198話 ダム攻防戦 (3)
[ ヤクラ翼兵は、モスロウ一族が自ら選び抜き鍛え上げる精鋭の飛行戦闘部隊であり、ダムの歴史において最も隠密で致命的な恐怖として記録されている、最強の戦力である。
ムワの中でも、険しい岩山に逆らう気流に乗り、漆黒の闇の中で物音一つ立てずに獲物を狩ることができる者だけが、ヤクラの赤いマントを纏 うことを許された。そしてその者たちを見極めるためのモスロウの選抜過程は、過酷という言葉さえ生ぬるいほどのものだった。
ダム最高の翼兵を志す志願者は、まず三日間、ただの一瞬たりとも地に足をつけてはならない。
時間が経つにつれ、翼を支える力は抜けていき、肩と背骨は重さに耐えきれずに軋 み始める。それでも、吹き付ける気流に身を預けたまま翼を動かし続けなければ、たちまち墜落してしまう。
大半のムワは、翼を立て直そうともがいた末に均衡を失い、墜落して試験から脱落していく。
最初の試練を乗り越えた者たちには、すぐさまさらに過酷な訓練の時間が与えられる。そして、その時間を通して武装を整えたまま、「空で戦えるか」を証明しなければならない。
ヤクラの翼兵は実戦において、地面すれすれの低空から敵を斬り抜けねばならない。それゆえ志願者たちは、森の中でそれに最も近い状況を、何度も繰り返し遂行しなければならない。
訓練が始まると、彼らは森の地面、茂み、岩をすぐ真下に置いたまま、低く滑空しなければならない。この段階では翼の先端に薄い羽刃 が装着され、たった一度の羽ばたきさえ乱すことなく速度を保ち続けねばならない。だが翼の先が木の枝をかすめたり、岩の出っ張りに引っかかったりした瞬間、均衡を崩した体はそのまま地面へと落ちていく。
そうして耐え抜き、生き残った者たちには、さらに過酷な段階が続く。今度は羽刃と距刃 を装着したまま、武装の重さに耐えながら、静かに、そして素早く飛べるかどうかを体で覚えなければならない。森をかすめるように低く飛びながらも物音を殺し、速度を保ち続ける過程で、多くのムワが再び限界に突き当たった。だが、これらすべての動作を、ごく自然な飛行へと昇華させなければならないのだ。
以上の過程を最後まで耐え抜いたムワだけが戦場に立つ資格を得て、西の荒野へと向かうことになる。
実戦を経験していないムワはヤクラ翼兵にはなれない。それゆえ彼らはそこで、大小のオークの部落を奇襲したり、ミノタウルの群れを相手にしたりしながら、生き残るための戦いを自らの体で学ばなければならない。
夜になると、彼らは空の闇を力に変え、オークたちの頭上を静かに旋回した。そして合図が下されたその瞬間、黒い影たちは一斉に槍を投げ放った。
月明かりでさえ捉えられぬ彼らの飛行は、オークたちにとって音もなき死そのものだった。槍が喉を貫く瞬間になってようやく悲鳴が上がるが、その時にはもう、ヤクラ翼兵たちは次の標的へと飛び去っていた。
バッドランドのオークたちは、夜空を見上げることすら恐れるようになった。
星明かりを遮りながら落ちてくる音なき影、そして悲鳴すら上げられぬまま喉を貫かれていく仲間の姿は、ミノタウルたちにとってさえ恐怖の対象だった。
その荒野から生きて帰った者だけが、赤いマントを授けられる。そのマントを纏った瞬間、彼らはついにヤクラ翼兵となるのだ。ダム全土で最も恐れられる戦士集団であり、ダムの評議会さえ容易には手出しできぬ、モスロウ一族の剣にして翼と認められる者たち――それこそがヤクラ翼兵なのである。 ]
*****
ダムから少し離れたアルナ村の中央広場に、サルマが降り立った。
鉤爪 が石畳を引っ掻き、その動きとともに距刃が光を反射した。青銅色の爪鞘 の上に重ねられた刃は、鉤爪の外側に沿って短く伸びるように装着されており、その先端は鋭く研ぎ澄まされていた。
そして、サルマが一歩踏み出すたびに、刃が地面をかすめて金属音を響かせた。
翼の先端にも刃が取り付けられていた。羽刃と呼ばれる装備である。翼の外側の縁、最も長い羽根が生える部分に沿って金属板が固定されており、その上に薄く長い曲線状の刃が据えられていた。
刃は翼の曲線をそのままなぞっていた。畳んだ時には体の脇にぴたりと収まり、広げれば左右に長く伸びた。
兜は頭をしっかりと包み込んでおり、金属板は額から後頭部まで滑らかに続いていた。両脇には耳羽 を守る幅広の板が垂れ下がり、顔の側面を覆い隠していたが、その隙間からは嘴 の上部だけが覗いていた。兜の下で、サルマの瞳がゆっくりと動きながら広場を見渡した。
胸と背を包む革鎧の上には赤いマントが羽織られており、その上に金糸で縫い取られた太陽の紋章が日の光を受けて輝いていた。マントの縁に沿って垂れる金色の房は、風が吹くたびに軽やかに揺れ、マントの輪郭をなぞるように動いた。
村の広場は、がらんと静まり返っていた。
周囲の建物の窓はどれも開け放たれ、扉もまた同様だった。中には灯りひとつ見えず、ダウィやムワの気配も一切感じられなかった。広場の中央、井戸のそばには木の手桶が倒れていた。
広場の隅にある家の前には椅子が倒れており、背もたれは折れていた。その横には陶器の破片が散らばっており、割れた壺の破片があちこちに飛び散っていた。
鍛冶場の扉も開いていたが、中からは煙すら立ち昇っていなかった。炉の火はとうに消えてしまったらしく、金床 の上には鎚 がそのまま置かれていた。鉄板が何枚か、床に落ちていた。
村の小さなパン屋に目を向ければ、窓の向こうに空の陳列棚が見えた。棚にはパンひとかけらも残されておらず、床に破れた小麦粉の袋からこぼれ出た白い粉が、風に舞うように床を覆っていた。
どの家も扉は開け放たれたまま放置されており、中を覗き込めば食卓の上には皿だけが残され、食べ物はすでに消えていた。椅子は元の場所になく、慌てて立ち上がった跡が残っていた。壁にかけられた衣類はそのままで、急いで発ったために持ち出す暇すらなかった様子が窺えた。
広場の端にある小さな家の玄関には、靴が置かれていた。大きさからして、子供のものに違いなかった。だが、片方しか残っていないその様子が、いかに慌ただしく村を発ったかを物語っていた。
そうしている間にも風が吹き抜け、開いた窓の布が大きくはためいた。軋むような音が静寂の中に響き渡る。閉じられないままの扉が風を受けて揺れていたが、がらんとした広場には、サルマとその副官ネルムのほかに誰一人残っていなかった。
ネルムがサルマの傍らに降り立った。灰色がかった羽毛の彼は、兜はつけず、鎧だけを身に着けていた。彼は翼を畳みながら顔を巡らせ、広場の周りをゆっくりと見回した。
「住民たちは皆、逃げ出してしまったようです」
ネルムが低く沈んだ声で言った。
「誰もが慌てて荷物をまとめ、発っていったようですね」
サルマは答えぬまま、瞳だけを軽く動かして広場をゆっくりと見渡した。
ネルムが翼を持ち上げ、西を指し示した。
「村の裏手に森の道があります。あの道をたどっていけば丘に出て、その丘の向こう、遠くにヴェルス川が流れています。川幅が広く、渡るのは容易ではありません。浅瀬は二箇所ありますが、大軍が渡るとなれば、それなりの時間がかかるはずです」
サルマの目が細く狭まった。
「ヴェルス川か」
「その通りです、軍長」
ネルムは再び辺りを見回した。がらんとした広場を、開け放たれた扉を、倒れた椅子を、ひっくり返った手桶を見つめた。
「この静けさが……戦が目前に迫っていることを物語っていますね」
サルマが頷いた。
「オークとミノタウルの大軍はどの辺りにいる」
「さらに、月の側(西)です。おそらく、ヴェルス川の向こう側のどこかにいるかと」
サルマの嘴がわずかに開き、舌の先がちらりと覗いたが、すぐにまた閉じられた。
彼は視線を逸らしたまま広場の中央へとゆっくり歩いていった。鉤爪に装着された距刃が石畳を引っ掻き、金属音を響かせた。
『ヴェルス川。』
サルマは思った。
『もし奴らが川沿いに星の側(北)か、地の側(南)へと迂回するなら、ここへは来ないだろう。だが、大軍がそう動くのは難しい。補給の問題もあるし、時間もかかりすぎる。結局、奴らは川を渡ろうとするはずだ……浅瀬を使うか、それとも筏 を組むか……』
彼は広場の端へと目をやった。西の森が見えた。
『もし戦闘になるなら、ここを拠点にできる。アルナは空になっているが、建物はそのまま残っている。ここで待機しながら、オークの群れを少しずつ削っていけるな。』
サルマの眼光が鋭くなった。
『大軍全体を相手にするのは無理だ。それも、偵察のための数の翼兵では……だが、散らばった小規模な群れなら話は別だ。奴らが川を渡り、森を抜けてここへ辿り着く前に、こちらが先に飛び立って叩く。夜に襲い、明け方に退く。アルナを集結地として、それを繰り返す。奴らに、易々とこの森を通らせはしない……』
サルマは再び井戸の方へ視線を向けた。倒れた手桶が見えた。
『戦いが長引けば、何人かの翼兵は暗い森の中で道に迷うこともあるだろう。だが、それでも構わない。我々は空を飛ぶ身だ。たとえ道に迷おうと、ここで再び集まりさえすれば……』
ネルムがサルマに歩み寄った。
「軍長、何かお考えがあるのですか」
サルマは顔をネルムの方へ向けた。
「アルナは空だが、使い道がありそうだ」
「それは、一体……」
「あとで説明する」
サルマの言葉が終わると同時に、空から羽ばたきの音が聞こえてきた。ヤクラ翼兵たちだった。
サルマとネルムが顔を上げた。
翼兵たちが列をなして降下してきており、赤いマントが風に大きくはためいていた。その先頭には、サルマの副官であるベジェデとセビレ、二人のムワが最も先に降りてきていた。
ベジェデが真っ先に広場へ降り立った。石畳を踏みつけた爪先が軽く音を立て、彼はすぐさま翼を畳みながら周囲を見渡した。羽毛にはすでに茶色く変わった血の跡がこびりついており、嘴にも同じ跡がうっすらと残っていた。
少し遅れてセビレがその隣に降り立った。彼の鎧にも血の跡が付いており、鉤爪の距刃には赤い染みが細く広がっていた。抜け落ちた羽根がいくつか、戦闘の痕跡をそのまま物語っていた。
後に続いた翼兵たちが、次々と広場の周りに降り立っていった。誰の顔にも戦いを終えたばかりの様子がうかがえたが、疲れた色は見えなかった。むしろ戦闘の熱がまだ冷めやらぬかのように活気にあふれ、眼光は一段と鋭さを増しているようだった。
サルマが二人の副官を見据えた。
「報告しろ」
ベジェデが翼を一度はためかせた。血の付いた羽根が風に揺れる。
「準備運動にすらならんほどでした、軍長!」
セビレが言葉を継いだ。
「小規模なオークの群れでした。大軍からはぐれた奴らです」
ベジェデが嘴を開くと、その奥の赤い舌が覗いた。その様子は、まるで笑っているかのような印象を与えた。
「三十匹ほどに見えました。森の中にいたものの、我々にはまるで気づいておりませんでしたよ。上から見下ろせば、一箇所に集まって火を焚いておりましたので……その隙を逃さず、一気に薙ぎ払ってやりました」
セビレが鉤爪を持ち上げた。距刃に付いた血を見せつけるように。
ネルムが二人のムワの副官に尋ねた。
「抵抗はなかったのですか」
「あったさ。だが短かった」
ベジェデの口調には、好戦的なヤクラ翼兵特有の自信が滲んでいた。数多の戦場でオークやミノタウルたちの首を刎ねてきた彼らにとって、小規模な偵察隊など獲物以外の何物でもなかった。
「偵察と略奪を兼ねた群れだったのでしょう。大軍が進軍する間、小さな群れに分かれて周辺の村を見つけては略奪し、本隊に合流する手合いです。おそらく、いくつかの群れがまだ森全体に散らばっているはずです」
サルマの目つきが冷ややかになった。
「あとどれほどいると見る」
「あと三、四群れほどは近くにいるかと。規模が大きければ、それだけはぐれた群れも多いでしょうから」
ベジェデが翼を広げてはまた畳みながら答えた。
「我々が始末した奴ら以外にも、少なくとももう何群れかはいるはずです。それぞれ別の方向に散らばって、村を探し回っている可能性が高いかと」
セビレの声が低く沈んだ。そこには怒りが滲んでいた。
「近くのビュリル村は、すでに焼け落ち、廃墟と化していました。我々が通りすがりに確認しましたが、建物は崩れ落ち、煙だけが絶えず立ち昇っておりました。住民は早くに逃げ延びたものと思われますが……家々はすべて灰に変わり果てておりました」
サルマの嘴が、かちりと音を立てて閉じた。
「本隊の位置は、ヴェルス川のどこかだと言ったな」
ベジェデが西を指し示した。
「はい。位置はおそらくヴェルス川の付近かと。今夜あたりには、川辺に留まるものと見られます。遠目に確認した際、土埃 が大きく立ち昇っているのが見えました……規模から見ても、大軍であることは間違いありません」
セビレが付け加えた。
「早ければ三日以内、遅くとも五日以内にはダムへ到達するでしょう。川を渡るのに一日、森を抜けるのに一日、アルナからダムまで一日。それぐらいの計算です」
サルマは頷いた。二人の副官の報告を聞きながら、考えを整理していく。
『三日から五日……時間はそう多くない。だが、十分だ。今夜、奴らの位置を確認し、機を見て動くとしよう。』
ベジェデが翼を広げながら身を起こした。
「それでは、私は残っているオークどもを狩りに、もう一度出てまいります」
「一匹たりとも生かして帰すな。我々の位置を悟られるわけにはいかん」
サルマは頷きながら言った。
「承知しました! ちょうど、爪がうずいて堪らなかったところです」
ベジェデは豪快に答えると、背後に控えた翼兵たちへ手招きした。
「聞いたか? オーク狩りだ! 森をくまなく探し、奴らの息の根を止めてこい!」
ベジェデが翼を羽ばたかせると、彼の部隊もまた一斉に翼を広げた。荒々しい風を巻き起こしながら、彼らは空へと舞い上がっていく。あっという間に森の方角へと消えていくその後ろ姿を見つめながら、セビレがため息をついた。
「アルナ村がこんな有様になるとはな」
サルマが彼を見た。
「そういえば、始末したオークどもの後始末はどうした」
セビレがぞっとするような笑みを浮かべた。
「奴らの目玉は、すべてくり抜いて死体の山の上に積み上げておきました。万が一、通りかかった別のオークどもの目に入るようにと」
サルマは頷いた。
「上出来だ」
彼は再び空を見上げた。日は西へと傾きつつあった。影が長く伸び始めていた。
「奴らの正確な位置を確かめる必要がある。ベジェデが戻り次第、出発するぞ」
セビレが頭を下げた。
「承知いたしました」
サルマは広場の中央に立ち、西をじっと見据えていた。鉤爪の刃は日の光を受けて鋭く煌 めき、翼の先の羽刃は風に軽く揺れていた。背に纏った赤いマントが大きくはためく中、彼の視線はヴェルス川のある方角、そしてその先に集結したオークとミノタウルの大軍がいる場所を、まっすぐに見つめていた。
『今夜、この目で直接確かめてやる。』
サルマの瞳が爛々 と輝き、兜の下で黄色い眼光が鋭く煌めくと同時に、彼は翼を大きく広げ、そしてまた畳んだ。その瞬間、羽刃同士がぶつかり合い、キン、と金属音を響かせた。
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