181話 乾きの地より来たる侵略者 (6)
「なんだと! 俺が消した火を、また燃やしやがった!」
ヒヤルコが荒々しく響いた。だがその声には、苛立ちだけでなく、明らかに興味をそそられているような響きが混じっていた。まるで予想外の面白い状況に出くわしたかのように。ヒヤルコの剣身がぎらりと閃き、仮面の存在を見据えた。
「Treis mónoi! Epíthesis!」(たった三人だ! 攻撃しろ!)
ミノタウル指揮官の命令が落ちると、周囲のミノタウルたちが一斉に動き出した。しかし今回は、これまでとは違った。前後も考えずに突っ込んでくる姿は消え、彼らは整然と動きながら陣形を組み始めた。
ミノタウルたちが素早く位置を入れ替えながら、三人の侵入者を包囲しようとした。その動きには明確な戦術があった。一部が正面で注意を引きつけ、別の一部が側面から包囲網を絞り込んでくる。
「Kýklos! Kýklos poieîte!」(円形に! 円陣を組め!)
指揮官の指示に合わせ、ミノタウルたちが三手 に分かれた。それぞれ三十ほどのミノタウルで構成された各集団は、目標を分散させるかのように、ダルンとティルエルダ、ヒヤルコへと素早く迫り、包囲を完成させていった。
「Diktyá pherete!」(網を持ってこい!)
指揮官のさらなる命令が下ると、ミノタウルたちが野営地のあちこちから巨大な網を引きずってきた。
網は太い麻縄で編まれており、縄の随所 には鋭い鉄の棘 が取り付けられていた。網を投げれば棘が相手の肉に食い込み、動きを封じるために作られた武器だった。
「ミノタウルたちが、私たちを分断しようとしています!」
ティルエルダが鋭く声を上げた。その声には切迫した警戒の色が滲んでいた。彼女の手には精霊の力で顕現 させた氷の剣が握られており、その剣先から冷気が波のように揺らめいていた。
だが、その氷の剣を握る指先には、微かな震えが走っていた。
ティルエルダの額には薄く汗が滲み、途切れることなく続く魔法の行使で体力は急速に削られていた。息遣いも、少しずつ乱れてきていた。
「固まっていなければなりません!」
ダルンがハルバードを下から上へ、斜めに力強く薙ぎ上げた。重厚なハルバードの柄が空気を裂き、ブォン——と低く唸る風切り音を立て、その軌跡を追うように鋭い斧刃がミノタウル三体を一気に薙ぎ払った。
最初に当たった一体は脇腹を裂かれて血を噴きながら崩れ落ち、続く二体目は腹を深く割られた傷で膝をついた。振り上げたハルバードの端を掠めた三体目は、喉を斬り裂かれ、鮮血を撒き散らして声もなく前に倒れた。
だが彼らが倒れたその瞬間、背後から突進してきたミノタウルたちが即座にその場を埋めた。倒れた仲間の骸 を踏み越え、低い咆哮 を上げながらダルンへと覆いかかってきた。
ダルンの肩が揺れ、息遣いはどんどん深く荒くなっていった。
ちょうどそのとき、指揮官の肩の上に座っていた仮面の存在が再び動いた。首飾りから木の欠片 を一つ外すと、懐から手のひらほどの大きさの木彫り人形を取り出した。
人形は今まで使ってきた欠片よりも少し大きく、表面にはかすかに光が滲んでいた。彼はその人形を慎重に取り出して手のひらの上に乗せると、指先でつまみ、首の部分を捻り折った。
パキッ——と何かが折れる音とともに、人形から濃い紫色の煙が立ち上った。煙は凝縮したまま上へと吹き上がると、素早く広がって四散し、やがて倒れたミノタウルたちの体の上へとゆっくり降り積もった。
すると、先ほど倒れていたミノタウルの何体かが、一体、また一体と体を起こし始めた。氷の剣に刺されて胸に穴が空いたまま、血塗れの体で、内臓が半ば零れ落ちた腹部を手で無理やり押さえながら、武器を握り直し、再び戦場の上に立った。
死さえも退けたかのように、壊れた体がまだ倒れていないとでもいうように、ミノタウルたちはその赤く濁った眼でふたたびダルンへと歩みを進めた。
その動きは以前とは違った。少し遅く、少しぎこちなかった。だが確かに再び生きており、再び戦うことができた。その眼には、以前にはなかった赤い光が宿っていた。
「なんだと! 倒したはずの奴らが、また立ち上がってやがる!」
ダルンが驚いて叫んだ。その声には、初めて戸惑いの色が滲んでいた。これまで数多の戦いを経てきた彼も、死者が再び立ち上がるのを見るのは初めてのことだった。手の中のハルバードを握る力がさらに強まり、関節がミシリと鳴るほどだった。
再び立ち上がってダルンへと近づいてくるミノタウルたちの動きは、糸で吊られた人形のように不自然だった。だがその力は衰えていなかった。ある意味では、以前よりも危険に見えた。
死への恐怖を失った彼らは、もはや防御を意識することなく、攻撃だけに集中していた。
「死んだ奴らが立ち上がる? なら、もう一回斬ればいいだけだろ! さっさと刻め、ダルン! ティルエルダ! アハハハハ!」
ヒヤルコが笑いを弾けさせながら響いた。
ヒヤルコはすでに完全な昂揚 状態に陥っていた。剣身から放たれる冷気はさらに激しくなり、周囲十キュビト(約五メートル)がすっかり氷の世界へと変わり果てていた。地面には氷の結晶が花のように咲き誇り、空中に漂う細かな水滴さえも凍って煌めく 氷の粉となって舞い落ちていた。
ヒヤルコは、その危険な状況をむしろ楽しんでいるようだった。その刃がぎらりと輝き、彼は周囲のミノタウルたちを挑発するかのようにぐるぐると回りながら、踊るように動いた。
「こんな面白い奴らを、一人で相手するには勿体ねえだろ!」
その瞬間、指揮官のミノタウルが体を前に傾け、咆哮するように叫んだ。
「Epíthesis!」(攻撃しろ!)
指揮官ミノタウルの命令が鋭く吐き出されると、ミノタウルたちが一斉にヒヤルコへと突進した。巨大な蹄 が大地を蹴って一斉に地鳴りを響かせ、獰猛 な息吹 が群れに広がった。
しかし彼らが近づくほどに、ヒヤルコの体から放たれる冷気はどんどん強まっていった。刃先から広がった冷たい気配が地を伝って散り、野営地の中心を起点として氷の結晶が速やかに広がり始めた。
ちょうどそのとき、森の深くから足音が聞こえてきた。最初はかすかな振動に過ぎなかったが、次第に大きくなり、やがて巨大な響きへと育った。
ドン。ドン。ドンドン。ドンドンドン。
数十、数百ものミノタウルが野営地へと向かって駆けてきていた。重い足音が重なり合い、大地全体を震わせた。木々がその振動に揺れ、木の葉がざわめきながら舞い落ちた。
木立の間で、篝火 の明かりが風に揺れてゆらめいた。
赤い光が次々と増え、闇を押しのけ、森はゆっくりと赤く染まっていった。篝火が揺れるたびに木の幹が赤く染まり、その隙間から大きな影たちが迫ってきた。
光の間にきらめく瞳と、大きな影の群れが列をなして姿を現しつつあった。
―Booooooowwooo―
巨大な角笛を持ったミノタウルの一体が頭を仰け反らせ、全力で笛を吹き上げた。
「Doûs boētheian!」(援軍が! 必要だ!)
「Epibáinōmen! Epibáinōmen autous!」(攻めるぞ! 奴らを攻撃しろ!)
遠くから聞こえてくるミノタウルたちの叫びが、じわじわと近づいてきた。その声は戦場の雄叫びであり、森全体がその響きに揺さぶられた。
ダルンはしばし息を整え、遠く城塞の方向へと目を向けた。鋭い眼差しが闇を貫き、城塞周辺を見渡した。城塞を取り囲んでいたミノタウルたちの包囲網に、ひびが入り始めていた。その相当数が野営地で起きている戦闘を援護するためにこちらへと移動しつつあった。
そしてその隙間から、大雨に増水した川が氾濫するかのように、ダウィとムワの兵士たちが城塞の外へと出て東の森に向かって移動していた。
ミノタウルの何体かが行く手を阻もうと突進したが、兵士たちは素早く反応して一気に斬り払い、道を切り開いた。
短い交戦を経て隊列を整え直した彼らは東の森へと歩を進め、状況を遅れて把握したミノタウルの何体かが追撃のために後を追った。
ダルンはその光景を眺めながら、静かに息を吐いた。
『あの程度の数のミノタウルなら……奴らで十分に対処できる』
肩からわずかに緊張が抜け、ほんの少し、微笑みが浮かんだ。
「計画が成功しつつある!」
ダルンが安堵の息とともに叫んだ。仲間たちと部下たちが無事に撤退していく姿を見て、胸がいくらか軽くなった。
「今のうちに、私たちも森の奥へ抜けなければなりません!」
ダルンがティルエルダとヒヤルコに向かって叫んだ。しかしその声は、迫りくるミノタウル大軍の咆哮にほぼ掻き消されてしまった。
森から聞こえてくる音はどんどん近づいており、今や木々の間からミノタウルたちの巨大な影が見え始めていた。
ちょうどそのとき、空から聞き覚えのある声が降ってきた。
「隊長! こちらです!」
ブボアの声だった。彼は野営地の上、高い空を飛んでおり、その爪には何かを掴んでいた。しばらく下を見渡していた彼は、適切な瞬間を捉えてそれをダルンの方へと落とした。
ダルンの兜 だった。
黒い鉄で硬く鍛え上げられたその兜は、空から何かが落ちてくる重い「ドン」という音とともに、地面に突き刺さるように降り立った。
兜の前面にはバヒーカリ家の紋章が刻まれていた。二本の爪が互いを掴み合うように交差した形であり、深く刻み込まれた金属の陰影 の間に月明かりが引っかかるように滲み込み、硬い鉄の表面に鋭い輪郭を描き出していた。
その音を耳にした瞬間、ダルンの周囲のすべての音が突然、遠のき始めた。ミノタウルたちの咆哮も、ヒヤルコの響く声も、ティルエルダの声も、自分自身の心臓の音さえも、すべてが遠く聞こえた。
時間が緩やかになっていくようだった。
周囲で起きているすべてのことが、まるで深い水の中を通り抜けるかのようにゆっくりと動いていた。
ミノタウルたちが突進してくる姿、ヒヤルコが剣を振るう姿、ティルエルダが魔法を展開する姿――すべてが一瞬に引き伸ばされたように、重く柔らかな流れとなって目の前を過ぎていった。
ダルンはゆっくりと片膝をつき、兜を拾い上げた。兜の重みが彼の手に伝わった。
バヒーカリの兜。
ダウィの歴史が、自らの父と祖父、そしてそれより前の世代たちの意志と栄光とが刻み込まれた兜だった。
彼は兜を両手で持ち、丁寧に見つめた。兜の表面には、小さな傷跡がいくつも刻まれていた。それらは、バヒーカリ家の全ての戦士たちが歩んできた戦いの痕だった。
ダルンはゆっくりと兜を頭に乗せた。
兜が頭へと完全に収まった瞬間、彼はしばし頭を垂れ、深く息を吸い込んだ。その一呼吸の中に、数え切れぬ思いと決意がともに飲み込まれた。
胸の内で、何かが整理されていくような感覚があった。これまで彼を苦しめてきた数々の思い――責任感、重圧、恐れ――が一点へと集約されると、やがてひとつの強固な意志へと変わった。
仲間を守るという意志、使命を果たすという意志、そしていかなる敵が来ようとも屈しないという意志だった。
彼はゆっくりと顔を上げた。
兜の影の下から現れたダルンの眼差しは、以前とは完全に変わっていた。
その冷たく鋭い視線が、ミノタウルたちを正面から貫いた。
ダルンの口元に、微笑みが浮かんだ。それは親しみとは無縁の笑みだった。むしろ、捕食者が獲物を見つけたときの笑みに近かった。危険で、自信に満ちていて、同時に残酷さまで宿っていた。
彼はハルバードを改めてしっかりと握り直した。今度は、指に一切の震えがなかった。ハルバードが自らの腕の延長であるかのように感じられた。彼はハルバードをゆっくりと持ち上げ、ミノタウルたちへと向けた。
「では、続けようか——このミノタウルども」
ダルンの低く静かな声が、野営地全体に響き渡った。声は大きくはなかったが、その中に込められた威圧感があまりにも強烈で、周囲のあらゆる音を圧倒した。森から駆けてくるミノタウルたちの咆哮でさえ、その声の前では小さく聞こえた。
ミノタウルたちがその声を耳にした瞬間、その中の何体かは本能的に足を止めた。何かが変わったと感じ取ったのだ。今や彼らの前に立っているのは、以前のあのダウィの戦士ではなかった。まったく別の存在だった。
兜を纏ったダルンの全身から放たれる威圧感が、周囲の空気さえも重く沈ませた。
ミノタウルの指揮官もその変化に気づいた。兜の下で瞳が鋭く光り、彼は自らの両刃の斧をさらに強く握った。その肩の上に座る仮面の存在も、不安げに首飾りを弄んでいた。
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