130話 魔獣素材採集家の依頼 (3)
「え? いいえ。蜘蛛糸がくっついて服に絡まるのを防いでくれるんですよ。ほら、ここ! これ、グラベルさん用だから、肩と脚、それに頭にたまに塗ってね。」
ロンピア粉が入った革の袋をグラベルに渡したあと、マハラは両手をすり合わせて粉を払い落とした。
「じゃあ、始めましょうか?」
「はい。」
「それじゃ、採集棒にこれを。」
マハラが工房を出るときに渡しておいた長い棒に向かって、鞄から取り出した黒い軟膏の小瓶を手に近づいてきた。
「この採集棒の先にこれを塗って、棒をくるくる回しながら蜘蛛糸を絡め取るんです。蜘蛛糸が固まりすぎたら、ロンピア粉を少し振りかけてくださいね。」
「棒の先に塗るのは……。」
「干したサソリと蜘蛛を追い払う薬草をすりつぶして、蜜蝋と混ぜたものです。これが蜘蛛たちを遠ざけてくれる役割を果たしてくれるんです。体に塗るのもいいんですけど、棒の先に塗って振り回すだけでも十分効果がありますよ。」
説明を終えたマハラは、グラベルの前を歩き出した。
森の木と木の間を縫うように歩きながら、ところどころに見える枝や茂みに絡まった蜘蛛糸、形を崩して風に飛ばされている蜘蛛糸を、棒で熟練した手つきで次々と絡め取っていく。マハラはそうやって歩みを進めていた。
二人は少しずつ、森の奥へと入っていった。
棒の先に塗った軟膏の効果か、森の蜘蛛とは直接出会わなかったが、遠くから落ち葉を掻き分けるような蜘蛛の足音が聞こえるたび、二人は足を止めて木に身を寄せ、周囲を警戒しなければならなかった。
「ふう……。もう他の採集のおじさんたちが先に来ていたみたいで、蜘蛛糸があんまりないですね。」
固く結んだ唇と鼻から長く息を吐き出しながら、マハラは落胆した様子を表した。
「南側の蜘蛛の領域の深い森まで行ってみましょうか。いいですか?」
「ええ。そうしましょう。」
「じゃあ……。細かい蜘蛛糸は無視して、急ぎましょう。でもこれからはもっと気をつけないと。森の地面にも、蜘蛛糸をまとめて巣を張ってる蜘蛛がいるんです。足を踏み入れる場所、しっかり注意してくださいね。」
「わかりました。」
柔らかな笑みを浮かべてグラベルが答えると、マハラの後ろについて歩き始めた。
そうして二人は、周囲を警戒しながら森の奥深くへと進んでいった。森の外周とは違い、目に見える木に張られた蜘蛛糸や、木の枝と枝の間を横切る蜘蛛糸は、ますます密になって厚みを増していた。
濃い霧というほどではなかったが、森の地面には薄い青みがかった淡い霧が漂っていた。
「ここならまだ集められそうなものがたくさんありそうです。」
「そうですね。外周よりは確実に蜘蛛糸が多いです。」
蜘蛛糸たちが時折風に乗って銀色に輝いた。森に張られた狩人の網は、神秘的でありながらも不気味な美しさを放っていた。
「花を食べて香りを移した蜘蛛が多いから、普通の蜘蛛糸よりずっと上等なんですよ!」
グラベルと話しながら少し足を止めて遠くの木を見つめていたマハラが、二本の木の間に張られた放射状に広がる大きな蜘蛛糸を発見し、嬉しそうな表情で近づいていった。そして採集棒を使って蜘蛛糸を絡め取ろうとした、その瞬間だった。
森に響き渡る、得体の知れない動物の鳴き声が二人の耳に届いた。
「ん? 蜘蛛糸に引っかかった動物の声みたい……。鹿かな? 確認しないと。声はあっちから聞こえましたよね?」
「ええ。そうだと思います。」
グラベルはすでに展開させたマナで、森に広がる鳴き声の正体が蜘蛛糸に絡まってじたばたしている鹿だとわかっていたが、マハラに説明するには長くなりそうだったので、黙って蜘蛛糸を採集しながらマハラの後を追った。
少し歩いた後、グラベルとマハラは太い木の陰に身を低くして、巨大な蜘蛛をじっと見つめていた。
「やっぱり……。蜘蛛糸に引っかかった鹿でした。」
低い声でマハラが言った。
巨大な蜘蛛が、自分の蜘蛛糸に絡まった鹿を眺めていた。蜘蛛は鹿よりやや大きいくらいの大きさで、しばらく止まっていた巨大な脚を動かして鹿に近づいていく。
鹿は蜘蛛糸に絡まってその場で暴れながら鳴いていた。
近づいてくる蜘蛛を見て、鹿の恐怖に満ちた鳴き声が再び響いた。絶望と恐怖が混じり合ったその声は、これから訪れる苦痛から逃れようとする身のよじりそのものだった。
鹿が体を起こして跳び上がろうとしたが、絡まった蜘蛛糸はますます強く締めつけるだけだった。
鹿に近づいた蜘蛛は、鹿の動きを止めるために毒針を使った。鋭い牙を鹿の首に突き立てて毒を注入すると、鹿は痙攣しながら徐々に動きを止めていった。
蜘蛛は鹿が抵抗しなくなったのを確認すると、自分の体から蜘蛛糸を引き出して鹿を包み始めた。白い蜘蛛糸に包まれていく鹿は、丸い卵のような形に変わり、どんどん蜘蛛糸が重ねられていった。
二本の脚の間に蜘蛛糸で包んだ鹿を固定し、長く引き出した蜘蛛糸を別の脚に繋いで、自分の獲物をゆっくりと引きずりながら、のんびりと味見できる隠れ家へと向かおうとしたその時だった。
――ピシュン! ピュン! ピシュッ!
何本もの矢が蜘蛛に向かって飛んできた。
「何だ……?」
さらに身を低くしたマハラが、大きく見開いた目で、ぼろぼろの矢羽根と半分腐った矢柄の矢が飛んできた方向を見つめた。
「キャキャキャ! バカ野郎、外したじゃねえか!」
「バカ!バカ!」
マハラが見つめた先には、数匹のグノールが立っていた。独特の笑い声を上げながら蜘蛛に近づいていくグノールたちは、粗くまだらな灰色と茶色の短く硬い毛に覆われていた。
グノールの顔は長い鼻面と鋭い牙を見せて笑い、目は黄色く光り、細く裂けた目の中で丸い瞳を忙しなく動かしていた。小さな耳は尖って上向きに突き出て、黒い鼻は絶えずひくひくと動いて匂いを嗅いでいた。
「グラベル……、グノールの群れです。」
マハラはさらに体を低くしながら、グラベルに囁くような小さな声で言った。それでも目はまだグノールの群れに向けられたままだった。
グノールの群れは古びた武器と鎧を身につけていた。鎖と革でできた鎧はあちこちに傷がつき、手にはグノールたちの粗雑な手作り斧や棍棒が握られていた。何匹かは、遭遇した冒険者たちから奪った剣や弓を持っていた。
「キャキャ! 攻撃だ! 鹿は俺のだ! 俺のだ!」
荒く低い唸り声を上げて牙を剥き出しにし、群れで一番体格の大きな黒い背中のグノールが叫んだ。
「グワアア!」
「キャアアア!」
黒い鬣の大柄なグノールが叫ぶと、互いに目配せをした数匹のグノールが、巨大な二本の脚を上げて尖った先でグノールたちを威嚇する蜘蛛に向かって飛び出した。
すると、先に飛び出したグノールに続いて、他のグノールたちも一斉に駆け出した。
二本足、あるいは両手も使って四つん這いの獣のように跳ねながら、グノールたちは素早く森の中を横切っていく。
――キャキャキャキャカッ!
独特の鳴き声とともに、グノールの群れが鹿を狩り終えた狩人を捕らえようとしていた。
――キイイイ!
金属を引っ掻くような鋭い蜘蛛の声が響いた。
「攻撃しろ! クカカカ!」
一番背が高く体格の大きい黒い鬣のグノールが叫びながら駆けていった。一番前の脚を上げて警戒する蜘蛛が全身の毛を逆立てて近づくグノールたちを威嚇したが、グノールたちは四方から集まって蜘蛛を取り囲んだ。
「クカア!」
黒い鬣のグノールが牙を剥き出しに叫びながら持っていた大剣を振り回し、蜘蛛の脚を狙った。他のグノールたちは斧や棍棒で蜘蛛の胴体を攻撃した。
――キイイイ!
鉄と肉がぶつかる音が森に響き渡った。血と蜘蛛の体液が混じり合って土の地面に飛び散った。
蜘蛛が跳び上がって鋭い牙を突き立てようと一匹のグノールに覆い被さったが、黒い鬣のグノールが素早く動き、蜘蛛を蹴り飛ばしてそのグノールを救った。
「一斉に攻撃だ!」
唸り声とともに黒い鬣のグノールが剣先を蜘蛛に向け、命令を下すと、他のグノールたちは蜘蛛の注意を散らしながら取り囲み、同時に攻撃を仕掛けた。
何匹かのグノールは蜘蛛の巨大な腹を狙って槍を突き刺し、また別のグノールたちは蜘蛛の脚を斧で叩き切った。
蜘蛛は苦痛に身をよじった。
そして続く黒い鬣のグノールの一撃。
高く跳び上がった黒い鬣のそのグノールが蜘蛛の頭に向かって大剣を叩き込むと、巨大な蜘蛛は最後の悲鳴を上げて地面に崩れ落ちた。
倒れた蜘蛛に向かって他のグノールたちが群がり、蜘蛛の脚を切り落とそうとしたその瞬間だった。
倒れながら上げた蜘蛛の悲鳴に反応して、周囲の森から他の蜘蛛たちが集まり始めた。
大小さまざまな大きさの蜘蛛たちが、グノールたちに向かって群がってきた。
無数の蜘蛛の脚が落ち葉を擦る音は、空から雨粒が降り注ぐような音に聞こえた。
「俺のところに集まれ! 早く! カアアア!」
黒い鬣のグノールは背中に背負っていた大きな盾を掲げて叫び、グノールたちの士気を高めた。
最初に到着した小さな蜘蛛たちが素早くグノールたちに近づき、跳びかかって攻撃してきた。すると黒い鬣のグノールが前に出て大きな蜘蛛たちの攻撃を防ぎ、もう片方の手で剣を振るって小さな蜘蛛たちを一掃するように切り払った。
勇ましく前進しながら群がる蜘蛛たちを次々と切り捨てる黒い鬣のグノールを追いかけ、他のグノールたちも蜘蛛たちを一匹、また一匹と倒していった。
森にはグノールたちの唸り声と、蜘蛛の肉が潰される音、蜘蛛たちが群がってくる音、そしてグノールたちに向けた蜘蛛たちの威嚇の声が混じり合っていた。
「今日はもう帰りましょう、グラベル。」
マハラは遠くに見えるグノールと蜘蛛たちの戦いを眺めながら、グラベルに囁いた。
「あのグノールたちなら僕が……。」
「だめ! 何を言ってるんですか……!」
マハラは寄りかかっていた木から体を起こそうとするグラベルに素早く近づき、マントの裾を掴んで引き止めた。
「何言ってるんですか! 今、あのグノールの数がわかってます? 一匹……二匹……三匹……八匹……十四匹……十七匹もいるんですよ! グラベルさん一人でどうやって相手するつもりですか!」
声を細めて言ったマハラは、グノールと蜘蛛たちをもう一度見てからグラベルに言った。
「うーん……。できそうですが。このままグノールたちを放っておくと、他の採集者の方々が危ないんじゃないですか?」
「それはそうですが、グノールの数が多すぎます。村の他の採集のおじさんたちは普段から森の蜘蛛を避けて歩いてるんですから、あんなグノールくらい簡単にかわせますよ。」
「あ……。でも……。」
「早く行きましょう。一匹や二匹じゃなくて十七匹もいるんですよ。あの黒い鬣の大きいグノールを見てください。群れの親分までいるんですから、グラベルさん一人じゃ無理です。早く! 早くここから離れましょう。」
マハラは顔をしかめて首を横に振った。
そうして二人は暗い木の下に身を隠し、風に揺れる木の葉の音に足音を紛らせながら、森を後にした。
面白いと思っていただけたら嬉しいです。次回もお楽しみに!




