218話 ダム攻防戦 (23)
バアクが城壁の下を見つめていた。マウがその隣に立った。
二人のダウィが胸壁 に腕を乗せ、下を見下ろしていた。
二人のダウィの目に映るのは、「混乱」という言葉一つでは言い表せない、城壁の下の戦場だった。
オークとダウィ兵たちが入り乱れていた。盾がぶつかり合い、槍が突き刺さり、兜が吹き飛んだ。オークたちの叫び声、鋼のぶつかる音、矢が鉄甲 に弾かれる鋭い金属音、そして時折、矢を受けて倒れたオークの血を含んだ短い悲鳴が聞こえた。
城壁の陰になった場所では、オークたちが梯子を掛けようとしており、城壁の下の一角では、ダウィ兵たちが堀を渡ってきたオークたちを押し返しながら持ちこたえていた。
その間を、キナたちが歩いていた。
オークたちがキナの足元で倒れていった。オークの一体が槍を手に、キナへと突進した。キナは足を止めなかった。持ち上げられていたキナの足が下りると、そのままオークを踏みつけた。
足を離した跡には、鎧の破片と泥が入り混じったオークの肉塊だけが残った。別のキナは右腕を大きく振り回した。腕が弧を描いて通り過ぎると、前にいたオーク五、六体が一度に吹き飛んだ。
ミノタウルの群れが堀を渡って駆けてきた。
オークの何倍もある巨躯 が斧を振りかざし、キナへ向かって駆けてきた。蹄 が地面を蹴る音が重々しく響いた。
キナはそれが向かってくるのを見据えると、腕を持ち上げた。ミノタウルが斧を振り下ろす瞬間、キナの手がその頭を掴んだ。掴む動作一つで兜が潰れる音が、城壁の上まで聞こえるほどだった。キナはそのまま腕を地面へと叩きつけた。
ズブシャッ!!
泥が跳ね飛ぶ音とともに、束の間の静寂が流れた。
身をよじりながら手を伸ばし、キナの腕を両手で掴もうとするミノタウル。
しばらくして、キナの手に押し潰されたミノタウルは動きを止めた。キナは肉片と血がべっとりと絡みついた手を振り払い、再び歩き出した。
ヤクラ翼兵 たちがキナの周囲を飛んでいた。モスロウの主であるサルマのキナの周りを低く速く飛び、オークたちの間を通り抜けていった。
金属の羽刃 が交差しながらオークの腕と首を斬った。刃がかすめた跡ごとに、オークたちが倒れていった。堀から立ち上る黒い煙は、炎の光を受けて赤く染まっていた。
「あれがモスロウのキナだ」
バアクが言った。
「ほおぉ……ナウルの神殿にあるキナとは、見た目が違うな」
「俺もあれに一度乗ってみたいもんだな」
「……いや、俺たちはキナに乗れないよ」
マウが答えた。
「なんでだ」
「うーん……大きさは十分だとは思うけど……」
「理由を言ってみろ」
マウが一瞬、下を見下ろした。キナの一体が、駆けてきたミノタウルを片手で持ち上げ、堀の方へと投げ捨てる姿が目に入った。ミノタウルが放物線を描いて飛び、堀へ落ちる水音がしばらく聞こえて消えた。
「そのぅ……兄貴が乗るには無理があるんじゃないかな」
「なんでだ!? あれくらいの大きさなら俺だって乗れるだろうが!」
「キナを動かすには、マナをうまく扱えないといけないんだって。具現化の手をキナと繋げなきゃいけないって、前にダレンが言ってたんだ」
「俺だってマナくらい扱えるぞ」
「ムワたちみたいに、具現化された手を作り出せるほどじゃないだろ」
「斧をマナの力で包み込むのと似たようなもんじゃないのか?」
「さあ……俺の目には、違うものに見えるけど」
バアクはしばし考えた。
「原理は同じじゃないのか?」
「さあ……たとえそうだとしても、原理が同じだからって乗れるわけじゃないと思うよ」
「ふぅーむ……本当か?」
マウが振り向いて、兄貴を見つめた。
バアクは真剣な表情で下を見下ろしていた。
「……あとでナウルの神殿に行って、兄貴が直接聞いてみなよ」
マウがつぶやいた。
バアクは答えなかった。彼はすでに胸壁の端に身を寄せ、城壁の下の戦場を見渡していた。その目は城壁の下を静かになぞるように見下ろしていた。何かを探す目だった。
そして、見つけた。
バアクが体を起こした。傍らに立てかけていた長弓 を取り上げた。矢筒から矢を一本抜いた。矢羽に指を一度滑らせると、弦 にかけた。
「オークが一体、キナの後ろを這っている」
「どこだ?」
「あそこだ」
バアクが顎で方向を示した。
マウが視線を向けた。城壁の下、キナと兵士たちの乱戦の間を縫うようにして、城壁の方へ這っていくオークが一体見えた。低く伏せていた。短い槍を握っていた。兵士たちの目に留まらないよう、低く、低く動いていた。
「見える」
「俺が仕留める!」
バアクが弦を目一杯引き絞った。
マウが横で言った。
「……煙のせいで狙いにくいんじゃないか」
「わかってる」
「距離もかなりあるし」
「わかってる」
「キナが何度も前を遮って、当てるのが難し——」
ヒュッ!
矢が飛んでいった。城壁の下で、オークは這っていた姿勢のまま首に矢を受け、頭を上げることもできずに倒れた。槍が手から抜け落ち、横へ転がった。
マウがしばらく下を見つめた。
「……当たったな」
「ふん!当然だろ」
バアクが矢をもう一本抜きながら言った。
「俺の横でしゃべるな。集中の邪魔だ」
マウは口をつぐんだ。バアクはすでに次の矢を弦にかけていた。その目は城壁の下を見渡していた。
ヒュッ!
オークが一体、倒れた。
ヒュンッ!
城壁を這い上ろうとしていたオークが、両腕を後ろへ反らせながら落ちていった。
マウがその横に立ち、城壁の下を見下ろした。バアクの手から矢が放たれるたびに倒れていくオークたちを、静かに数えていた。
そうしていたマウが、ふと顔を上げた。
目を細めて体を起こしたバアクが見つめる方向は違っていた。下ではなかった。堀の向こう側、さらにその先。森のある方角だった。
森の縁にオークたちの投石機が据えられていた。堀の炎に照らされ、かろうじて輪郭だけが浮かび上がる距離だった。投石機を操るオークたちの姿が、かすかに見えた。
その時だった。
パカァン!!
音が聞こえてきた方向は城壁の下ではなかった。正確には、その先の森だった。城壁のはるか外、オークたちの投石機のある辺りだった。
森の中の一角で、木が二、三本、青い閃光とともに横へなぎ倒された。堀で燃え盛る朱色の炎とは違う、冷たく鋭い光だった。目を刺すように閃いたのも束の間、すぐに轟音が追いかけてきた。
バアクが光の見える方向へ目を細めた。
「マウ、今の見たか? あれなんだ」
マウがそちらを見やった。
「ああ、俺も今見た」
「城壁の方から飛んでいったんじゃないよな?」
「うん。反対側の森から飛んできた」
もう一度、ピシッという音に続いてパカァン!!という音がした。今度はさらに大きく、はっきりとしていた。青い閃光が弾けると同時に、オークたちの投石機の一つがその場で砕け散るのが見えた。氷の破片が四方に飛び散り、オークたちを襲った。
「氷だ!」
「氷の魔法っぽいよな? 青かったし」
マウが言った。
バアクはもっとよく見ようと目を細め、眉間にしわを寄せた。
「あっちに……誰かいるな」
森の縁に、ぼんやりとした人影が見えた。遠くて、はっきりとはしなかった。二人だった。一人は背が高く、体格も大きかった。鎧を着ていた。長い武器が見えた。ハルバードだった。
もう一人はそれより小柄だった。鎧ではなくケープを羽織っていた。両腕が前へ伸びていた。その手の先で青い光が立ち上っていた。
その二人の間、空中に何かが浮かんでいた。
青い光をまとった剣だった。誰も握っていないまま宙に浮かび、独りでに動いていた。
バアクが言った。
「あの小さい方……ダウィじゃないよな?」
マウがゆっくりと言った。
「ダウィにしちゃ小さいな。肩幅も狭いし、背丈もさらに低い。あの距離からでも、何か違う感じがする」
「サルン・ケか? それともエルフか」
「耳が見えればわかるんだけど、あの距離じゃ……」
「霧のせいで……かすんでよく見えないな」
「うん」
マウがしばらくそちらを見つめてから、言葉を継いだ。
「エルフたちの魔法だろうな……あの青い光と、氷が見えるのは……ムワたちの具現化とは違う」
「じゃあエルフだな」
バアクが短く結論づけた。そして再び、その隣の背の高い人影の方へ視線を移した。
その時だった。
宙に浮いていた剣が動き始めた。
最初はゆっくりと回転した。青い光が刀身を伝って流れ、やがて向きが変わった。投石機を操っていたオークの群れの方へと向きを変えた。しかし、それはまっすぐには飛んでいかなかった。
揺れた。
左へ大きく傾いては戻ってきた。また右へ、また左へ。振り子のように、しかし振り子よりもずっと生きているかのように、速く、遅く、気ままに速度を変えながら刀身を揺らした。
オークの一体が、迫る剣に向かって槍を突き出した。
青い剣は左へと滑るように躱した。槍は虚空 を突いて通り過ぎた。剣が戻ってきた。右側から別のオークが斧を振り下ろした。剣は右へ退きながら躱した。斧が地面を打った。
そして剣は再び元の位置へと戻った。
止まることなくオークたちへと進んでいった。左右に揺れながら、ブォン、ブォンと空気を切り裂く重い刃の音とともに、次第に内側へと食い込んでいった。
オークたちが迫る青い剣を掴もうと手を伸ばした。剣はすり抜けた。
剣の動きを止めようと盾を構えた。剣は盾の下をくぐり抜けた。
青い剣を取り囲もうと、オークたちが円形に集まった。
そして周囲を囲んだオークたちが、じりじりと距離を詰めてきた、その瞬間。
剣が止まった。深く息を吸い込んだ後のような、短い静止だった。
そして、次の瞬間。
ブオオオン!!
剣が大きく回転した。巨大な弧が描かれた。水面をかすめるように、実った麦畑を一気になぎ払う鎌のように、剣が振るわれた。その円の内側にいたオークたちは、自分の首が落ちたことにさえ気づかなかった。
目の前で仲間の首が斬り飛ばされるのを見たオークたちは、身を翻して逃げようとした。遅れて駆けてきたオークたちは、空中で振るわれる剣から放たれる殺気に足を止めた。
シュアアアッ!
剣が通り過ぎた跡。まるで斬られるべきだということに今になって気づいたかのように、幾人ものオークの首と上体が、斜めに斬られた角度のまま、何拍か遅れて次々と崩れ落ちた。
その剣の周りから音がした。遠く離れていて、城壁の上まではっきりと聞こえてくるほどの音ではなかった。
「OoooOooooOOoo。(ハハッ、これだ、この切れ味だ!一撃でこんなに綺麗に斬れるとはな!オークども、もう少し密集して立っていられないのか?このヒヤルコの実力を、もっとちゃんと見せてやれないじゃないか!!)」
うなるような音だった。ほとんど聞き取れないほどだったが、その音自体から感じられる気迫があった。
バアクが言った。
「あの宙に浮いてるやつを見ろ、マウ、見えるか? あの青い剣が、独りでに動いてるじゃないか」
「俺も見た」
「オークたちを斬ってる」
「そうだな」
「あの剣、なんだか楽しそうに見えないか?」
マウはしばし考えてから答えた。
「……楽しそうだな」
「そう見えるだろ?」
「うん」
バアクが再びそちらを見やった。青い剣がオークたちの間へと再び食い込んでいった。左右に体を揺らしながら、また次の群れへ向かって。
「あれ……楽しんでるんじゃないか?」
マウがしばし考えた。
「……楽しんでるので合ってると思うけど」
バアクが頷きながら言った。
「俺と似てるな。ガハハハハ!」
マウは何も言わなかった。
小柄なエルフの人影が両腕を持ち上げた。両手から光が立ち上った。冷たい色をした光だった。手の先で氷の結晶が空中に集まり始めた。結晶が集まり形を成し始めると、それを前へと押し出した。
細長く形作られた氷の槍だった。穂先は針のように細く、槍身 には刃のような稜線 が鱗のように浮き出ていた。青い光をまとったその槍は、回転しながら飛んでいった。
パカァン!!
オークの投石機の一つが、爆発とともに破片となって飛び散った。氷の破片が四方に飛び散り、周りのオークたちを襲った。オークたちが倒れ込み、絡み合った。
「あれがエルフの魔法か?」
「あ……いや、サルン・ケかもしれないけど。うわ、本当にすごいな……魔法一発で投石機をまるごと壊しちまった」
マウが言った。
「何がすごいもんか! 矢が皮を貫いて骨にグサッと突き刺さる醍醐味 があってこそだろ、あれはただ氷の塊を投げつけて押し潰してるだけじゃないか。あれじゃ狩りをしてる気分になれないんだよ」
「兄貴、今は狩りをしてるんじゃないだろ。城壁を守ってるんだよ……」
その時、ハルバードを手にした人影が残ったオークたちの間へと食い込んでいった。ハルバードを腰の高さで水平に引き、その刃でオーク二体の腹を薙ぎ払った。
二体のオークがそれぞれ別の方向へ倒れていく間に、柄の先端はすでに後方のオークの膝を打ち据えていた。関節が逆方向に折れる音とともに、オークが前のめりに崩れ落ちた。
ハルバードの刃が上へと跳ね上がり、下りてくると同時に、倒れ込むオークの首を斬り落とした。
バアクが両手でひさしを作って目の上にかざしながら言った。霧が晴れた跡を、闇が代わりに覆っていた。城壁の外は、薄れた霧の間からもなかなかはっきりとは見えなかった。
「……あのハルバードの使い方。あれはダルン兄貴の動きだ」
マウがしばらく、バアクが見つめる方向を見ながらゆっくりと言った。
「兄貴、本当に? ダルン兄貴だって? あんなに遠いのに、それが見えるのか?」
「そう見える。一度や二度見た動きじゃないからな」
マウがしばらく、そちらに視線を固定したまま言った。
「ダルン兄貴は月影の城塞 にいたはずだよな?」
「そうだ。ミノタウルどもに包囲されたって話だったろ」
「無事に抜け出して、戻ってきてるとは聞いてたけど……」
バアクの目はそちらに固定されたまま、動かなかった。
「……兄貴が、戻ってきたのか」
マウはそう言ったきり、しばらく口を開かなかった。その手が胸壁の上で拳を握りしめた。
「生きて、帰ってきたんだ」
それだけを口にした。
バアクがしばらくそちらを見つめてから口を開いた。
「当たり前だろ。ダルン兄貴だぞ」
本作をお読みいただき、感謝いたします




