178話 番外編:今日も無事に、ティルエルダ
それはティルエルダが世の光を浴びて、まだひと月も経っていない頃のことだった。
エルフのタイエルは並外れて背が高く、一般的な人間を見下ろせるほどの体格をしていた。
普段であれば、長い銀灰色 の髪をきっちりと後ろにまとめ、優雅な佇まいを保っていたはずだった。しかし今は違った。幾日もの旅の中で寝床を輾転 とし、娘の安否を確かめようと幾度となく起き上がるたびに少しずつ乱れていった髪は、今やすっかりほどけて、何房かが前へ垂れ落ち、彼の額と頬を乱雑に覆い隠していた。
とがった耳が髪の合間からのぞき、鋭く深みのある緑色の瞳には、常に何かを警戒するような光が宿っていた。
普段なら端正な装いで優雅な姿を保っていたはずの彼だったが、今は旅用の茶色い革の外套 をまとい、その上には丁寧に削り出した小さな木の匙 、柔らかく織られた小さな毛布、手のひら大の木椀 、赤ちゃんの食事用に砕いた木の実の粉や薬草を詰めた革袋などが、ずらりと吊るされていた。
彼の背には、精巧に編まれた籐 のゆりかごが、しっかりと固定されていた。元々は家の中で使っていた普通のゆりかごだったが、タイエルが幾日もかけて自ら形を改造したものだった。
ゆりかごの両脇には革紐 でつないだ緩衝装置を取り付け、歩くたびの衝撃を最小限に抑えた。底には厚い羊毛と柔らかな綿を何重にも敷き詰め、上部には折りたたみ式の小さな天幕 を設けて、雨や強い日差しを遮れるようにしてある。側面には小さなポケットがいくつも縫いつけられ、布製のおむつや各種の必需品がぎっしりと収められていた。
その丹精込めて用意されたゆりかごの中に、白い毛布にくるまれてすやすやと眠るティルエルダがいた。小さな唇がわずかに開いたまま、穏やかに息をしている。ときおり小さな手が毛布の外へ出てきて、花びらのようにふんわりと宙を探るように揺れた。そのたびにタイエルは歩みを止めて振り返り、娘の安否を確かめることが、すっかり習慣になっていた。
「ふふん! 今日もほんとうに可愛いねえ、ティルエルダ。お父さんが世界で一番美しいうちの娘を守ってあげるからね。偉大な精霊様を見つけて、お前をもっと安全に守れるようにするから……この危ない旅が終わったら、二度とこんな冒険はしないよ。どうしても必要だからこうしてるんだから、辛抱しておくれ、わたしの娘、ティルエルダ」
タイエルは肩越しに娘を見やりながら、優しく囁いた。
そしてふいに、ほころんでいた顔がすっと凍りつき、タイエルの目尻に微かな揺らぎが走った。口元に浮かんでいた柔らかな微笑みがじわじわと消え、やがて唇がきつく結ばれた。瞳がほんの少し細くなり、眉間 にかすかな皺 が寄った。
「ところで、あそこの葉っぱが風に揺れているのが……もし我がティルエルダの上に落ちてきたらどうしよう? あの尖った先っちょがうちの子の柔らかいほっぺをかすりでもしたら……いや、落ちるはずがない。このお父さんがあらかじめ全部除けておくんだから」
彼は本当に頭上の木の枝々を見上げて、心配そうな表情を浮かべた。風にそよぐ葉の一枚一枚が、みな娘のやわらかな肌を傷つけかねない鋭い刃物のように見えた。
「あそこの小さな虫も……あまり近づいてきてはいかんよ。ティルエルダに害があるかもしれないから。もし毒でも持っていたら、どうするんだ?」
道端の草むらから飛び立つ小さな蝶を目にしても、タイエルは身を強張らせた。蝶がゆりかごの近くまで飛んできたときには、そっと手を振って遠くへ払いのけた。
「空だって、明るすぎたらうちの子の目に障るかもしれない。あの太陽がもう少し穏やかに輝いてくれたらいいんだが……いや、暗すぎても怖がってしまうか……」
彼は空を見上げながら、太陽の明るさがティルエルダに丁度よく調節されたら、どんなにいいだろうかと思った。
ディネア樹海へと続く道に差し掛かったあたりから、タイエルの心配はいっそう募っていった。樹海は大陸でも最も神秘的で危険な場所の一つとして知られていたが、同時に精霊たちが最も多く存在する場所でもあった。数千年を生きた巨大な木々が空をすっかり覆い尽くしており、真昼でも森の中には薄明かりしか差し込まなかった。
「ここは……ちょっと暗いね。ティルエルダが怖がるかな? いや、うちの子は勇ましいから大丈夫なはずだ。でも、もし怖がったらどうしよう? お父さんが歌でも歌ってあげようか?」
タイエルは周囲を見回しながらぼそりと呟いた。とがった耳が、かすかな音のすべてを捕らえていた。葉のざわめき、遠くから聞こえてくる鳥の声、小さな動物たちの物音に至るまで、何もかもが彼には潜在的な危険の合図として聞こえた。
そんな音たちの中で、タイエルは静かに唇を開いた。
言葉より先に零れ出たのは、吐息のように軽やかな細い旋律だった。風にそよぐ草の葉のごとく、穏やかでやわらかなその歌の糸が、彼の声に乗って広がっていった。低く沈んだ鼻歌は、闇の中にあっても赤ちゃんの心を包み込むようで、その温かな調べに包まれながら、ティルエルダはいつしか静かに目を閉じた。
そのとき、ゆりかごの中のティルエルダが小さな声を立てて身じろぎすると、タイエルはすぐに歩みを止めて振り返った。
「あれ? 目が覚めたかい? お腹が空いたの? それともおむつが……いや、さっき確かめたばかりだし……じゃあ、退屈してるのかな? お父さんが面白いお話でもしてあげようか?」
彼はあたふたとゆりかごの紐を外し、背中から降ろした。しかしティルエルダはまだぐっすりと眠っており、夢を見ながら少し動いただけだった。
「ああ、夢を見てたんだね。いい夢だといいね?」
タイエルが娘のおでこにそっと口づけをして、再びゆりかごを背に担いだ。そんなことが一日に何十回と繰り返された。
樹海の奥へ進むにつれ、木々はますます巨大になっていった。何人が腕を広げても抱えきれないほどの木々が果てしなく立ち並び、その根が地上へと盛り上がり、まるで巨大な城壁のようにタイエルの行く手を塞いだ。根と根の間には、色とりどりの奇妙な花やきのこが生い茂り、ときおりちかちかと輝く小さな光たちが闇の中で舞い踊っていた。
「ここは空気がちょっとじめじめしてるみたいだな……ティルエルダが風邪をひいたらどうしよう? いや、うちの子は丈夫だから大丈夫なはずだ。でも念のために……」
タイエルが心配そうに周囲の湿気を感じながら呟いた。彼はゆりかごから小さな毛布を取り出し、娘をより丁寧にくるんだ。
「これで少しは暖かくなったかい? お父さんがいつでも暖かくしてあげるからね。寒くも暑くもない、ちょうど良い具合にね」
いつしか幾日かが過ぎても、タイエルはまだ精霊たちの痕跡を見つけることができずにいた。巨大な樫 の木の根が絡み合ってできた丸い空間で一夜を明かすこともあれば、小さな小川のほとりで休むこともあった。彼は夜通し娘を見守り、ろくに眠れなかった。森の中から聞こえてくるあらゆる物音が、彼には危険の合図に聞こえたからだ。
「あそこでフクロウの鳴き声が……まさかお父さんたちを狙っているわけじゃないよな? いや、フクロウはネズミを食べるから、お父さんたちには興味ないはず。でも、もしティルエルダを大きなネズミと見間違えたら? ダメだ! 絶対ダメだ!」
彼は本気でそんな心配をしながら夜を明かした。
小さな小川に出くわしたときも同じだった。澄んだきれいな水がせせらいでいたが、タイエルにとってはそれすら気がかりの種だった。
「水の音が大きすぎたら、ティルエルダがびっくりしてしまうかな? でもまた静かすぎると変な音がよけいに聞こえるだろうし……ああ、どうすればいいんだ?」
彼は小川から離れた場所と近い場所を何度も行き来し、「最適な」位置を探して彷徨った。
「ここだと水の音が大きすぎるし……あそこは静かすぎるし……ああ、ちょうど真ん中ぐらいのところはないのか?」
美しい花々の咲き誇る小さな空き地を見つけたときには、しばし感嘆の声を漏らしもした。
「ああ……ほんとうに綺麗だ。ティルエルダもこんな綺麗な花たちを好きかな? うちの子は世界一可愛いんだから、こんなお花たちとよく似合うだろうよ」
しかしすぐに心配が押し寄せてきた。
「でもあの蜂たち……うちの子に近づいてきたらどうしよう? それに花の香りが強すぎたら、ティルエルダがくしゃみをするかもしれないし……くしゃみをあまり強くしたら、喉が痛くなるかもしれない!」
彼は美しい花畑を後にして、再び暗い森の中へと踏み込んだ。
さらに数日が経つと、タイエルの様子はすっかり疲れ果てて見えた。ろくに眠れていなかったせいだった。銀灰色の髪はよりいっそう乱れ、普段は端正だった装いも旅の痕跡で埋め尽くされていた。しかし娘への愛情と心配は、少しも萎えることがなかった。
「お父さんは少々疲れてはいるけど、ティルエルダのためなら何だって耐えられるよ。もうすぐ精霊に会えるはず。そうしたら、お前を守ってくれる本当に良い精霊に巡り会えるはずだ。お父さんよりずっと強くて、いつでもお前のそばにいてくれる精霊に!」
*****
月がことさら明るく輝く夜だった。タイエルは巨大な木々の間から差し込む月の光を辿りながら歩いていた。そのとき、ふいに前方から奇妙な光が漏れているのを見つけた。
「あれは……なんだ? まさか火か? 火なら危ないが……でもあんな色とりどりの火はないはずで……」
彼は慎重に近づいていった。
巨大な古木 たちが完璧な円を描くように立ち並ぶ空間が現れた。それぞれの古木は天を支える柱と見まがうほどに巨大で、どれほどの長い時をそこに在り続けてきたのか、見当もつかないほど悠久の年月を刻んでいた。木の皮には数多 の苔 や小さな植物が生い茂り、その隙間からちかちかと輝く光が滲み 出ていた。
しかし真に驚くべきものは、その円の真ん中にあった。数百もの小さな発光する球体が宙に浮き、ゆったりと動いていた。こぶし大のものもあれば、指の節ほどに小さなものもある。それぞれに異なる色の光を放ちながら、まるで生きた星たちのように舞い踊っていた。
「精霊だ……」
タイエルが畏敬の念に震える声で呟いた。
暖かな金色の光を放つもの、涼やかな青い光を発するもの、やわらかな銀色を帯びるもの、鮮やかな緑色に輝くものまで。彼らが動くたびに空気の中に小さなきらめきが生まれ、まるで音楽が聞こえてくるような幻を呼び起こした。
タイエルは放心したように、その光景に見入った。口伝えにしか聞いたことのなかった精霊たちの聖域を、こうして実際に目にすることになろうとは。
そのとき、精霊たちが一つ、また一つとタイエルと赤ちゃんのティルエルダのほうへと近づいてきた。
近づいてきた精霊たちは、好奇心に満ちた様子で二人のエルフの親子の周りをぐるぐると飛び回った。暖かな金色の精霊が赤ちゃんの顔の近くまでやってきて、やわらかな光を注いだ。涼やかな青い精霊たちはタイエルの肩の周りで、ゆっくりと輪を描いて回った。
精霊たちが互いに語り合うように声を発し始めた。風の音のようでもあり、水滴が落ちる音のようでもある、神秘的な声音 だった。
「Kriririring~ Kriiiiing~」
「Huuuuong~ Owwoooong~」
しかしタイエルには、美しくはあっても意味の解せない音の連なりとしか聞こえなかった。
「あ、あの……精霊の皆様とお話がしたいのですが……ティルエルダのために、遠くからここまで参りました!」
タイエルが恐る恐る口を開いた。しかし精霊たちは依然として彼らだけの言葉で語り合い続けた。
そのとき、一つの小さな青い球体が他の精霊たちをかき分けて、タイエルのすぐそばまで近づいてきた。他の精霊たちよりも光がいくぶん鋭く、色も濃い青だった。その精霊がタイエルの額のすぐ近くまで来たかと思うと、突然まばゆい光を放った。
瞬間、小さな光の球体がタイエルの額の中へすっと染み込んでいった。タイエルは頭の中で、温かくて冷たいものが同時に広がっていくような感覚を覚えた。まるで氷の欠片が水に溶け込みながら、冷たさと温かさを同時に届けてくるような、不思議な感触だった。
そしてその見知らぬ感覚の向こうから、精霊たちの声が鮮明に聞こえはじめた。
「ほら、ようやくエルフがわたしたちの言葉を理解できるようになったわ」
「赤ちゃん、ほんとうに可愛らしい顔をしてる」
「あのエルフ、なんであんなに不安そうにしているんだろう」
「何日もまともに眠れていないみたいだけど……」
タイエルの目が大きく見開かれた。
「精霊様方のお言葉を……理解できます!本当にありがとうございます!」
「当然だ。俺がおまえに精霊の光を少し分けてやったんだからな」
青い光の精霊が再び彼の前に近づきながら言った。その声は他の精霊たちとは異なり、どこか荒削りで力強かった。
「ありがとうございます!本当にありがとうございます!」
タイエルが深々と頭を垂れた。
「わたしは……遠くから精霊様方を探し、ここまで参りました。ティルエルダのために!」
「ティルエルダ?」
他の精霊たちも一つ、また一つと近くへ集まってきた。
「わたしの娘を……娘のティルエルダを守ってくださる精霊様を探しているのです!」
タイエルの声が切実さを帯びた。
「この子はまだあまりにも小さく、か弱くて……今日も風がそっと吹いただけで、くしゃみを二回もしたんですよ! 落ち葉一枚が顔に触れただけで、あの雪のように柔らかいほっぺに傷でもつきやしないかと心配で、わたしは一日に木の葉を何十枚も取り除きながら歩いているんですから! あ、こんなことを申し上げるのも恐ろしいくらいです!」
精霊たちが互いを見やりながら、小声でざわめいた。
「あのエルフ……ちょっと心配しすぎじゃないかしら……」
「赤ちゃんは思ったより丈夫そうに見えるけど……」
「お父さんの愛が溢れているのはわかるけど……」
「本気なんだろうけど、本気すぎてちょっと怖い……」
「ですからお願いがあります!」
タイエルはいっそう切迫した声で言った。
「遥か昔、エルフと精霊たちが互いを守り、森を守るために交わしたあの約束を、覚えておいででしょうか? あの崇高な誓いのように……我が娘を守ってくださる精霊様がいらっしゃるのならば、わたしは何でも差し上げます。この命でさえ、喜んで!」
そのとき、先ほどタイエルに小さな光を分け与えた青い精霊が、興味をそそられた様子でさらに近くへやってきた。
「守ってほしい? 何から守るんだ?」
「それはもちろん……すべての危険からです! 世の中がいかに物騒かはご存じでしょう? わたしはこのゆりかごの中に、守護の魔法陣を三重にも施しているんですよ! それほど世の中は油断ならない場所なのです。わたしはこの子がただのあくびをするだけでも、『これは呪いだ!』と真っ先に思ってしまう、そういうエルフなんです!」
タイエルは目を見開き、興奮気味に言葉を続けた。
「悪い人間、危険な森の化け物、盗賊、魔法使い、邪悪な霊……そして娘を傷つけようとするすべての存在からです! いや、娘に悪い言葉を一言でも言うような輩だって、絶対に許しませんからね!」
青い精霊の光が、突然さらに明るく輝いた。
「悪いやつらと戦うってことか?」
「はい! そうです!」
「化け物とも戦うのか?」
「もちろんです! わたしの娘を傷つけようとするものはすべてと、戦ってください!」
「盗賊とも?」
「当然です! うちのティルエルダを狙うような輩がいるなら!」
「邪悪な魔法使いとも?」
「ええ! 全部です! わたしは……本気です。この子の足元に石ころ一つ転がり込まないようにしていただけるのなら、わたしは何だってします」
青い精霊がにわかに素早く回転しはじめた。
「おおっ! これは最高の契約じゃないか!」
他の精霊たちが驚いたように彼を見つめた。
「ヒヤルコ、まさかおまえ……」
「このエルフの娘と契約する気か?」
「おまえらしくもなく、あの小さなエルフの赤ちゃんを守るなんてことをするつもりか?」
ヒヤルコと呼ばれた青い光の精霊が、いっそう弾んだ様子でタイエルの周りをぐるぐると勢いよく飛び回った。
「守るのも間違いないけどさ……よく考えてみろよ! この赤ちゃんが成長するにつれて、どれだけ多くの敵と出くわすことになるか? 盗賊、化け物、邪悪な魔法使い……来る日も来る日も戦いが起きるぞ!」
「ああ……」
「斬って! 薙いで ! 切り裂いて! 凍らせて! ぶち壊して! そんな日々がずっと続くんだ!」
他の精霊たちが合点のいった様子で呟いた。
「ヒヤルコらしい発想ね……」
「やっぱり戦闘狂だ……」
タイエルは精霊たちの会話をすっかり理解したわけではなかったが、青い精霊が自分の申し出に興味を持っているようなので、いっそう熱心に言葉を重ねた。
「本当に危険な世の中なのです! どこからどんな危険が飛び出してくるかわからないんですから! 生涯をかけて、絶えず警戒し、戦い続けることになるでしょう! ティルエルダが少しでも危ない目に遭いそうなら、すぐに敵を打ち払ってください!」
「絶えず戦い続けるって?」
ヒヤルコの声がいっそう弾んだ。
「生涯ずっと?」
「はい! 生涯をかけて! この子の髪が白雪のように変わるときまで、息吹が春風のようにかすかになるその日まで……共にいてくださいますよう、お願いいたします!」
「よし! 契約しよう!」
ヒヤルコが即座に答えた。
「ほ……本当ですか?」
タイエルが喜びに顔を輝かせながら尋ねた。
「もちろんだ! 俺は氷の精霊ヒヤルコだ。おまえの娘、ティルエルダと契約を結んで、彼女を生涯守り続けてやろう!」
他の精霊たちが苦笑いを漏らした。
「ヒヤルコがまた……」
「あのエルフはまだ気づいていないみたいね……」
「まあ、結果的には娘をちゃんと守ってくれるだろうから……」
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」
タイエルは目に涙を浮かべながら、深々と頭を下げてその感謝の思いを表した。
「これでティルエルダが安全になります! 本当に嬉しい!」
「ただし、条件がある」
ヒヤルコが言った。
「おっしゃってください! 何でもお聞き入れします!」
「この子が成長して戦う機会が訪れたとき、決して逃げてはならない。いつでも俺と共に堂々と立ち向かって戦うこと。逃げることも避けることも、あってはならない」
「当然です! 娘が危険に晒されたなら、戦わなければなりませんから!」
タイエルがすぐに答えた。彼には、「娘を守るための正当な戦い」としか聞こえなかった。
「よし! では契約成立だ!」
ヒヤルコがいっそう明るく輝きながら、ゆりかごの中のティルエルダに近づいていった。冷たい青い光が赤ちゃんをすっぽりと包み込んだが、不思議なことにティルエルダは寒そうな様子もなく、穏やかに眠り続けていた。
「Khy'zeth-Ael(蒼き 霜の剣)、ヒヤルコ。Vha-Nym(魂の絆)、ティルエルダ。Krr-Vhak-Tszeth(砕き、断ち、凍てつかせん)。Zyl-Aera(永遠に共に在る)!」
ヒヤルコが宣言した。
「これから数多の敵と、痛快な戦いを繰り広げることができるぞ!」
「ああ……聞こえたかい、ティルエルダ? 『Zyl-Aera(ジル-アエラ)』だって! 精霊の言葉で『永遠に共に在る』という意味なんだよ! なんて気高く澄み渡った響きだろう。わたしの娘はこれで世界で一番安全なエルフになったね!」
タイエルはいまだにヒヤルコの真の意図を知らぬまま、感激に胸を震わせながら深々と頭を下げ続けていた。
「本当にありがとうございます! これでティルエルダが安全に暮らせます!」
他の精霊たちはただ静かにその様子を見守りながら、小さなため息をついた。おそらく、数年後にティルエルダが成長するにつれて経験することになる「冒険」の数々を、思い浮かべながら。
「そういえば、もう一つ」
ヒヤルコが付け加えた。
「俺は純白の霜で鍛えられた氷の剣、月明かりの下で舞う冷たき意志! 敵の息吹を感じた瞬間、俺は剣となる!」
「剣、ですか?」
「そうだ! 敵どもを斬り倒せる鋭い剣だ!」
ヒヤルコが晴れやかに輝きながらタイエルに言った。
タイエルは「娘を守る強力な武器」と受け取り、いっそう喜びを顔ににじませた。
「完璧です! 本当に完璧だ!」
かくして、ティルエルダと戦闘狂の氷の精霊ヒヤルコの契約が成立した。互いにまったく異なる理由と思惑を胸に秘めたまま。
今回もお読みいただき、ありがとうございました




