114話 グランドトーナメント (13)
頭上に置かれた馴染みのある手の感触。
耳をくぐもらせるような懐かしい仲間の声が、タイガービートルに聞こえた。
「ギリギリでしたよ、ドラゴンフライさん。」
「ああ、それは謝るよ。よく頑張ったな、タイガービートル。」
タイガービートルの頭を軽く撫でたあと、ディベルテの方へ一歩踏み出しながらドラゴンフライが言った。
「では、仕上げはお願いします。私ももう限界でして。」
緊張が解けたタイガービートルの足がふらつき、後ろにあった大きな箱に体を預けた。
「任せとけ。すぐに片付けてやる。」
「はい。それじゃ、少し休ませてもらいます。」
ドラゴンフライの肩に掛けられた巨大な大剣の姿を見て、タイガービートルは微笑んだ。
< クロング>
グロングの鍛冶神クロング。
赤い布を手に巻き、槌を高く振り上げて金床の上の鉄を打ち鳴らすクロング。
一日も休まず、蒼白い蛇の胴を細かく刻み、ただ見るだけで吐き気がするほど忌まわしい蛇の首を地面に叩き落とす勇猛なグロングのために武器を鍛える。
クロングは蒼白い蛇を心底嫌っている。呪い、怨み、憎む。
クロングが最も憎む蒼白い蛇。
目を抉り、尾を切り、牙を抜き、そのぬるぬると動く舌にくるくる巻きつけて溶鉱炉に放り込み、ふいごを踏むのがクロングの望みだ。
真っ赤に焼けた鉄を打ち、武器を生み出す。
刃の厚い大剣。柄の長い斧。頭の重い戦槌。
鉄を打つ音がクロングを喜ばせる。クロングの歌が鍛冶場に響き渡る。
勇猛なるグロングよ、わが武器を使え。わが武器は千日の鍛錬を経た鎧を貫き、女神の加護を受けた盾さえ砕く。
勇敢なるグロングよ、クロングの復讐を果たせ。わが武器を手に蒼白い蛇を屠り、わしを喜ばせてくれ。
勇気が湧き出る武器を与えよう。蛇の目をまっすぐ見据えろ。蛇の牙を避けろ。蛇の尾に気をつけろ。
赤い蜻蛉。グロングより背の高い人間の赤い蜻蛉。
クロングが唯一、武器を与えた人間。クロングが愛する大剣を授け、最後の息を吐くその日までクロングの呼びかけに応じ、休まず己を鍛え続けると誓わせた。
クロングの唯一の例外たる人間の蜻蛉よ。
わしの舌に似た赤い布を巻いたこの剣を、お前に与えよう。
唯一のわしの例外よ、この剣は特別だ。
お前に与えたこの剣は、わしの数多の武器の中で最も大きく、最も強く、最も堅牢な剣だ。
お前の血はわしとの契約だ。お前の血でわしの紋章を描き、お前の剣を受け取れ。お前のための、お前だけの剣を呼び出せ。
大声で呼ぶ必要はない。多くの血もいらない……紋章を描け。わしの紋章をお前の血で描け。
そうすればお前の剣は、お前が呼ぶ場所に現れるだろう。
<激突 II>
ドラゴンフライの肩に掛けられた巨大なグロングの鍛冶神クロングが作り出した大剣の姿は、普通の大剣とは明らかに違う外見だった。
両手で握るための長い柄に、剣の先端は突きを諦めたような形で尖っておらず、平べったい。
刃の幅は通常の大剣の三倍から四倍もあり、厚みもずっしりと重厚に見える。
長さは3.5キュビト(175cm)。黒い鋼の表面には、グロングの言葉で『神の名において鍛えしゆえ、汝は我らの宿敵たる蒼白い蛇を屠れ』という蒼白い蛇への敵意の文句と、ドラゴンフライとの例外の契約に関する文言が赤く刻まれている。
剣の柄を巻いた薄い布が、闇の中でもほのかに赤い輝きを放ち、ドラゴンフライの歩みに合わせて柔らかく揺れる。
「待たせたな、狂った目玉野郎! さっきみたいに簡単にゃいかねえぞ、覚悟しやがれ!」
ドラゴンフライは肩に載せていた大剣を下ろし、ディベルテに向かって距離を詰めながら言った。
「へへ……へへへへへ。剣がデカくなっただけじゃ~ん」
自分の牙を舌先で舐めながら笑っていたが、ディベルテの構えは相手の動きを観察し、慎重に剣の持ち方を変えながら足を進めていた。
殺気は薄く感じられるものの、ドラゴンフライの純粋な闘争心と、その手に握られた巨大な武器から漂う威圧感がディベルテをわずかにたじろがせていた。
――ブオオオオオン――
ドラゴンフライの大剣が空気を裂く重い風切り音が響く。適度な距離に立っていたディベルテの髪が揺れるほど強烈な風だった。
「うーむ! カエルの神様の大剣は久しぶりに引っ張り出したな。」
普通の人間なら地面からようやく持ち上げられる程度の大きさと重さの、グロングの大剣をドラゴンフライは軽々と振り回していた。
「よし! 重量慣らしはこれくらいで十分だ。始めようぜ、青い目玉。」
言葉が終わると同時に、ドラゴンフライはディベルテに向かって突進した。
両腕で剣の柄を握り、肩の上に担ぎ上げ、巨大な大剣を持っているとは信じがたい速さでディベルテの眼前へ瞬時に現れ、肉厚な大剣を高く振りかぶった。
「真っ二つにしてやるぜ!!」
爆発的な気合いの叫び声と大剣を振り上げる姿が一瞬ディベルテの足を止めたが、すぐに自分に向かって降り注ぐ大剣の影から体を捻って跳び上がり、後ろへ下がった。
――パカカンッ――
倉庫の床の石板が砕け、大剣が叩きつけられた箇所が大きく凹んだ。そしてその周囲に小さな石片とさらに小さな破片が四散して飛び散る。
「逃がすかよ!」
右手で大剣を握ったまま、叩きつけた衝撃で凹んだ床から飛び出し、前へ駆け出したドラゴンフライが、わずかな隙も許さず相手を追いかけた。
ドラゴンフライが振り下ろした大剣を、まるで主人の気性を映したような闘争心あふれる斬蛇刀が頭をもたげ、ディベルテに向けた。
――カガガガガッ――
素早く剣を振り上げて、自分の心臓まで止まらず切り裂こうとする大剣の軌道を捻りながら、刃が擦れる甲高い音が響く。
「心配すんな、レアベッラ。……すぐに殺してやるよ! すぐに……ほんとにすぐ……。」
大剣の攻撃を捻りながらよろめいた体を立て直し、片腕と両足で床を蹴って加速し、ドラゴンフライに向かってディベルテの殺気たっぷりの曲剣が迫った。
「誰と話してんだよ、狂った目玉!」
ドラゴンフライの目が鋭く光った。そして鋭くディベルテに向かって垂直に剣を振り下ろしながら叫んだ。
どす黒い緑色の気で包まれたディベルテの剣がドラゴンフライの大剣と交差し、互いに数歩後退した。
「てめえ……てめえは俺たちに勝てねえ!」
ディベルテの声に重なる異様なマナの波動がドラゴンフライに伝わってきた。
絶叫のようなディベルテの声が響いた直後、瞬時に距離を詰め剣を構えて迫るディベルテの姿がドラゴンフライの眼前に出現した。
じわじわと立ち上る濃厚な殺気を帯びた剣の連続攻撃がドラゴンフライに向かう。
「チッ。面倒くせえな。」
飛んでくるディベルテの剣を受け流しながら、ドラゴンフライは苛立たしげに舌打ちした。
剣が暴れ回り、周囲を舞う攻撃はまるで数十の殺気に包まれた回転する刃が迫ってくるかのような速さで続き、その速い攻撃とともに響く鋭い刃の音が絶え間なくドラゴンフライの耳を刺激した。
「気をつけてください、ドラゴンフライさん! 体の感覚を鈍らせる攻撃ですよ!」
タイガービートルがドラゴンフライに向かって叫んだ。女の歌声が聞こえ、耳の感覚を鈍くし、体のバランスを崩す奇怪なディベルテの攻撃が始まろうとする前兆である、鋭い刃の音が聞こえた直後だった。
「おう! 元々耳障りな音が聞こえてて、なんとかしようとしてたところだぜ!」
タイガービートルの声に答え、ドラゴンフライは大きく息を吸い込んだ。そして一瞬だけ動きを止め、手にした大剣を後ろに引き、下段に構えたあと迫るディベルテに向かって振り抜いた。
短い瞬間だったが、凝縮した力を大剣に込めた一撃がディベルテに向かった。揺るぎなく地面と並行に、きれいな線を描く一撃。
華やかさもなく、長年の経験から来る技巧もない剣の一撃だったが、殺意とは少し違う性質の心が込められた一撃。闘争の相手を切り裂き、戦いで勝利するという強い意志を宿した斬撃だった。
そしてそれに加え、耳の中を突き刺す苛立たしい攻撃を早く止めたいという意志も少しだけ混じった一撃がディベルテに命中した。
「ぐううううっ!」
剣を立てて自分の腰に向かう大剣をディベルテが防ごうとしたが、強靭な肉体のオーガが力を込めて振り下ろした棍棒が直撃したような威力で、ディベルテは倉庫内の穀物の俵が積み上げられた場所へと吹き飛ばされた。
「ふはあああああ!」
ぼんやりと立ち上る小麦粉と埃の混じった霧の中で、ディベルテの絶叫が響いた。
「お、おお! 今の、効いたみたいですね? あれ、痛がってる声ですよね?」
「どうかな……。妙な声ばっかり出す野郎だからな。」
――ドオオオオッ――
穀物袋が弾ける音が響き、ぼんやりと見えていたディベルテの影が埃の霧を突き破って現れ、ドラゴンフライに向かってきた。
「俺の……俺の……俺の夢から出てけ!」
口に含んだ黒い血を吐き出しながらディベルテが叫んだ。片方の腕と鎖骨が折れて骨が突き出た惨めな姿だったが、ディベルテの動きは止まらなかった。
体内に残った生命を燃やし尽くしたディベルテの攻撃。体周囲の埃と小麦粉の霧を押し返すほどの強烈なマナの波がディベルテの体から迸り出た。
眉をひそめ、細めた目でディベルテの影を見ていたドラゴンフライに向かい、飛ぶような速さで迫ったディベルテの剣が反応する間もなくドラゴンフライの首を貫こうとした瞬間。
ディベルテの指先から剣を通じて伝わる肉を抉る感触が届き、痙攣する腕に力を込めようとしたときだった。
「ふうううっ!」
剣が前に進まない。肩に力を入れて腕をさらに伸ばし、眼前のドラゴンフライの首を突こうとしたが、逆に剣の先端が肉から抜けていく感覚がした。
理解できない事態が続いた。何かが自分の体を抉りながら押し返す力が感じられた。
ディベルテが顔を下げ、自分の体を見下ろすと、赤い布が胸に突き刺さっているのが見えた。
まるで生命を与えられたように生き生きと動く長い布の反対側は、ドラゴンフライの大剣に繋がっていた。
クロングの加護を授かった斬蛇刀の赤い紐には、主を守る能力がある。
巨大な大剣を振り回す際に自然に生じる隙を埋め、使用者を守る装置としてクロングの加護が発動し、ドラゴンフライに殺気を帯びた攻撃を仕掛けていたディベルテを阻むためにその機能が働いたのだった。
「甘い! だから届かねえんだよ。」
「ぐううう……ぐえっ! 俺の……俺の夢から……出てけ。レアベッラと俺の夢……から……!」
ごぼごぼと口から溢れる血を飲み込みながらディベルテが叫んだ。生命が尽きゆくディベルテが吐き出す最後の断末魔が、タイガービートルとドラゴンフライに届く。
そして聞こえてくる恐ろしい絶叫とともに、ディベルテの全身から黒い気が激しく噴き出した。
嵐の前兆のように荒れ狂う海の黒い波のように、不吉な感情をディベルテは吐き出した。
「…………」
胸にはまだドラゴンフライの大剣の柄から伸びた赤い布が突き刺さったまま、ドラゴンフライに向かって剣を振り上げようとしたときだった。
――チャンッ――
薄い金属片が落ちる音が響いた。
いつの間にか近づいたタイガービートルが、ディベルテの手にした剣に自分の剣を合わせた。そして同時にドラゴンフライの大剣による簡潔な水平斬りがディベルテの体を薙ぎ払った。
床に崩れ落ちるディベルテの上半身。胸に刺さっていた赤い紐は再び主人の元へ戻り、大剣の柄にくるくると巻きついた。
床に折れて落ちた彼の剣を、震える青い瞳で見つめながら最後の息でレアベッラという名を呼ぼうとしたが、声すら出せずに静かに水面下へ沈むように、その生命は尽きた。
「ふううう……。危ない相手でしたね。」
「ふん! クロングの大剣まで出させるほど、褒めてやる価値のある野郎だったぜ。」
「それにしても……倉庫をめちゃくちゃにしちゃいましたね。依頼主にちゃんと説明しておかないとですね。」
「仕事のついでに起こった副次的な被害だって説得してみたらどうだ?」
「おお~、いい考えですね。ところで、傷の手当てしましょう。剣傷に効くテラシアの根で作った軟膏もちょうど持ってますから。」
「いつも準備が万全だな。ありがと。」
「私の天職に含まれる仕事ですから。」
壊れた木箱の破片。倉庫内に散乱した物資の残骸の真ん中に腰を下ろしたドラゴンフライに向かって、タイガービートルは懐から軟膏を探りながら近づいた。
舞っていた埃も落ち着き、静寂が訪れ、再び穏やかな空気が倉庫の中に満ち始めた。
「大変な夜だった!」
「ええ、ドラゴンフライさん。骨の折れる夜でしたね。」
派手に壊した倉庫の言い訳、タイガービートルなら上手くやってくれるでしょう
それでは、また次回




