196話 ナウルの神殿 (2)
一行が泊まる宿舎は、湖の西側にある低く長い建物だった。入口には一人のムワが立っており、彼は翼をたたんで挨拶をした。
「ベナール様、お部屋の準備はできております。」
「うむ、ありがたい。」
ベナールは頷きながら中へと入っていった。
建物の内部は広く、清潔だった。長い廊下の両側には部屋の扉が並んでいた。壁は真っ白な石でできており、床には柔らかな絨毯 が敷かれていた。
ムワの神官は一行を廊下の突き当たりの部屋へと案内した。扉を開けると、広々とした空間が現れた。ベッドが三つ並んでおり、窓の向こうには湖が見えた。
「夕食はもうすぐご用意できます。」
ムワの神官が言った。
「食堂は建物の向かいにございます。」
ムワの神官は翼をたたんで再び一礼すると、部屋を出ていった。
グラベルは窓辺へと歩み寄り、外を眺めた。太陽はすでに地平線に触れんばかりに沈みかけており、橙色 の夕焼けに染まった空の下、ラフは今なお湖の中央で輝いていた。
夕焼けの光が湖の中心に佇 むラフに反射し、その表面は橙と青緑が入り混じった不思議な色合いを帯びていた。
「美しい場所ですね。」
イリスがグラベルの傍 らに立った。
「そうだな。」
グラベルは答えた。
「このような場所があるとは、思いもしませんでした。」
「ここのベッド、ふかふかだる!」
ニアはベッドに飛び乗り、体を丸めた。
イリスは微笑みながらニアを見つめた。
「少し休んでから食堂へ行きましょう。」
「わかっただる!」
グラベルは再び窓の外へと目を向けた。湖の周りでは、何人ものダウィやムワたちが宿舎へと戻っていくところだった。
一日が終わろうとしていた。
グラベルは深く息を吸い込んだ。空気は涼しく、澄んでいた。遠い山から吹く風が窓を通して入ってきた。
しばらくして、一行は部屋を出て食堂へと向かった。食堂は広々と開けた広間で、いくつもの長い卓 が整然と並べられていた。
その周りにはダウィとムワたちが集まって食事を楽しんでおり、温かく煮えるスープの匂いと焼いた穀物の香ばしい香りが空気の中にほのかに漂って、一行の足取りを自然と緩やかなものにした。
ベナールは広間を見渡すと、隅に置かれた空いた卓を見つけ、手招きで一行を導いた。彼はまず椅子を引いて座りやすいように席を整えてやり、一行も次々と腰を下ろしながら、周囲の賑やかな温もりの中へとゆっくりと溶け込んでいった。
まもなくムワの神官が料理を運んできた。温かく焼かれたパンが籠 に盛られており、ほのかなハーブの香りが染み込んだスープは、煮立てたばかりのように湯気をもくもくと立ち昇らせていた。スープの中には柔らかく煮えた根菜と細かく刻んだ青菜が混ざり合い、ほのかな香りを漂わせていた。
別の皿には、炭火でじっくりと焼かれたナマズと、切り身にして蒸した鯉 料理が並んで盛られていた。火で炙られたナマズの皮からは香ばしい匂いがし、鯉料理はハーブとニンニクをのせて蒸したおかげで、身が繊維に沿ってほろりと崩れた。その傍らには干し果物が小皿に盛られ、赤い断面をのぞかせていた。
「たんと召し上がれ。」
ベナールはパンを手に取りながら言った。
一行は静かに食事を始めた。ニアは焼いたナマズの身を大きくすくい、口へと運んだ。
食堂の中は大勢のダウィとムワたちで賑わっていたが、騒がしさよりも温かな活気が漂っていた。あちこちで食事を楽しみながら交わす笑い声と低い声の語らいが幾重にも重なり合い、柔らかなざわめきを作り出していた。
大人たちは食卓に集まって一日の出来事を語り合い、子供たちは親の傍らで小さな木のコップをもてあそびながら大人たちの話を静かに見守ったり、頭を寄せ合って互いに小さな囁きを交わしたりしていた。
食堂全体が、くつろいだ温もりと息づかいに満ちていた。
「明日はどうなさるおつもりですか?」
グラベルがベナールに尋ねた。
「明日は……もう一度ラフを見に行こうと思っておる。」
ベナールはしばし考えを巡らせてから、静かに言葉を継いだ。
「もう一日ほど、ラフを眺めながら時を過ごしたいのだよ。」
彼は顔を上げたまま、一行を見やった。
「君たちも、一緒に来てくれるかね?」
「ご一緒いたします。」
グラベルは迷いなく頷いた。食事はゆっくりと続き、卓の上の料理は一つ、また一つと空になっていった。
ニアは腹を叩きながら満足げな笑みを浮かべた。
「お腹がぱんぱんになっただる!もう一歩も動けないだる!」
「ふはは。」
ベナールは笑いながら席を立った。
「さあ、部屋へ戻って休むとしよう。」
一行は食堂を出て宿舎へと向かった。いつしか夜はすっかりナウルの神殿に降りており、空いっぱいに浮かんだ星々が道に沿って銀色の光を散らしていた。
二つの月が並んで昇り、神殿を照らすと、ラフはその月光を受けて青い光を放った。
グラベルは部屋へ戻り、ゆっくりとベッドに身を横たえた。
窓の向こうでは、ラフの青い光が夜空へと柔らかく広がっており、その淡い光が部屋の中までほのかに差し込んでいた。
今日という一日は長かったが、心の片隅には静かな温もりが残った。どことなく穏やかな一日だった。
『 こんなに心が軽い日は……久しぶりだ。』
グラベルはそう思いながら目を閉じた。
*****
翌朝、グラベルは穏やかな鳥のさえずりに目を覚ました。窓の外からは陽光が差し込んでいた。
彼は身を起こし、窓辺へと向かった。湖の周りにはすでに数多くのダウィとムワたちが集まっており、神官たちがラフの前で朝の祈りを捧げていた。
イリスとニアも起き出した。三人は手早く冷たい水で顔を洗い、食堂へと向かった。
ベナールはすでに食堂にいた。彼は焼きたてのパンに小さな木の実を添えて、朝食を取っていた。
「よく眠れたかね?」
彼が尋ねた。
「はい。」
グラベルは頷きながら席に着いた。
朝食を終えると、ベナールはグラベルとともに神殿の外へと向かった。冷たい朝の空気の中、ムールムックの馬車が列をなして停まっていた。馬車の丸い車輪には埃 が薄く積もっており、下働きの者たちはすでに大小の箱を運び始めていた。
前日の到着が遅かったため、ベナールは彼らに仕事を任せず、ゆっくりと休ませていた。そのおかげで、供物 の運搬は今日に持ち越されていたのだった。
「急ぐことはない。順々に運ぶがいい。」
ベナールは急かす素振り一つ見せず、立ち働く者たちへと声をかけた。
下働きの者たちは穀物の袋を持ち上げ、ワインの樽 を転がし、果物の箱を一つずつ降ろし始めた。
袋が地面に触れるたびに鈍い土埃の匂いが立ち昇り、ワインの樽からはほのかな甘い香りが漏れ出ていた。木箱がぶつかり合うときに立つ乾いた「トン、カタン」という音が、周囲の静けさをゆっくりと満たしていった。
しばらくして、一人の神官が歩み寄り、礼を尽くして頭を下げた。
「毎度このように多くの供物をお持ちくださり……ベナール様にはただただ感謝の念に堪えません。」
ベナールは淡々と頷いた。
「いつものことです。私にできることをしているだけのことですよ。」
下働きの者たちの作業は続いた。穀物が積み上げられるたびに広がる匂い、木箱の音、重たいワインの樽が転がる鈍い響きがゆっくりと重なり合い、ナウルの神殿の前は午前中ずっと、ほのかな活気に満ちていた。
正午になると、一行は再びラフの前へと赴 いた。ベナールは両手を合わせて祈りを捧げた。
午後、一行は湖の周りをゆっくりと歩きながら、ナウルの神殿の各所を見て回った。風は穏やかで、神殿を訪れた人々の声が遠くからほのかに響いてきた。
グラベルはこの場所の雰囲気が気に入った。平和で温かな感じがした。
日がまた傾きかけた頃、一行は昨日と同じ席に腰を落ち着けた。イゴールがティーポットを手に近づき、慎重に茶を注ぐと、白い湯気が杯 の上から柔らかく立ち昇った。
グラベルは杯を手に取り、一口含んだ。温かな気配が喉を伝ってすうっと下りていった。
ニアは湖を眺めていたが、不意に顔を向けた。ニアの視線が湖の向こう側のどこかで止まった。
「うわあっ!あそこ見るだる!あそこ、すごく大きな木が動いてるだる!」
ニアは指で遠くを差し示した。
イゴールは具現化 した手でティーポットを卓に置くと、ニアが指し示した方向へと顔を向けた。
彼の大きな目がゆっくりと動いた。
しばらくして、彼は静かに答えた。
「キナでございます。」
ニアが指し示した方向へと、皆の視線が集まった。
湖の向こう岸、白い石畳の上を、巨大な影が一つ、ゆっくりと動いていた。
木でできた存在だった。
その姿は、古くからダウィとムワたちの間で語り継がれてきた、森の牧者 ――ヴラントを思い起こさせた。
物語の中にのみ存在すると信じられてきた、その巨大な木の巨人の姿が、今まさに目の前で動いていたのだ。
胴体は、太い木の幹を削り出したような直方体の塊だった。表面には木目に沿って分厚い樹皮 が見える、重厚な造りをしていた。
表面には分厚い樹皮がそのまま残っており、胴体の前面には厚い木の板が鎧 のように重ねられていた。
その木の板には四角い隙間が幾筋も並んでおり、上体の両脇には二本の腕がついていた。
根と太い枝を削り出して作られた腕は、人の前腕 を二、三本束ねたほどに太く、先端には三つに分かれた木の爪のような指がついていた。
動くたびに、関節から太い木目が裂けるような音が低く響いた。
下方には二本の脚があった。
胴体を支える柱のように太い脚は、力を込めるように一瞬静止すると、内部から「ウウゥン」という音を響かせながら、ゆっくりと動き出した。
片側へと重心が移った瞬間、足元の石畳が押しつぶされて埃が舞い上がり、続いて反対側の脚がゆっくりと持ち上がった。
関節が伸びるたびに、硬い木目が裂ける「ギシギシッ」という音が低く響き、宙を切った脚が次の足場を求めて下りる瞬間には、「ドオン」という重い響きが地面全体へと広がった。
動いているその木の巨人の大きさは、およそ十キュビト(五メートル)。傍らに立つダウィと比べても、その大きさは圧倒的だった。
グラベルは目を離せぬまま、その姿を見つめ続けた。
『 おお……ウッドゴーレムか? いや、ゴーレムと言うには……』
記憶の中、かつてプレイしたゲームで目にした映像が脳裏 をかすめたが、目の前の存在はそれよりもはるかに重々しく、知っているゴーレムの姿とは違っていた。
「あれは……生きているのでしょうか?」
グラベルが呟くように尋ねると、イゴールは静かに答えた。
「キナは、ムワが作り、ムワが乗るものです。」
グラベルは視線を巡らせ、湖の周囲を見渡した。イゴールの言うキナは一体だけではなかった。遥か遠く、湖の向こう岸にも二体の姿が見え、神殿の建物の脇でも一体がゆっくりと歩いていた。
大きさはそれぞれ異なっていた。あるものは六キュビト(三メートル)ほどと比較的小さく、あるものは十キュビト(五メートル)に近い大きさに見えた。最も大きな一体は、遠目にもはっきりと見分けがついた。胴体が他のキナよりもずっと太く、腕も長かった。
「昨日は見かけませんでしたが。」
イリスが言った。
「昨日はキナたちが神殿の外におりました。」
イゴールが答えた。
「今日はラフへ礼拝を捧げに来たのでございます。」
ベナールは杯を卓に置きながら言葉を継いだ。
「キナは木で作られておる。だが、ただの木ではない。神殿の湖の水を飲んで育った木で作られた、メルハラムの守護者なのだ。」
「湖の水を飲んで育つということは……特別な木だということでしょうか?」
グラベルが尋ねた。
「そうだ。」
ベナールは頷いた。
「神殿の裏手には、キナのための木立が別に設けられておる。そこの木々は幼い頃から湖の水を与えられて育つのだ。ラフの気を宿した水だからこそ、木もまたその気を含むようになる。」
イゴールが再び口を開いた。
「キナの木は、ムワが形状化 の魔法で形作るのです。鋸 で切ったり斧 で削ったりはいたしません。マナで形を定めることで、木はそれに従って育っていくのです。」
ニアは目を輝かせながら湖の方を見つめた。
「木が動いてるんだる?」
「動いているのはムワです。」
イゴールが答えた。
「キナの中にはムワが搭乗しています。ムワがマナを送ると、キナの腕や脚が動くのです。」
グラベルは再びキナを見つめた。
湖の近くまで歩み寄った木の巨人――その体の内部を流れるマナは一点に凝縮しており、グラベルの目には小さなムワの姿がはっきりと見えていた。
作品をお読みいただき、本当にありがとうございます




