままだった。縄の繊維がちぎれ、切れた繊維の束が石の周囲でしなりながら舞い散っていく。
巨大な岩塊 が城壁めがけて飛んでいく。
霧がダムの城壁の下の地を低く覆っていた。霧の層の下には数万のオークとミノタウルの軍勢が、白い海に浮かぶ黒い影のように揺らめき、霧の表面は風に押されて絶えず動き続けていた。
その霧の上を、投石機の岩が放物線の終着点へと突き進んでいく。
霧の平原の奥には、オークとミノタウルの隊列が果てしなく広がっていた。サアルンの森の境界からダムの城壁の下まで、霧の隙間を縫って盾と槍の穂先が突き出ていた。喊声 と太鼓の音、そして地を踏み鳴らす足音が、霧の向こうから絶え間なく押し寄せてくる。
その向こうに、ダムの城壁がそびえ立っていた。
城壁は石壁の合間に巨木が立ち並び、連なる構造だった。樹齢数百年を誇る巨大な木々が、城壁の一部として一定の間隔で植えられている。木の巨大な根が地面の下の土をしっかりと掴み、太い幹が防壁の骨組みの役割を果たす木々と石壁。長い歳月をかけて木と石が互いを支え合いながら固まってできた城壁だった。石壁の上端には胸壁 が連なっており、木々の太い枝が胸壁の上を横切って伸びていた。
城壁の上には多くのダウィの兵士たちの姿が見えた。胸壁の向こうへと身を乗り出して弓を引く者、短い投げ槍を手に外へと投げつける者、城壁の上を素早く駆けて命令を伝える者。その上空を、ムワの翼兵 たちが胸壁と木の枝の間を切り裂くように飛び交っていた。具現化した手に投げ槍を握ったまま、城壁の外の下方へと投げつけるムワたち。投げ槍が飛んでいく音とオークの咆哮が入り混じり、城壁の下で響き渡る。
その全てを見下ろすように、城壁の外の巨大な投石機から放たれた岩は、ダムの城壁めがけて落下していく。
ダムの西の城壁と南の城壁が交わる角に、巨大な石造りの物見塔がそびえていた。土台から頂まで、すべて石材を積み上げて築いた構造物だった。ダムの城壁のどこよりも厚く、高かった。物見塔の上ではムワの翼兵たちが城壁の向こうを見下ろしている。物見塔の側面に設けられた投槍口 からは、投げ槍の穂先が外へと突き出されたまま揺れていた。
物見塔の頂上。石造りの床には巨大なバリスタが三基、据え付けられている。ダウィの兵士四人が両側からバリスタの巻き上げ車 を回す。歯車がカチカチと音を立てながら、太い弦が後ろへと引き絞られていく。空中に浮かんだムワの翼兵が、具現化した両手で鋼で補強した太いボルトを持ち上げ、溝に据える。舵を握っていたダウィの兵士が顔を上げた。その視界に、切れた縄の繊維をなびかせながら落下してくる巨大な岩が飛び込んでくる。物見塔のすぐ傍らの城壁めがけて降り注ぐ巨石の姿が、瞬く間に視界を埋め尽くした。
飛来した巨大な岩は、物見塔のすぐ傍ら、南の城壁の西端へと突き刺さった。
ドゴォォ——ズガァァンッ——!
爆発音。巨石が城壁に食い込んだ。衝突した地点を中心に石材が砕け散る。積み重なっていた石々が衝撃に耐えきれず、内側へと押し崩れていった。巨大な亀裂が城壁に沿って広がり、続いて石壁の一部が崩れ落ちた。
城壁の石が根こそぎ引き裂かれ、城内へと吹き飛んだ。散らばった石材と瓦礫 が地面を覆い尽くす。城壁に根を張っていた木の一本が傾ぎ、崩れ落ちた石の山とともに倒れ込んだ。
その場所に、巨大な破口 が生まれた。
土埃が舞い上がった。砕けた石の粉と土が混ざり合い、城壁の内外へと白く広がっていく。投石機の岩は城壁の瓦礫の中に深く食い込んだまま止まっていた。
城壁の下を覆っていた霧が、崩れ落ちた石と瓦礫が生み出した衝撃に押されて散っていった。白い霧と土埃が入り混じり、堀の上をゆっくりと広がっていく。
攻城塔に取りついていたオークたちが、一斉に動きを止めた。霧の合間から西の城壁の一部が崩れ落ちる様子が見えた。頭という頭がその方向へと振り向いた。霧が一瞬裂けた隙間の向こうに、城壁に穿たれた巨大な破口が姿を現した。
城壁の外のオークたちが武器を振りかざし、咆哮を上げる。オークたちの笑い声とともに、太鼓の音が慌ただしく変わっていく。
城壁の下の堀には、すでに西の城壁攻略で崩れ、焼け焦げた攻城塔の残骸が積み重なっていた。燃え残った太い木材、折れた梯子の木片が、堀の中で絡み合っている。
オークたちがその方向へと走り出した。太い縄を肩にかけて引きずるミノタウルたち、長い木材の柱を担いで駆けていくオークたち。堀の前にたどり着いたオークたちが、すでに積み上がった残骸の上へ柱や木材を投げ入れ始める。
木材が積み重なり、堀の上に仮橋ができあがっていく。
鉄甲 を纏ったオークの先鋒隊が、盾を前面に押し立ててその道を踏みしめ、ダムの破口へと進撃していく。その後ろに、盾を掲げた隊列が続いていた。
城壁の上から矢が降り注いだ。オークたちが盾を掲げる。盾の壁が築かれた。矢が次々と盾の表面に突き立つ。それでもオークたちの足は止まらなかった。数体のミノタウルが盾も持たずに橋の上へと上がり始めた。 矢が体に突き刺さっても、その足は止まることがなかった。
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城壁の上。
瓦礫の山に、白髪の老人がうつ伏せに倒れていた。
クラバだった。
「うぐぅ……城壁が、城壁がぁ!」
クラバが傍らに転がった瓦礫に手をついて、よろめきながら立ち上がった。飛んできた石片に裂かれた額から、赤い血がにじみ出ている。血は皺の刻まれた額を伝い落ち、白い右の眉を赤く染めながら目元へと流れていった。クラバは袖で額を一度拭った。血は止まらなかった。片方の眉が赤く濡れていた。
衝突の余波で城壁上部の石が砕け、鋭い破片が四方へと散らばっていた。空気を埋め尽くした土埃が、クラバの革の衣と白髪の上に厚く降り積もっていた。
「ゲホッ!! グフッ!」
息を吸い込むたびに肺へと押し寄せる土埃のせいで、咳が出た。
周囲では数人のダウィ兵士が、砕けた石を押しのけながら身を起こしていた。クラバは床に落ちていた斧を拾い上げ、崩れた城壁の方へと足を運んだ。
ダウィ兵士たちは手から離れた武器を求めて石の床を手探りしていた。クラバが拾い上げた斧の刃も、刃こぼれしていた。
まだ耳を塞いだままよろめいている兵士たちもいた。巨石が衝突した瞬間の轟音のせいなのか、口を動かしていても互いの言葉をまともに聞き取れていない様子だった。負傷者を呼ぶ声と城壁の下のオークたちの声が入り混じり、城壁の上を騒然と響かせていた。
城壁の上にはまだ砕けた石があちこちに散らばっていた。巨大な岩が衝突した瞬間、胸壁を形作っていた石が引きちぎられ、兵士たちを襲ったのだ。ダウィ兵士の何人かは瓦礫の下敷きになった仲間を引きずり出しており、何人かは血まみれのまま壁に体を預けて座り込んでいた。まだ土埃のせいで視界がかすんでいた。
城壁の穴は、彼が立っている場所からもはっきりと見えた。石材が内側へと崩れ落ちてできた斜面には、まだ土埃が満ちていた。クラバは破口の縁、まだ城壁の形が残る端で足を止めた。足元では、砕けた石材の断面が虚空へと途切れていた。
長い年月をかけて固く噛み合っていた城壁の内部断面が、垂直に荒々しく引き裂かれた形をしていた。石と石の隙間を埋めていた泥と小石は完全に砕け散り、下へと崩れ落ちていく。城壁の中心の骨組みを担っていた巨木の太い根茎 は、強い衝撃に耐えきれず、あちこちが裂けて生々しい内側をさらけ出していた。クラバが踏みしめている城壁の縁の石は、体重がかかるたびにグラグラと浮き沈みして、破口の下へと落ちていった。 石が落ちて互いにぶつかり合う音が、足元から長く尾を引いて響いた。
その向こうに、石造りの物見塔が立っていた。
傾いてはいない。物見塔の西側面の上部、城壁と接していた部分の石材の一部が衝撃で砕け落ちた跡は生々しく残っていたが、物見塔の基壇部 は崩れていなかった。
「物見塔は幸い、傾いちゃいないな。 」
クラバがつぶやいた。目が物見塔の基壇部から頂上へと素早く走った。
物見塔の下方の石が数枚砕けてはいたものの、全体の構造は保たれていた。ダウィ兵士たちはまだ上部を行き来しており、バリスタもまた崩れることなくその場に残っていた。
続いて、決潰 した地点の城壁の外へと視線を落とした。
堀ではオークたちが渡ってきていた。堀の上にはまだ霧が低く立ち込めている。
オークたちが動くたびに、白い霧が足元から押し流された。盾を掲げたオークの隊列が、瓦礫の上に築かれた仮橋を踏みしめながら進んでいる。城壁の上から矢が降り注いだが、オークたちが作り出した盾の壁がそれを受け流した 。盾の上には矢がびっしりと突き立っていた。
堀に架かって橋の役目を果たしていた攻城塔の残骸は、数百のオークがかける重みに耐えきれず、堀の底へとさらに深く沈み込んでいった。オークたちが慌てて投げ入れた丸太と梯子の破片は、互いに噛み合わず固定されていないため、鉄甲を纏った足が踏み込むたびに左右へと傾ぎ、危うげに揺れ動いた。
隊列の中央に立つオークたちは、革と重い鉄板で補強した大型の盾を互いに重ね合わせることで、隙のない防壁を作り上げていた。矢羽が隙間なく突き刺さった盾の壁の下から、幾多の軍勢の鉄甲の靴が木材を踏みしだく不揃いな足音が、城壁の上にまで聞こえてきた。
盾壁の隙間から、オークたちの顔がのぞいていた。矢を受けて血を流すオークもいれば、折れた矢柄を肩や背に突き立てたまま歩いてくるオークもいた。隊列の先頭で、オークの一体が飛んできた矢を受けて膝をついた。後ろに続くオークたちの肩がその背を押しのけた。倒れたオークの体は、後に続くオークたちに踏みつけられていった。
クラバの目が城壁の内側へと向いた。瓦礫の斜面は城壁の内側へとなだらかに下っていた。足を踏み下ろして降りられるほどの傾斜だった。城壁を乗り越える必要すらない。崩れた城壁の中へと踏み込みさえすれば、斜面を伝って下りてくることができるのだ。
石材と土くれが混ざり合い、絡みついて固まった斜面は、ところどころ足を掛けやすい踏み台のように折れ曲がっていた。
クラバが空に向かって叫んだ。
「翼兵!」
城壁の上を飛び回っていたムワの一体が方向を変え、クラバの方へと降りてきた。
「ヴァルゴ建築匠 と石工たちに、わしの言葉を伝えてくれ。物見塔の下、南の城壁の麓にいるはずだ」
クラバの言葉を聞く間、翼兵は何度か頷いていた。彼の言葉が終わると、翼兵はもう一度短く頷き、体を翻して飛び立っていった。
クラバはその場から城壁の内側を見下ろした。破口の斜面の下、城内側には投石機の岩が半ば埋まっていた。
クラバの目は、城壁が崩れた場所だけを見ていたわけではなかった。破口の両脇に残った石壁を見渡す。まだ持ちこたえてはいたが、状態は良くなかった。ところどころに亀裂が見え、衝撃に押された石は元の位置から少しずつずれていた。足元の石さえも、体重がかかるたびにわずかに揺らいでいた。
それを見下ろすクラバの目が、細く狭められた。
言葉ひとつひとつを選ぶのに、特に悩んだ回でした




