190話 ダム攻防戦 (2)
サルマは卓の上に立っていた。
黒と茶色の羽毛が、魔石灯 の光を受けて暗くきらめいた。首と胸を覆う羽毛は濃い黒褐色で、翼の端へと向かうほど黒が深まった。頭には金属片を重ね合わせて作られた兜が被せられていた。兜はムワの頭の形に合わせて作られており、後頭部まですっぽりと包み込んでいた。両脇には耳羽 を守る護板 が垂れ下がっていた。兜の正面には太陽の紋章が小さく刻まれていた。嘴の上部だけが露わになっており、黄色い瞳が兜 の下で輝いていた。
胸と背には革鎧 が巻き付けられていた。鎧は何枚もの薄い革を重ね合わせて作られており、表面にはいたるところにリベットが打ち込まれていた。鎧の肩の部分は、翼の動きを妨げないよう短く切り詰められていた。背後には赤いマントが掛けられていた。マントは首の下の金属の環で固定されており、布全体には金糸で太陽の紋章が大きく縫い取られていた。マントの縁には金色の房飾りが付いており、サルマが動くたびに房飾りが揺れた。
鉤爪 には青銅で作られた爪鞘が被せられていた。爪鞘は各爪を個別に包む形で、先端は鋭く研ぎ澄まされていた。爪鞘の表面には細い溝が刻まれており、その中に銀糸で小さな紋様が施されていた。
サルマはヤクラ翼兵団の軍長 だった。モスロウ一族の血を引く者として、彼はヤクラ翼兵団という軍団の形成と運営を率いる中心でもあった。ヤクラ翼兵団はもともとダムの評議会の正規軍ではなく、モスロウ一族が自らの財力と権勢をもって組織した私兵集団に端を発していた。
モスロウ一族は莫大な資金と武器を惜しみなく注ぎ込んで軍団を育て上げ、その代わりに翼兵たちは一族の命のみに従って動いた。ダムの評議会でさえ彼らの兵力運用に干渉することはできず、戦場で翼兵たちが見せる苛烈 な気概はダム内でも広く知られていた。
彼らはダムにおいても最も好戦的な集団として知られていた。バッドランドの荒野へと直接出兵し、オークとミノタウルの集落を襲撃することが多かった。評議会が許可を与えずとも、モスロウ一族の決定のみで兵を率いて西へと向かった。彼らは戦いを恐れず、むしろ戦いを求めて進んだ。
サルマの鉤爪が卓をもう一度引っ掻いた。鋭い音が立った。
ガルドンが口を開いた。
「サルマよ、そなたならうまくやり遂げると信じておるが。それとて、斥候 を直々に指揮するには及ぶまい。」
その声は重く低かった。
円卓の傍らに座っていたムワの軍長の一人が口添えした。
「斥候程度でしたら、デルサールに任せても十分かと存じます。」
サルマの目が細くなった。嘴が開いた。
「古来、指揮官とは、率いる者として範を示し、最前線に立って敵と相対するものです、大軍長 。」
サルマの声は荒く、しかし芯が通っていた。言葉の端が鋭かった。
ガルドンの目が暗くなった。彼はサルマを見つめた。二人の間に、見えない緊張が流れた。
評議会室の中の他の軍長たちも、それを感じ取った。何人かは席でわずかに身を縮めた。他の者たちはガルドンとサルマを交互に見比べた。
サルマが翼を一度大きく広げてから畳むと、風が起き、マントが翻り、金色の房飾りが揺れた。
「モスロウの翼兵、千騎があれば十分です。斥候は私が務めましょう。」
ガルドンが卓についていた手を持ち上げた。指が空中で止まった。
「千騎は過ぎる。斥候にそれほどの兵力が必要か?」
サルマの嘴がカチリと音を立てて閉じた。
「斥候だけで終わらせるつもりはないからです。」
室内がざわめいた。ダウィの軍長の一人が席から勢いよく立ち上がった。
「どういうことだ、サルマ!」
サルマはその者を見向きもしなかった。その視線はただガルドンのみへと向けられていた。
「ただ敵の数を数えることで、何を得られるというのですか?今すぐにでも兵を率いて討伐に出るべきです。あのオーク共が我らの村を略奪し焼き払いながらダムに近づいてくるなど、断じて許せません。」
ガルドンの目が鋭くなった。
「数を正確に知りもせずに、軍を率いて出るわけにはいかぬ。」
「数を知ったとて、何が変わるというのですか!」
サルマの声が高まった。その翼がはためき、羽毛が逆立った。
「あのオーク共と体ばかり大きいミノタウル共が力を合わせてきたところで、何がそれほど恐ろしくて数を細かく調べねばならないのですか、大軍長!」
ダウィの軍長の一人が拳で卓を叩いた。
「用心して悪いことはないだろう!敵を知ってこそ、勝利を掴めるというものだ!」
「そのような言葉は、臆病者だけが口にするものです!」
サルマが叫んだ。その鉤爪が卓を強く引っ掻いた。木の表面に傷が走った。
別のムワの軍長が席から立ち上がった。
「サルマ軍長の仰ることにも一理あります。我々が躊躇 している間にも、村々は燃えているのですから……!」
「だからといって、無謀に打って出るわけにはいきません!」
別のダウィの軍長が反論した。
「無謀と勇気の区別もつかぬというのか!」
サルマは翼を大きく広げた。その影が卓の上に大きく落ちた。
「ダウィの牙とムワの嘴、手爪と翼のように、永遠に同じにはなれぬものがあります、大軍長。」
彼はしばし口をつぐんだ。室内が静まり返った。全員がサルマを見つめた。
「それこそ、我々が彼奴らより強いということです。オークとミノタウルがどれほど力を合わせようと、彼奴らは野蛮な群れに過ぎない。知恵もなく、戦術もなく、ただ数で押し通す獣の群れに過ぎません。」
その言葉には確信が宿っていた。オークとミノタウルを侮っているのではなかった。ダウィとムワが異なるように、彼奴らと我々の間には越えられない隔たりがある。文明と野蛮の差。秩序と混沌の差。それを語っていた。
「昨年、私の言に従ってバッドランドへの大規模討伐に出ていれば、今日のような事態にもならなかったはずです。」
ガルドンの顎に力が入った。彼は両手を再び卓の上に置いた。指が卓を押し込んだ。
「まず奴らの数と位置、すなわち規模を把握してから動いても、遅くはないぞ、サルマ。」
「遅くないと?」
サルマの声が鋭くなった。
「今この瞬間にも、ウダバとウィロウィ、ファルバとドウィナの住民たちが命を落としているのです!彼らの家が燃え、彼らの家族が逃げ惑っています!それでも我々はここに座って数を数えているというのですか!」
ダウィの軍長の一人が席から勢いよく立ち上がった。
「ならばお前はダムの全兵力を率いて出ようというのか?もし敵が我々の予想を遥かに超えていたらどうする?ダムが空になっている間に別の群れが攻め込んできたら?」
「そんなことは起こりません!」
「何故そう言い切れる?」
「私が直接確かめてくれば、それで済む話だからです!」
サルマの翼が力強く打ち下ろされた。風が起きた。地図の端がはためいた。
リルビュルが静かに口を開いた。
「サルマ、落ち着いてください。我々は皆、同じ目標を持っています。」
「同じ目標ですと?私は今すぐ奴らを一掃したいというのに、ここにおられる方々は数を数えようとおっしゃっている!」
ガルドンが深く息を吸い込んだ。彼はゆっくりと口を開いた。
「サルマよ。私もそなたと同じくらい急ぎたい。だが大軍長として、私はダム全体に責を負っておる。兵力をみだりに動かすわけにはいかぬ。」
「大軍長は今、責任という名の下に躊躇しておられるのです!」
サルマの言葉が室内に響き渡った。何人かの軍長たちが息を呑んだ。
ガルドンの顔が固まった。その目が冷たく変わった。
「気をつけよ、サルマ。今のそなたは一線を越えている。」
「一線を越えているのはあのオーク共です!奴らが我らの土地を踏み荒らしているのです!臭く、野蛮で、汚らしいオーク共がです!」
別のムワの軍長が席から立ち上がった。
「サルマの言は正しい。我々が黙って見ていれば、敵はさらに奥深くへと入り込んでくるでしょう!」
「しかし無謀な動きは破滅を招くでしょう!」
ダウィの軍長が反論した。
評議会室が騒然となった。軍長たちがそれぞれ声を上げた。サルマの側につく者もいれば、ガルドンの慎重さを支持する者もいた。卓を叩く音、椅子が引きずられる音、翼がはためく音が入り乱れた。
円卓の端に座っていたダウィの軍長の一人が席を立ち、前へと進み出た。肩まで茶色い被毛に包まれており、革鎧の上には鉄板が当てられていた。彼は卓に手を突いて身を乗り出した。
「大軍長、もし規模を把握してから動くまでにどれほどかかりますか?その間にもオーク共は着々と近づいてくるでしょう!」
ガルドンがその者を見た。
「二日あれば十分だ。斥候が往復するのに一日、兵力を整えるのに一日。」
「二日!」
サルマが叫んだ。
「二日あれば、また別の村が燃えます!」
「準備もなく打って出れば、我々が全滅しかねぬ!」
ガルドンの声も高まった。
サルマは卓の上で身を翻した。その鉤爪が卓を引っ掻きながら向きを変えた。翼がはためいた。
「いつからモスロウ一族が評議会の決定を待つようになったというのですか。我々は常に自ら判断し、動いてきました。それがこれまで我ら一族がダムを守ってきた流儀です。」
ムワの軍長の一人が翼を広げながら口添えした。
「その通りです!モスロウ一族がサアルンの森の境を守ってきたのは事実ですぞ!」
「しかし評議会の許可なく動くことは、規律に背くことです!」
ダウィの軍長が反論した。
「規律より大切なのはダムの安全です!」
サルマが叫んだ。その目には激しい感情が滲み出ていた。
「我々が規律を論じている間にも、オーク共は我らの規律など気にも留めず、村を焼き払っているのです!」
リルビュルが翼を持ち上げた。青い光がほのかに揺らいだ。
「皆、落ち着いてください。戦うべき敵は外にいます。」
しかし誰も彼の言葉に耳を傾けなかった。
サルマは卓から飛び立ち、再び卓の上へと舞い降りた。今度はガルドンのすぐ目の前だった。二人の距離が縮まった。サルマの黄色い瞳とガルドンの黒い瞳が、正面から交わった。
「大軍長。お尋ねします。」
サルマの声が低くなった。
「仮に規模を把握したとしましょう。そしてオークの数が一万ほどと分かったとします。では大軍長、どうなされますか?」
ガルドンが答えた。
「兵力を整え、陣列 を整えて出るであろう。」
「一万ならば?」
「そうだ。」
「二万ならば?」
ガルドンがしばし口を止めた。
「それでも出なければならぬ。ダムを守らねばならぬのだから。」
「三万ならば?」
「……」
「四万ならば? 五万ならば?」
サルマの声がだんだんと大きくなっていった。
「数がいかほどであろうと、結局我々は戦わなければならない。ならば数を把握することに何の意味があるというのですか?今すぐ打って出て、奴らがダムに近づく前に撃退する方が、よほど賢明ではないですか!」
ガルドンの拳が卓を打ちつけた。ドン! という音が室内に満ち渡った。全員が口を閉じた。魔石灯の光が揺れた。
「もう十分だ。」
ガルドンの声は低く、重く沈んだ。
「サルマ。斥候隊を率いて出よ。だが千騎は多すぎる。二百騎だけ連れて行け。」
サルマの嘴が開いた。
「二百騎では足りません!」
「斥候には十分だ。そして交戦は禁ずる。ただ数のみを把握して戻れ。」
「交戦を禁ずると?」
サルマの声が震えた。怒りが滲んでいた。
「そうだ。敵の規模と位置のみを把握し、直ちに帰還せよ。これは命令だ。」
サルマはガルドンを睨みつけた。その目に不満が燃えさかっていた。翼の端が震えた。しかし彼はそれ以上何も言わなかった。
しばし沈黙が流れた。
サルマは翼を広げながら卓の上から身を起こして宙へと舞い上がり、翼が力強く動くと円卓を離れ、評議会室の出口へと向かって飛んでいった。赤いマントが後ろではためいた。
扉の前に着いたサルマは身を翻した。ガルドンへと再び視線を投げかけた。
「帰り道に、斥候の証拠としてオーク共の眼玉 でも何個か持ち帰って参りましょう!」
扉が開いた。サルマは外へと飛び出した。扉がバン! と閉まった。評議会室が再び静まり返った。
ガルドンは卓の上の地図を見下ろした。その指が西の区域をゆっくりとなぞった。
リルビュルが静かに口を開いた。
「大丈夫でございますか?」
ガルドンは答えなかった。ただ地図を見つめるばかりだった。魔石灯の光が彼の顔に暗い影を落としていた。
ダウィの軍長の一人が椅子に腰を下ろした。彼は溜め息を吐いた。
「サルマ軍長があのように出ていって、大丈夫でしょうか?」
別の軍長が首を振った。
「サルマは経験豊富だ。無謀ではあるが、腕は確かだ。」
「ですが……交戦禁止の命令を守るでしょうか?」
評議会室にいた者たちの中で、誰も口を開かなかった。
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