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219話 ダム攻防戦 (24)

ダムの北の城壁の下、キナたちの足音が絶え間なく聞こえていた。


戦場の音が少しずつ変わりつつあった。オークたちの荒々しい怒号が減っていく。鋼のぶつかり合う音が減っていく。その空白を埋めるように、キナたちの音が広がっていた。


バアクが再び弓を構えた。矢を抜き、弦にかけた。


城壁の真下を見据えた。堀の内側、城壁と堀の間の空間だった。


だが、矢の先にいるはずのオークがいなかった。


堀を渡ってきたオークのうち、生き残っているのは再び堀を渡って森へ逃げ帰った者たちだけだった。


弦を引き絞ったまま、バアクは左を見た。キナがオークを掴んで放り投げていた。右を見た。別のキナがミノタウルの腕をもぎ取り、投げ捨てるところだった。もっと遠くを見た。翼兵(よくへい) の羽刃(うじん) がオークの首をかすめて通り過ぎた。


バアクはしばしそのままの姿勢でいたが、やがてゆっくりと弦を緩めた。


「……撃つとこがねぇじゃねぇか!」


その声には、悔しさがにじんでいた。


再び大きく息を吸い込むと、弦を引き絞って狙いを定めた。


遠くの方。オークが一体、ダウィ兵と斬り合っていた。バアクが弦を引いた。その瞬間、キナの足がその上に振り下ろされた。鈍い破裂音。オークの体が押しつぶされ、血と肉片が飛び散った。


バアクは再び弦を緩めた。


「……うわぁぁぁ! なんだよ!」


別の方にはミノタウルがいた。図体が大きかった。斧を手にしていた。


バアクが弦を引いた。その瞬間、サルマのキナが近づき、素早く腕を伸ばしてミノタウルの頭を掴むと、そのまま地面に叩きつけた。


バアクがゆっくりと弓を下ろした。


マウが静かにその隣に立っていた。


「……兄貴」


「言うな」


「うん……わかった」


しばし沈黙が流れた。


『キナのいない方を狙わなきゃな!』


バアクが再び弓を構えた。今度はもう少し遠くを狙った。まだキナの手が届いていない場所があった。城壁と堀の間に架かる橋の端の方だった。オークが二体、もつれ合いながら戦っていた。


バアクが弦を引いた。


放たれた矢がオークの一体の肩に突き刺さった。オークがよろめいた。


マウが言った。


「当たったな」


「当てただけじゃ駄目だ、仕留めなきゃ !」


バアクが次の矢を抜きながら言った。その時、ヤクラ翼兵の一体がそちらへ低く飛び込んできた。よろめいていたオークを羽刃で斬り抜けた。オークが倒れた。


バアクは弓を構えたまま、その光景を見つめた。


「……俺が当てたのに」


「うん」


「もう倒れる寸前だったんだぞ」


「うん、そうだな」


「俺の矢がもう息の根を止めてたようなもんだ」


マウが翼兵の飛び去った方向を見やった。


「仕留めたのが兄貴なのかあの翼兵なのか、そんなの気にしてどうすんだよ。どうせ死んだのは同じだろ」


「気にしてどうすんだよって、さっきからオークだけで十二、ミノタウルは二体って、ちゃんと数えといたんだよ! 今度こそ十三になるはずだったんだ! 後でベジェデの野郎に自慢するには、数が大事なんだよ!」


バアクが深く息を吐いた。


「ベジェデの奴なんか、絶対自分のキナの足指についた血まで数えてるに決まってるんだ!」


しばし沈黙が流れた。


バアクが再び胸壁(きょうへき) の向こうへ視線を広げた。城壁の真下は、すでにキナたちが一通り薙(な) ぎ払った後だった。動いているものの大半はダウィ兵たちだった。オークとミノタウルの死体は、押しつぶされたまま戦場のあちこちに散らばっていた。


バアクが矢筒(やづつ) に手を伸ばした。矢を抜こうとした手が止まった。


マウが静かに矢筒へ手を伸ばしていた。別の矢筒から予備の矢を取り出し、こっそりバアクの矢筒へ差し込んでいるところだった。


一本、二本、三本。バアクが堀の向こうを見ている間に、マウの手は黙々と動いていた。四本、五本。


バアクが振り返らないまま言った。


「矢、どれくらい残ってる?」


マウが何気ない様子で答えた。


「……結構残ってるよ」


バアクが矢筒を覗き込んだ。矢がぎっしり詰まっていた。


「あれ? 結構撃ったはずなのに、なんでこんなにあるんだ?」


「さっき補充しといた」


「あ? おい……じゃあさっき俺が軍長(ぐんちょう) に言ったこと、聞いてなかったのか?」


「んー? いやぁ……あれはただ言っただけだろ」


「ただ言っただけじゃねぇよ! この矢筒一つ撃ち切ったら下に降りるって言ったんだぞ、マウ!」


バアクはマウに向かって声を荒らげたあと、再び胸壁の向こうへ視線を戻した。


堀の向こう側だった。オークたちの後方だった。まだ堀を渡っていないオークたちがひしめいていた。堀の明かりが届く範囲の外から、こちらを見つめていた。


バアクが目に力を込めた。


「あそこはまだオークがたくさんいるな!」


「堀の向こう側じゃん。矢の届く距離じゃないよ」


「ふぅん? 届かない距離だと?」


バアクが長弓(ちょうきゅう) を手に取った。立っているバアクの肩を越える長さだった。


バアクが弦を引いた。ゆっくりと、深く引き絞った。耳の後ろまで、さらにその先まで。息を半分ほど吐き出して止めた。体全体が弓の一部になるかのように肩が開き、弓の両端が互いに向かって撓(たわ) んでいった。


マウが横でそれを見つめながら言った。


「……まさか」


バアクの目が一点に固定された。堀の向こう、オークの群れの中に、頭目(とうもく) らしき体格の大きなオークが一体いた。


そのオークは城壁の方を指さしながら怒鳴っていた。何か指示を出しているようだった。


「見ろよマウ、俺はああいうオークが好きなんだよな」


バアクがつぶやいた。


「うるさくでかい声張り上げてる奴らのことさ!」


ヒュオォッ!


矢が飛んでいった。城壁から、堀を越えて、向こう岸まで。


堀の向こうで、オークの怒鳴り声が途切れた。


マウがしばしそちらを見つめた。


「……当たった?」


「当たり前だろ!」


バアクが矢をもう一本抜きながら言った。マウがそちらを見やった。倒れたオークの周りで、他のオークたちが散り散りになっていた。


「兄貴……あの距離、どれくらいかわかってる?」


「知らねぇよ。当たると思って撃ってるだけだ」


「普通、弓兵があの距離は……」


「撃てるもんじゃないのか?」


マウがしばし言葉を失った。


その時だった。


堀の向こうで衝撃音が響いた。


ドガアァン!!


巨大な重量が地面に着地する音だった。


バアクはすでに次の矢を弦にかけていた。堀の向こう、オークが一体逃げ出していた。


バアクが弦を目一杯まで引いた。そして放った。


矢が飛んでいった。


ドゴォォン!!


ベジェデのキナが堀を飛び越えて着地し、足を前へ踏み出した。巨大なキナの体が、飛んでいく矢の軌道上へと移動した。


キィン!


矢がキナの腕の装甲板(そうこうばん) に当たり、宙へ弾かれた。


バアクがその光景を見た。


短い静寂が流れた。


「うおおおおおお!!」


バアクが胸壁に手のひらを叩きつけた 。


「ベジェデ!! なんでお前が堀を渡るんだよ! なんでそこから急に飛び出してくるんだよぉぉ!」


マウがその横で、静かに堀の向こうを見つめていた。ベジェデのキナがオークたちへ近づきながら、鎖でつながった鉄槌(てっつい) を振り回していた。続いて他のキナたちも堀を越え、次々と地面へ降り立った。


「うわぁ……」


マウが小さな声で言った。


「あんな大きいキナが……堀を跳び越えたよ。バアク兄貴、見た?」


バアクが荒々しく息を吐きながら言った。


「見たよ!」


「本当にあの距離をただ跳んで?」


「見たっつってんだろ」


「足が着いたとこの地面が沈んだの見た? あれだけ重さが乗ってるのに、跳び上がるなんて……」


「マウ」


「うん?」


「今そんなことどうでもいいんだよ!」


マウが振り向いて兄貴を見た。バアクの目は堀の向こうへ向いていた。オークたちが逃げていた。キナたちがその後を追っていた。


遠くからでも聞こえる笑い声がした。ベジェデの笑い声だった。キナの鎖が宙を切り裂く姿が見えた。そして、オークたちが倒れる音が続いた。


バアクがその音を聞いた。


彼の目つきが徐々に鋭くなっていった。


バアクが矢筒に手を伸ばした。矢を抜こうとして、止まった。


彼の手が矢筒からゆっくりと下ろされた。


静かに弓を下ろした。


マウがそれを見て、内心ほっと胸をなでおろした。


その時、バアクが後ろを振り返った。マウを見た。


「おい」


「うん?」


「矢筒、今また補充しただろ」


マウがしばし言葉を失った。


「……いつ」


「今さっきだよ。俺が堀の向こう見てる時に」


「さっき補充したって言ったじゃん」


「さっきじゃなくて、今もまた補充しただろ」


「うっ……兄貴、目がいいな」


「目とは関係ねぇよ」


バアクがマウを見つめながら腕を組んだ。


「だから、俺に城壁の下へ降りるなって意味で、矢筒を補充したんだろ?」


マウがしばし顔をそむけた。


「あ……それもあるけど、矢が多ければ、その分オークもたくさん撃てるだろ」


「マウ」


「うん」


「正直に言え。どれだけ補充したんだ」


しばし沈黙が流れた。


「え……あと二束くらい足しといた」


「なんで」


「兄貴が降りたら駄目だから」


「降りてもいいだろ」


「駄目」


「なんで駄目なんだよ」


マウが城壁の下を指さした。キナたちが歩いている場所だった。


「あそこはもうキナたちが全部片づけてるじゃん」


「だから俺も降りて手伝わなきゃいけないんだよ」


「キナが全部片づけてるのに、何を手伝うんだよ」


「だから俺にも何かやることがなきゃ困るんだよ!!」


マウが短くため息をついた。


「兄貴は今もやってるじゃん」


「何を」


マウが言った。


「城壁、守ってるだろ」


バアクがしばしマウを見つめてから、視線を逸らした。そして胸壁にもたれかかったまま頬杖をついた。何も言わなかった。


マウがそっと兄貴の表情をうかがった。バアクは相変わらず戦場の方を見つめていた。納得のいかない顔をしていた。


城壁の下では、相変わらず音が響いていた。キナたちの足音。オークたちが倒れる音。堀から立ち上る煙が、灯りを受けて赤く揺れていた。


ベジェデの笑い声が、遠くからまた聞こえてきた。


バアクがその声を聞きながら、胸壁に腕をかけた。


何も言わなかった。


マウもその隣に立った。


二人のダウィは、何も言わなかった。




*****


サルマのキナが、堀の向こう側でオークたちの中央を突き抜けていた。


オークたちがキナの前で左右に割れた。後退するオークもいた。


キナに向かって斧を高く振り上げ、突っ込んでくるオークもいた。そのオークたちは、キナの足元に残った。


空ではヤクラ翼兵たちが飛んでいた。キナたちの周囲を飛び回りながら、キナの足元へ潜り込もうとするオークたちを羽刃で斬った。低く速く飛びながら、オークたちの間を抜けていった。羽ばたきの合間に、羽刃がオークたちの腕や首をかすめていった。


サルマのキナの肩に、ネルムが座っていた。


節と木目が織りなすキナの肩の広い面に、ネルムは翼を畳んで座っていた。赤いマントが、キナの動きに合わせて揺れていた。その翼に巻かれた包帯は、まだ解けていなかった。だが視線は、堀の向こうの森へと向けられていた。


ネルムが言った。


「日の側の区域から押し戻されたオークたちが、再び集まりつつあります。キナを二機、そちらへ回すべきかと」


サルマがキナの内部から答えた。


「ベジェデに伝えろ」


「承知しました」


ネルムが翼を掲げ、具現化(ぐげんか) した光で信号を送った。


ほどなくベジェデのキナが方向を転じた。後に続く一機も共に向きを変えた。


ベジェデの声が遠ざかりながら聞こえてきた。


「オーク野郎ども、そこにいたか!! 今行ってやる!! クカカカカカ!!」


戦場の東側で、再び衝撃音が響いた。


ネルムが再びサルマへ向かって言った。


「軍長。星の側の城壁は、ある程度片づきつつあります」


「そうか」


サルマの声が短く聞こえてきた。


「侵略者どもは、月の側の城壁にまだ多く残っている」


しばし沈黙が流れた。キナの足音だけが続いていた。足が地に着くたび、地面が揺れた。


四方から聞こえていた音が、特定の方向へ集まり始めていた。戦線が狭まりつつあった。


サルマが言った。


「月の側の城壁へ向かわねばならない」


その声は揺るがなかった。


「だがその前に、この城壁に残るオークとミノタウルを、一体残らず片づけろ」


キナが歩みを続けた。堀の灯りがその上を照らした。肩の太陽紋章が、灯りの中で金色に閃いた。

ぜひ楽しんで読んでくださいね〜!

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