160話 ダム (3)
ダレンの案内を受けた一行は、ダムの大商人ベナールの大邸宅へと到着した。
大邸宅の門は巨大な黒い金属でできており、その表面には精緻 な木の紋様が刻まれていた。門の取っ手は、金属で彫り上げられた熊の頭の形をしていた。
熊の彫刻の目には赤い宝石が嵌め込まれていた。門の上部には古い鋳物 の装飾が取り付けられており、その中にはダムの守護神ナウルを象った紋章が刻まれ、邸宅の威厳をいっそう際立たせていた。
門の脇には、厚みのある茶色の毛に覆われたダウィの衛兵たちが立っていた。
彼らは分厚いプレートアーマーをまとい、鋼鉄で飾られた肩当てを身につけていた。それぞれの手には重厚なハルバードが握られており、その刃は磨ぎたてのように光を弾いて輝いていた。
衛兵のうち一人は、馬車を警戒するような鋭い視線を向けていた。もう一人は身を傾けたまま、まどろみをこらえているようだった。しかし一行が近づくや否や、うとうとしていた衛兵の目つきが俄 かに鋭くなり、場の空気がひと際張り詰めた。そのとき、ムワの案内人が前へと進み出て、一行に向かって穏やかに羽ばたきながら言った。
「お待ちしておりました、クラバ様。ご予定より早くお着きになりましたね。ベナール様がお待ちです。どうぞお入りください。」
案内を受けながら、一行は邸宅の庭を抜けて内部へ向かった。庭の中央には冬の風に揺れるマルベリーの木々と、その下に広がる大きな湖があった。整然と整えられた石畳の道を歩きながら、一行は広い池とその中で悠々と泳ぐ鯉たちに目を向けた。
マルベリーの木々が湖を取り囲んでいた。冬の冷たい空気の中で葉をすべて落とし、枝だけが残った木々は、静寂の中に乾いた枝のみをさらしていた。
風が吹くたびに小枝がゆるやかに揺れた。枝の間には蜂の巣がいくつか吊るされていたが、冬の季節とあって、周囲を飛び交う蜂の姿は見当たらなかった。
湖は底まで透けて見えるほど澄んでおり、石垣が一定の間隔で段を成しながら、水の底深くまで積み上げられていた。
ここは普通の池ではなかった。遠い昔、クラバの祖父バルディンが大商人ベナールの依頼を受け、本格的な養魚池 を造るべく大規模な工事を行った、その結果物だった。
ベナールは若い頃、鯉の養殖で得た収益によって商業的な基盤を築き、これを拡大するためにバルディンへ多額の費用を払い、自分が思い描く最も理想的な養魚のための湖を、自身の邸宅内に造らせた。
バルディンは数ヶ月をかけて水中に石を精緻に積み上げ、水流を調節しながら、鯉たちが自然に泳げる環境を丹念に整えた。
その結果、ここは一般的な養殖場を超え、ベナールの事業拡大の中心地となった。彼はこれを足がかりとして、商人の道を歩み始めた。
最初は小さな池から始まり、さらに大規模な養魚池を造るためにバルディンへ多額の投資を行い、バルディンは長い時間をかけて完璧な環境を整え上げた。
ベナールは鯉を育てるだけに留まらず、効率的な養殖方法を研究しながら次第に発展した手法を取り入れていった。その結果、鯉を安定して繁殖させ、育て、販売する体系を確立することができ、これによってダムを代表する大商人として確固たる地位を築いた。
池の畔 に植えられたマルベリーの木は、単に湖を彩るための造園樹ではなかった。落ちる実は魚たちの餌となり、葉は飼っているヤギたちの食料にも使われた。
ベナールはこの方法を独自の秘伝として一人占めにするのではなく、他の者でも容易に実践できるよう『鯉の養殖の基本書(Treatise on Carp Breeding)』を著 し、その知識を文字に残した。以下はその書に記された内容の一部である。
―できる限り広い土地に養魚池を設けること。池の中には八つの小島を作り、水生植物を植え込んでおくこと。二番目の月(三月)に卵を持った鯉二十匹とオスの鯉五匹を入れ、四番目の月(五月)から八番目の月(九月)の間には、大きなナマズを十匹と亀を数匹入れること。亀は空から来る捕食者の侵入を防ぐ役割を担う。
このように養魚池を整えれば、鯉たちはまるで広い川で育つかのように泳ぎながら成長し、翌年には大きく丈夫な鯉が池いっぱいに育つだろう。最も大きな鯉は売りに出し、小さな鯉は繁殖のために残すこと。
また、養魚池を修復するために水を抜く必要が生じた場合は、池の底に溜まった泥を掘り出して、作物のための有益な肥料として活用することができる。―
ベナールの文章は表面的な助言ではなく、長年の経験から生まれた実践的な養魚法であり、長い実践を積み重ねることで完成された手法だった。おかげでダムを中心とした各地の村々では、彼の方法にならって大小さまざまな養殖場が営まれていた。
クラバは水辺に立ち、湖の景色を静かに眺めた。澄んだ水面の下で銀色にきらめきながら泳ぐ鯉たちの姿が、その目に映った。歳月が流れる中で、数えきれないほど多くの鯉たちが、この池で生まれ育ってきただろう。
しばし水底に目を落とし、祖父の手が触れた石垣を見つめていたクラバは、やがて再び歩みを進めた。
ベナールの大邸宅は、威風堂々 としながらも整然たる趣が息づく場所だった。広い庭を抜けて本館に足を踏み入れると、天井からは巨大なマナ石燈が柔らかな光を注いでいた。
大理石の床の上には精緻な文様が施されたカーペットが敷かれており、壁には華やかな装飾とともに巨大なカヌーク鮭の彫像が飾られていた。鮭のうろこは光を反射し、まるで生きているかのような気配を醸し出していた。その下には、ドレイクの角をまるごと削り出して作った魚突き用の槍が展示されていた。穂先だけでなく柄の部分まで角のみで作られたこの武具は、ただの装飾品ではなく、一時代を風靡した狩人の面影を宿していた。
クラバはゆっくりと部屋へ入った。部屋の中央には、よく手入れされた長い毛を持つ巨大なダウィが座っていた。ベナールはすでに百年を超えた老齢の身であったが、それでもなお品格ある姿であった。その毛並みは歳月を纏うかのように銀がかかっており、両目を覆うほどに伸びた毛が、その深い年輪をいっそう際立たせていた。
身にまとう衣服は粗末なものではなかった。品格ある大商人の身分にふさわしく、上品で高級な絹の衣をまとっており、その手に握る杖は堅い黒木で作られ、長く真っ直ぐに伸びていた。表面には小さな花と葉が連なるような文様がびっしりと刻まれており、光がかすめるたびに文様の陰影が生き生きと浮かび上がり、見る者の目を自然とそこへ引きとめた。
ベナールはゆっくりとクラバを見つめた。そして低く笑い、口を開いた。
「君も老けたものだな、クラバ。」
クラバは鼻を一つすすって、軽く笑った。
「あなた様ほどではございませんよ。はっはっ。」
クラバは厚い手袋を外しながらベナールと向き合った。ダムの裕福な大商人であり有力者である彼の招待を受けてやってきたものの、果たして一人でいったい何ができるのか、内心では思案していた。
「お呼びいただきましたので参りましたが……。他の石工 たちも来られない状況で、私一人にできることがありましょうか。」
ラボロスの石工たちは、アクイルンの城壁工事をはじめ、エステタ王国各地の領主から受けた依頼によって、これから数年間は非常に多忙な状況にあった。その結果、クラバを除く他の石工たちはここへ来ることができなかった。幸い彼は、自身の弟子ネイディンにほとんどの仕事を任せ、しばらくここへ来ることができたのだ。
ベナールは微笑みながら、クラバへ向けて手招きした。
「他のどんな石工よりも、君一人いれば十分だよ。」
「老いた私が、さほど大きな力になれるとは思えませんが……。あなた様がわざわざここへ急ぎお呼びくださったのなら、それだけの理由があることでしょう。」
ベナールは彼の目をじっと見つめ、静かに頷いた。
「サルン・ケ クラバ。君の経験と石積みの技があれば十分だ。君の祖父バルディンよりも腕が立つという話を、何人もの者から聞かせてもらったよ。」
クラバは肩をすくめ、淡々と答えた。
「それだけの歳月が流れたのですから当然です。石を積む技術は、平和な時代にも、乱れた時代にも、休むことなく磨かれ続けるものですよ。」
そのとき、ベナールは手を上げて執事のイゴールを呼んだ。
「イゴール、ワインを持ってきてくれ。」
間もなく、ムワの執事が静かに近づいてきた。柔らかな羽ばたきさえなく空気の中を滑るように動くその姿は、端正な黒い制服ときちんと整えられた羽毛がその品格を添え、微塵も揺らがない眼差しが毅然とした気品を醸し出していた。
執事は頭を下げ、マナの力で空中に透明な手を具現 化した。滑らかに動くその手はワインの瓶を持ち上げ、透明なガラスのグラスを二つテーブルの上に置いた。そして静かに栓を抜くと、ほのかな香りがふわりと広がった。
「ダム北方の森、灯台の近くで育てたメンシア(Mencía)種で醸造 したワインでございます。」
イゴールは落ち着いた声で説明した。
「花の香りとストロベリー、ブラックリコリス、ザクロの香りが調和した、熟成された風味を持っております。キノコ料理と特によく合う味わいでございます。ご希望でしたら、レンズ豆と玉ねぎ、赤キャベツとともに焼き上げたキノコ料理をご用意することもできます。」
ベナールが頷くと、イゴールはクラバのグラスにワインを注いだ。クラバも感謝の意を込めて軽く頭を下げ、グラスを手に取った。
ベナールはグラスを傾けながら言った。
「森の灯台には、星と運命の神にして占星術の神でもあるレエルに従う者たちがいる。」
クラバはグラスを口に運びかけたところで手を止め、眉をひそめた。
「その中にトゥルというエルフがいてね。長年の付き合いがある友人なのだが、最近レエルの言伝を受けて書状を送ってきた。言伝によると、サアルンの森を越えた遥か彼方、乾いた荒れ地から迫る脅威があるという。角を持つ種族と闘士の種族、それに木の仮面をつけた凶々しい部族、そして同族を喰らう群れが、ナウルの加護 を受けるダムの城壁を崩すだろうと。」
クラバは静かにグラスを置き、問い返した。
「まさか西の悪地、バッドランドのことを言っているのですか?バッドランドの角を持つ種族といえば……ミノタウル、闘士の種族はオークのことで……」
ベナールは頷いた。
「そう解釈することもできるだろうな。しかし言伝の中で、木の仮面をつけた部族や同族を喰らう群れが何を意味するのかは、まだ掴めていないのだよ。」
クラバの思考は揺れていた。西のバッドランドで起きていることがダムをも脅かすほどであれば、それはもはや単純な略奪者の襲撃ではないはずだった。
ベナールはゆっくりと首を振った。
「だが私は、その警告を信じている。遠い地から大きな危機が迫っているという事実だけは揺るぎない。だからこそ備えなければならん。それゆえに君を呼んだのだよ。ダムの城壁を補強してもらえるかね?」
クラバはしばし思案に沈んでから、重々しく口を開いた。
「補強すべき箇所があるなら、当然やらなければなりません。ただ、城壁を補強するだけで済む話かどうかは分かりません。城壁の下の傾斜が十分でなければそこも手を入れる必要がありますし、バービカン(Barbican)やバスティオン(Bastion)の必要性は、実際に見て回らなければ判断できません。物見台 も足りなければ増設しなければなりませんし、そのためには多くの石工も要ります。」
ベナールは満足げに頷いた。
「イゴールをつけてやろう。必要なものがあれば何でも申し出てくれ。金貨がいくらかかろうと構わん。思う存分、城壁を補強してほしい。」
「承知いたしました。準備が整い次第、城壁を見て回りに参ります。」
クラバは深く思案するように顎をさすった。しばらくして、彼は慎重に言葉を切り出した。
「それと、もう一つご報告申し上げたいことがございます、あなた様。」
ベナールはクラバの表情が変わるのを見て、視線を固めた。
「アクイルンからここダムへ来る間、私を護衛してくれた冒険者がおります。グラベルという名の者で、あなた様にお目にかかりたいと申しておりました。」
ベナールは眉を上げてクラバを見た。
「ほう……?」
ベナールは長く伸びた眉毛を静かに撫でた。
「私が聞いたところでは、ここへ来た目的が別にあるようでした。」
ベナールはグラスを置き、身をわずかに乗り出した。
「その目的が何か、もしかして知っているかね?」
クラバはしばし躊躇ってから、静かに言った。
「詳しい事情までは聞いておりませんが……。あなた様がお持ちのネロディアの鏡を、お借りしたいと申しておりました。」
ベナールは一瞬、微妙な表情を浮かべた。クラバはその目の光から意を読み取ろうとしたが、ベナールはすぐに視線をそらし、ゆっくりと息を吸い込んだ。
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