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129話 魔獣素材採集家の依頼 (2)

湯沸かしが火にかけられると、たちまち熱を帯びて湯気が立ち上り、蓋の隙間から軽やかな音が響き始めた。長年使い込まれたせいか、湯沸かしの(どう)には古びた味わいが刻まれていて、ハミドは慣れた手つきで熱くなったそれを下ろし、茶葉を取り出して蓋を開け、葉を入れ、隣に茶碗を置く——その一連の動作がすべて滑らかだった。


工房の中には、穏やかな熱気と鉄の匂い、それに織物から染み出す繊維の香りが静かに混ざり合っていた。火の光が湯沸かしの丸い腹に反射して、壁にさざ波のように揺らめく。その光景を眺めながら、グラベルは自然と肩の力を抜き、この見慣れぬ空気をじっくり味わっていた。


「シャイイって呼ぶんだ。バヒリム式の紅茶さ。」


湯沸かしから立ち上る茶葉の柔らかな香りが、工房全体を優しく包み込んだ。


「バヒリムといえば、南の砂漠王国の……。」


ヴェス・ディナスの図書館で見た大陸の地図を思い浮かべながら、グラベルが言った。


「そうだ。今は三つの国に分かれてる民の名前だけどな。それでもキシャ、アルーン、ラトゥ——どの王国の人間だって、シャイイを好んで飲むのは変わらねえよ。」


そう言い終えると、ハミドは慎重に湯沸かしを傾けて茶碗に注いだ。茶碗に紅茶が注がれるたび、小さな波紋が静かに広がり、濃く深い赤みがかった黒い色が鮮やかに浮かび上がる。


熱い湯気が茶碗の縁から立ち上り、ゆっくりと空中に溶けていった。


腰のくびれた小さな茶碗には繊細な装飾が刻まれ、注がれる音さえも優雅に響く。


「まだ完成じゃねえんだがな。」ハミドはそう言いながら、工房の隅から砂糖棒(さとうぼう)を取り出した。


彼の手にある柔らかな黄褐色(おうかっしょく)の結晶が、火の光を受けてきらりと光った。


小さなハンマーとフォークを取り出し、ハミドは受け皿の上に置いた砂糖棒を丁寧に、そっと削り始めた。細かな欠片がぱらぱらと落ち、ハミドはそれを集めて茶碗に入れた。


『しゃりしゃり』と砂糖棒が削れる音が、静かな工房に優しく響き渡った。


グラベルはハミドが「どうぞ」と手で促すのを見て、茶碗を手に取り、一口飲んだ。


甘い香りと深い味わいが口いっぱいに広がる。その様子を、ハミドは満足げに、にこやかに見つめていた。


「どうだ? シャイイの味は。」


「とても美味しいです。砂漠王国の人々が一日十杯も飲むという話は、伊達(だて)じゃないんですね。」


「はっはっはっ! よく知ってるな!」


ハミドの快活な笑い声に包まれ、二人は茶を分け合いながら会話を続けた。


「そういえば、孫娘が依頼を出したって言ってからだいぶ経つな。ヴェス・ディナスに向かう商人に頼んだはずだったんだが……。まあ、今の時期なら蜘蛛糸(くもいと)の質も悪くないし、冬用に十分集められりゃいいんだが……。」


「依頼を受けたときに、ある程度の説明は聞いていましたけど……パルドス蜘蛛の糸でこんなに上等な布が作れるなんて、不思議ですね。」


グラベルは工房のあちこちに置かれた、薄くて透き通った布を見つめながら言った。


「わしにできるのは布を織ることだけじゃて。ここに来てからもずっと作っとるよ……。綿で作るより手間はかかるが、あんなに薄くて柔らかい布は、大陸中探したって最高級と言っていいくらいじゃ!」


自分の織った布に興味を示すグラベルに、ハミドは熱を込めて説明を続けた。


「ラトゥ王国では、こうやって蜘蛛糸で織った布をオルリンと呼ぶんだ。空気と光を通しやすい特性があって、鎧の下着や貴族の衣装に使われるし、糸のままなら(いしゆみ)や弓の弦にもなる。まあ、お前さんが孫娘と一緒に集めることになるパルドス蜘蛛の糸は、ほんとにいろんな用途がある貴重な素材なんだよ。」


ハミドは金色の真鍮(しんちゅう)の湯沸かしを傾け、ますます色が濃くなった紅茶を注ぎ足しながら言った。


「パルドス蜘蛛の大きさはかなり大きいと聞きました。」


「ん? ああ、大きいぞ……。大きい奴はちょうどいい大きさのムールムックくらいか。それよりでかいのもいるしな。わしも初めてこの土地のパルドス蜘蛛を見たときはびっくりしたよ。昔ラトゥで糸を集めてた蜘蛛は、ここのパルドスよりずっと小さかったからな。」


「そうですか。それでは私の仕事は、蜘蛛糸の採取と一緒に、採取に出かけるお孫さんを守ることですね。」


「そうだな。最近は森にグノールの群れがよく出るって話で、糸採りたちの間でも心配の声が多いんだ。孫娘の依頼にグノールの話が出てなかったら、わしが別に依頼を出してたところだ。」


「大丈夫です。お孫さんと村の他の採集者たちの安全のためにも、森のグノールたちを相手にするのは私に任せてください。」


グラベルは微笑みながらハミドに答えた。


「では頼むよ。……砂糖はもっと要るか?」


ハミドはグラベルの空になった茶碗をじっと見つめて尋ねた。


「いえ、大丈夫です。まだ溶けきっていない砂糖が残っていますので。」


茶碗の半分近くを砂糖で満たしたような甘さの紅茶を飲んだばかりで、口の中にはまだ濃い砂糖の甘みが残っていたため、ハミドの勧めを断らざるを得なかった。


「そうか? ラトゥ王国では、シャイイに砂糖をたくさん入れるほど客を歓待(かんたい)するって意味があるんだぜ、ふふ。」


「それじゃラトゥ王国の人たちは、シャイイをずいぶん甘く飲むんですね。」


「それだけお前さんが、わしの孫娘を守ってくれる大切な客だってことさ。それにしても、こいつが帰ってくる頃合いだな……。」


「じーいちゃん!」


工房の外から、がたんと扉の音とともに少女の声が響いた。


「ちょうど帰ってきたようだな。」


「ただいまー!」


「ようこそ、マハラ。冒険者ギルドに頼んでた冒険者が来てるぞ。」


ハミドは優しい笑顔を浮かべて言った。


「紹介するよ。冒険者のグラベルだ。」


ハミドは大きな足音を立てて工房に入ってきた孫娘に、グラベルを紹介した。


ハミドの孫娘、マハラ・マリク。銅色の肌と橙色の髪を持つ少女で、ようやく成人したばかりくらいの年齢に見えた。


マハラの髪は一つにまとめ上げられ、明るい笑顔が顔いっぱいに広がっている。自分の身長より長い杖を持ち、長い脚と健康的な体躯(たいく)、そして様々な道具の入った重そうな背負い袋を軽々と担いでいる姿は、彼女がパルドス蜘蛛糸の採集者としてしっかり役割を果たしていることを物語っていた。


「はじめまして、グラベルさん!」マハラが元気いっぱいの声で挨拶した。


「はじめまして、マハラ。よろしくね。パルドス蜘蛛の蜘蛛糸採取の依頼を請け負って来ました。」


グラベルは微笑みながら手を差し出した。マハラはその手を握り返し、大きく頷いた。


「よかったー! どうせ必要な量の蜘蛛糸を集めるの、けっこう大変だったんだよね。ううっ! アランーおじさんがもう少し早くヴェス・ディナスに行ってくれたらよかったのに……。」


マハラは依頼の仲介を頼んだ商人のことを思い浮かべ、グラベルがもう少し早く来てくれていたらという残念さを素直に口にした。


「はは……よろしく頼むよ、マハラ。」


「うん! じゃあ早く準備して森に行こ! 夜は採集するの危ないから、()が沈む前にちょっと練習がてら採ってみよ!」


「……おい、さっき帰ってきたばかりでどこ行くんだ! それにコカトリスの卵殻粉(らんかくふん)は? 買ってきたのか?」


ハミドは工房の外へ出ようとするマハラを呼び止め、たずねた。


「え? あ、あった! でも今回また値上がりしてたよ。なかなか手に入らないんだって。」


「なんだと? 卵殻の値がまた上がったのか……。蜘蛛糸を糸にするのに絶対必要な材料だから買わんわけにもいかんのに、毎回こう値が上がるんじゃ……。」


「じゃあ行ってくるね!」


「陽が沈む前には必ず戻るんだぞ。欲張って採りすぎるんじゃない!」


「うん、わかった! 行ってきまーす。行こ、グラベルさん。」




*****


道を歩きながら、マハラが森について教えてくれた。


「あそこに見える森が、私たちがこれから向かう五つ蜘蛛(いつつくも)の森ですよ。」


その名の通り、五匹の巨大な蜘蛛が支配する森だった。密集した枝葉が空を覆い、日光がほとんど差し込まないため、湿っぽく薄暗い雰囲気が漂っている。ところどころに白い蜘蛛糸が張り巡らされ、雪の降っていない季節なのにまるで真冬の森のように見えた。


グラベルは周囲を注意深く見回しながら、マハラの説明に耳を傾けた。裂けた樹皮の間には巨大な蜘蛛が残した爪痕がくっきりと刻まれ、ある木は蜘蛛たちの巣となって全体が白い糸に包まれ、中には何千匹もの蜘蛛が住み着いていた。


森の地面は厚い(こけ)と腐った落ち葉に覆われ、足を踏み入れるたびにぬるりと湿った音がした。時折、目に見えない小さな動物が落ち葉を踏む音がするが、その音はすぐに蜘蛛たちに捕らわれて消えてしまう。


森の空気は常に重く淀み、湿気を帯びた空気が、訪れる者を最初に出迎える。


道を歩きながら、マハラは森の地形についてグラベルに説明を続けた。


「森の奥深くへ行くと、五匹の蜘蛛たちが張った太い蜘蛛糸が目立つようになります。蜘蛛糸は迷路みたいに複雑に絡み合ってますけど、互いの領域を侵さないようにしてるから、私たちは主にその境界線で糸を採るんです。」


マハラはさらに、森の五匹の蜘蛛についての話をグラベルに聞かせた。


「森の入口、東側近くを守ってる蜘蛛は小さいけど素早くて、音もなく動くんです。一方の足の先には熊罠で切られたような跡があります。素早いけど動き回る範囲が狭いから、他の入口側から森の外周を回れば比較的簡単に避けられる蜘蛛ですよ。」


「南側を支配してる蜘蛛は、もっと南の山脈とつながった大きな森を領域にしてます。他の動物の気配を消すために、森の花を食べて糸に体液を染み込ませるんです。だから南側の蜘蛛が張った糸はいい香りがするんですよ。そして南の森の他の蜘蛛たちも、王様みたいに花を食べて、獲物を巻いたときに腐った臭いがしないようにしたり、香りで自分の臭いを消した糸を張ったりしてるんです。」


「そして! 最後に、この森の王様と呼ばれる影雲(かげぐも)っていう蜘蛛がいるんです。」


「異名があるくらいすごい蜘蛛なんですか?」


森の外周をぐるりと回りながら南へ進み、マハラとグラベルは会話を続けた。


「はい。私も一度だけ影雲を見たことがあるんですけど、なぜ他の採集者たちがあの蜘蛛を影雲って呼ぶのか、すぐにわかりました。他の蜘蛛たちと違って、影雲は雨雲みたいな灰色だったんです。驚いたことに、影雲と出会った森中の蜘蛛たちがみんなその場で止まって、ぴくりとも動かなくなっちゃうんです。」


「文字通り、蜘蛛たちが自分の王を迎えるような感じだったんですね。」


「そうなんです! 私が見たある蜘蛛は、獲物を自分の糸でぐるぐる巻きにして、影雲に捧げてたんですよ。あ、今頃このロンピア粉を振りかけなきゃ。初めてだから、私が手伝いますね。」


「ロンピア粉? 蜘蛛を追い払う粉ですか?」


マハラは手のひらに茶色の粉をすくい、グラベルの頭と外套に丁寧に振りかけ始めた。

作中の「シャイイ」は実在のイスラム文化圏における「シャイ」という茶文化をモデルにしており、砂糖を多く入れるほど客人を歓待するという伝統的な礼法を反映しています

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