151話 ラトゥール洞窟道 (13)
翌日。
レイヴンタワーの酒場を後にした一行は、ムールムックが引く馬車とともに、ラトゥール洞窟道 の西沿いをゆっくりと進んでいた。
ラトゥール洞窟道の天井からは水滴が滴り落ち、静かに石の床へと触れていた。両側の壁には、闇の中でもほのかに輝く鉱石 が埋め込まれていた。洞窟を吹き抜ける風は冷ややかで、行き交う商人たちのさざめきが反響しながら広がっていった。
昨日の戦いで積み重なった疲れから、ニアは荷台 に横たわり、深い眠りに落ちていた。
荷台の薄暗い内部は、補給品やロカガの店で積み込んだ商品でいっぱいになっており、ニアの細い寝息だけが静寂を破る唯一の音だった。
馬車を操るマウの傍らには、ダレンが腰を下ろしていた。洞窟の中には、西の入口から荷馬車を進める商人たちの姿が見え、はるか先の洞窟の出口から吹き込んでくる朝の新鮮な風が、二人をそっと撫でていった。ダレンは翼を軽く広げてはたたみ、あくびをした。
「ふわあ~あ。」
「ダレン。」
マウが静かに口を開いた。その顔には、かすかな心配の色が浮かんでいた。
「昨日みたいな怖い目に遭ったのに、こうして平気なふりをしているのが……俺はむしろ心配で。」
しかしダレンは首を横に振り、淡々と言った。
「前へと歩む者は、過去を振り返らない。良い思い出でないことは、なおさらそうだよ。」
マウは口を閉じたが、その表情にはいまだ微妙な安堵 と心配が入り交じっていた。
ダレンは通り過ぎる商人たちに翼を振って挨拶しながら、マウとの会話を続けた。
「まだ私が登りかけの階段を振り返り、余裕を持てる位置にいるわけじゃないですから。早く忘れなければ。」
その言葉にマウは小さく笑みを浮かべた。しかしダレンは真剣な表情を保ったまま、視線を横へ向けてグラベルを見つめた。グラベルは馬車の傍らを馬に乗って進んでいた。
「グラベルさん、アウルベアの伝説を聞いたことはありますか?」
ダレンが尋ねた。
グラベルはしばし首を傾げながら言った。
「アウルベアか……。熊の体にフクロウの頭を持つ怪物のことでしょうか?」
「そうです。よくご存知ですね。」
ダレンは笑みを浮かべながら言った。
「しかし実は、それがダウィとムワに関わる伝説だと知る者は少ないのですよ。」
グラベルの目が興味深そうに輝いた。
「詳しく聞かせてもらえますか?そういう話はいつ聞いても面白いですから。」
ダレンは満足そうな笑みを浮かべ、語り始めた。
「ずっと昔のことです。サルン・ケたちがダウィとムワを知らなかった頃のことだと伝えられています。当時この地には霧が立ち込め、山脈の西の森はサルン・ケたちにとって未知の土地だったといいます。木々は空高くそびえ、彼らの目には森がまるで果てしない迷路のように映っていたそうです。」
グラベルは頷きながら、ダレンの話に引き込まれていった。
「そんなある日、霧に覆われた森の中で道に迷ったサルン・ケの一団がいて……。彼らは空腹で疲れ果てていました。ところがその時、遥か遠くから巨大な影が現れたというのです。」
ダレンは翼を軽く広げ、マナを手繰り寄せた。
ほのかな光が翼の先端に集まり、やがて森の中を歩くアウルベアの姿が浮かび上がった。
熊の頑強な体の上にフクロウの頭を持つ、神秘的な生き物の姿だった。光は毛と羽の境目に沿って揺れ動き、まるでその存在の織目 が一本一本手繰られていく過程そのものを、目の前に映し出しているかのようだった。
「これが彼らが目にしたというアウルベアですか?霧の中の森でこの姿を見たなら、誰だってアウルベアという存在を思い描いたことでしょう。」
「ええ。その姿は熊のようでもあり、巨大な鳥のようでもあったといいます。サルン・ケたちが遠くから見た時には、熊の体の上にフクロウの頭が付いた生き物を見たと思ったそうです。想像は真実の半分だけでも生まれうるものだと言いますね。巨大な影が霧を掻き分け、人間たちへと近づいてくる光景は、まさに恐怖そのものだったことでしょう。」
グラベルが頷きながら問いかけた。
「実際にはそれが、ダウィとムワだったということですか?」
ダレンは笑みを浮かべながら頷いた。
「そうです。その姿こそ、ダウィの肩に乗っていたムワだったと伝えられています。ムワはダウィの肩の上に座って森を移動することがありますから。ダウィは古くから、私たちムワを守ってくれる頼もしい仲間でした。そして私たちムワは、ダウィに知恵と助言を与える友でしたから。」
グラベルは感嘆しながら言った。
「だから二人を初めて見た人間の目には、熊の体にフクロウの頭を持つ怪物のように映ったわけですね。面白い。」
ダレンは頷きながら言葉を続けた。
「それで人間たちの間では、熊の体とフクロウの頭を持つ『アウルベア』という怪物が森をさまよっているという噂が広まっていったそうです。けれども実のところは、ダウィとムワが森を歩いていただけの日常の光景を、サルン・ケたちが見ていたに過ぎなかったのでしょうね。」
グラベルは微笑みながら問いかけた。
「では、そのアウルベアの伝説はその後も語り継がれたのですか?」
ダレンは翼を軽くたたみながら答えた。
「しばらくの間は噂がどんどん膨らんでいったそうです。ある狂った魔法使いが行った熊と梟を合成する実験の産物がアウルベアだという噂もありましたし、暗い洞窟の中で巣を作って暮らし、縄張り内を動くものはすべて敵か食い物として扱うため、アウルベアの巣の近くでは声も出すな、野営地も作るなという話もありました。果ては仔 のアウルベアは本当にかわいいなどという話まであったというのですから。今も一部のサルン・ケたちの間では、アウルベアは森の守護者だという伝説として残っているほどです。いまでも道に迷った森の中でアウルベアを見たと主張するサルン・ケがいて、それが自分たちを道へと導いてくれたと言うそうですよ。」
ダレンは静かに微笑みながら、グラベルへと語り続けた。
「私たちにとっては何でもないことでしたが、私たちを初めて見た、想像力豊かなサルン・ケたちが生み出した話だったわけです。」
「伝説が生まれる過程が興味深い。初めて出会った存在への恐れと、そこに想像力が加わって生まれたのがアウルベアの伝説だとは……。」
グラベルとダレンの語らいは、そうして洞窟を吹き抜ける冷たい風の中に溶け込んでいった。そして馬車は、二人の会話が続く間も、ラトゥール洞窟道の西へと静かに進み続けていた。
*****
一行の馬車は、洞窟の床に転がる小石を乗り越える車輪の音を響かせながら、西の出口へと向かって進んでいた。
闇の中でほのかに光っていた鉱石たちが少しずつ姿を消し、強烈な陽光が洞窟の突き当たりに顔を覗かせた。風はいっそう清々しくなり、洞窟を抜けるとともに一行の視界には、緑濃い森が広がっていた。
遥か遠くに見える無数の白い尖塔 が、澄んだ陽光を浴びて輝きながら天へと伸びていた。鋭く天を衝く塔々は、白い雲と青空を背景に、まるで空の果てへと届かんとするかのような威厳を誇っていた。
純白の尖塔と雲は調和しながら柔らかな輪郭を描き、塔の下に広がる深い緑の森は、大地の上をうねる翠色 の海のようだった。空へと真っ直ぐに伸びるこれらの塔は、天と地をつなぐ神秘の橋のように見えた。
ダレンが前方を翼の先で指しながら言った。
「あそこに見える白い尖塔が見えますか?エルフたちが建てたものです。アクイルンの象徴のひとつですよ。」
グラベルが視線を定めながら問いかけた。
「エルフたちの建造物か……。本当に美しいですね。(ここにもエルフたちがいるのか……。)」
ダレンは頷きながら説明を続けた。
「そうです。ただアクイルンは、エルフたちの尖塔だけで成り立っている場所ではありません。この都市は、エルフの塔の他にも、ダウィとムワが造った庭園や建物、そして人間たちが積み上げた堅固な城壁で構成されています。」
グラベルは、目の前にじわじわと近づいてくる都市の姿を見つめながら言った。
「ここが普通の都市と呼ぶには物足りない場所だという話を聞いたことがあります。大陸各地から集まる冒険者たちの聖地だとか。」
ダレンは微笑みながら頷いた。
「まさにその通りです。アクイルンは、都市というだけでは言い表せない場所です。大陸中の冒険者たちが聖地と呼んでいますが、それはこの都市の地下に迷宮があるからです。いつできたのかは分かりませんが、入口がここにあることだけは確かです。」
グラベルが首を傾げながら問いかけた。
「迷宮か……。詳しいことは聞いていませんでしたが……その下には何があるのですか?」
ダレンは手を上げ、都市の奥の方角を指しながら言葉を続けた。
「都市の中心部へと入ると、峡谷 の先に巨大な門が見えるはずです。その門こそ、かつての地下王国の入口だったのですよ。」
彼はしばし息を整えてから、峡谷に沿って続く道について付け加えた。
「そしてその門へと続く道が、まさに巨大な峡谷そのものです。この峡谷は普通の地形ではなく、王国の関門 へと続く巨大な通路でした。両側に切り立った絶壁と、広々と延びる道が、かつての王国へと続く偉大な通路だったわけです。」
グラベルが驚いた様子で問いかけた。
「峡谷全体がひとつの巨大な道だったとは……。にわかには信じ難い規模ですね。そんな道の突き当たりに立つ門となれば、その大きさも想像を絶するものでしょう。」
ダレンは頷きながら微笑んだ。
「その通りです。門はそれ自体でも圧倒的ですよ。門の前に立てば、まるで別の世界のために作られたかのような感覚を覚えるはずです。言葉を失うような大きさです。」
グラベルは興味を抑えきれないように呟いた。
「峡谷と門が連なる巨大な通路か……。実際に目にした時にどんな気持ちになるのか、本当に楽しみですね。」
ダレンは手で都市の奥の方角を指しながら、言葉を続けた。
「今では、その峡谷に沿って数多くの施設が立ち並んでいます。露店 や武具屋、酒場、各種の道具を扱う専門店が軒を連ね、賭場 もあります。また一方には、地下迷宮で命を落とした冒険者たちの墓地もあります。峡谷沿いの通りには様々な施設がありますが、今日私たちが向かうのは西門近くの交易所と倉庫区域です。」
グラベルが頷きながら言葉を受けた。
「アクイルンには、夕方頃に着けそうですか?」
ダレンは一度空を仰いでから言った。
「日が暮れる前には必ず着きます。今夜はアクイルンでゆっくり休んで、ダムへの旅の準備ができるはずです。」
マウは遠くに見える都市を眺めながら、グラベルに話しかけた。
「西門は迷宮の入口からは離れていますので、グラベルさんが迷宮の入口を見たいなら、南門で私たちと別れてそちらへ向かわれた方がよいでしょう。」
グラベルはしばし考えてから頷いた。
「巨大な迷宮の入口か……。早く直接見てみたいですね。都市の構造が複雑でなければ、すぐに見つけられそうですが。」
ダレンが微笑みながら言葉を添えた。
「そうですよ。南門から迷宮の入口へ向かう道は分かりやすいですし。それに、私たちが泊まる宿はアクイルン西門の商人ギルドの建物のすぐ隣ですので、見つけやすいかと思います。お仕事が終わられた後に、そこでまたお会いしましょう。」
マウも会話を耳にして口を添えた。
「そうですね。迷宮をご覧になった後に、西門の宿へ戻って来られれば、時間もちょうど合うと思います。ただ、暗くなりすぎる前にお戻りいただけると助かります。」
グラベルはダレンとマウを交互に見ながら頷いた。
「分かりました。では私も迷宮の入口を直接見てみたいので、南門を過ぎた後に迷宮の方へ行ってみましょう。その後に宿で合流すればいいですね。」
ダレンは頷きながら言葉を加えた。
「アクイルンは最初は戸惑うかもしれませんが、すぐに慣れますよ。迷宮の入口は都市で一番有名な場所ですから、見つけるのに苦労することはないでしょう。では宿でお待ちしています。」
グラベルは口の端をわずかに上げ、微笑んだ。
「分かりました。戻ったら迷宮の入口を見た第一印象を話しましょう。」
会話が終わると馬車はゆっくりと速度を上げ、アクイルンへと向かって進み始め、都市の姿はいっそうはっきりと姿を現してきた。
グラベルは都市を見つめながら、目を細めた。アクイルンは、少しずつ近づいてきていた。
馬車が森を抜けるにつれ、空気はじわじわと温かくなり、道沿いにはしだいに人々の姿が見え始めた。遠くから聞こえてくる商人たちの呼び声と馬蹄 の音が、アクイルンへの近づきを告げていた。
ダレンは翼をたたみながら言った。
「ここから先は、少し賑やかになりますよ。アクイルンはいつも慌ただしいので。」
グラベルは道沿いに連なる行列を眺めながら、感嘆した。
「本当に、栄えた都市へと向かっているという気がしてきますね。」
森の道には馬車や馬に乗った商人たち、足早に進む冒険者たちが列を成し、土埃 と土の匂いが風に混じって漂ってきた。馬蹄の音と車輪の転がる音が重なり合い、道の上の賑わいを伝えていた。
今回は洞窟から光り輝く都市へと向かう旅路を描きました。作中で語られた「アウルベア」の伝承が、実はダウィとムワの日常的な姿から生まれた誤解だったという設定は、この世界の多層的な歴史を表現するためのこだわりの一つです。いよいよ冒険者の聖地、アクリルンに到着しました。これからの展開もぜひ楽しみにしていてください。




