165話 ダム (8)
店の扉が閉まり、客たちの足音が遠ざかるにつれ、ボウマの釣り具店に静寂が訪れた。
ボウマは扉の枠に身をもたせかけ、しばし外を眺めた。
冬の冷たい風が窓ガラスをかすめ、低い口笛のような音を立てた。
がらんとした店内では、埃 の積もった棚と陳列棚だけが彼を迎えた。木の床は客たちの足跡でそこかしこが傷つき、すり減っていたが、その痕跡さえも今日の賑わいが終わりを告げているようだった。
陳列棚の上に積もった埃が気になったのか、ボウマは布切れを手に取り、静かに拭き始めた。手が触れるたびに、木目がより鮮やかに浮かび上がった。
彼はゆっくりと陳列台のほうへ歩いて、周りを見渡した。壁には銛 や網、ハープーンが整然と掛けられており、棚の上には釣り餌や道具類が並んでいた。
陽の差し込まない隅に灯された蝋燭 が風のたびに細く揺れ、その下に置かれたウナギ槍 が銀色にきらめいた。
ボウマは手についた埃を眺め、袖でぞんざいに拭いた。すると腹がぐうと鳴り、彼はふっと苦笑しながら自分の腹をさすった。一日中客の相手をしていたせいで、まともに食事をする暇もなかったのだ。空腹感が押し寄せるにつれて体がだるくなり、彼は店の奥へと足を向けた。
店の奥には、煉瓦 を丸く積み上げた暖炉が据えられていた。黒い鉄の蓋で覆われたその暖炉は、煙突を通じて煙を外へ逃がし、正面には薪 を入れるための小さな扉がついていた。
ボウマは暖炉の横に積まれた薪の束から、木片をいくつか手に取った。荒々しい樹皮が手に触れ、薪特有の木の香りが鼻先をかすめた。
扉を開けて薪を丁寧に入れると、やがて火種が息を吹き返し、ぱちぱちと小さな音が立ち始めた。炎が薪を飲み込むにつれ、温かな熱気が店の中へと広がっていった。ボウマはしばらく手を炎の上にかざし、その温もりをじっくりと感じ取った。
暖炉の上には、すでに湯が沸いている鍋が置かれていた。湯がぐつぐつと小さな泡を立て、熱い湯気が鍋から立ち昇っていた。
ボウマは用意しておいた食材を取り出した。乾燥させた魚と干し野菜が、木の盆の上に整然と並んでいた。彼はしっかりと乾いた魚を手に取り、分厚い身をそっと引きちぎった。
魚は指先でかたく砕け、濃い塩漬けの香りが漂い出した。引きちぎった身を鍋に入れると、水に触れた魚の身が次第にほぐれ、出汁が染み出してきた。スープの色がじわじわと濃くなり、深い旨みが加わっていった。
次に干し野菜を手に取った。ニンジンは薄く切られてすっかり乾いており、玉ネギは茶色い皮がついたままだった。いくつかのハーブも一緒に用意されていた。ボウマはそれらをひとつひとつ鍋に入れた。
野菜が湯に沈むと、やがてふっくらと膨らみ、シチューに深みを加える準備を整えていった。
ボウマは大ぶりの木のスプーンを取り出し、鍋の中をゆっくりとかき回した。魚の身と野菜が混ざり合い、シチューが少しずつとろみを帯びていった。
魚は適切に燻製 にするか塩漬けにすれば、干し肉や乾燥したパンより優れた食料となる。とりわけ冬の間、新鮮な食材が手に入りにくい時期には、こうして干した魚と野菜で作ったシチューは、何物にも代えがたい一食となった。
ボウマはシチューが煮立つ様子を眺め、満足そうに微笑んだ。炎が鍋底を舐め、湯気がどんどん濃くなってきたところで、暖炉の小さな鉄扉を開けて薪を一、二本放り込んだ。
火が強まるにつれて熱気がひときわ増し、店の中の冷たい空気が温もりで満たされていった。着込んだ厚い毛織りの服を手でぎゅっと握りしめながら、彼はその温もりを体の奥深くまで感じ取った。木の柱で組まれた壁、厚い革で作られた敷物、あちこちに配された頑丈な木の棚からだけ漂う、柔らかくも重みのある温もりが全身を包んだ。
シチューができあがると、ボウマは椀 を取り出した。木を刻んで作った椀は、使い込まれてつやつやと光っていた。彼はスプーンでシチューをそっとすくい、椀に盛った。スプーンを鍋に差し込むたびに、よく煮えた分厚い魚の身が一緒に浮かび上がった。
魚の身は柔らかくしっとりとしており、塩漬けの味が水に溶け込み、塩を足さなくてもちょうどよい塩加減だった。ふっくらと煮えた野菜もシチューに溶け込み、深みのある風味を添えていた。ニンジンは柔らかいながらも僅かな歯ごたえを残し、玉ネギは甘みを放ちながら口の中でとろけた。ハーブの香りがほんのりと広がり、全体をひとつにまとめあげていた。
ボウマは椀を手に、暖炉の傍ら にある小さなテーブルへと向かった。
椅子に腰を下ろし、シチューをひとさじ口に運んだ。温かなスープが口いっぱいに広がり、冷えきった体をゆっくりと溶かしていった。魚の身が舌の上でほろりとほぐれ、野菜の食感は噛むほどに満足感をもたらした。
彼はシチューの味をゆったりと味わいながら、店の中をぐるりと見渡した。
灯りが壁に掛かった漁具を照らし、長い影を落としていた。静寂の中、薪のはぜる音とスプーンが椀に当たる音だけが、かすかに響いていた。冬の真っただ中で、この瞬間がもたらす穏やかさが彼をそっと包んでいた。
そのとき、店の扉がきしみながら開き、ダレンとマウが入ってきた。
ボウマは彼らを見て微笑んだ。
「お、いらっしゃい!ダレン、マウ。久しぶりだな。」
ダレンはボウマに向かって翼を広げてみせながら挨拶した。
「お元気でしたか?」
マウは低い声で言った。
「いい匂いだな。何を煮てたんだ?」
ボウマは笑いながら答えた。
「魚のシチューだよ。腹が減ったんで少し食べてたんだ。一杯どうだ?」
ダレンは翼をひとはためかせながら言った。
「いえ、結構です。今日は仕事で来ましたので。前回と同じように餌を少し持ってきたんです。」
ボウマの目が輝いた。
「餌か?この前のミミズはよく売れたぞ。みんな気に入ってたじゃないか。おかげでしばらくの間、お前が持ってきたミミズしか要らないって客ばかりで、冷や汗をかいたよ。クハハ。」
ダレンは頷いた。
「それで今回は小エビとバッタ、それからイモムシも持ってきました。全部ラトゥール洞窟産で、それぞれ五箱ずつです。」
ボウマは興味を示しながら言った。
「ほう?今すぐ見てみたいな。ダレンの品なら全部売れるだろうから、喜んで買い取るってことは先に言っておくぞ。」
マウは店の前に止めてある馬車を指さしながら言った。
「馬車に積んである。持ってきてやるよ。」
ボウマは頷いた。
「ありがたいな。ところで、後ろにいるのはどなたかな?」
ダレンは振り返りながら紹介した。
「ああ、この方々はベナール様のお客様です。しばらくダムに滞在されるとのことで、私どもが案内役を務めることになりました。」
マウが続けた。
「こちらがグラベル様、こちらがイリス様、そしてこの小さなドロコがニアだ。祭りを楽しむなら、まずカヌーク鮭を捕る道具を見てもらおうと思ってな!」
ボウマは手を差し出しながら言った。
「それはありがたい!はじめまして。ダムへようこそ。」
グラベルは店の中を見回しながら言った。
「こちらの品々は実に興味深いですね。様々な形の銛が多いですねえ。」
イリスは微笑みながら言った。
「グラベル様はいつも新しいものへの好奇心が旺盛でいらっしゃいますから。」
ニアは好奇心いっぱいの目で店の中を見渡した。
「ここ、欲しいものが本当にたくさんあるだる!」
ボウマは彼らの反応を喜びながら言った。
「必要なものがあれば何でも言ってください。いい漁具を求めるお客様はいつでも大歓迎ですよ。」
するとニアは背嚢 から釣り竿を取り出し、ボウマに差し出した。かつてグラベルがレバドスの平原のグランドマーケットで買った釣り竿だった。
「もしかして、この木で作った銛もあるかる?」
ボウマは釣り竿をじっくりと眺めると、目を輝かせて言った。
「これは……ウィヴル・ネストで作った釣り竿じゃないか。本当に希少な木で作られたものだが、こんな貴重な素材の竿を持っているとは、たいしたもんだ。」
ニアは期待のこもった目で尋ねた。
「じゃあもしかして、この木で作った銛もあるかる?ウィウィウィ……ウィブブ。ウィヴル・ネスト!」
グラベルに助けを求めるような目を向けると、グラベルは声を出さずに口の形だけで釣り竿の素材である木の名前が「ウィヴル・ネスト」だと教えてあげた。
ボウマは顎をさすりながら少し考え込み、それから頷いた。
「うーん……ずいぶん昔に仕入れておいた鮭漁用の片刃槍 が一本あるんだがな……どれどれ……確かウィヴル・ネストで作られたものだったと記憶してるが。」
ボウマは店の奥の隅へ行き、重厚な木箱を取り出して埃を払った。蓋を開けると、中から滑らかに仕上げられた長い槍が姿を現した。槍先は輝いており、木の部分には精巧な紋様が刻まれていた。
ニアは目をきらきらさせながら叫んだ。
「買うだる!」
ボウマは笑いながら言った。
「値段も聞かないで買うのか?クハハ。」
ニアは槍を手に取ってみた。軽いのに頑丈な感触が手にしっくりとなじんだ。
「さあ、それでは餌を運びましょうか。」
ダレンは店の前に止めてある馬車のほうへ飛んでいきながら言った。
その後を追って出たマウが、力強く箱を持ち上げ、店の中へと運んだ。ボウマは箱を受け取り、棚に整理し始めた。
「この餌はすぐ売れるよ。もうすぐ祭りだし、客も増えるだろうからな。」
グラベルは餌の箱を眺めながら尋ねた。
「この餌は、どんな魚を捕るのに使うんですか?」
ダレンが説明した。
「小エビは主に小さな魚やウナギを引き寄せるのに向いています。バッタは水面付近を動く魚に効果的です。イモムシは深い水底に棲む魚によく効きますよ。」
グラベルは頷きながら言った。
「興味深いですね。ぜひ実際に使ってみたいものです。」
イリスが笑いながら言った。
「グラベル様、釣りも覚えてみるおつもりですか?」
グラベルは微笑みながら答えた。
「新しい知識と経験はいつでも歓迎ですから。」
ニアは店の隅にあるハープーンを見ながら言った。
「でかいだる、あれで捕る魚はどのくらい大きいかる?」
ボウマはハープーンを指さしながら言った。
「あれは主に大きな魚を捕るのに使うんだが、ダムではカヌーク鮭を捕るときに使うんだよ。」
ニアの目が輝いた。
「カヌーク鮭!?」
ボウマは頷いた。
「そうだ。もうすぐ祭りが始まれば、川辺で何百、何千匹ものカヌーク鮭が川を遡って くる光景が見られるぞ。」
彼は窓の外、遠くに見える川のほうへ視線を向けた。
「カヌーク鮭にはまだ早いが、今はちょうどクラリアスナマズを捕るのに頃合いの時間だ。日がちょうど傾き始めたところだし、一緒に行ってみるか?」
ニアは期待に満ちた目でボウマを見つめた。するとボウマは銛を手に取り、片手でとんとんと叩きながら言葉を続けた。
「ナマズ捕りは飯を食うための漁だ。ダウィとムワが昔からやってきたことでな。」
彼はしばらく手に持った銛を見つめた。
「ちょうどいい頃合いだし……こういうものは……言葉で説明するより直接見ていただくほうがいいですかね。」
グラベルは興味深そうに頷いた。イリスも微笑みながら言った。
「私も、こういった伝統的な方式の漁を直接見るのは初めてなので楽しみです。」
ダレンとマウは無言で視線を交わし合い、ダレンが静かに付け加えた。
「ボウマさんが銛を手にするのは久しぶりですね。楽しみにしています。」
ボウマは決意したように店の扉に鍵をかけた。
「さあ、みんな準備ができたなら、ゆっくり行こうか。本物のダウィの銛漁を見せてやるよ。」
彼らはともに店を後にした。赤く染まった夕焼けが川を照らしていた。
読んでいただき、ありがとうございます




