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185話 乾きの地より来たる侵略者 (10)

ヴラントがゆっくりとダルンへと近づいてきた。巨大な足が再び大地を揺らした。そして数歩を踏み進め、ダルンの前で立ち止まった。


深い緑の瞳が、静かにダルンを見下ろした。短い沈黙が流れ、ヴラントは無言のままダルンを見定め始めた。その眼差しは兜から始まり、鎧を辿り、手に握られたハルバードへとゆっくりと移っていった。


やがて、樹皮のように荒く硬いヴラントの口が開いた。深く響き渡る声が、ダウィとムワたちの言葉で流れ出た。


「……川の君主の末裔(まつえい) よ、しばし……退いてくれぬか」


その声は低く、鈍く響いた。大きくはなかったが、揺るぎない重みがあった。乱れのない力が宿り、その音は耳にとどまらず、胸の奥深くへと伝わってきた。


ダルンは深く頭を垂れ、さらに後ろへ下がった。


「かしこまりました、古の守り手よ」


ダルンの声には、深い畏敬の念が込められていた。


ダルンの傍らをゆっくりと過ぎ、さらに数歩を踏み出したヴラントが、深く息を吸い込んだ。全身の葉がざわめき、周囲の空気が彼へと吸い込まれる音が聞こえた。


そしてヴラントが咆哮(ほうこう) した。


「RRRRRAAAAAAAAAHHHHHHH!」


その声が大地を押しのけながら広がった。落ち葉が舞い上がって散り乱れ、木々の幹はいっせいに四方へひびを走らせ、激しく揺れた。


サアルンの森のあちこちで燃え盛っていた炎は、その轟(とどろ) きに押し潰されるようにして消え、火勢は息絶えたように静まった。


跡に残ったのは、薄い煙のみだった。


森全体がその声に揺さぶられた。最も太く、最も深く根を張った木さえも揺れ動き、燃えていた幹は灰となって散った。


ミノタウルたちは足を止め、びくりと身をすくめて後退した。


巨大な叫びは彼らの耳を叩き、心臓を覆い尽くした。荒々しかったミノタウルたちの瞳に、恐怖の色が滲(にじ) み広がった。


誰一人、前へ踏み出そうとしなかった。蹄が土の上で頼りなく後ずさった。


つい先ほどまで勢いに乗り暴れ回っていたミノタウルたちが、ヴラントの咆哮の前では一歩も動けぬまま、荒い息をつくばかりだった。


ヴラントの咆哮が収まると、森には奇妙な静寂が漂った。あらゆる音が消え去ったかのようだった。風の音でさえ、止まっていた。


ヴラントの瞳が一瞬、明るく輝いた。その光は刹那に強まり、瞳の周りの樹皮の木目のひとつひとつに、緑の翳(かげ) りをのせた。


「侵緑者(しんりょくしゃ) どもに……サアルンの木々を焼いた代償を……払わせねばならぬ……。その代償とは、森の糧となり……詫びを尽くすことだ……」


一語一語に、怒りと悲しみが入り混じっていた。数百年にわたってこの森を守ってきたヴラントにとって、木々が燃えるのは己の身が燃えるのと変わらぬ苦痛だった。一本の木が倒れるたびに、彼の胸の内には重く暗い怒りが沈み込んだ。


ヴラントの緑の瞳に、じわじわと強い光が宿り始めた。


ヴラントがミノタウルたちへ向かって動き始めた。


最初はゆっくりと歩いた。しかしすぐに速度が増した。歩みから速足へ、速足から走りへ。巨大な木の巨人の疾走は、一歩ごとに鈍い振動を撒き散らした。


太い根で形成された脚が大地を蹴るたびに、土が四方へ飛び散り、石が弾き飛んだ。足の踏んだ場所には、深い足跡が刻まれた。


ヴラントの巨大な体躯(たいく) が木立の間を押し分けて突き進むと、行く手を遮っていた枝々が、自ら身をよじって退いた。


古い枝でさえ、彼の前では折れまいとするかのようによじれて下がり、蔓(つる) は静かに脇へ流れて道を開けた。


ヴラントもまた彼らを傷つけまいとするように、巨大な手を伸ばして枝をそっと払った。その手のもとで枝は柔らかくたわみ、彼が通り過ぎた後には、折れた欠片ひとつ残さず、枝々はひっそりと元の場所へ戻っていった。


森は彼に道を開き、彼は森のために怒った。


ミノタウルの指揮官はそれを見て動揺した。しかし退くわけにはいかなかった。彼は巨大な両刃の斧を両手でしっかりと握り、ヴラントを迎え撃つ構えを取った。


「Élthe! Dendríon téras!(来い! 木の化け物め!)」


ミノタウルの指揮官が荒い息を吐きながら斧を振りかぶった。太い腕の腱が浮き上がり、手の甲には血管が今にも弾けそうに盛り上がった。彼の口と両目から濃い緑の煙が立ち昇り、同時に背中と肩、腕の筋肉がねじれた。


その瞬間、ミノタウルの指揮官の斧の刃が、濃い緑に閃いた。


ヴラントの瞳とは異なる、暗い沼地の深い苔を思わせる色だった。その緑の文様が腕から肩へと這い上がるようにして広がり、斧の柄を伝って刃の先端まで流れた。


ミノタウルの指揮官は全身の力を込めた。ヴラントへと踏み込んだ足を大地に突き刺すように固定し、全身の重心をひねりながら、斧の刃をヴラントの脚へと叩きつけた。


ドスッ!


斧がヴラントの脚へと食い込んだ。轟音とともに樹皮の破片が四方へ飛び散った。


しかしヴラントは顔すら向けなかった。斧は脚に食い込んではいたが、樹皮の下に厚く積み重なった木質は硬く、刃の入り込んだ箇所には薄い傷が一筋残っただけに過ぎなかった。


斧刃の食い込んだ箇所で、裂けていた厚い樹皮の破片がゆっくりと動き、じわじわと再び噛み合っていった。


隙間から固い樹皮の断片が迫り上がり、刃を締め付けた。そしてその力に押し出されるようにして、斧刃は樹皮の内側からじわじわと押し戻されていった。


ミノタウルの指揮官の両手が、空を虚しく握りしめた。


握っていた斧は手から滑り落ち、地面を数度転がって、足元で止まった。


巨大な両刃の斧を包んでいた濃い呪術の気はすでに消え去っていた。


ヴラントの巨大な手が指揮官の頭上へと降りてきた。


枝でできた指が、指揮官の頭をすっぽりと包み込んだ。


鉄の兜(かぶと) が枝の間で軋んだ。金属が歪む音がし始めた。


「Krgh……KAagh……」


指揮官の短い呻(うめ) きが、ヴラントの指の隙間から漏れ出た。


ミノタウルの指揮官はヴラントの手から逃れようともがいたが、無駄だった。呪術で強化されたその力も、ヴラントの前では何の役にも立たなかった。


ヴラントがゆっくりと手に力を込め始めた。


まず兜の飾り角が折れる鈍い音が聞こえ、やがて兜が潰れ始めた。金属が歪む音がした。兜の形が歪み、指揮官の頭を締め付けた。


「Araaagh!」


ミノタウルの指揮官の呻き声が次第に大きくなった。


ヴラントはさらに力を込めた。


兜が完全に潰れ、指揮官の頭蓋骨を圧迫し始めた。骨が圧力を受け、きしむ音がした。


「Kaaaaaaah!!!」


指揮官が苦悶の叫びを上げた。


ついに頭蓋骨が耐えきれず、罅割(ひびわ) れ始めた。


ヴラントの手の内に捉えられた兜が完全に潰れ、内側から鈍い音が、兜の砕ける音とともに響いた。


鉄と骨が押し潰す力に耐えきれず、亀裂の走る音が続いた。


ヴラントの手の内に捉えられた兜の角がぎちぎちと音を立てて折れ砕け、その下の頭蓋骨の崩れる音が続いた。


短い叫びとともに、苦痛を乗せた息が漏れ出た。


―バキバキバキッ!―


指揮官の体がぐったりと力を失った。巨大な体がヴラントの手の中でずり落ちた。頭から黒みがかった赤い血がヴラントの指の間を伝い流れた。


ヴラントが手を放すと、指揮官の亡骸(なきがら) が地面へと落ちた。


ミノタウルの指揮官の巨大な体が大地に打ちつけられ、鈍い音を立てた。砕けた頭から流れ出した血が、土を濡らしながら広がった。


ヴラントが頭を空へ向け、叫んだ。


「Yisarn Harr Hauraat!」


その叫びは、数百年ものあいだサアルンの森では聞かれることのなかった、ヴラントたちの言葉だった。アオルンを呼ぶ声だった。


ティルエルダの傍らにいたアオルンは、その呼びかけに即座に反応した。小さな体がびくりと震えたかと思うと、すぐにすっと身を起こし、呼ぶ声の届いた方へと顔を向けた。そしてその瞬間、アオルンの瞳から強い緑の光が輝いた。


脚が素早く大地を蹴り、体が前へと飛び出した。土埃が後ろへ巻き上がり、ティルエルダの視界からたちまち遠ざかった。走る足音が続けざまに聞こえてきたが、アオルンはすでにはるか遠くにいた。そしてアオルンの体には、変化が起き始めていた。


アオルンの足元から、木の蔓が地面を突き破って噴き出した。最初は細く弱々しい枝のような蔓だったが、またたく間に太く丈夫な木の幹ほどに膨らんだ。数十本の蔓が蛇のようにうねりながら、アオルンの小さな体を包んでいった。


蔓が互いに絡み合い、よじれながらアオルンの体を覆い尽くした。まるで鎧を着せていくかのようだった。胸を覆い、背を包み、脚を巻いた。蔓は生きて動きながら、アオルンの体と完全に一体化していった。


アオルンの体躯はどんどん大きくなり、狼より大きくなったかと思えば子熊ほどの丸みと重みを帯びた体になった。しかしその変化はそこで止まらなかった。さらに育ち、ついには軍馬ほどの巨大な姿となった。


アオルンの体を包んでいた蔓が、ゆっくりと変わり始めた。


最初は柔らかく柔軟だった蔓が次第に太くなり、表面が荒々しく盛り上がり、やがて濃い褐色へと色を変えた。生命の息吹に満ちてうねっていた蔓は、あるとき古い木の樹皮のように硬く固まっていった。


数十本の蔓がアオルンの体を包みながら互いに絡み合い、背や脇腹を覆う硬い樹皮へと固まった。それはまるで、森が自ら打ち出した鎧のようだった。


アオルンの頭にも変化が起きた。額の上から硬い角が二本そびえ立ち、樹皮でできたその角は鋭く力強い威を放った。どんな鎧も貫き通すような、脅威が宿っていた。


口の牙と爪も、その形を変えた。小さく可愛らしかった犬歯は次第に伸び、刃を研いだ短剣のように変わった。滑らかだった歯と爪のひとつひとつが、丁寧に研ぎ澄まされた黒鉄の欠片のように鋭く煌めいた。


ヴラントへ向かって駆けるアオルンは、今や巨大な猛獣へと変わっていた。樹皮と蔓に覆われた体躯は威圧的なほど大きく、鋭い牙と爪は捕食者の姿をそのまま体現していた。


樹皮と蔓に覆われた体、黒鉄のような爪と角を持つ、森が生み出した猟犬――アオルンがヴラントとともにミノタウルたちへと駆け出した。


最も近くにいたミノタウルの一体が槍を構え、ヴラントを突こうとした。


槍の穂先がヴラントへと飛んだ。しかし穂先が届くよりも早く、ヴラントの巨大な手がそのミノタウルを掴み上げた。


ヴラントの枝でできた指がミノタウルの全身を包み込んだ。荒れた枝の間から細い蔓が伸び出し、鉄鎧の上を伝って体幹へと巻き上がっていった。枝が鎧の上でじわじわと締まり、甲冑(かっちゅう) が歪み始めた。


「Uwaaagh!」


ミノタウルの叫びが上がった。恐怖と苦痛に歪んだ声だった。


ヴラントが手に力を込めると、鉄鎧が紙のように潰れた。


金属の砕ける音とともに、鎧の内のミノタウルの体がじわじわと押し潰されていった。続いて肋骨が一本ずつ折れる鈍い音が響いた。


肋骨が一本また一本と折れて内臓を突き、肺が裂けると、血の滲んだ息が荒い泡とともに漏れ出した。


ミノタウルの口から泡交じりの血が溢れ出た。叫びは途切れそうでありながら続き、次第に凄まじいものになっていった。


ヴラントがさらに力を込めた。ミノタウルの背骨が砕ける音がした。


「……」


ミノタウルの体が完全に力を失った。ヴラントが手を放すと、砕けたミノタウルの亡骸が地面へと落ちた。


鈍い音とともに亡骸が森の地面に落ちた瞬間、別の群れがヴラントへと襲いかかった。


ヴラントはすぐさま体を反転させ、ミノタウルたちへ向かって腕を大きく薙(な) ぎ払った。


巨大な腕が弧を描くと、周囲にいた複数のミノタウルが同時に吹き飛ばされ、岩に叩きつけられたり地面に叩き落とされたりした。


「Gaaaagh!」


ミノタウルたちの叫びがあちこちから上がった。


しかしヴラントは止まらなかった。両腕がほぼ同時に薙がれた。左ではミノタウルたちが倒れ、続く右腕に弾かれた群れもまた地面に叩きつけられるか岩にぶつかって弾き飛ばされた。


骨の折れる鈍い音と、次々と上がる叫びが入り混じり、その声がサアルンの森を満たした。

いつも読んでいただき、本当にありがとうございます

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