147話 ラトゥール洞窟道 (9)
マウとニアがアリナの帆船 に近づこうとしたその瞬間、闇の中から足音が響き渡った。
足音は重く、鈍かった。
二つの音が交差するようにニアとマウへと迫ってくる中、暗い路地の奥から二つの影が姿を現した。
先に姿を現したのはアリナだった。長い手足を使い、まるで影のように闇の中をするりと滑り出てきた。灰色の衣の裾が張り詰めた重い風にはためき、大きな瞳がマウとニアを真正面から見据えていた。
その手には、波のように刃が反る剣が握られていた。剣の表面を青い光が揺らめき、柄からは奇妙に歪んだ空気が広がっていた。
続いて現れたグロイは、巨大な体躯 を引きずるようにして姿を現した。汗で光る肌はわずかな光さえも反射し、鈍い艶を帯びていた。幅広い顔に乗った小さな目が絶えず動き回り、マウとニアを射るように眺めた。
彼は短く巨大な両手剣を、肩に担ぐようにして持っていた。厚く短い刀身は、まるで巨大な肉塊を断ち割るための道具のようだった。
アリナは倒れた傭兵たちの様子をちらりと見やった。倒れた者たちの無残な姿を確かめながら、彼女は短く息をついた。
「ふん……銭の価値もない連中ね。」
その声は冷たく、目には興味の欠片すら宿っていなかった。まるで捨てられたゴミを眺める者の心のように、無関心だった。
グロイは大きく口を開けてあくびをした。
「あのダウィとドロコが、人を面倒くさくさせてくれる……。ふあ~あ。」
あくびの後、その重々しい手が両手剣の柄を一度強く握ると、鋭い金属音が闇を切り裂いた。
「ダレンはどこにいる?」
マウは牙を剥き出して顔をしかめながら、アリナを鋭く睨みつけた。腕と肩の毛が逆立ち、近づいてくる二人への敵意を露わにした。
ニアが後ろでクンクンと鼻を鳴らしながら、ハーフ・スピアを構えた。
「匂いは船の方だる。間違いないだる。」
アリナは薄い笑みを浮かべながら、マウを指差した。
「なーんだ、全部わかってるじゃない?でもね、あの船には行かせてあげないわ。もう話すのも面倒だから……さっさと始めましょ、ダウィ!」
彼女は剣を軽く持ち上げながら、舞い込むようにマウへと迫った。刃が空気を切り裂き、青い光が揺らめき、その光がマウの目に幻のようにちらついた。
アリナは瞬く間にマウの目の前へと踏み込んだ。彼女の剣が不吉な弧を描き、マウの胸めがけて飛んできた。マウは本能的に体をひねって避けようとしたが、刃が届く前にアリナはもうその場にいなかった。
アリナの剣が切り裂いた場所に、青い光の亀裂が揺らめいた。彼女は青い亀裂の中へと溶け込むと、別の方向から再び姿を現した。そしてアリナの剣は、すでにマウの脇腹を狙って飛びかかっていた。
「ぐあっ!」
マウは腕で刃を受け止めた。しかし波打 つ刃は彼の厚い皮膚に深く食い込み、抉り取った。赤い血が飛び散り、マウは低い声でうなりながら、アリナを重い眼差しで圧するように見据えた。
「斬れた肉がそんなに簡単にこぼれ落ちるものなのね、ダウィ。うふふっ!」
アリナは軽く嘲笑いながら剣を振るった。波打つ刃の先から、血が鋭い弧を描いて飛び散った。
「この剣で斬られれば、苦しみながら裂け、縫い合わせることすら難しい傷が残るわ……。肉の多いダウィがどれだけ耐えられるか、見てあげましょうか?」
「くうぅ……口の多い奴め。さっさとかかってこい!」
マウは吠えながら、巨大な拳を振り回した。
アリナは彼の拳が届く直前、再び青い光の亀裂の中へと身を滑り込ませた。
彼女の姿は一瞬にして霞 んだかと思うと、背後の空気の中から再び浮かび上がった。
マウの攻撃は空を切り、怒りに満ちた叫びだけが洞窟にこだました。
「遅すぎるわ。」
アリナは再び亀裂を通してマウの背後に現れた。今度は刃が彼の脚を狙って振り下ろされた。しかし今度はマウも反応した。体をひねりながら後ろへ退いて刃をかわすと、すぐさま彼女めがけて突進した。
「遅くても、俺の手に一度捕まれば終わりだ!」
マウの太い腕が地面を突いてぐっと跳び上がり、アリナめがけて突き進んだ。
アリナは瞬時に亀裂を開いて移動しようとしたが、マウの読みは正確だった。亀裂が開く瞬間、彼は片腕を伸ばして彼女が現れる場所を強打した。
―ドンッ―
「っ!」
アリナは避けたが、完全ではなかった。マウの腕が彼女の脇腹をかすり、剣を握る手に衝撃を与えた。彼女は後ろへ退きながら剣を握り直した。
「ふん、力はあるのね。」
アリナは息を整えながら、魔剣の切っ先を床に触れさせた。その瞬間、刃からまた別の青い光が揺らめき、周囲の空気が歪み始めた。
「でも、あなたがこの動きを何度読めるか……わからないわよね?ふーん?」
彼女の声と共に、魔剣が亀裂を生み出した。今度はアリナ自身の動きだけではなかった。亀裂の中から鋭い剣の残像が、マウの視界を覆い尽くした。
「くぐっ!」
マウは亀裂から生まれた幻の刃と実際の刃の狭間で身をすくめたが、やがて目を大きく見開いて周囲を見渡した。その視線は、足元に転がる巨大な岩に止まった。
「これで防いでやる!」
マウは両手で岩を掴み、全力で持ち上げた。岩は彼の怒りを込めた力によって引き抜かれ、周囲に土埃を撒き散らした。
マウは巨大な岩を、アリナがいる方向へと投げつけた。
岩が地面に激突し、鈍い衝撃が洞窟の中を揺らした。
亀裂の中へ移動しようとしていたアリナは素早く体をひねって直撃をかろうじて免れたが、岩は砕け散り、周囲に破片を降り注いだ。
―ガガガッ―
「これは予想してなかったか!?」
マウはアリナが足をもつれさせた隙を逃さず、再び突進した。巨大な拳が彼女めがけて振るわれ、アリナは最後の瞬間に体をひねって亀裂の中へ消え、攻撃をかろうじてかわした。
しかしマウの拳は砕けた岩の破片を強打し、その衝撃で小さな岩の欠片が四方へと飛び散った。鋭い破片がアリナの周囲に舞い上がり、彼女のバランスをもう一度崩した。
「くそっ!」
アリナは体を後ろへ飛ばして、かろうじてその場から脱出した。息を荒らげながら彼女はマウを鋭く睨みつけた。そして長い息をついた後、アリナは口元に笑みを浮かべ、片手で魔剣を振るって空を裂きながらゆっくりと近づいた。その瞳が冷たく光った。
「なかなかやるじゃない?早く殺してしまうには惜しいわ。ゆっくりと、苦しませながら殺してあげる。そうしないと、久しぶりにこの剣を抜いた甲斐がないでしょ?うふふふ。」
彼女の不気味な笑い声が、木霊 のように響き渡った。亀裂の刃が陽炎 のように揺らめき、空気を震わせた。
しかしマウはその言葉に揺さぶられなかった。彼は顔を上げ、彼女を睨みながらうなった。
「こっちは待ってる仲間を迎えに行かなきゃならないから、早く終わらせないとな!」
彼は足を踏み鳴らして力強く地面を蹴り、突進した。アリナは笑みを浮かべながら亀裂へと身をひねったが、マウの勢いは一瞬も緩まなかった。
「焦った方が負けるのよ、ダウィ。」
アリナは魔剣が生み出した亀裂を通じ、瞬時にマウの脇腹へと飛び込みながら刃を振るった。しかしマウは鋭い感覚で彼女の動きを見切り、巨大な腕で岩の破片を掴んで投げつけた。
―ドーンッ―
岩が砕け散り、二人の間に土煙と破片が溢れた。戦いの熱は、ますます激しさを増していった。
マウは両腕を広げながら再び前へと突進した。その猛烈な勢いに地面が揺れ、アリナは亀裂へ素早く飛び込もうと動いた。
二人の戦いはいっそう激しさを増し、どちらかが必ず倒れなければならない死闘へと変わっていった。
亀裂を切り裂きながら瞬間移動するアリナの剣は、不規則に乱れる軌道でマウの周囲を飛び回った。アリナの刃は波打つように揺れながら、かすりひとつでも深い傷を残し、マウの体は大小様々な傷から流れる血で染まっていた。
マウは息を整えながらアリナを睨みつけた。その広い肩が激しく上下したが、その目は強い意志で輝いていた。
「ずっと逃げ回るつもりか?」
マウが低く荒い声で叫んだ。
アリナは口端を上げ、嘲笑を弾けさせた。彼女の手で舞う刃は青い光を帯び、空気を震わせた。
「逃げる?そんなんじゃないわ。ただ……ダウィ、あなたが崩れるまで楽しんでいるだけよ。」
彼女は再び亀裂へ消えると、マウの頭上に現れた。マウは反射的に頭を下げたが、刃が彼の肩をかすった。深く裂けた傷から赤い血が噴き出し、マウは太い息をついて片膝をついた。
「うふふふ……そろそろ崩れる頃合いじゃないかしら?」
アリナはもう一度亀裂を開いて後退した。
「くうぅぅ……。」
マウは傷から流れる血を無視し、ゆっくりと立ち上がった。その厚い手が地面を突いてバランスを保ち、すぐに再びアリナへと体を起こした。
「口だけは達者だな。……でもお前、自分が強すぎると思い違いしてないか?」
アリナは眉をひそめながら、もう一度亀裂を開いた。今度は彼の背後に現れ、刃を鋭く振るった。しかし今度は状況が違った。
「そこだ!」
マウの巨大な腕がアリナの手首を正確に掴んだ。彼女の目が大きく見開かれ、驚きを隠しきれなかった。
「そんな……。」
「捕まえたぞ!スラル・サルン・ケ(ずる賢い奴め)。」
マウは毅然と叫び、彼女の手首をへし折る勢いで力を込めた。アリナの剣が揺れ、青い光の亀裂が消えていった。
「もう動きが見えてる!」
アリナは必死に亀裂を通じて逃げようとしたが、マウの手が彼女を離そうとしなかった。彼は力の限りを込め、彼女を地面へと叩きつけた。
―ガンッ―
アリナは地面に激突して苦悶の呻 きをこぼした。彼女の手から輝きを放っていた魔剣が一瞬揺らいだが、彼女はすぐに手に握り直した。
「剣を手放すとでも思ったの?」
マウは息を整えながら、再び彼女を睨みつけた。
「ふうっ!これで……少しは戦い甲斐が出てきたな!」
「黙りなさい!」
アリナは絶叫しながら手に持った魔剣を高く掲げた。刃から迸る青い光の亀裂が激しく迸り、周囲が熱によって揺らめくように歪んだ。
「この剣の力でお前を殺してあげるわ!」
刃が振り下ろされようとした瞬間、マウは拳に全ての力を込め、亀裂の中へと叩き込んだ。青い光の亀裂がマウの力によって揺れ動き、その隙間が歪んでひびが走った。
「うおおおおっ!」
―ガガガガッ―
亀裂はどんどん大きく歪み、鋭い破裂音を上げ始めた。青い隙間から溢れ出した力が、強烈な衝撃波を生み出した。そしてその衝撃は、そのままアリナへと伝わった。
「ぐっ……!」
アリナは床に叩きつけられながら倒れたが、その手から剣は落ちなかった。それどころか彼女はひと際鋭い眼差しでマウを睨みながら、再び剣を構えた。
マウはもはや耐える力が尽きたように膝をついた。息は荒く乱れ、体から流れ落ちた血が地面に小さな血溜まりを作っていた。広い肩が重くのしかかるように上下し、その両目は霞がかって光を失いながら、全ての気力が消え果てたように見えた。
アリナはその機を逃さず、最後の一撃を加えるべく剣を高く振りかぶった。
「よし、ここまでやるなら……最後は本気で相手してあげないとね。」
青い光が刃を包み、彼女は全力を込めて攻撃の準備を整えた。
刃を再び振りかぶった彼女は亀裂を開き、マウの側面へと瞬時に移動した。その動きはこれまでにない勢いで、速く、鋭かった。
「これで終わりよ、ダウィ!」
「……」
彼女の剣がマウへと振り下ろされようとしたその刹那 、空間を切り裂く鋭い風が起きた。そしてその風とともに、闇の中から強烈な赤い残像がよぎった。
素早く迫った赤い残像が、アリナとマウの間を断ち割った。
―パキンッ―
マウの血を吸って赤く染まった魔剣の、波打つ刃が宙で砕け散った。
「なに……?」
アリナの刃が虚空 で粉々に砕け散った。驚きのあまり後ずさるアリナの手に残ったのは、砕けた剣の柄だけだった。
アリナが言葉を継げないまま顔を向けると、その視界の中心にニアが立っていた。いつの間にか近づいていたのかと信じ難いほど、その姿は速く、そして確かだった。
「ドロコが……。どうやって……!」
アリナは歯ぎしりしながら叫んだ。
「いつの間に……。」
アリナは呆れたように歯を食いしばりながら、息を荒らげた。
ニアは静かに息を整えていた。顔は無表情だったが、片足を軽くひねって構えを維持する姿に、一片の迷いもない自信が滲み出ていた。ハーフ・スピアをひと回ししながら手の中にしっかりと固定すると、ニアは小さな声で呟いた。
「剣には剣で……。斬りには斬りで……。強いマナ、密度の高いマナで武器を包まないといけないだる。」
ニアの言葉には嘲りも侮蔑 もなく、イリスから学んだ教えをそのまま伝えるような声だった。
「そうしないと、剣が砕けるだる。」
アリナは怒りに燃える眼差しでニアを睨みつけたが、魔剣の力を失った彼女にはもはや戦う術がなかった。
「くぅぅっ……!」
彼女は呻き声をこぼしながら、その場に崩れ落ちた。
マウは重く息をついて、倒れたアリナを見下ろした。
「お前が来なければ、大事になるところだった。ありがとう、ニア。」
ニアはハーフ・スピアを収めながら、淡々と答えた。
「グロイは弱すぎただる。グロイでは私を止めることはできなかっただる。」
ニアが顔を向けて見やった先には、アリナの仲間だったグロイが倒れている姿が映った。その巨大な体躯は地に伏し、短い両手剣は折れた状態でグロイの傍らに置かれていた。小さな目はかすかに閉じられ、体はぴくりとも動かなかった。
お読みいただき、ありがとうございました




