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109話 グランドトーナメント (8)

「放浪商人か……。それなら、今でも十分にできるんじゃないか? 俺たちもあちこち回ってるんだし、売れそうな物だけ買って持ち歩けばいいだろ。そして……。」


「そして?」


「もう一つある。護衛の冒険者を雇わなくていいから、他の放浪商人より費用がかなり浮くぞ。」


いたずらっぽい表情でドラゴンフライが言った。


「そうですね……。改めて考えてみると、放浪商人の人生はそれほど新しい生き方じゃなかったですね。お金はもっと稼げそうですが、今は特に金に困ってないですし。」


タイガービートルが微笑みながら言い、スプーンいっぱいのオートミールポリッジをすくって食べた。


「じゃあ話題を変えようか? 違う人生を想像してどうだったか仮定するのは、今の生活に満足してないみたいで、少し軽く話したい気分だったんだ。」


「俺は構わないよ。」


「うーん……。もう少し現実的な話にしてみましょう。」


「例えばどんな?」


「この食堂を出た後の計画について話してみるのはどう?」


「適当な場所を見つけて日が沈むまで寝るつもりだったけど、それも計画って呼べるかな?」


「私は紋章に使う粉筆(ふんぴつ)を作っておこうと思ってたんですけど。」


「ん? 暗幕の紋章に使う粉筆は十分あるだろ?」


「はい。それは十分あります。猛毒息(もうどくいき)の紋章に使う粉筆の話です。」


タイガービートルがテーブルの上で自分の指先を使って文の形を描きながら言った。


「使う機会があるのか? 今日の依頼対象は……つまり……必要ないんじゃないか?」


周囲の人を気にして小さな声で囁くようにドラゴンフライが言った。


「はい。生かして依頼人に渡さなければならないので、猛毒息の紋章は使う機会がないでしょう。使ってはいけませんし。」


「そうだな……。じゃあ粉筆はなぜ作っておこうと思ったんだ?」


「わかりません。理由を説明できない……。予感と言っておいてもいいですか?」


視線を下に落としてタイガービートルが低い声でドラゴンフライの問いに答えた。


「猛毒息の粉筆なら……。何が必要だったっけ?」


「うーん。苔花(たいか)キノコと灰黒色(かいこくしょく)道化キノコが必要です。ヴェス・ディナスで手に入るでしょうか……。」


「道具屋か錬金用品店で手に入るだろ。それにしてもよく覚えてるな。あまり使わない紋章なのに。」


「へへ。グロングの紋章術は得意ですから。」


ドラゴンフライからの珍しい褒め言葉に機嫌が良くなったタイガービートルが、眉の先を撫でながら笑った。


「そうだったか?」


「ひどいです。」


「何が?」


「なんでもありません。」


固く結んだ口。突き出した唇を見せた後、大きくため息をついてタイガービートルが力のない声で言った。


「じゃあ仕事が始まるまで時間があるし、街を回ってみるか?」


「え? 本当ですか?」


「そうだ。考えてみれば祭り中の街に滞在(たいざい)するのは珍しい機会だから、粉筆の材料を買った後は俺たちも祭りを楽しもうぜ。」


「おお……。はい! 喜んで楽しみます、ドラゴンフライさん!」





<イルダ・バナス>


暖かな日差しが直接差し込む部屋。さまざまな大きさの油絵が壁に掛けられた広い部屋の中に、金色の葉が刺繍された漆黒(しっこく)のドレスを着た女性の姿が見える。


片手に持った小さな本に視線を落としている女性が、本の頁をめくるたびにパタパタという音だけが時折聞こえていた。


女性の長く伸ばして軽く編んだ明るい金髪は優雅さを感じさせる。


透明な白い肌のおかげでより鮮やかに見える黄色いトパーズの装飾ネックレスの紐を時折撫でながら、赤い唇をきつく噛み、読み進める本の文章一つ一つを頭に刻み込もうとするように、大きな二つの目の間を少ししかめて本を読んでいる。


イルダ・バナス。ラタク・バナスとルヤン・バナスに続くバナス大公家に生まれたイルダ・バナスは、その高貴な生まれにふさわしく、独特の外見的特徴を持って生まれた。


黄金色の瞳。短くない王国の歴史にもただ一人の例もない、特別な色の瞳をイルダ・バナスは持って生まれた。


美しい顔立ちと微笑みが目に入らないほど、エステタ王国だけでなく大陸どこでも、そんな輝く黄金色の瞳を持つ存在はいないと言われ、その眼光を近くで見た者は男心と女心を問わず皆が魅了されるような、そんな眼光だった。


そんな彼女の瞳のために『世界で最も美しい瞳』という異名(いみょう)で、城内の人々と都市の領民たちからバナス家の美しい公女様と呼ばれもするが、そんな別名以外にも彼女の美しさとは程遠いもう一つの名前でイルダ・バナスは呼ばれもする。


バジリスク。


彼女と向き合って会話をした数人の王国の貴族たちが付けた異名だった。


感情の揺らぎを見せない表情と獲物を狙うような目で相手を射抜く眼光だけが、彼女と向き合った者たちの頭に強く残った記憶から生まれたものだった。


そしてそのバジリスクの眼光の前に跪いた(ひざまずいた)者たちがいた。バナス家のビュスティング騎士団は王国の人々から『蛇の王に屈した(すずめ)たち』と嘲笑混じりの別名で呼ばれ、大公家の将軍ウィントは『バジリスクの騎士』というもう一つの名前で呼ばれ、彼女の傍を守っていた。


バジリスクと呼ばれた彼女の眼光も今は日差しの中で静かに輝いていた。部屋いっぱいに染み込んだ光に照らされたイルダ・バナスの黄金色の瞳がさらにその美しさを発揮している頃、広い部屋の扉が開いた。誰かが入ってきて、本を読んで集中していた彼女の傍に静かに近づいた。


「少し待ってくれる? ミランダ?」


高低が少なく冷たさを感じさせる声。彼女の視線はまだ手に持った本に向いていた。


「はい。お待ちします。」


黒い革の鎧と顔を覆った仮面を付け、フードを深く被った女性の声がイルダ・バナスの言葉に答えた。


女性の服装は独特だった。肩と腕には竜の鱗のように細かく重なった硬い革の鎧と、首まで覆った服と仮面で、少しの隙間も自分の肌を見せまいとするような服装のため、黒い影がイルダ・バナスの横に立っているように見えた。


再び本の頁がめくられる音が何度か聞こえ、静けさが徐々に部屋を満たしていく頃、本を閉じる音とともに両腕を前にまっすぐ伸ばして固まっていた体を伸ばしたイルダ・バナスが、頭を巡らせて自分の横に立っているミランダに向かって彼女の黄金色の瞳を見せた。


「待ってくれてありがとう。聞かなければならない話がある?」


口角を少し動かして挨拶とともに言葉をかけ、イルダ・バナスが再び頭を巡らせて片手を差し伸べ、ミランダに座るよう勧めた。


「クレントの依頼について報告に参りました。」


椅子を引き、音を立てないように慎重に椅子を動かしたミランダが座りながら言った。


「ああ。言われなくてもわかると思うけど? 今年の夏に稼いだ収益の半分もかけて雇った二人だから。」


「はい。おっしゃる通り上手く処理されました。そして彼の住処で発見されたものです。」


ミランダが懐から濃い色の革表紙の本を一冊、イルダ・バナスに差し出した。


「やはり存在していたのね。彼が資金を出している分離派(ぶんりは)貴族たちの名簿が……。」


ミランダから受け取った本を広げ、小さな文字を素早く読みながら頁をめくり、イルダ・バナスが言った。


「見慣れた名前が並んでいるわね……。ラランシェ……、ボルダマン……、ブリーブ……、フェルタ……。そして少し意外な名前もいるわ。」


イルダ・バナスの細くつぶった目の間がしかめられ、表情が険しく変わった。


イルダ・バナスが言った分離派とは、バナス大公家の大公バナビル・バナスの二人の息子の中でルヤン・バナスを支持し、彼の爵位継承を支持する人々の集まりを指す言葉だった。


上位継承権者であるラタク・バナスと比べると小さくても、彼の弟であるルヤン・バナスに与えられるバナス家の遺産と領地も少なくない。だから今のバナス家の力はいずれ二人の息子が爵位を分け合うことになれば、自然にバナス家の力も分割されて弱くなるだろうと期待していた人々がいた。


しかしある日、誰も予想しなかったことが起きた。


ルヤン・バナスは自分のすべての継承権を放棄し、すべての爵位とそれに伴う領地、そして財産を兄のラタク・バナスと妹のイルダ・バナスに与えられればいいと言い、自分は自由な冒険者としての人生を生きると公表したのだ。


そのことでバナス家と敵対していたカビル家と、王国内の堅実な勢力の成長を懸念していた王室の動きが慌ただしくなった。


どうしてもエステタ王国で最も強大なバナルドの獅子の力を弱めなければならなかった。


そうしてカビル家と王家ドラスラットは、ルヤン・バナスの正当な継承権を温存させてバナス家領地の分割を支持する勢力を作る政治的工作で生まれたのが、イルダ・バナスが言った分離派という集まりの正体だった。


「この中に書かれた人物たちは頭目……。うふむ! 団長様の命令で監視をつけておきました。」


「呼び方に慣れなきゃね、ミランダ。今は盗賊団じゃなくてビュスティング騎士団だから。」


「はい。わかりました。」


ミランダが答え、自分の服の襟の内側に刻まれたビュスティング騎士団の象徴である赤い羽の鳥の紋章をそっと撫でた。


「それでもまだ団長はバナスの雀たちと呼ばれるのが不満?」


片手を上げて口を覆い、イルダ・バナスがミランダにいたずらっぽい口調で尋ねた。


「あ……。うーん……。はい。とても少し……。少し不満があるようでした。あの二人を雇ったのも……。」


自分の目を見ている黄金色の瞳には、なぜかとても些細な嘘さえも言えないと思ったミランダが、言葉を濁しながらイルダ・バナスの問いに答えた。


「団長に伝えておいて。バナス家でビュスティング騎士団の仕事は暗殺や拉致じゃないって。」


「はい。イルダ様。」


柔らかな口調でミランダに話すイルダ・バナスの声には、単に聞き心地の良い澄んだ響きではなく、自分に従う騎士団に命令を下す女軍主(じょぐんしゅ)としての威厳が込められていた。


「あ、そうだ。今度のグランドトーナメントに()射ち大会があったわね。団員の中に弩が上手い子がいたわよね? メラディ……だったかしら?」


「あ、そうだ。今度のグランドトーナメントに弩射ち大会があったわね。団員の中に弩が上手い子がいたわよね? メラディ……だったかしら?」


「はい。そうです。」


「メラディを出してみるのはどう? ビュスティング騎士団の実力も見せるついでに。」


「それが……。今あの二人の処理を監視する役でメラディが出ていて……。」


「そう? それは残念ね。」


名簿が書かれた本を閉じ、イルダ・バナスが深いため息をついた後、言った。


再び部屋の中には何の音も聞こえなくなった。


しばらくして遠くから聞こえる小さな鳥の声が響いた。そして再び静かになる部屋。


目を閉じて考えていたイルダ・バナスが静かに吐いた息遣いがミランダに聞こえるほどだった。


「今夜だよね?」


「はい。」


「港側の倉庫だったわよね?」


「はい。イルダ様。」


「夜遅くの外出か……。久しぶりね。団員何名が私の護衛で同行する予定?」


「団長様が他の五名と一緒に同行される予定です。」


「多すぎない? ミランダ一人で十分よ。」


「団長様がお許しになるかどうか……。夜の港は危険ですから。」


困った声でミランダが言った。


「団長には私が直接言うわ。私があなたを困らせたのね。」


「いいえ。配慮してくださった点、ありがとうございます。」


「ふう……。じゃあその時間までは少し休めるわね。」


疲労感を感じる目を再び閉じ、イルダ・バナスが椅子に体を預けた。


「それにしても……。イルダ様。」


「ん? どうしたの?」


「暗殺者まで雇って分離派たちを……。本当にそうしなければならないんですか?」


自分の主君に失礼な言葉が混ざらないよう慎重にミランダが言った。


「全員殺すわけじゃないわ。気が合わないからってみんな殺したら……。それもいけないことだから。」


再びイルダ・バナスが目を開け、椅子から立ち上がりながら言った。


「どうしてもそうしなければならない者だけを殺すのよ。ラタク兄さんができないことを私がしなければならないと思ったの……。腐った部分は切り取らなければならないわ。」


窓の外を眺めていたイルダ・バナスが、頭を巡らせてミランダを見ながら言った。


日差しを反射するイルダ・バナスの瞳がさらに輝いていた。


そんな彼女の美しい二つの目に魅了される暇もなく、彼女の冷たい表情と声が、ミランダに揺るぎない黄金色の瞳を持つ獰猛(どうもう)な魔獣と向き合うような感覚を感じさせた。

お読みいただき、ありがとうございました

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