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191話 外伝:画家と薬草師(1)

プロイクトンの朝は静かだった。


町の中心部にある古い家の一階、通りに面した大きな窓から、冬の陽射しが斜めに差し込んでいた。光の筋の中で、埃(ほこり) の粒子がゆっくりと漂っていた。窓辺には、木枠にぴんと張られた張り替え用の画布(がふ) が六枚、立てかけられていた。


薄いリネンで織られたもの、粗い麻布で織られたもの、中くらいの太さの綿布で織られたものまであった。光が直接当たらないよう奥に下げて立てかけてあったが、室内は冬の陽射しでほのかに明るくなっていた。


その横には陶器の壺が三つ並んで置かれ、壺ごとに大きさ別の筆が差し込まれていた。リスの毛で作られた細い筆は繊細な線を描くために、豚毛の筆はしっかりとした力強いタッチのために、馬の毛を束ねた太い筆は広い面を一気に塗りつぶすために、それぞれ出番を待っていた。


壁に沿って棚が連なっていた。乾燥させた植物の束が、天井の梁に逆さまに吊るされていた。藍色を出す大青(たいせい) 、黄色いサフラン、赤いアカネの根。棚の上には、顔料を入れた陶器の壺が並んでいた。壺一つひとつに、中身を示す木製の荷札が付けられていた。


羊皮紙(ようひし) にインクで書かれた文字は、長い年月を経て色褪せていた。その横には、乾いた卵の殻を入れたコルベイユ(Corbeille)があった。殻はきれいに洗われ、乾かされた状態だった。卵黄と卵白を分けて使った後に残った殻は、細かく挽いて白色の顔料として使う準備が整っていた。


作業台は濃い色のオーク材で作られていた。表面のあちこちに絵の具が染み込んでいた。赤、青、黄、黒――何十年も絵を描き続けてきた跡だった。木目に沿って染み込んだ絵の具は、ざっと拭き取られただけだったため、染みごとに濃淡が異なり、まるで古い絵の影のように残っていた。


テーブルの端には、すり潰した顔料の粉を入れた小さなガラス瓶が並んでいた。赤い土を細かく挽いたレッドオーカー、濃い茶色のバーントシエナ、白い白亜(はくあ) の粉。瓶の蓋は、それぞれ蜜蝋(みつろう) でしっかりと封がされていた。


壁には、様々な色が付いた革のエプロンが掛けられていた。


エプロンの表面は、数百回の作業を経て硬く固まっていた。赤、黄土色、青、黒が幾重にも染み込んでいた。絵の具が乾いて固まった部分は、ごわごわと硬くなっていた。


その下の床には、亀の甲羅(こうら) の欠片で作られたパレットが二つ置かれていた。パレットの内側はなめらかに磨かれ、縁には絵の具を乗せていた跡が残っていた。


暖炉は部屋の片隅に据えられていた。灰の積もった炉の内側の煉瓦は、黒く煤(すす) けていた。長い間火を焚き続けてきた末に積もった煤だった。暖炉の傍には薪が整然と積まれ、火打ち石と焚き付けが入った箱が置かれていた。焚き付けは、乾いた木の皮と松脂(まつやに) のついた枝だった。


二階へと続く木の階段が、部屋の奥にあった。階段の手すりは長年使われたことで使い込まれて滑らかになっており、木の表面がつるりと光っていた。階段を上ると、小さな寝室があった。


藁を詰めたベッドの上で、毛織りの毛布が動いた。白い髭を生やした老人が、毛布をはねのけて起き上がる。


関節がこわばっていた。冬の寒さで、膝や指がいつもより一層硬く感じられた。老人はベッドの縁に腰を下ろし、しばらく両手で顔をこすった。ざらついた手のひらが頬を撫でた。


『うーん……今日も寒い朝だな』


老人はベッドの傍の椅子に掛けてあった、厚手の羊毛のコートを羽織った。コートは重かったが、暖かかった。素足で冷たい木の床を踏みながら、階段を下りた。一段ごとに、聞き慣れた軋み音がした。三段目は特に音が大きかった。五段目はわずかに右へ傾いていた。


一階に下りると、部屋の隅に設置された貯水槽へと向かった。石造りの貯水槽は、家を建てた時から一緒に作られたものだった。雨水を集める雨樋(あまどい) が屋根から伸び、貯水槽までつながっていた。屋根の傾斜を伝って流れた雨水が、雨樋を通って壁を伝い下り、貯水槽へと溜まる仕組みだった。貯水槽の入り口には、落ち葉や異物を取り除くための布のろ過網が取り付けられていた。


蓋を開けると、水は半分ほど満ちており、水面は静かだった。その奥、貯水槽の壁に埋め込まれた魔石の装置が、ほのかな青い光を放ちながら水を浄化していた。おかげで水は濁ることなく、長く置いても腐ることがなかった。魔石は簡単には消耗しないため、一年に二、三回交換するだけで十分だった。


『これは……実によくできているな』


老人は底の深い木の器で水をすくい、ケトルに注いだ。水がちゃぷちゃぷと音を立てながら、ケトルを満たした。


『真冬に井戸まで出なくて済むとは、なんとありがたいことか。雪の積もった道を歩いて井戸端まで行き、縄を引くのは、この歳にはこたえるからな』


ケトルを持ち上げながら、老人は思った。


『それに、絵を描くにはどれほど水が要ることか。筆を洗い、顔料をすり潰し、膠(にかわ) を溶く。この貯水槽がなかったら、一日に何度も水を汲みに行かねばならなかっただろうな。ふふ…… 』


ケトルを持って暖炉へ行った。昨夜の残り火が、まだほのかに残っていた。灰の中で、赤い火種がちらちらと揺れていた。


火打ち石を打って焚き付けに火をつけ、小さな薪を二、三本くべた。火が少しずつ蘇り始める。


乾いた木の皮が燃えて、炎を上げた。ケトルを炉の上の鉄輪(かなわ)に掛けた。重みを受けて、鉄輪が揺れた。


それから老人は作業台へ行き、ざらりとした黒パンを一塊取り出した。三日前に焼いたパンは、固くなっていた。


パン切り包丁でいくつかに切り分けた。固いパンだったので刃に力を込める必要があり、刃がパンを押し潰すようにして切れた。パンくずがこぼれ落ち、切り分けた欠片を木の皿に盛った。


横の棚から、布で包んだ塩漬けチーズの塊を取り出し、ナイフで薄く切り分けた。塩気のある匂いがして、チーズの表面には塩の結晶が光っていた。クルミとヘーゼルナッツを一掴み取って、皿に一緒に盛った――ナッツ類は去年の秋に買い置いたものだった。殻を剥いた実は、木箱の中に保管されていた。


ケトルから白い蒸気が立ち上った。水がぐらぐらと沸き始めた。気泡が水面を割って浮き上がってきた。老人はガラス瓶から乾燥させたカモミールの花びらをつまみ、ティーポットに入れた。黄色い花びらが底に落ちた。沸いた湯を注ぐと、ほのかな草の香りが広がった。蒸気とともに、その香りが鼻先をくすぐった。


『今日は……商人ギルドから頼まれた絵を、仕上げてしまわないとな 』


老人は作業台の傍の椅子に腰を下ろした。木の椅子が軋んだ音を立てた。パンを一切れ口に入れ、ゆっくりと噛んだ。固いパンが唾液と混ざり合い、少しずつ柔らかくなっていった。


顎を動かしてパンを噛み潰した。塩漬けチーズをパンに乗せて一緒に食べると、塩気のある味が口の中に広がった。チーズの脂がパンと混ざり合った。クルミを手で割って実を取り出すと、殻が指の間でぱきりと割れ、香ばしい脂の風味が口の中に染み渡った。


茶を一口飲んだ。温かい茶が食道を伝って下りていくと、体が少しずつ目覚めていった。カモミールの優しい味が口の中を包み込む。


『冒険者ギルドから新人が来さえしなければ、一日中この絵を描いていられるんだがな。最近は新人がよく来るんだよなあ』


老人は再びパンを一口かじった。ヘーゼルナッツも口に入れて噛んだ。カリッとした歯ごたえが心地よかった。ナッツの甘みが、パンの淡白な味とよく合った。茶をもう一口飲んだ。


『ギルドの広間に飾る絵を頼まれたんだったな。豊穣という言葉が自然と浮かぶような絵を、とのことだった。果物、葡萄酒、絹、硬貨……うん、その辺りでいいだろうか。広間の空気も、ぐっと明るくなるだろうしな』


老人は最後のパンの欠片を口に入れ、残ったチーズもすべて食べた。茶を飲み終え、カップを置いた。手で髭についたパンくずを払うと、白いくずが床に落ちた。


老人は椅子から立ち上がり、作業台へ向かった。棚から乳鉢と乳棒(にゅうぼう) を取り出した。石造りの乳鉢は重く、内側はなめらかに磨り減っていた。壁に掛けてあった革のエプロンを身につけ、腰紐を二重に巻いてしっかりと結んだ。


『 果物と葡萄酒の色に使う赤から、作らないとな』


石の壺から、乾いた赤土の塊を取り出した。手のひらほどの大きさの塊だった。乳鉢に入れ、乳棒で打ち下ろした。鈍い音とともに、土の塊が崩れた。大きな欠片がいくつかに割れていった。


欠片を、さらに叩いてすり潰していった。粗い塊が、徐々に細かい粉へと変わっていった。腕に力が入った。手首を返しながら、乳棒を打ち下ろした。肘を動かすたびに、関節が音を立てた。


『 うう……年を取ると、こんなことも辛くなるものだな。若い頃はこの程度、何でもなかったのに』


十分に叩いた後、篩を取り出した。細かい布で作られた篩を器の上に乗せ、粉を流し入れた。


篩を左右に振ると、赤い粉が布を通り抜けて落ちていき、細かい粉だけが下に溜まった。粗い粒は篩の上に残り、指で篩を叩くともう少し落ちた。残った粒を再び乳鉢に入れて叩き、この作業を三度繰り返した。三度目になると、ほとんどの粉が篩(ふるい) を通り抜けていた。


『レッドオーカーは、このくらいでいいだろう』


小さな陶器の皿に、細かい赤い粉を入れた。膠を少しすくって粉に混ぜ、木のへらでゆっくりとかき混ぜた。粉と膠が混ざり合い、とろりとしたペースト状になっていった。へらを回すたびに、それに合わせて中身が動いた。


次はバーントシエナだった。黄土の塊を火箸(ひばし) で掴み、暖炉の火の中に入れると、炎が黄土を包み込み、黄色い黄土が火の光を受けて輝いた。


黄色かった黄土が、徐々に赤褐色へと変わっていった。表面から先に色が変わり、内側へと染み広がっていった。十分に焼けた黄土を取り出し、冷ました。火箸で取り出した黄土を石の上に置くと、湯気を立てながら冷えていった。冷めた黄土を乳鉢(にゅうばち) に入れ、再び叩いて細かくし始めた。焼いた黄土は、より砕けやすくなっていた。


『赤褐色か……絹の布を塗る色にちょうどいいな。柔らかな布の質感を出すには、この色が必要だ 』


篩でふるった後、膠と混ぜ合わせた。濃い赤褐色の絵の具が出来上がった。へらですくい、光に当ててみた。深みのある色だった。


『葡萄の色は、澄んでいて、なおかつ赤くなければならないからな…… 』


棚から干し葡萄の入った壺を取り出し、蓋を開けると、甘い香りが広がった。干し葡萄を一掴み取って小さな鍋に入れると、しわの寄った粒が底に散らばった。


赤葡萄酒を少し注いで干し葡萄を浸し、鍋を暖炉の火にかけると、すぐに液体が沸き上がり、気泡が弾けた。


木のへらで干し葡萄を押し潰すと、赤い汁が滲み出てきた。煮込む間、蒸気が立ち上がり、液体は半分ほどに減っていった。


色は次第に濃くなっていった。


『透き通った赤……これに膠を混ぜれば、葡萄の色として使うのにぴったりの色になりそうだ……』


鍋を火から下ろし、冷ました。熱い鍋を石の上に置き、布で濾して滓(かす) を取り除くと、澄んだ赤い液体だけが残った。光を通す、透明な色だった。


膠を少しずつ混ぜていった。入れすぎると濁ってしまうため、慎重に加えた。光に当ててみると、透き通った紫紅色(しこうしょく) だった。


『よし。これくらいなら、葡萄の房を描けそうだ』


老人は小さなガラス瓶を取り出した。中には|亜麻仁油《あまにゆ が入っており、瓶の中の油は光を受けて黄色く輝いていた。


慎重に蓋を開けると、香ばしい油の匂いが広がった。


出来上がった絵の具それぞれに、亜麻仁油を数滴垂らすと、油の粒が表面に浮かんだ。木のへらでかき混ぜると、絵の具はより滑らかになり、艶が生まれて表面がしっとりと輝いた。


『高い油だが……大事に使わなくては。とはいえ、商人ギルドの依頼だから、ちゃんとやらないといけないしな……使い過ぎず、けれど惜しみすぎもせず、というところか』


絵の具の準備を終えた老人は、窓辺へ向かった。窓枠に掛けられた薄い布のカーテンに手を触れた。リネンで織られた半透明の布だった。


片方のカーテンを少し引いて、光の量を調節した。作業台に落ちる陽射しの角度が変わった。影が動いた。反対側のカーテンも少しずらした。光が均等に広がった。


『これくらいなら……実にいい光だ』


老人は後ろに下がり、光の状態を確認した。作業台の上は明るくありながらも、眩しくはなかった。光は柔らかく広がっていた。頷いた。満足げな表情だった。


コンコンコン、コン。


厚い木のドアを叩く、重々しい音が響いた。


老人はエプロンで手を拭きながら、ふと動きを止めた。陽射しが顔を照らすと、皺の寄った額と目元の線が、より深く浮かび上がった。片方の眉がゆっくりと持ち上がり、ドアの方へ顔を向けた。


「ごめんください」


ドアの外から、青年の声が聞こえた。はっきりとした声だった。


「絵のご依頼に参りました」

孤独と不安の中で一人残されたJeremy Hofferに、この物語を捧げます

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