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107話 グランドトーナメント (6)

「少し前、レバドスの平原でクールトの件で訪ねてきた者だと言っておいたが、もう話したんだから逃げるんじゃないぞ、ドロコのガキ!」


「逃げないだる、でぶのハズール!」


「そのでぶって言葉は!」


大声を上げながらニアに向かって振り下ろしたハズールの斧が木の幹に突き刺さり、重い音が周囲に響き渡った。


「この野郎!よくも!」


闇に姿を隠したニアを探して首を巡らせたハズールが、怒りに満ちた咆哮(ほうこう)を上げ、物音のした茂みの方へ体を向けようとしたその瞬間だった。


「ハズール様 ! そちらではありません! すぐ横です! 横!」


「は?」


「くひひ。遅いだる、太ったハズール。」


「ぐえっ!」


自分の腰の下から聞こえたニアの声に顔を下げ、ハズールとニアの目が合った瞬間だった。


ニアの手の甲に装着されたバックラーが、ハズールの分厚い脂肪に囲まれた腹を直撃した。ハズールの両足が地面から浮き上がり、揺れる肉の波がバックラーが当たった腹から顎の肉、頰の肉まで伝わって広がった。


「ハズール様! 大丈夫ですか!?」


ニアの攻撃に短い悲鳴を上げて吹き飛び、太い木に重い音を立てて倒れたハズールに、他の二人の男が木の上から降りてきてその様子を確かめていた。


「ぐうむ……やるじゃないか、小さなドロコ。」


肩を支えようとする部下たちの手を振り払い、腕を振り回して退けたハズールが立ち上がり、痛む脇腹をさすった。


「このドロコは私たちにお任せください、ハズール様。」


焚き火の光が届かない闇の中から三人の男が姿を現し、ハズールに言った。


「出てくるなと言っただろう! ちょっと油断して一発食らっただけで!」


怒りの咆哮を上げたハズールが、手にした両刃斧を空中に振り回しながら周囲の部下たちを追い払った。


「ふうう……速いな、ドロコ!」


ニアの攻撃を受けた脇腹がズキズキ痛んだが、見ている部下たちの目がある以上、痛みに顔を歪めるわけにはいかないと思ったハズールがニアに向かって叫んだ。


「さあ……ニア・カラゴン。そんな軟弱な攻撃じゃこのハズールを倒せないぞ!」


ハズールが言い終わる前に、闇の中に立っていたニアの姿が一瞬ぼやけ、同時にハズールの眼前に出現した。


「えええ?」


目で追えないニアの動きに何度も瞬きを繰り返し、今の状況を理解しようとするハズールが、呆けた表情で口を開けたままだった。


「知ってるだる。」


―ドンッ―


その場から飛び上がったニアが、再び手に装着したバックラーを利用してハズールの頭を攻撃した。


小さな体格のドロコからは出せないような力が込められた一撃に、ハズールの体が大きく揺らぐ。


一瞬視界がチカッとしたが、気を失うほどの衝撃ではなかったため、ハズールの見開いた目はニアを睨みつけていた。


しかしハズールの眼前でわずかに留まっていたニアの姿がぼやけ、消えた。そして消えたニアの姿を追おうと眼球を素早く左右に動かした。


「うおおっ!」


脇腹に走る激しい痛みにハズールが苦痛混じりの声を上げた。そして自分にそんな凄まじい痛みを与えた、自分の脇腹に突き刺さった革の(さや)に包まれたハーフ・スピアの形を確認した瞬間、ハーフ・スピアを握ったニアの手が止まることなく動いていた。


―ずんっ―


鈍い音が響き。


「ハズール様!」


「ぐうううう……。」


かろうじて細い息を吐くハズールの声が聞こえる。


「ハズール様がやられた! 奴を殺せ!」


よろめきながら制御を失った自分の体とぼやけていく視界。部下たちの声がハズールの耳にだんだん小さく聞こえ、血管の浮いた白目をむき出しにした巨体のハズールが、木こりの斧で倒れる木のように意識を失い地面に崩れ落ちた。


鞘から武器を抜く音がした後、抜いた剣とともにニアに飛びかかった五人が一人また一人と短い呻きを上げて倒れ、最後に残った一人の男が朦朧(もうろう)とする意識を必死に繋ぎ止めながら、警告の言葉を吐いた。


「一度キャリッジ・ドッグスに狙われたら……。俺たちの兄弟たちが……お前が死ぬまでずっと追い続けるぞ。」


「かまわないだる。」



<番外編:竜を追う犬たち> ―終わり―





<ディベルテ>


「うふふふふふふふ……。くくくくく……。かっははははははっ!」


高く積み上げられた壁の下の黒い影から、抑えきれずに飛び出す誰かの笑い声が聞こえてくる。喜びという感情を遥かに超えた笑い声だった。


与えられる拷問の痛みで自分の意志とは無関係に漏れ出る呻き声(うめきごえ)とは正反対だが、自分の愛剣とともにいるディベルテからも、極上の喜びから生まれる笑い声が彼の意志とは無関係に途切れることがない。


「私の愛、レアベッラ。今日は風が冷たいね? 温かい血が恋しくならない? 私も……私も……でも今日はダメ。」


レアベッラの入った鞘に頰を擦りつけ、指先を慎重にゆっくり動かして包み込むように握ったディベルテが、恋人の耳元に囁く(ささやく)ように言った。


「ふふひ……ひ……ひひひひひ……。今日は……今日は……アード様の次の試合の相手に、ほんの少しだけ、ほんの少しだけ毒を使えばいいんだ。死んじゃダメだから、ほんとにほんとに少しだけ……。」


ディベルテが手のひらで口を覆い、漏れ出そうとする笑い声を抑えた。


「レアベッラ、私の愛。道を私に示しておくれ。私たちの夢では闇は何の妨げにもならないってことを見せて。」


ディベルテの剣に飾られた宝石から淡い(あわい)光が放たれ、暗い雲が立ち込めて月明かりすらぼんやりとしか差し込まない庭園を横切り、遠くに見える屋敷へと続く淡い光の跡が伸びていた。


「雨が降りそうだ……。私たちが初めて出会ったあの日みたいに……。冷たい雨がレアベッラ、あなたに当たってはいけないから、早く仕事を終わらせるよ。」





*****


昔のこと。ディベルテは南の砂漠王国アルーンの最も南にある港、ハリッサとイクスターン、そして獣人たちの島ロンデラ島の港を行き来する交易船の船員だった。


帆柱(ほばしら)の上、カラス巣に座って南の海の香りを嗅ぎながら、うねる大小の波を眺める時間をディベルテは嫌いではなかった。


イクスターンではアルーンの貴族たちが召使いに毎日港で待たせて買い占める香料と絹を積み、ハリッサ港ではアルーンの甘いナツメヤシの実と透明なガラス塊を積む交易船(こうえきせん)の名はヴィーオサ号。


ディベルテはヴィーオサ号の他の船員たちと同じく、ほどほどに怠け、ほどほどに真面目だった。


重いガラス塊の入った箱を運ぶのは嫌いだったし、甲板長(かんぱんちょう)の目を盗んでカラス巣に横になり、海風に吹かれながら昼寝をするのが好きだった。


そんな日々が過ぎていった。硬いパンを雨水で薄めた酒に浸して食べる日々。船歌を歌いながら波を越え、帆を張るロープを引いて、星明かりの下で揺れる船の上で眠る時間が繰り返された。


ある日、ロンデラ島の南、レルたちの土地の最も南の港に向かったヴィーオサ号はハリッサに戻ってこなかった。


夜空に浮かぶ月の姿が何十回も変わっても、荒れた海の上の暴風雨と高い波に飲み込まれたという噂だけが漂うばかりだった。


船に乗る者なら、陸上で死ぬより、果てのない深い海の底に沈んで死ぬことを最も恐れるという。そんな恐ろしい最期が不幸にもヴィーオサ号の人々に訪れたことを、彼らと縁のあった他の船員や商人、港の労働者、恋人、家族たちに知らされた。


時間が過ぎ、冷たい海を恨む声が少なくなった頃、ハリッサの港にディベルテの姿が現れた。


ぼさぼさに伸びた髪とボロボロの服。焦点の合わないうつろな瞳。力なく足を引きずって歩くディベルテの姿に気づいたのは、ハリッサの港で倉庫番をしているアミールという男だった。


もう二度と見られないと思っていた姿が目の前に現れたので、足を速めてディベルテに近づいた。


ヴィーオサ号の他の人々に何があったのか、アミールはディベルテに尋ねなかった。ディベルテの表情と全身からにじみ出る絶望感がアミールに伝わったからだろう。


そうしてディベルテは力なくゆっくり足を動かし、港の暗い路地の奥深くに座り込み、路地の古びた壁、黒ずんで汚れた土壁を見つめながら時間を過ごした。


時折訪れるアミールが両腕で抱きかかえている剣について尋ねても、ゆっくり首を回して生気(せいき)のない目で、かろうじて口角を動かして微笑むディベルテの口は答えなかった。


数日後。ハリッサ港の粗末な倉庫。古い箱と時間が染み込んだロープの束が積まれた倉庫の一角にディベルテが座っていた。


割れた壁の小さな隙間から差し込む日差しがよく当たる場所に、瘦せ細った両腕で鞘を抱き、目を閉じて座るディベルテの姿を、倉庫の入り口側の小さな木の椅子に座るアミールが見つめていた。


相変わらず行く当てを失ってさまよう青い瞳には、悲しみなのか恐怖なのかわからない感情が宿っていた。すぐにでも大きな涙の粒をこぼしそうな目で、埃が白く積もった木箱が積み上げられた倉庫の中を、ディベルテは無言で見つめていた。


アミールはディベルテに尋ねなかった。海での出来事を……ヴィーオサ号に、ディベルテに何があったのかを……。そして時間は流れ続けた。


古い倉庫の中には、浅い息を吐くディベルテの息遣いだけが聞こえるほどの静けさがあった。


時折姿勢を変えるアミールの椅子がきしむ音が沈黙を破ることはあったが、港のずっと奥の隅にある倉庫には訪れる者も周囲を通る者もおらず、時間が止まったような静けさだけが満ちた日々が続いた。


静かな日の連続。アミールは瘦せ細っていくディベルテの姿を哀れ(あわれ)に思い、時折その姿を見つめて深いため息をつくことがあったが、細い糸の上を歩くような得体の知れない不安感に、そばに留まる日々が続いた。


ある日、めったに雨の降らないハリッサ港に太い雨粒が落ちた。黒く厚い雨雲が空を覆う暗い日だった。


古い倉庫の扉の前。地面に溜まった(たまった)水溜まりの上に雨粒が落ち、その音を聞きながら椅子に座って退屈な時間を過ごすアミールの影が、倉庫の扉の上に掛かった小さな油灯(ゆとう)の下に落ちていた。


―ざあざあ―と激しくなる雨音。激しく降る太い雨とともに冷たさがアミールの肩と首をすくませた。


そしてそんなアミールの目に、遠く厚いケープをまとった一団の影が見えた。


アミールが座っている方へ徐々に近づいてくる影の群れ。


地面に落ちる雨粒。走る足音、倒れる椅子の音、雨水の溜まった水溜まりに混じるアミールの血。


雨音に飲み込まれてかすかに聞こえるアミールの声、そして悲鳴、黒い影の笑い声、そして倉庫の扉が開く音が聞こえた。


雨に濡れて水気をたっぷり含んだ外套(がいとう)から落ちる水滴の音が、静かな倉庫の中に響いた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


今回はニアの圧倒的な戦闘シーンと、ディベルテの秘められた過去を描きました。

不気味な笑みを浮かべるディベルテですが、彼が歩んできた過酷な道を知ると、少し見え方が変わるかもしれません。


雨の夜、古い倉庫で一体何が起きたのか……。

激しさを増す物語の続きを、どうぞお楽しみに!

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