215話 ダム攻防戦 (20)
その時だった。
ドゥラハの前を塞いでいたオークたちが、互いを押しのけながら左右に分かれた。
聞こえてくる足音が違っていた。重かった。一歩踏み出すたびに土が沈み込んだ。鉄に覆われた巨大な体躯 が近づいてきていた。
額の上で左右に折れ曲がった太い鉄角が、兜に取り付けられていた。肩を覆う鉄板は幾重にも重ねられ、あちこちに深くえぐれた跡や罅 の痕跡が残っていた。鉄板と鉄板をつなぐ部分には鉄鋲 が打ち込まれ、肩の下には砕けた剣の刃や折れた槍先が、革紐に貫かれてぶら下がっていた。
片手には長い木の柄の両刃斧が握られていた。柄は両手で握れる長さで、先端には金属が補強されていた。斧の刃は左右に広がっており、刃先は厚く広がってから先端で細くなる形をしていた。刃のあちこちには刃こぼれができており、古い血の跡が黒ずんだ赤色に染み込んでいた。
ドゥラハとダウィの兵士たちに近づいてきていたのは、巨大なオークだった。
オークたちの中で、戦を通じて他のオークたちの上に立った存在。数多の敵を打ち倒し、数多の群れを屈服させ、力と残忍さでその座を勝ち取ったオークだった。
オーク君主はドゥラハを見つめていた。
目が合った。
「ダウィ……!」
突き出した唇が割れ、口の間から下顎 から突き出た太い牙が覗いた。
「Uka……俺がグラグだ!」
グラグが斧を振り上げた。短く振るって地面を叩きつけると、泥が飛び散った。その動きに、周囲のオークたちがさらに後ずさった。
ドゥラハは視線を外さぬまま、大剣を右肩の上へと担ぎ上げた。刃が背中を伝って斜めに下りた。
「貴様がこのオークどもの頭 か」
グラグが歯を剥き出して笑った。荒い息が漏れ出た。
「俺はオークたちの王だ!」
斧の柄を力強く握りしめた手に力がこもった。
「俺は全オークのUllruka! オーク君主だ!」
グラグがダムの言葉で吐き出した声には、オーク特有の荒々しい訛りが混じっていた。
ドゥラハの眉がひそめられた。
「野蛮なオークの分際で……君主とはな」
ドゥラハが言った。敵意に満ちた荒々しい声だった。
ドゥラハは大剣を右肩の上に担ぎ直した。刃が対角線に背中を伝って下へと伸びた。
グラグが両刃斧を前に構えた。
ドゥラハが駆けた。
グラグが斧を右側から横に大きく振るった。
ドゥラハは走る勢いをそのまま乗せ、膝を曲げて体を低く落とした。グラグの斧がドゥラハの頭上を通り過ぎた。ドゥラハは低い姿勢のままグラグの腰の前へと潜り込んだ。
ドゥラハの右肩が先にグラグの胴体に叩き込まれた。体重を乗せた衝撃だったが、グラグは後ろに押されなかった。
ドゥラハが後退した。足元に長い土の跡が残った。だが、それでも彼の大剣が届く距離だった。
「このオーク野郎が……!」
ドゥラハが手にした大剣を右下から上へと引き上げた。刃が下から対角線に振り上がり、オーク君主の脇腹を打った。
鎧の鉄板が浮いた。グラグが体を左にひねりながら斧を下に振り下ろした。ドゥラハは再び刃を上へと構えた。斧の柄が大剣の刃の上にぶつかった。
ガギィンッ――!
鈍い衝撃音と共にドゥラハの体が押され、足元の泥がえぐれた。
ドゥラハは後退しながら大剣を胸の前に引き寄せた。息を整える間に、グラグが飛びかかりながら斧を振り上げた。
「Kraaaaagh!」
グラグが斧を振り下ろした。
ドゥラハはすぐさま足を踏み出し、正面から潜り込んだ。右肩でグラグの体を押し込みながら、止まることなく押し続けた。
グラグが振り下ろしていた斧の柄が肩に引っかかり、上からの力がそのまま乗りかかった。ドゥラハは姿勢を低く保ったまま耐えた。
続いて大剣をひねり上げ、グラグの腕を上へと押し返した。
浮き上がったグラグの斧、ドゥラハが作り出した隙。その瞬間、ドゥラハは左足を前に踏み込み、上体を前に倒すように傾けながら、大剣を上から下へと叩き込んだ。
上体全体の重みが大剣に乗った。刃はグラグの肩の甲冑 を伝って下りていった。鉄板が裂けた。ドゥラハの刃は止まることなく深く食い込んでいった。
オーク君主が片膝をついた。
「Wag Ullru……Graaa……」
途切れがちな息の合間から聞き取れない言葉が漏れ出て、やがて途絶えた。グラグの目は、なおもドゥラハに向けられていた。
ドゥラハが大剣をひねり、巨大なオークの体に突き刺さった刃を引き抜くと、グラグは前のめりに倒れた。
「Ullrukaa! Graaag!」
重装のオークたちがドゥラハに襲いかかった。
ダウィのハルバード兵たちがその間に割って入った。ハルバードの柄が伸び、オークとダウィが激突した。
オークの斧刃とダウィのハルバードの刃が正面からぶつかった。金属音が重なって弾けた。
狭い地面の上で、オークとダウィが互いを押し合った。
オークの一体が盾でダウィの兵士を強く押しのけた。兵士は均衡を崩して後ろに押され、別のダウィ兵士とぶつかった。その隙を逃さず、オークが斧を振り上げた。そのまま振り下ろそうとした。
横から別のダウィ兵士がオークの斧を阻んだ。ハルバードを頭上から大きく振るい、オークの兜の側面を強く打ち据えた。
衝撃にオークの頭が横に折れた。体がねじれ、そのまま崩れ落ちた。
ドゥラハは倒れたグラグの傍らに、大剣を地面について立った。
「ダムに来たことを、今は後悔しているか」
彼が言った。
「一匹のオークも生かして帰す気はない」
その時、地が鳴った。
並の足音ではなかった。一歩一歩が周囲へと広がっていくほどの重みを孕んだ音だった。
泥の上に深い足跡が刻まれた。足音の合間ごとに、低く太い『ギシッ』という音が響いた。木の関節が動く音だった。一つではなく、幾つも。それぞれ違う拍子で、それぞれ違う重さで。城壁の下を伝って響いてきた。
城壁沿いに大きな影が移動していた。
ムワのキナが姿を現した。
高さは10キュビト(約5メートル)に迫る、重厚で巨大な体躯。胴体は太い木の柱を無駄なく組み合わせた四角い塊だった。余分な装飾もなく厚く、広かった。胴体の表面を覆う樹皮は厚く裂け、ねじれていた。その下には太い木目 が走っていた。
胴体の前面には装甲板が重ねて張り付けられていた。一枚ではなく、幾枚もが前方へ突き出すように重なっていた。装甲板の合間には、横に細く長い隙間が幾筋も刻まれていた。その隙間から、内部を流れるマナの光が漏れ出ていた。薄く均一な光だった。堀の炎と混じり合い、キナの前方を照らしていた。
胴体の両側から伸びる腕は太かった。根と太い枝を削り、繋ぎ合わせた構造だった。肩の関節部分では、大きな節が二つ噛み合っていた。腕が動くたびに節がねじれ、木目が裂ける音が響いた。腕の太さは、長い年月を生きた巨木の幹のように分厚かった。
腕の先には三又に分かれた太い爪が付いていた。それぞれの爪の節ごとに木の関節があった。手を握っては開くたびに、関節からギシギシと軋む音がした。
それぞれの脚が地に触れるたびに、風が広がった。足跡が泥の上に深く刻まれた。キナが一歩を踏み出す瞬間、移動する重みがどちらに乗っているのかが、地響きだけでも伝わってきた。
キナの肩には紋章が刻まれていた。円形の縁取りの中に収められた太陽の紋様だった。木の表面を深く彫り込んだ後に金色の顔料を流し込んであり、くっきりと浮かび上がっていた。堀の炎がその上を照らすと、金色が煌 めいた。
モスロウ一族のキナだった。
また別のキナが、最も先を歩くキナの後ろに姿を現した。三体目も。城壁沿いに何体ものキナが移動していた。動くたびにキナたちから音が鳴った。その音が重なり合い、城壁の下に響いた。
キナの足音、その傍らでもう一体の足音。さらにその後ろでまた別の足音。足音が連なるほどに、鈍い響きが地に留まった。
四体目、五体目。六体目。キナたちの姿が見えた。
オークたちが足を止めた。
堀を渡って駆けていたオークたちも、城壁の斜面に立っていたオークたちも、その足音に動きを止めて固まった。
キナたちが城壁の下を伝って歩いてきていた。それぞれの肩にはモスロウ一族の紋章が刻まれていた。
七体目、八体目、九体目。
そして十体目のキナが姿を現した。
普通のキナとは異なる姿をしたそのモスロウ一族のキナは、胴体の厚みからしてすでに違っていた。他のキナたちの胴体がダウィの兵士三人を横に並べたほどの幅だとすれば、モスロウ一族のこのキナの胴体は、それよりもはるかに広く、前方へとさらに分厚くせり出していた。
胴体の前面に張られた木の板は幾重にも重ねられていた。板ごとに前方へ突き出す高さが違っていた。木の板の間の隙間から漏れ出るマナの光が、明るく周囲へと広がっていた。
最も先頭を歩いてきたそのキナの腕の形は、左右の均衡が取れていなかった。
右腕の形状は左腕とは異なっていた。
右腕は肩から片側へと傾いていた。まっすぐに繋がった軸ではなく、太い木目が同じ方向へ押し潰されるように重なっていた。
肩の関節は一つの節ではなかった。中心となる大きな節を囲むように、短い節が層をなして噛み合っていた。腕が動くたびに、その節々は外へ広がるのではなく、内側へ食い込むように締まっていった。
腕を下るほどに木目の間隔は狭まっていった。外へ広がらず内側へと寄り集まり、腕は先端に近づくほどさらに太くなっていた。
右手の爪は、長さよりも先に太さが目を引いた。節の数が多く、完全には伸びきらないまま曲がっていた。その間に、何かが握られていた。
ミノタウルの頭だった。
太い角が折れたまま、太い木の爪の間に挟まれていた。
肩の上の太陽紋は、他のキナたちのものよりも大きく刻まれていた。
戦場で最も先んじて進み、恐れることなく敵の頭を砕き、首をへし折り、鎧ごと踏み潰す存在。
たった一度でもこのキナが戦場で暴れる姿を目にした者に、フィアノート(Fearnought)という名を思い起こさせるほどの威容 を示す存在。
サルマのキナだった。
サルマのキナが城壁の下で足を止めた。重い足音が途切れ、騒 めきが静まると、巨大な胴体の内部を伝って低い響きが一度長く走り抜けた。
続いて肩側の木の板の隙間が開いた。その中からムワの姿が現れた。モスロウ一族の紋章が刻まれた衣の姿が先に見えた。
サルマの声がキナの体の中から聞こえてきた。
「ドゥラハ軍長」
ドゥラハは倒れたグラグの傍らに大剣を地面について立ったまま、声のした方を見上げた。
「少々、遅れました」
サルマが言った。
ドゥラハは大剣を引き上げ、右肩に担いだ。
「ああ。早いとは言えんな」
ドゥラハが言った。顎を上げ、キナに乗るサルマを見つめた。
サルマのキナが右腕を上げた。握られたミノタウルの頭が持ち上がった。堀の向こう側へと掲げて見せた。堀の向こう、森の端で、オークたちの間にどよめきが起きた。後ずさるオークたちが現れた。
サルマが再び言った。
「モスロウのキナたちが先陣を切ります」
しばしの沈黙が、ドゥラハとサルマの間にあった。
「ドゥラハ軍長には、後方をお任せいただければと」
ドゥラハは城壁の下に並ぶ十体のキナたちを見渡した。それぞれの肩にモスロウの紋章が刻まれていた。
ドゥラハが口を開いた。
「では任せる、モスロウ」
サルマのキナが一歩を踏み出した。右脚が持ち上がって下ろされると地が鳴り、続いて左脚が踏み出されて再び響きが広がった。その後ろから、九体のモスロウ一族のキナたちが歩調を合わせるように踏み出した。足音が重なり合い、城壁の下が共に鳴り響いた。キナたちは堀へと向かって進んでいった。
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