軒先の立ち話
「あの、零先輩はどうしてうちに?」
恥ずかしい場面を見られた衝撃でそれどころじゃなかったけれど、冷静に考えてみれば、そもそもなんで零先輩が家の住所を知っているんだろう。
それに、今は普通に勤務時間中のはず…。
本当にどうして零先輩がここにいるのか、まったくこれっぽっちもわからなかった。
「落とし物を届けに来たの」
「落とし物?」
にこりと笑った零先輩が、紙袋を差し出してくる。なんだろうと思って中を覗くと、そこには昨日、家まで走っている間に買い物袋から落としたしまった野菜や、カレーのルーなどが入っていた。
「本当は昨日のうちに、家に届けようと思って、追いかけていたのだけれど、その…、あんまり話しかけられるような雰囲気じゃなかったから、明日また届けようと思って引き返したの。あ、お野菜とかはちゃんと保存しておいたからあんまり痛んでないと思うよ」
「あ、えっと…、ありがとうございます」
「…いえ、謝るのはむしろ私の方」
「え?」
零先輩は、突然、腰を90度近く曲げて深く頭を下げた。
「ごめんなさい!私のごたごたに巻き込んでしまって」
「え?ごたごたって?」
「昨日、会社の飲み会の後に二次会にしつこく誘われてね…、断ってたんだけど、最寄り駅の近くならいいだろうと言われて、ここまでついてこられちゃって…」
「それは…大変でしたね…」
「といっても、こっちは実家の最寄り駅なんだけどね。本当の住所を知られたくなかったから、パ…、お父さんに迎えに来てもらおうとしたのだけど…、そのせいで一本くんたちと会わせることになっちゃったから…。ごめんなさい!」
…なるほど。だからこんな所まで、先輩たちがやってきていたのか。
零先輩の実家と最寄りが一緒だったっていうのは驚きだけれど、零先輩も僕の最寄を知っていたわけじゃないし、どう考えても悪くないと思う。
仮に知っていたとしたって、零先輩が気にする必要は一ミリもないだろうし。
「零先輩のせいじゃないですよ。僕がちゃんと対応できていればそれでよかった話ですし…」
「……っ」
零先輩は、胸の前で自分の手を握ったかと思うと、そのまま俯いて喋らなくなってしまった。
「あ、えっと…」
な、なんか変なこと言っちゃったかな…?
どうしよう。急に会話が途絶えてしまって、妙に気まずい…。
僕がおろおろしていると、背中にトン、と小さな衝撃が伝わってきた。
零先輩の応対に必死だったけれど、二佳が背中にいるのをすっかり忘れていた…。
早いところ切り上げないと二佳の恥じらいゲージが振り切れてしまう。
でも、せっかく家まで来てくれたのに、これでさようならというのもどうなんだろうか。
僕は一般常識とかに疎いけれど、零先輩はお嬢様っぽいし、そういうのに詳しそうなんだよね...。
入社当初は本当にいろいろお世話になったし、できるだけ失礼なことはしたくない。
僕がぐるぐると頭の中で考えていると、零先輩が別の話題を提供してくれた。
「あ、そういえば、一本君ってどこかに外出してたの?」
「え?いえ、ずっと家にいましたよ」
「あれ?でも、今朝から1時間おきくらいにピンポン鳴らしても誰もいないみたいだったけれど…」
「あ、その…寝てました…」
僕は気まずくなって視線を逸らす。
というか、今朝からっていうことは早退とかじゃなくて今日僕に落とし物を届けるために仕事を休んだっていうことだろうか…?
一時間おきくらいにピンポンしていたって、何か別の用事を済ませることも難しかっただろうし、いったいどれだけ零先輩に気遣ってもらっちゃったんだろう...。
それなのに僕たちは、ずっと寝てました、なんて…。
零先輩の反応が怖くて、視界の端で表情を盗み見ると零先輩は朗らか笑っていた。
「ふふ、そうだったんだ」
「なんかすみません…」
「謝らないで。私が勝手にしたことだから」
どうしよう。これだけ気を遣ってもらったのに、それじゃあ僕は散歩に行くんで…といって解散するのははあまりにも心苦しい…。
…あ、そうだ。僕から切り上げるのが難しいなら零先輩に切り上げてもらえばいいんじゃないか。
先輩だって、きっと用が済んだなら早く帰りたいと思っているはずだ。それなら…。
「あ、えっと…、せっかく来てくれたわけですし、家でお茶でも飲んでいきます?」
よく聞く定型文を口にしてみた途端、ドンッと脇腹に二佳からの蹴りが入ったが、僕は表情に出ないように誤魔化す。
大丈夫だ、二佳。零先輩だって、これ以上僕に時間を使おうなんて思わないはずだ。
会社に所属しているなら人付き合いとかも大事かもしれないけど、会社を辞めた今の僕と関係を築く価値なんてないんだから。
ここで断ってもらえば自然な感じで解散の流れになるはず…。
「え、いいの!?それじゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな?」
と思ったら、ものすごい勢いで食いつかれてしまった。
ドンッ!ドンッ!と背中に両足で蹴りが炸裂。
つい顔を歪めてしまいそうになるが、この場面でそんな顔をするのは零先輩に失礼だろう。
僕は必死ににこやかな表情を取り繕って零先輩を家の中まで案内するのだった。




