173話 月影の城塞 (3)
森はますます深く鬱蒼 となっていった。巨大な木々が空を覆い光を遮りながらも、長く伸びた枝の間から黄金色の陽光がほのかに差し込んでいた。森のどこかから、鳥たちのさえずりが聞こえてきた。
アオルンがティルエルダとダルンを後ろに従え、先頭を切って進んでいた。一歩ごとに空気の中へ淡い緑色の光の跡を残しながら、枯れた木の葉の間をすり抜けていく音が周囲に広がった。
アオルンが振り返り、後ろに続くティルエルダとダルンを見やるたびに、虚ろな眼窩 から冷たく青い光がかすかに点滅しては消えることを繰り返した。
「ここからどれくらい歩けばよいのでしょうか」
ティルエルダの声が、森の静寂をやわらかく横切った。
アオルンの後を歩くティルエルダのブーツが落ち葉を踏みながらさらさらと音を立てていた。彼女のマントは歩調に合わせて優雅に揺れ、枝の間から差し込む陽光を受けてほんのりと輝いた。長い耳に揺れる小さな銀の耳飾りが、歩みに合わせてかすかに揺れていた。
ティルエルダは細い枝を手でそっと押しのけた。
「あの子は、私たちをどこへ連れていこうとしているのかしら……」
彼女が囁くように呟いた。
ティルエルダの後ろでは、ダルンが重い足音を立てながら続いていた。
黒鋼 の鎧が歩みのたびにじゃらりと鳴り響いた。
肩に担いだハルバードは時折、頭上の枝に触れ、小さな木の葉や細い枝の欠片が彼の頭上へとはらはらと舞い散った。
「一生を森で過ごしたわけではありませんが」
ダルンが低く掠れた 声で言った。
「ここは城塞近くの森とは全く違う場所のようですな。これほど深く森の奥まで入ったことはありませんし……空気が……何か違って感じられると言いますか」
ティルエルダとダルンが低い丘の道を下ると、足元で橙と茶色の落ち葉がさらさらと鳴った。湿った土の匂いが鼻先をかすめ、遠くから聞こえてくるキツツキが木を叩く音と、身を潜めた小川のせせらぎが、柔らかな風とともに運ばれてきた。
ティルエルダは足を止め、森の声に耳を傾けた。彼女の鋭敏な感覚が、周囲の変化を察知していた。
幼い鹿が遠くから彼らを観察していたが、瞬く間に茂みの中へと姿を消した。その気配に木の枝の上のリスが驚き、素早く身を隠した。
「森が私たちを警戒しているわけではなさそうですね」
ティルエルダが木の荒い樹皮を指先で撫でながら言った。
木の葉が風に揺れてさわさわと鳴る音が、だんだんと大きくなってはまた静かになった。
アオルンの後を続くダルンの重みに押されて、細枝がときおりぽきりと折れる音を立て、そのたびにダルンは足元に目を落とし、しばし立ち止まった。
アオルンは狭まっていく獣道を、軽やかに進んでいった。蔓 に覆われた体が木々の間を通り抜けるたびに、かすかな擦れ音 が立った。
アオルンが通り過ぎた足元の小さなキノコたちが青みがかった光を放ち、後から続くティルエルダとダルンの道をうっすらと照らした。
森が深まるにつれ、光はだんだんと暗くなっていった。最初は明るく温かだった光が、今やそれほど明るくはない色へと変わっていた。
冷たい風が突然吹き抜け、鋭くティルエルダのマントを引っ張った。彼女の髪に添えた羽飾りが揺れた。彼女は歩みを止め、目を閉じたまま深く息を吸い込んだ。鼻先に、森のあらゆる香りが一度に押し寄せてきた。
枯れ葉の甘い香り、土の濃い匂い、どこかに咲いた花とキノコのかすかな香気 。
ティルエルダはしばし足を止め、息を整えながら周囲を見回した。何か……音も、気配もない、完全な静寂。自然な静けさではなかった。
「何かが変わりましたね」
ティルエルダが目を開きながら言った。
「空気がより重くて……とても古い感じがします」
風はだんだんと冷たくなり、前方のどこかから水の滴る音が聞こえてきた。
ダルンは行く手を塞ぐ曲がりくねった長い枝を避けようと身をかがめた。背中が枝に触れると、薄い苔 の欠片と落ち葉が数枚、ゆっくりと回転しながら地へと落ち、さらさらと音を立てた。
彼は低く呟きながら、ハルバードを慎重に持ち直した。武器が茂みに引っかからないよう気を遣っている様子だった。
二人はさらに茂みの深い狭い通路を抜けた。木々はいっそう太く高くなり、地面から盛り上がった太い根が、アオルンの後を歩くティルエルダとダルンの歩みをたびたび遮った。いくつかの根は小さな丘のように盛り上がり、高く足を上げなければ越えることができなかった。
ティルエルダはふと足を止めた。風の音も、鳥の声も消えてしまったようだった。森はまだ静かだったが、その静けさはまるで誰かが息を殺しているかのようだった。
彼女の耳の先が震えた。遠くで何かが擦れたが、方向を掴むことができなかった。落ち葉一枚が転がる音さえない静けさは……奇妙だった。ダルンが周囲を見回しながら、低く呟いた。
「なぜこれほど静かなんだ……?」
通常であれば、森の中にはもっと多くの生き物の音が聞こえてくるはずだった。
ティルエルダはしばし目を閉じた。その瞬間、自分が森のある一点を歩いているのではなく、何かに包み込まれているような感覚がかすかによぎった。
森の影が長くなってきていた。まだ日が暮れたわけでもないのに……ティルエルダは顔を上げ、枯れ葉の間を見上げながら眉をひそめた。
遠くから風に乗って、奇妙な匂いが混じり込んできた。見知らぬ花の香りでも、腐った木の匂いでもなかった。言葉では説明のつかない、不思議な香りだった。
息を吸うときよりも、吐くときのほうが強く残った。
そうして長い時間アオルンの後を歩き続けた二人は、ついに巨大な木々の間に口を開けた洞窟の入り口に辿り着いた。
入り口は暗い影に包まれており、その奥から青い炎のような光がかすかに揺れていた。まるで燐火 のように漂うその光は、苔むした岩の上に神秘的な輝きを落としていた。
洞窟の入り口は、人の手が加えられたというわけでもなく、しかしながら何者かによって丁寧に整えられたかのような趣があった。巨大な根が入り口の周囲を抱くように取り囲み、その隙間から水滴が落ちて小さな水溜まりを作っていた。
洞窟の周囲の空気は、湿った石の匂いと水気を含んだ土の香りで重く、冷たい気配がいっそう深く染み込んでいた。
ティルエルダが身を返して、洞窟の入り口で待っているアオルンを見やった。アオルンの虚ろな眼窩が彼女へと向けられており、その中の青い光は今やいっそう強く輝いていた。
「こんなところに洞窟があったのですね」
彼女が静かに言った。声は落ち着いていたが、辺りを見回す表情には驚嘆の色が滲んでいた。彼女の指先が洞窟の入り口の壁面を撫でると、その表面からかすかな光が一瞬灯っては消えた。
ダルンは目を細め、暗闇の奥を覗き込んだ。冷たい空気の中で、彼の呼気がうっすらと霞のように漂い上がった。彼の指が無意識にハルバードの鋭い刃を撫でた。
「ここが、あいつの住処でしょうかな」
彼が低く呟いた。その声には疑念と好奇心が入り混じっていた。
ダルンはアオルンが消えていった小さな入り口へと近づいた。アオルンの蔓でできた体はすでに、狭い隙間へとするりと入り込んでいた。
入り口はダルンの体がやっと通れる程度の大きさだった。彼は頭を低く垂れ、背を丸めながら中へと入っていった。黒鋼の鎧がかきりと音を立て、荒削りの岩壁にこすれる音が鋭く響いた。広い肩が洞窟の壁に擦れるたびに、小さな石の欠片がぱらぱらと崩れ落ちた。
すぐ隣には、アオルンが入った小さな入り口の数倍もある巨大な開口部が、暗闇の中にその大きな口を開けていた。
入り口の周囲にはヴラントの文様 がうっすらと刻まれており、苔と蔦植物 がその上を部分的に覆っていた。
洞窟の中に入ると、空間が広く開けた。湿った壁がかすかな光を受けて水晶のように輝いた。天井からは小さな鍾乳石が垂れ下がり、その先端から落ちる水滴が床を叩いて澄んだ音を立てていた。
ダルンが身を起こしながら、低く唸り声を上げた。彼はたった今通り抜けてきた狭い通路を振り返って言った。
「なんだ、結局同じ場所につながっていたじゃないか」
あきれたように首を横に振りながら、ふっと笑みを漏らした。その声には小さな苛立ちと笑いが入り混じっていた。
「わざわざあの狭い穴から入る必要があったのか……」
後に続く二人を確認したアオルンは、再び先頭に立って進んでいった。
アオルンの蔓でできた体が床を這う音が、水滴の落ちる音と不思議な調和を奏でた。アオルンが踏み出す一歩ごとに、床に微かな痕跡が残ってはゆっくりと消えていった。
ティルエルダとダルンがその後に続いた。ティルエルダの鋭敏な感覚は、この洞窟が単なる自然の産物ではないことを感じ取っていた。
サアルンの森の奥深く、名もなき洞窟の中でティルエルダとダルンの目に飛び込んできたのは、驚嘆すべき光景だった。
洞窟の壁には黄金色に輝くヴラントの文様が精巧に刻まれていた。広がる文様が放つ揺らぐ黄金色の光は、洞窟の床に溜まった水溜まりに反射して、天井をも照らし出していた。
「これは……」
ティルエルダの口から、畏敬 に満ちた囁きが零れた。
天井から水滴が落ちる音が規則正しく響いた。とん、とん、と床を叩く水滴の音が洞窟の奥深くまでこだまして、神秘的な雰囲気をいっそう深めていた。
先を行くアオルンが振り返り、洞窟の壁に見入って遅れているダルンとティルエルダを待った。
アオルンが首を傾けると蔓でできた体が揺れ、もっと奥へと進むよう促す合図を二人へと送った。
アオルンに続いてしばらく洞窟の通路を歩くと、天井の裂け目から一筋の光が差し込み、洞窟の床を照らした。その光はまるで液体のように染み渡り、洞窟の中を明るく満たしていた。
その瞬間、ティルエルダの目が見開かれた。
彼女は壁に刻まれたヴラントの文様を見つめながら、手を虚空に持ち上げた。精巧に彫り込まれた一つの文様に視線が釘付けとなり、彼女はその前で静かに囁いた。
指先は空中でその文様をなぞるように動き、これまで見たことのないヴラントの文字を記憶に刻み込もうとするかのようだった。
「信じられない……古代ヴラントの文章が、これほど……こんなにも多く」
彼女の声は、感嘆で満ち溢れていた。
通路は再び狭まっていった。壁がじりじりと迫り、空間が絞り込まれていった。壁に沿ってさらに多くのヴラントの文様が黄金色に輝いていた。
空気はいっそう重くなり、水滴の音とアオルンの蔓が洞窟の床を這う音が混ざり合った。
ダルンの鎧が狭い道でじゃらりと鳴り響き、彼の巨大な体が通路を埋め尽くした。
ダルンは影の落ちる場所を鋭く見渡しながら歩を進めた。彼の手は相変わらずハルバードの柄をしっかりと握りしめていた。
そうして長い洞窟の通路を歩み、洞窟の奥に辿り着いた瞬間、目が痛むほど強烈な光が彼らの前に満ち溢れた。
ティルエルダとダルンは反射的に腕を上げて顔を覆い、目は本能的に細く閉じられた。
光は洞窟の中を満たし、かろうじて目を開けたティルエルダの顔をやわらかく照らしていた。
ティルエルダは思わず一歩前へと踏み出した。
その光の向こうに、何かが彼女を待ち受けているような気がした。
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