113話 グランドトーナメント (12)
「これで終わりですよ。名も知らぬ青い目のセルダガー。」
黒い気で包まれたタイガービートルの短剣がディベルテの背中に深く突き刺さると、濃い血を全身に染めたディベルテの動きがぴたりと止まった。
「ぐううっ……。」
ディベルテの口から勢いよく溢れ出した粘つく血が、顎を伝って倉庫の床に滴り落ち、たまり始めた。体内を掻き回す毒気がディベルテの腕をねじ曲げ、ぎしぎしと不気味な音を立てさせた。やがて全身を激しく痙攣させた後、床に崩れ落ち、糸の切れた操り人形のように、微動だにせず動きを止めた。
「ふううう……。終わったみたいですね。」
倒れたディベルテを見下ろし、安堵の息を長く吐き出した。体を翻してドラゴンフライの方へ向き直り、明るい笑みを浮かべる。
「ははっ! 今回の相手はかなり手こずりましたね? まずはその傷、手当てしましょう。」
「……! タイガービートル、後ろだ! 後ろを見ろ!」
笑いながら近づいてくるタイガービートルの背後で、再び起き上がったディベルテを指さし、ドラゴンフライが叫んだ。
「え? 何……うわっ!」
タイガービートルが振り返った瞬間、そこにディベルテが手にした曲剣を振り下ろしていた。体をひねって肩と体を斜めに避けようとしたが、鋭い曲剣の切っ先が肩に触れ、赤い血が滲み出た。
「うふふふふふはは!」
肩から流れ、手の甲を伝って床に落ちる血を見て、ディベルテが笑い声を上げた。
「油断するなって言っただろ! 説教はこいつを倒してから続けるから、下がってろ!」
――カァァン!
倉庫内に大きく響く金属音とともに、肩を抱えたタイガービートルを飛び越え、ドラゴンフライがディベルテの剣を弾き飛ばした。
「気をつけて……。普通の状態じゃないですよ。」
腰の道具袋から取り出した白い粉末を肩に振りかけ、手で押さえたタイガービートルが叫んだ。
「人間と呼べるかどうかも怪しいけどな?」
タイガービートルに答えながら、ドラゴンフライが振り下ろした一撃は、倉庫の床の小さな木片すら巻き込むほどの威力だった。ディベルテはそれをかわす。
体を半分に折り曲げるような不気味な動きで、蛇のようなしなやかさで避ける。猛毒の息に飲み込まれた影響でねじ曲がった腕と、発作のように震える体で、ドラゴンフライの攻撃を次々と受け流していた。
「くっ!」
動くディベルテの姿がぼやけて見える。細く伸びた影を従え、濁った緑色の気を引きずりながらの素早い反撃が、再びドラゴンフライの首を狙った。
「ふひひひひひ。避けられないよ~! 速すぎて避けられないね~! 僕たち、速すぎるんだよ! ふあああ~!」
女の声が混じった奇怪な声が過ぎ去った跡に、宙に散るドラゴンフライの血が残った。
「ふらふらしながらよく動くじゃねえか、この狂った目玉野郎!」
時間が経つにつれ加速するディベルテの攻撃は、威力まで増していき、ドラゴンフライの体に何筋もの赤い血の傷を刻んでいた。手に握った剣で何度も攻撃を防いだはずなのに、太もも、鎖骨、手の甲、肩……傷がどんどん増えていく。そしてついに、息を詰まらせるほど冷たいディベルテの笑い声とともに、ドラゴンフライの剣が折れる音が響いた。
「くそっ!」
ドラゴンフライが折れた剣を床に投げ捨て、ディベルテとの間合いを大きく取って後退した。
「ふはは! 折れちゃったね~え!」
長く伸ばした舌と、裂けんばかりに大きく見開かれた白目の輝きを絶え間なく瞬かせながら、ディベルテの斬撃が折れた剣を持つドラゴンフライに向かうその瞬間、ディベルテの前にタイガービートルが割り込んだ。
「時間を稼ぎます、ドラゴンフライさん! その隙に斬蛇刀(Snake Bane)]を!」
二本の短剣を交差させてディベルテの剣を受け流し、タイガービートルが叫んだ。肩の白い粉が止血効果を発揮したのか、傷口の血は粉と固まって流れなくなっていた。
「こんな狂った野郎に斬蛇刀まで出さなきゃならねえとはな! でも正しい判断だ、タイガービートル。」
「できるだけ早くお願いします、ドラゴンフライさん。」
「わかった。じゃあ少しだけ時間を稼いでくれ!」
タイガービートルから離れたドラゴンフライは、光の届かない倉庫の隅へと姿を消した。
「ふむ……。道具の力を少し借りないとですね。」
タイガービートルが懐の袋から取り出したのは、紫色と赤色の蜜蝋で封印された小さなガラス瓶が二つだった。
「それでは僕たちの切り札が準備できるまで、少しお付き合い願いますよ。えっと……どう呼べばいいんでしょう? 名前を教えてくれそうもないし、ドラゴンフライさんが呼んでる呼び方も……ちょっとね。」
小さなポーション瓶の蜜蝋を剥がし、中身を飲み干しながらタイガービートルが言った。
「ふふふふふふはははは!」
二本の短剣を構えて近づくタイガービートルに向かい、ディベルテが口角を大きく裂いた笑みを浮かべて突進してきた。
「ふ……。会話は望んでないみたいですね。僕もこのポーションの効果を試さないと。」
――チャァァン!
駆け寄りながら振り下ろされたディベルテの攻撃を弾き返すと、倉庫内に剣の響きが響いた。そして続くタイガービートルの猛攻。
「うあああっ!」
二本の短剣から繰り出される猛烈な連撃。ディベルテの体にはタイガービートルの短剣による傷がいくつも刻まれ、黒い血が流れていたが、普通の人なら見せるはずの痛みへの反応は一切なかった。
「ふふふへ……痛くないよ、レアベッラ……痛くない……。」
黒い血が床に飛び散る音、ディベルテの笑い声、床を蹴る音、剣が空気を裂く音が響く。ディベルテとタイガービートル、二人の戦いは続く。倉庫内に積まれた箱や柱の間を往復しながら、互いに向け合う剣の音が鳴り響いた。
タイガービートルが飲んだ二本のポーション。錬金術師に大金を払って手に入れた魔法薬の効果は、タイガービートルが期待した以上のものを発揮した。
最初に瓶の中の液体を口に含んで飲み込んだ時は、慣れない苦味が喉に絡みつき、胃に落ちた後も口内に残るその味と、じんじんとした痺れのような感覚に思わず眉を寄せてしまった。でもそれはほんの一瞬のことだった。
両手に握った短剣の柄に指の跡が残るほどの力が、腕全体に漲ってきた。手足が震え、目がぱっと開くような力がタイガービートルの体から湧き上がる。肩と頭上に、マナの気が燃える炎のように爆発的に噴き上がるのが感じられた。
一呼吸で溢れ出るマナが整理され、集まる感覚に慣れたのは、ディベルテの剣を防ぎ、手にした短剣を何度か振ってみた後だった。完全に発現したポーションの効果は、瓶の蜜蝋を剥がした時に期待したよりもはるかに大きな効力をもたらしていた。
『ふう! これはすごい!』
地面を蹴って跳べば10キュビト(5m)は跳べるような感覚。手に石でも握っていれば握りつぶせそうな力が感じられる。
「さあ、その笑みを顔から消してあげましょう!」
二本の短剣を頭上に高く掲げ、空中に跳び上がったタイガービートル。
ディベルテの目が上を向き、その姿を追う。しかし、もう一人のタイガービートルが目に入る。床を蹴って駆け寄り、方向を変えて逆手に握った短剣でディベルテの脚を狙う姿。反対側ではさらに低く身を沈め、ディベルテの顎を狙って剣を突き上げる姿。正面からは右肩を狙って腕を大きく伸ばし短剣で攻撃する姿。左側からは逆手に握った二本の短剣で叩きつけようとする姿。
剣を構える形はそれぞれ違うが、ディベルテに向けられた冷たい殺気の表情だけはすべて同じだった。正手に握った短剣は斬り、逆手に握った短剣は突く。首を狙い、脚を斬り、太ももを突き、肩、鎖骨、すね、腕、脇腹……無数のタイガービートルの攻撃がディベルテに向かう。
猟師の足音に驚いて同時に空へ舞い上がる鳥の群れのように、何人ものタイガービートルの幻影が、手にした短剣をディベルテに突きつけた。
「ふふふふふふふふふ! たくさんいるね~え? 面白いねえええ!」
数十本の刃がぶつかり合う音が響いた。その合間に混じるディベルテの笑い声。そして、自分の限界を高めて動くタイガービートルの短い叫びが聞こえる。
『動け! 動け。もっと速く!』
見事に命中したファントムダガーの攻撃。しかし相手のディベルテは、短剣で刻まれる傷など意に介さず、タイガービートルの攻撃に反撃を返してくる。
「うああああ!」
短剣を握り直して繰り出す音と、顎に力を入れて歯を食いしばる音とともに、さらに加速するタイガービートルの攻撃が続く。
「速いねえ~! どんどん速くなるけど、どれだけ続くかな~あ? ふひひひひひ!」
前腕の傷からは、ディベルテが剣を振るうたびに血が飛び散る。骨が覗き、切り裂かれた筋肉が見えるほどの深い傷だったが、それでも痛みは感じていないかのように、タイガービートルの攻撃に対抗していた。
「まだです!」
――シュイイイイイイイイ!
鋭い音がタイガービートルの耳をかすめた。息を一回完全に吸いきらないほどの刹那だった。短い時間に爆発的な力を発揮したポーションの反動か、わずかに崩れた姿勢の隙を突き、ディベルテの剣がタイガービートルの肩を斬り裂いて通り過ぎた。
「うぐっ!」
唇を噛んで肩の痛みを堪えながら、依然として自分の血を湛えた軌道を変え、首を狙ってくるディベルテの剣を防いだ。重い金属の衝撃音。空中で高速回転するタイガービートルの短剣が見える。
『簡単な相手じゃない……あんなに斬られても痛がる素振りすらないなんて……。』
タイガービートルは辛うじてディベルテの攻撃を防ぎ、距離を取って跳び上がり、残った一本の短剣を構えて防御姿勢を取った。
「もう一本だけになっちゃったね~え?」
片方の口角を上げて微笑むディベルテが、人差し指を伸ばしてタイガービートルを指さした。
「まだ一本も残ってますよ。」
ポーションの効果はまだ体内に残っており、ディベルテの剣による傷の痛みをわずかながら和らげてくれていた。
『もう少しだけ時間を稼げば……ドラゴンフライさんが来る。』
ディベルテと攻撃を交わしながら、少しずつ倉庫の反対側へディベルテと自分の位置を誘導していたタイガービートルは、倉庫の遠くの方へ一瞬目をやり、ドラゴンフライが再び姿を現す時間を計っていた。
「でも……お前……音……聞こえ……ない……?」
「え? 何……。」
タイガービートルの眉が寄り、依然として指先で自分を指しているディベルテを睨みつけた。水の中に沈んでいるように、音がくぐもって聞こえる。
小さな足音さえ聞き取れたタイガービートルの耳には、ディベルテの声すら口をぱくぱく動かしている姿だけが見え、完全にその音を聞き取れていなかった。
自分の声が伝わっていないことに気づいたディベルテが、仕方ないというように両肩をすくめてみせ、再びタイガービートルに向かって攻撃を続けた。
――チャンチャンチャンチャン!
剣を防ぐ音すら、壁の向こうから聞こえるようにタイガービートルの耳には鈍く響く。次第に薄れていくディベルテの笑い声。しかしその反対に、次第に鮮明になっていく音がタイガービートルに聞こえ始めた。最初は女の小さな笑い声のように聞こえていたものが、今では笑いに混じって歌うような声がはっきりと聞こえる。
ディベルテの剣を受け止める体が重く感じられた。完全に防ぎきれず、流れたディベルテの剣がタイガービートルの体に傷を負わせる。傷が増えるほど、タイガービートルは自分の動きが鈍くなるのを感じた。傷口一つ一つに、鉄の鉤で体を掴んで引きずるような痛みとともに、そんな感覚が伴っていた。
「ううっ……。」
辛うじて防いだディベルテの攻撃でバランスを崩し、積み上げられた金属塊の入った木箱の方へタイガービートルの体が押しやられた。箱が壊れ、床に落ちる金属の音が耳障りに響いたが、タイガービートルの耳にはやはり鈍い響きしか伝わってこなかった。そして聞こえてくる声。
「少し遅くなったな。タイガービートル。」
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