209話 ダム攻防戦 (14)
城壁の上では、鉄と鉄がぶつかり合う場所でしか聞こえぬ音が入り混じり、耳を聾する ほど鋭い金属音と、互いに駆け寄ってぶつかり合う鈍い甲冑 の音が、絶え間なく交錯していた。
――ドガアン!
投石機の石が再び胸壁 を強打し、砕けた石の破片が四方に飛び散った。その破片のいくつかがバンダの兜 をかすめ、鋭い音を立てた。
――ヒュッ!
煙の合間を切り裂く矢が、城壁の上をかすめた。盾に突き刺さる音、肉を貫く音、痛みに耐えかねて漏れる短い呻きが、一つに絡み合った。
「押せ! 押し返せ!」
「梯子だ、左だ!」
オークの咆哮 が、すぐ近くから聞こえてきた。
「OKKAAAA! Aagh!」
ガルドンは、梯子を登ってきたミノタウルの頭を斧の背で打ち据えて 下へ叩き落とすと、斧を握り直し、血の付いた刃を軽く振り払いながらバンダのもとへ歩み寄った。
盾を構えたダウィ兵士の一人が、彼らの前で押し込まれた。ガルドンが一歩前に踏み出し、斧を短く振るった。刃がオークの首筋に食い込んだ。刃が骨に引っかかる感触が、ガルドンの手に伝わった。
ガルドンは足で倒れたオークを押しのけ、道を開きながら叫んだ。
「バンダ軍長!」
だがその声は、城壁の下から這い上がってくるオークたちの怒号にかき消された。
――ドゴォン!
続けて城壁の外、オークの投石機から放たれた石が胸壁の角を打ち砕いた。石粉が爆ぜるように飛び散り、ガルドンの肩に降りかかった。彼は目を眇めながら 、再び叫んだ。
「バンダ!」
バンダが振り向いた。彼の盾の縁には、オークの斧刃が深く突き刺さっていた。刃はところどころ欠け、柄の折れた斧の頭が盾の縁に食いついたまま垂れ下がっていた。バンダは腕をひねって盾を振った。食い込んでいた斧の頭が外れて落ちた。彼はそれを足元に落とし、押し出すように蹴り捨てた。息を荒く弾ませながら、バンダはガルドンのほうへと歩いてきた。
「ご命令を、大軍長!」
二人のダウィの間を、矢が一本かすめて過ぎた。後ろにいたダウィが短い声を漏らして倒れた。バンダは一瞬そちらを見たが、すぐに視線を戻した。
ガルドンが斧の先で城壁の向こうを指し示した。
煙の合間から、また別の攻城塔が姿を現しつつあった。攻城塔の落下橋 はまだ城壁に掛かってはいなかったが、迫り来る攻城塔の上部にはオークたちがびっしりと群がっていた。その下では、堀を渡ってきたオークとミノタウルたちの梯子が、すでに城壁に掛けられていた。
「月の側の端、あの攻城塔――」
彼の言葉が途切れた。
――ガツン!
梯子の一つが城壁に掛かって石を擦り、ガガガッという音が城壁を伝って響いた 。
オークの一匹が梯子を伝い、城壁の上まで身を引き上げた。片足を城壁の石に乗せたまま、梯子の先端を掴んだ手を離さずに斧を振り上げた。
オークの斧刃が、城壁を守っていたダウィ兵士たちの目の前をかすめるように過ぎた。
バンダが槍を投げた。バンダの手を離れた槍が、オークの目の下を貫いた。オークの体が後ろに倒れ込みながら、梯子に掴まっていた別のオークを引きずり落とした。
ガルドンが再び叫んだ。今度はさらに大きく。
「月の側の端の攻城塔は、そなたに任せる!!」
バンダが耳を近づけた。喧騒 の中で、ガルドンの声は途切れ途切れに崩れていた。
「何と仰いましたか!」
「あちらの城壁が危ういぞ!」
ガルドンは手で方向を示した。城壁の上には、掛けられた梯子を伝って登ってきたオークたちが押し寄せ、ダウィ兵士たちはすでに一方へ押し戻されつつあった。
「今ここは、私が――」
バンダは城壁の下をちらりと見た。その目が一瞬揺れた。再び投石機の石が飛んできた。
そのときだった。
上から誰かの声が聞こえた。短く途切れた悲鳴だった。
ガルドンは反射的に顔を上げた。
黒い煙の上を、暗い影がよろめきながら落下していた。リルビュルだった。両翼を広げたが、片方がうまく開かなかった。羽根の間に、細く長いものが突き刺さっていた。
矢。
だが、オークたちの粗悪な太い矢ではなかった。もっと細く、もっと長かった。矢羽根は短く、硬かった。
リルビュルの体が回転した。均衡を取ろうと翼を羽ばたかせたが、裂けた翼は空気を捉えられなかった。
「リルビュル様!」
誰かが叫んだ。
リルビュルは城壁の外側、壁と壁の間に露わになった太い巨木の根の方へと落ちていった。
枝の一本が彼の体をかすめ、大きく揺れた。リルビュルは反射的に、自らの体と繋がった具現化 した手を伸ばしたが、落下の速さには抗えなかった。
続けて翼兵 たちが次々と城壁の下へと落ちていった。下から放たれた細い矢が、翼兵たちの翼を正確に射抜いていた。空中で均衡が崩れ、翼兵たちは翼を満足に広げられぬまま墜落した。一人の翼兵は木の枝に引っかかったが、枝はしなった末、重みに耐えかねてやがて折れた。
ガルドンの視線が、矢の飛んできた方向を追った。
堀の前。
霧が低く垂れ込めた場所。
マントレットの裏手だった。オークの弓兵たちがいる位置とはずれた場所だった。
霧の中に、等間隔で立ち並ぶ幾つもの人影が浮かび上がっていた。
オークの体格ではなかった。体は余分な肉を削ぎ落としたかのように細く長く、肩と腰は一直線にまっすぐ立っていた。肉や肉体の質感は感じられず、幾重にも重なった金属の線がその輪郭を代わりに映し出していた。
体を包む鎧は黒に近い色をしていた。だが松明の光が触れると、その表面は光を呑み込む漆黒ではなく、青みを帯びた冷たい暗青色 であることが明らかになった。胸と肩を覆っていたのは板金ではなく、小さな金属片を鱗のように重ね編んだ鎧だった。指の関節ほどの薄い板が下へと重なり連なっており、動くたびに鱗のように追随して動いた。
兜は頭を包み込みながら、後方へと長く伸びていた。先端が丸く垂れ下がった形ではなく、後頭部から首筋を覆うように長く延長された構造だった。面頬 が顔を覆い隠しており、目のある位置には細い隙間だけが空いていた。
その手にした弓は、オークの粗野な弓とは違っていた。薄く、長かった。弓身 は木目一つ表に出ぬよう磨き上げられており、反りは端から端まで一定だった。同じ形の弓が、霧の中でいくつもダムの城壁へと向けられていた。
――キィン。
短い残響が幾重にも重なった。
また一人の翼兵が、城壁の上空で翼を射抜かれ落ちていった。
ガルドンは強張った表情で城壁の下を見下ろした。
そして再び身を起こすと、自らの斧を握り直した。柄の上方、斧頭のすぐ下を短く握り込んだ。柄の大半が、握った手の下に長く残っていた。
バンダは彼の視線を追い、そちらを見た。
「あれは……オークではありません。」
「承知しておる。サルマ軍長を襲った者どもであろう」
ガルドンの答えは短かった。
彼は再びバンダを見た。今度はさらに近づき、声を落としながらも、はっきりと告げた。
「バンダ軍長。」
辺りは相変わらず騒がしかった。盾の砕ける音、梯子が壁を擦る音、オークたちの怒号と金属の刃がぶつかり合う音が聞こえてきた。
「ここの指揮は、そなたに委ねる。」
バンダは一瞬言葉を失った。その視線が城壁の下、リルビュルの落ちた方向へと向いた。
ガルドンが付け加えた。
「リルビュルを、連れて参る。」
また一本、矢が飛んできて城壁の石に突き刺さった。細い鏃 が深く食い込んでいた。
バンダは短く息を吐き、盾を再び持ち上げた。
「……承知しました。」
彼は頷いた。
ガルドンは周囲を見渡した。最も近くで戦っていたダウィ兵士五人に目を留めた。
「お前たちは我に続け。」
ガルドンの声を聞いたダウィ兵士五人が顔を上げた。盾を握り直し、腰の革帯に差した斧を抜いた。ボサッという音とともに革製の刃鞘 が地に落ち 、兵士たちは重い斧頭の重みを確かめながら柄を握り直した。
ガルドンは身を翻し、オークたちの攻城塔の落下橋のほうへと足を進めた。
落下橋は依然として斜めに掛かったままだった。オークの一匹がダウィ兵士の槍に貫かれて倒れた。ガルドンはその体を足で押しのけ、揺れる木の板の上に足を乗せた。
下では火明かりが揺らめいていた。焼ける油の匂いが立ち上ってきた。
彼は城壁の下、リルビュルの落ちた方向をもう一度確かめた。
そして、前へと足を踏み出した。
ガルドンは落下橋を渡って駆けた。
斜めに掛かった木の板が、彼の足元で大きく揺れた。
正面から、攻城塔の最上階へと登ってきたオークたちが一斉に駆けてきた。
最も先に駆けてきたオークが、刃の分厚い槍をまっすぐガルドンへと突き出した。
ガルドンは止まらなかった。走る速度を緩めぬまま、斧を下から上へと短く振り上げた。
斧刃が槍の柄を伝って滑るように駆け上がり、そのまま手首を斬り裂いた。
鈍い切断音とともに肉と腱 が裂け、続いて骨が折れながら断たれた。手首ごと切り落とされた腕が、槍とともに宙で一回転した。
オークは割れた悲鳴を吐き出しながら仰け反り 、均衡を失った体が後ろに続くオークと衝突した。
二つの体が絡み合いながら、落下橋の縁まで押しやられた。
ガルドンは肩からそのまま体当たりした。
よじれた二匹のオークの足が、虚空 を踏んだ。
短い瞬間、宙に吊るされたかのような静寂がよぎり――
「Gwaaaagggh!」
悲鳴が下へと引きずり込まれるように遠ざかりながら、二匹のオークは城壁の下へと吸い込まれるように落ちて消えた。
やがて、下方から遠ざかる衝突音が、石壁を伝ってかすかに響き上がってきた。
また別のオークがガルドンに駆け寄り、斧を振るった。
「Shlos! Dawi!」
オークの斧が振り下ろされる瞬間、ガルドンは体をひねりながら斧の背で刃を打ち払った。金属がぶつかり合い、火花が散った。
すぐさまガルドンは、短く握った斧刃をオークの顎の下、兜と首筋の間の隙間へと突き入れた。
刃が深く食い込んだまま止まると、ガルドンはそのまま手首をひねった。刃の下で肉が裂け、粘つく血が流れ出た。オークの腕に込められていた力が一瞬にして抜け、オークはよろめきながら膝をつき、崩れ落ちた。
後に続いていたダウィ兵士たちが、ガルドンに続いて落下橋を渡った。
一人の兵士が盾を掲げ、城壁の下から飛んできた矢を受け止めた。また別の兵士が、倒れたオークを足で押しのけて道を開いた。
ガルドンは止まらず、攻城塔の下層へと駆け下りた。
攻城塔の内部は暗かった。狭かった。丸太の柱が両脇を塞いでいた。ダウィが二人並んで立つのもやっとの通路だった。上へと続く通路は傾斜路へと繋がっており、下からはオークたちが押し寄せていた。
ガルドンの前で、オークの一匹が剣を大きく振り払った。
ガルドンは左腕を上げて刃を受けた。板金の上を剣が擦り、長く尾を引く音を立てた。
その間に、斧を短く握ったガルドンの右手が動いた。
ゴギャッ。
オークの首を叩き割った。斧刃が深く食い込んだ。狭い空間ゆえ大きく振るいはしなかった。短く、重みを乗せて打ち下ろした。
オークの血が壁に飛び散った。
別のオークがすぐさま襲いかかった。ガルドンは膝を上げ、オークの腹を突き上げた。息の詰まる音が漏れた。体が折れ曲がった瞬間、斧の背で側頭部を強く打ち据えた。
オークの頭が攻城塔の壁にぶつかり、鈍い音を立てた。
ガルドンの後ろから、ダウィ兵士たちが迫ってきた。
一人の兵士が盾でオーク二匹を同時に食い止めた。狭い通路で盾が壁に触れた。空間はさらに狭くなった。
「押せ!」
二人のダウィ兵士が肩を寄せ合った。盾と盾がぶつかり、金属が鳴った。その隙間から、また別のダウィ兵士が斧をオークの太腿に叩き込んだ。オークは思わず自分の太腿を手で押さえ、上体が一方に傾いだ。踏ん張ろうとしたもう一方の足が滑り、均衡が崩れて、そのまま床に倒れ込んだ。
攻城塔の下へと続く傾斜路が延びていた。
傾斜路は、先が見えぬほど下へと続いていた。
その下からは、オークたちがびっしりと押し寄せてきていた。少ない数ではなかった。
ガルドンは斧を振り上げ、前に登ってきたオークの肩を打ち下ろした。刃が肉を裂き、骨に食い込んだ。オークの体が前のめりに崩れ落ちた。
ガルドンの傍らで、ダウィ兵士たちが槍を突き出した。槍先が登ってきたオークの胸と首に突き刺さった。刺されたオークがよじれながら後ろに倒れた。
傾斜路を埋め尽くしたオークたちが、前のオークたちを押し込んだ。止まる隙などなかった。腕が挟まり、斧が肩に引っかかり、足が前のオークの背に乗ったまま、そのまま押し上げられてきた。
ガルドンは止まらなかった。
手にした斧が絶え間なく動いた。刃が肉を裂き、骨に引っかかり、また抜けた。斬られたオークが後ろに倒れれば、その体が足場となり、後に続くオークたちがその上に折り重なるように倒れ込んだ。
その後ろから、さらに別のオークたちが絶え間なく登ってきた。
ダウィ兵士たちが盾で押し込んだ。傾斜路で均衡を失ったオークたちが、いっせいに転がり落ちた。
血が流れ始めた。
上から流れ落ちたものか、下から踏みつけて上がってきたものか、判別はつかなかった。木の板の上に広がった血が、足元で滑った。ガルドンはさらに身を低く沈めた。斧を大きく振るいはしなかった。短く、速く、絶え間なく振るいながらオークたちを斬り伏せた。
一匹のオークの太腿を斬って膝を折らせ、別のオークの首を打って押しのけ、背後から襲いかかる奴の顎を斧の柄で打ち砕いた。盾が壁にぶつかって金属音が響き、狭い空間にオークの悲鳴がこだました。
数十のオークの息づかいが、一塊となって絡み合った。
押し、打ち、踏みつけ、また押し返した。
傾斜路の中ほどには小さな踊り場があり、オークたちはそこでガルドンと彼の兵士たちに立ち向かった。
ダウィ兵士の盾が先にぶつかった。ガキンと金属が鳴り響き、オークの胸甲 を押し込んだ。その隙間から盾の陰で短い槍が突き出された。穂先が胸甲の下の隙間へと食い込んだ。オークの息が止まりかけたその瞬間、横から打ち下ろされた斧が肩を叩き割った。肉が裂け、腕が力なく垂れ下がった。
前列がひるむ間に、盾がもう一度押し込まれた。足が踊り場の端を踏み外した。後ろから押していたオークは止まりきれず、そのまま背中に突っ込んだ。上体が重なり合い、足がもつれた。一匹のオークが後ろに倒れると、その上へオークたちが次々と折り重なった。
短い悲鳴とともに、体が踊り場の下へと押し流されていった。木の板に背中と兜がぶつかり、鈍い音が続けざまに響いた。
攻城塔の内部は、次第に暗さを増していった。上層の喧騒が遠ざかり、代わりに下から響く喊声 と足踏みの音が大きくなっていった。
彼らは止まることなく、さらに下へと降り続けた。
本編をお読みいただき、ありがとうございました
次の話でまたお会いできると嬉しいです




