146話 ラトゥール洞窟道 (8)
予定された時刻には必ず間に合い、常に計画を立て、その計画が崩れたときのための代案まで用意している――そんなダレンの性分 をよく知っていたマウは、ダレンが予定の時刻をとうに過ぎてもレイヴンタワーに姿を現さないことを不審に思った。その不審感は短い待ち時間の後、マウをダレンの後を追って探しに行かせることになった。
そうして、予定の時刻になっても レイヴンタワー酒場に現れないダレンを追い、ラトゥール洞窟の奥深く、薄暗い路地を次々と抜けて沈黙の通り まで――ロカガの店を起点に、ニアの鼻を頼りに辿り着いた先で、マウは今この場所に立っていた。
マウとニアは、アリナが雇った傭兵たちに取り囲まれていた。短い対峙 の中でも、彼らの敵意ある意図ははっきりと見て取れた。何人かはすでに武器を抜き構え、残りの者たちは自信満々な表情で二人を眺めていた。
「あそこにダレンがいるんだな? ニア」
マウは両の拳を固く握りしめながら言った。低く籠ったその声には怒りを抑えようとする意志が感じられたが、今にも爆発しそうな激情 が、いつでも噴き出しかねない様子もにじませていた。
ニアはマウの傍らで顎を上げ、鼻をクンクンとならしながら帆船を指差した。
「そうだる、あっち! あの大きな船からダレンの匂いがするだる。」
「ならこいつらが行く手を塞いでいる理由も、はっきりしたな。」
マウの目が細くなった。
「はははっ!」
二人の前に立ちはだかっていた傭兵の一人が前へ出た。笑い声を上げながら、鞘ごと剣を手に取り、その先でマウの肩をトントンと叩いた。
「俺たちが道を塞ぐ理由だと? 簡単なことだ。この沈黙の通りの女王、アリナ様が俺たちをお雇いになった。お前らみたいなつまらん連中がアリナ様の船に近づくのを、黙って見てるわけにはいかないんでな。」
その男の後ろにいた別の傭兵が、マウに向かって怒鳴った。
「だから言ってるだろ! ダレンとかいうフクロウなんか、知らないってんだよ!」
「聞いたか? これだけ説明すれば十分だろう。さっさと失せな。」
男は鞘でマウの腕をパンと叩きながら言った。
―ドスッ―
マウの拳がその男の脇腹 を直撃し、男の体が宙に浮いた。悲鳴を上げる間もなく空中へ吹き飛ばされ、そのまま地面に叩きつけられた。
「ダレンをフクロウと呼ぶとは。こいつら、ダレンを見たのは確かだ!」
道を塞いでいた者たちに、マウはダレンがムワであるとは一度も口にしたことがなかった。確信に近かった疑いは、疑う余地のない事実へと変わった。マウは抑えていた怒りを込めた拳を繰り出した後、残りの傭兵たちを睨みつけながら、一歩前へと踏み出した。
「おい! こいつらを食い止めろ!」
後方から誰かが叫ぶと、傭兵たちは一斉にマウとニアへと押し寄せてきた。
足音と甲冑 の音が入り交じり、傭兵たちがマウ目がけて殺到した。
「多すぎるだる! 一度に相手にするには多すぎるだる、マウ!」
ニアは素早く身を低くしてハーフ・スピアを引き抜き、周囲をすばやく見回しながら言った。
そんなニアの言葉に、マウは鼻で笑いながら、太い腕を空中で大きく何度も振り回した。
「数がいくら多くたって! 俺を止められるとでも思うか?」
マウは一歩前に出ながら頭を下げ、体を縮こまらせた。そしてすぐに肩を後ろへ引きながら体を起こすと、胸の奥底から煮えたぎる怒りを込めて、巨大な咆哮 を放った。
「クアアアアオオッ!」
抑えていた怒りを爆発させたマウの雄叫びが、洞窟全体に響き渡るような強烈な振動となって空気を伝わっていった。その轟きは激しい嵐が引き起こす大洋の波のように押し寄せ、傭兵たちの耳を引き裂き、心臓を打ち、恐怖を植えつけた。
最前列にいた何人かの傭兵は、咆哮の衝撃によろめいた。ある者は足に力が入らず膝をつき、また別の者は手に持った武器を取り落として耳を塞いだ。
「うわあっ! な、なんだあの声は!」
後方で矢を構えていた傭兵たちですら、手が震えてまともに狙いを定められないまま矢を放った。彼らの中にはすでに後ずさりし、前列から離れようとする者もいた。
マウの咆哮が止むと、周囲がしばし息を呑んだように静まりかえった。しかし彼の眼差しがギラリと輝き、傭兵たちを一人一人なぞるように流れると、その静寂は再び張り詰めた緊張へと変わった。
「これだけで怖気づいたか? まだ始まってもいないぞ!」
さらに一歩踏み出すと、傭兵たちは本能的に後退した。その顔は青ざめ、手に持つ武器はかすかに震えていた。
「たった二人だ! 怖がるな!」
後ろから誰かが叫んだが、その声さえも揺らいでいた。
しかしマウは笑いながら両拳をぐっと握りしめた。
「かかってこい。全員まとめてぶっ潰してやる!」
その言葉に傭兵たちは再び震える手で武器を構えたが、その動きはさっきとはまるで違った。自信はすでに砕け散ったガラスのように粉々だった。
勇気を振り絞って最初にマウへと突っ込んできた傭兵が剣を振るうと、マウは分厚い体躯 に似合わぬ素早い動きで横に体をかわしながら、その腕を掴んだ。
―ポキッ―
巨大なダウィの手の中に捕らえられた腕が、嫌な音を立てて折れた。悲鳴を上げる傭兵を押しやると、続いて駆けてきた二人がマウに向かって槍を突き出した。
しかしマウは軽やかに体をひねって槍先をかわし、もう一本の槍は右手で掴んで持ち主ごと投げ飛ばし、左手では別の一人の頭を鷲掴みにした。
「お前ら、遅すぎる!」
「ぐあああっ!」
マウが手に力を込めると、槍を持った傭兵が悲鳴を上げながら倒れた。
ニアの目に映るマウは、見慣れた姿とはとても思えなかった。普段はいつものんびりとした様子で馬車を操る、物静かな商人のように見えていたマウ。しかし今の姿はまるで別人だった。
重々しい腕を振るうその動きは大きく荒々しかったが、その中に宿る速さと正確さは息を呑むほどだった。突進してくる敵を力だけで制するのではなく、鋭い判断力とダウィらしからぬ柔軟さで、攻めかかってくる者たちの隙を的確に突いていた。
『あの巨体で……どうやって……あんな風に戦えるんだる……?』
ニアは気づかぬうちに口を開いていた。彼の戦い方が単なる力任せではなく、長年の経験から生み出されたものだと、一目で感じ取ることができた。
ある瞬間、マウの重い手が一閃すると、敵の一人が空を切り飛ばされて倒れた。
『マウは……商人じゃなかったんだる……?』
ニアは目の前のマウを眺めながら、思わず感嘆した。
『すごいだる……。』
その短い思いが終わる前に、頭上を飛んでくる一筋の矢がニアの注意を引いた。
ニアは顔を向け、素早く周囲を見渡した。即座に身を低くして矢の飛んでくる方向を読み取ると、ハーフ・スピアをしっかりと握ったまま前へ飛び出した。
「あそこから矢を射てるだる!」
ニアが叫びながら後退すると、遠方から弓を持った傭兵たちが続けざまに矢を放ってきた。
―シュッ―
矢の飛来音を聞いたニアは即座に身を低くし、手に持ったハーフ・スピアで矢を弾き飛ばして防ぎ続けた。
「弓を射るやつらは私が片づけるだる、マウ!」
「おう! 頼むぞニア!」
遠くの弓兵たちへと跳び出すニアへ大声で応えたマウは、押し寄せる傭兵たちの攻撃の大半を弾き返しながら前進し続けた。盾や鈍器がマウを打ちつけたが、彼は意にも介さなかった。
ある傭兵の鈍器が肩を強打すると、マウはむしろ笑い声を上げて言った。
マウは右手で棍棒を振り回していた傭兵の頭を掴み、そのまま地面に叩きつけた。
―ドカッ―
その強烈な一撃は地面を揺らし、周囲の傭兵たちを恐怖に陥れた。何人かは彼の前で足を止め、その目には逃げ出したいと書いてあるようだった。
いつの間にか弓兵たちを片づけたニアが、マウの後を追いながら言った。
「わらわら群がってくるのはもう終わっただる。でも気をつけるだる。あそこにいるやつら、強そうだる。」
ニアの言葉が終わるや否や、倒れた者たちの後ろから五人の傭兵が姿を現した。その鎧は派手ではなかったが、倒れた他の者たちの鎧より明らかに堅固に見えた。互いに視線を交わして意思疎通する眼差しと、瞬く間に駆け出してくる二人の戦士、そして散らばって陣を取る弓兵たちの動きは、長年息を合わせてきた仲間であることを如実に示していた。
二人の戦士が前方から盾を構え、マウとニアへと距離を縮めにかかった。後方では弓兵二人が弓弦を引き絞り始め、その間から後方へ跳んで距離を開けた魔法使いは、息を整えながら呪文を紡ぎ続け、指先から広がった光の筋が地面に魔法陣を描き出した。
「久しぶりに面白くなりそうだ。」
マウは拳を握りしめながら言った。
「私も準備できてるだる!」
ニアはハーフ・スピアを握り、左手のバックラーを持ち上げて戦闘態勢を整えた。
二人の戦士が同時にマウに向かって盾を叩きつけた。
―ドンッ―
突進しながらぶつけてきた盾の重さは相当なものだったが、マウはそれより強かった。片方の盾を手で掴み、そのまま地面に叩きつける。盾を持った戦士は悲鳴を上げながら手を離さざるを得なかった。しかしすぐにもう一人の戦士の剣が、マウの胸めがけて飛んできた。
マウは一歩後ろに踏み込みながら飛んでくる剣を横にかわし、その手首を掴んだ。
「クハッ! 遅い!」
マウは戦士をそのまま持ち上げ、力いっぱい投げ飛ばした。空を横切る戦士の体は放物線 を描いて飛んでいき、荒々しくでこぼこした岩の上にそのまま叩きつけられた。
―ドウッ―
鎧をまとった肉体が岩に激突する鈍い衝撃音が洞窟の壁にぶつかって響き渡り、岩の隙間に舞い上がる砂埃と砕けた破片が辺りを覆い尽くした。
投げ飛ばされた戦士は悲鳴を上げる間もなく岩の下へと力なく落ち、体を動かそうとするかのようにかすかにもがいたが、やがてそのまま倒れて動きを止めた。
倒れた戦士の様子を確認しようとマウが顔を向けた瞬間、遥か後方で魔法陣の光が強く揺らめき、次の瞬間、地面の奥から土が隆起してマウの足を包み込むように覆いかかった。
―ガガガッ―
「ふん?」
マウは一瞬動きを止めたが、足首を閉じ込めた岩をそのまま砕き、一歩前へと踏み出した。白い牙を見せて笑みを浮かべると、その拳が残る戦士めがけて飛んだ。
―バキッ―
盾は粉々に砕け散り、その破片が四方に飛び散る中、戦士は遠くに吹き飛ばされ、砂埃を巻き上げながら倒れた。
ニアは手に持ったハーフ・スピアを回しながら弓兵を牽制 した。
「私が行くだる!」
ニアは瞬時に身を低くして矢をかわし、素早く接近した。
ハーフ・スピアの穂先 が弧を描くように振り払われた。相手の手首を狙った一撃は、咄嗟 に引き抜かれた短剣に防がれるかに見えたが、すぐに槍の柄尻 がその膝を打ち、重心を崩した。
弓兵が重心を失って倒れかかったその瞬間、ニアのハーフ・スピアが手首と肩を斬り裂きながら最後の一撃を放った。
ニアはすぐに体を翻し、もう一人の弓兵めがけて駆け出した。しかし弓兵とその背後に立つ魔法使いの挟み撃ちは鋭かった。弓兵が矢を射て隙を作り、魔法使いが小さな火の玉をニアへと投げつけた。
―ボウッ―
火の玉が飛んでくると、ニアは素早く方向を変えてそれをかわした。火の玉は横にそれ、近くにあった藪に燃え移った。
ニアはその隙を逃さず素早く駆け出し、弓兵の武器を弾き飛ばすとバックラーでその手首を打ち、武装を解除した。
二人の戦士を倒したマウは魔法使いへと突進した。しかし魔法使いはすでに自分の前に魔法陣を展開し、魔法を発動させていた。
―ヒュイイイイン―
魔法陣から放たれた氷の槍がマウに向かって飛んできたが、マウは巨大な腕でそれを受け止めた。氷の破片が飛び散り、腕に傷をつけたが、彼は血が流れ出して毛を染めるのも気にせず走り続けた。
「その程度では、このバヒーカリのダウィを止めることはできない!」
マウはそのまま魔法使いに向かって突進し、肩でその体に体当たりを食らわせた。魔法使いは衝撃で倒れ、よろめきながら身を起こそうとしたその刹那 、マウの拳が落とす影が魔法使いの顔の真上にあった。
―ドゴォッ―
次の瞬間、魔法使いの目の前で世界がぐるりと回転し、やがて闇に呑み込まれた。
頭が地面に叩きつけられると、彼は動きを止め、静かに横たわったまま微動だにしなかった。
「マウ、私たちの勝ちだる!」
「……もう残ってるやつはいないようだな。」
マウは息を整えながら周囲を見渡した。その巨体には戦いの痕跡がはっきりと刻まれていたが、倒れた傭兵たちにはもはや彼を阻む意志も力も残っていなかった。何人かは疲れ果てた様子で体を引きずりながら後ずさり、もうマウとニアに立ち向かう気力を失ったまま壁にもたれかかっていた。
ニアもハーフ・スピアを下ろしながら、安堵のため息をついた。
「これで、あの船に行けるだる。」
マウは頷きながら、大きな帆船へと足を踏み出した。二人は船のある方向へとゆっくりと進んでいった。帆船は深い水の上にしっかりと停泊しており、船首には不気味な彫刻がニアとマウを見据えるように立っていた。
ニアが鼻をクンクンとならしながら言った。
「ダレンの匂いが、確かにするだる。」
マウは船を見上げながら、拳を固く握りしめた。
「待っていろ、ダレン。すぐに行くぞ。」
沈黙の通りの暗闇の中で、また別の敵意と緊張が、二人を待ち受けていた。
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