筋肉痛のマイシスター
夕方に目を覚ましてリビングで水を飲んでいると、二階から二佳の悲鳴が聞こえてきた。
「うぎゃあああ!!」
「二佳ッ!?」
僕は慌ててカップを置き、全速力で二佳のもとへと駆け付ける。
「うぉおおおおおお!!...ぐッッッ!!!!」
ドアに足の小指をぶつけて転げまわる。
でも、痛みに悶えている場合ではない。
無理にでも体を起こして、ぜえはあ言いながら階段を上がっていく。今は何より二佳が心配だ。
ようやく二佳の部屋まで辿り着き、扉を勢いよく開いた。
「二佳、大丈夫か!?」
「…にい、足が、いたい……」
二佳は寝起きで髪をぼさぼさにしたまま、上半身だけベッドからずれ落ちていた。
慌てて二佳に駆け寄っていく。
「...どれくらい痛いんだ!?救急車は呼ぶか!?」
「…死ぬほど痛い。けど大丈夫…」
「本当に?無理してない?」
「…うん」
二佳はそう言いながら立ち上がろうとしてまた痛みに悶えだした。
「…うぅ、いたいよぉ」
痛みを訴える二佳に、胸が締め付けられる。
昨日は平気そうだったのに、寝ている間にいったい何があったというんだ。
「…筋肉痛って、こんなに痛かったんだ……」
「あ、筋肉痛…」
ひとまず、大事はなさそうだとわかり安心した。
それでも二佳が苦しんでいるのに変わりはないが。
「昨日は、家まで全力疾走したからね。急に激しい運動をしたから負荷が今になって来たのかもしれない…」
「…にい、助けて?」
「……っ!任せろ!!」
とりあえず足を痛めて動けなくなっていた二佳を抱き上げて、ベッドの上に座りなおさせる。
「…ありがと。……うぎゃあああ!」
「二佳!?」
せっかくベッドに戻したのに、無意識に立ち上がろうとしたのだろう。二佳が背中からベッドにこてんとひっくり返った。
これはかなりの重症だな。
子供のころからずっと僕が守っていたこともあり二佳は怪我をした経験もほとんどなかった。痛みに対して貧弱というのもあるかもしれない。
「…にい」
二佳からどうしようと目で訴えかけられる。
妹の上目遣いに、僕の心臓が鷲づかみにされた。この可愛い生物は自分がお世話せねばなるまい。
それに、二佳の筋肉痛は僕を助けるために、昨日頑張って走ってくれたからできたものだ。
僕が助けない理由がない。
「よし、それじゃあ筋肉痛が治るまでは僕が二佳を全力で介護するよ。とりあえずご飯食べようと思うんだけど...、下に行く?それともここに持ってくる?」
「…ありがとう。できれば下に行きたい...」
「おっけー、任せて!」
僕はひょいと二佳をお姫様抱っこで持ち上げた。
二佳の体重は心配になるくらい軽かったから、貧弱な僕の身体でも下まで運ぶことはできそうだ。
そのまま部屋を出て下へ向かう途中で、「あ」と二佳が小さく声を発した。
「どうした?」
「…やっぱりここで降ろして」
「え?でも、筋肉痛は?」
「…大丈夫」
心配に思いながらもとりあえず二佳に言われた通り二佳を下ろす。
「うぎゃあああ!!」
「二佳、大丈夫か!?」
慌てて二佳に駆け付ける。
だが、僕の手は二佳に払いのけられてしまった。
「…にいは先に下に行ってて」
「でも…」
「…ぃれ」
「え?」
「…おといれに行きたいの!」
「!!」
そう言われて気付く。二佳に降ろしてと言われたのはトイレの前だった。
「…あ~、なるほど」
僕はせめて二佳がトイレへ行きやすいように扉だけ開けて、あとは二佳に任せることにした。
「…トイレを流す音がしたら迎えに来てほしい」
「わかった」
さすがにトレイの前でずっと待たれるのは恥ずかしいということだろう。
僕は二佳の言う通り、一度下へ向かって、トイレの流れる音を待ってから、再び二佳を迎えに行った。
※※※
筋肉痛の二佳を椅子に座らせてから、朝食の用意を始める。
今日は二佳も好きなフレンチトーストにする予定だ。
昨日、頑張ってくれたからせめて食事でお礼がしようと思ったのだ。
買い出しの帰りのトラブルでいくつか買い物袋からものを落としてしまったけど、幸い卵は無事だった。
これなら問題なく作れるだろう。
「…うぅ……ひゃっ!…あぁ~」
一方、二佳は僕が作っている間に、自分の太ももを叩いたり少し足を動かしたりして、筋肉痛に対して果敢に立ち向かっていた。
結果は惨敗。痛みには抗えないということで諦めることにしたらしい。二佳はぐで~っと机に突っ伏して動かなくなった。
「…にい、今日はもう一歩も動かない。一日中ゲームする」
「今日は、というか今日もじゃない?」
「……昨日は違う」
「そ、そうだったね…」
二佳はまだ眠たいのかうとうとしたまま喋らなくなった。
その間に僕は朝食の用意を終わらせる。
「二佳、ご飯できたよ」
「……うぎゃああ!!」
二度寝していた二佳の肩を優しく叩いて起こすと、無意識に足を動かしてしまったようで二佳が筋肉痛に悶えていた。
「…うぅ」
「ぼ、僕のせいじゃないよね!?」
ちらっと睨まれたけれど、さすがにこれは仕方がないと言いたい。僕が二佳を苦しめようと思うわけないじゃないか。
「そ、それより食べよう?ね?」
「…うん」
そう言って手を合わせていただきますと言おうとした時、二佳の言葉が差し込まれる。
「…ありがと」
「え?ああ、うん!!」
一瞬、何に対してなのかと思ったけれど、たぶんご飯を作ってくれてということだろうとわかって、素直に嬉しくなった。うちの妹、超優しい。
「「いただきます」」
今度こそ手を合わせて食事をとった。
食事を終えて、皿を下げていると二佳から今日の予定を告げられる。
「…にい、今日はぷるるんクエストをやってもらおうと思う」
「ぷるるんクエストって、前に僕がガチャを引いて失敗したやつだよね…?」
苦い思い出が蘇り、声のトーンが下がる。
「…うん。でも、あれから百奈もリセマラを手伝ってくれて、無事に目当てのキャラのSSRを2枚引きできたから」
「そうだったんだ。僕のためにありがとう。それじゃあ…」
と、二佳の提案に乗りかけて、早朝、眠る前に考えていたことを思い出す。
……そうだ、今日は外で就活をしようと思っていたんだった。ハローワークへ行くなら今すぐ出発しないと閉庁時間になってしまうだろう。
「…えっと、それって、夜になってからでいいかな?」
「…別にいいけど、にいは何かしたいことがあるの?あ、百奈に勧められたアニメが見たくなったとか?」
「…えっと……」
素直に言うと心配をかけてしまうと思いつつも、二佳に対して嘘を吐くのも気が引けて、目を逸らしてしまう。
「…もしかして面接?」
二佳は一段と低い声で、鋭く尋ねてきた。
この前も面接かどうか疑っていたけれど、どうやら二佳にとって就活とは面接というイメージが強いらしい。実際はその前に履歴書を見てもらったり、書類選考があったり、といろいろな行程あるのだけど、まだ中学生の二佳がそこまで想像できないのは無理からぬことだろう。
「違うよ!ただ、ちょっと外へ出てみようかなって…」
「…外?どうして?」
「えっと、散歩とか…」
ここで、正直にハローワークへ行きたいと言っても受け入れてもらえないだろうと思って言葉を濁す。散歩したいというのも本当なので嘘はついていないつもりだ。
「…ふ~ん」
二佳は、僕に疑わし気な目を向けながらフレンチトーストをもしゃもしゃと食べる。
そのまま食べきって牛乳をごくごくと飲んだ二佳は、カップを机に置いた。
「……私も行く」
「え?」
「…見張ってないと面接に行きそうだから」
「それは…」
…まさか、外に出るのが苦手な二佳が付いてくるとまで言い出すとは...。
それだけ心配して貰えるのは嬉しい反面、困ってしまう。
二佳と一緒なら、ハローワークには行けないだろう。でも、ここで断るのはあまりに不自然だ。
悩んだ末に、ハローワークは諦め、今回は本当にただの散歩をすることに決めた。
…まぁ、元々、時間もギリギリだったしね...。
次にハローワークに行く時は、二佳が寝ている昼の時間とかに起きて、こっそり行こうと決めた。
「わかった。じゃあ一緒に散歩に行こうか」
僕が折れると、二佳が満足げに頷いた。
そのまま出かける準備をすると言って二佳が立ち上がる。
そして…。
「うぎゃああああああ!!!」
「二佳!?」
またも筋肉痛のことを忘れていた二佳の悲鳴がリビングに響き渡った。
というか、僕も二佳の筋肉痛が頭から抜けてしまっていた。こんな状態で、外へ出て大丈夫なのだろうか...。
※※※
十数分後、出かける準備を整えた僕たちは今、玄関に立っていた。
「二佳、本当に行く?」
「…行く。にいは見張ってないと危険...」
二佳の声色には心配が混じっていて、面接のことではなく、昨日、辞めた会社の先輩たちと会ったことについて言われているのだとわかった。
そう言われると、僕からは強くは言えない。
でも…。
「二佳は恥ずかしくないの?…その、おんぶされたままで」
「…目をつぶってれば家と同じ。たぶん……」
筋肉痛で動けない二佳に、一度は諦めるように言った所、それならおんぶしてほしいと言われて今に至る。
可愛い妹から、おんぶをねだられて断られる兄がいるだろうか?いないよねえ。
「まぁ、二佳がいいならいいけど…」
「…それじゃあ、早く。……行こ?」
「ひゃいっ!?」
二佳が頭の位置を調整したせいか、急に耳元で囁かれたみたいになって、びっくりしてしまった。
「…あ、そっか。にいは耳が弱いんだったね」
「あ、ああ。だから少し気を付けてもらえると助かる」
「ふぅぅ…」
「ひゃん♡」
僕の耳に息を吹きかけてきた二佳が楽しそうに笑う。
「…ふへへへ」
「二佳!?なにを...」
二佳の悪戯っぽい笑い声にぞわりとした僕は、慌てて玄関の扉を開いて外へ出ることにした。
外へ出れば二佳も変なことを考える余裕がなくなるだろうと思ったからだ。
だが、二佳は僕をからかうことに夢中になっているのか、外へ出ても追撃が止むことはなかった。
二佳の中で何かのスイッチが入ってしまったようだ。
「…にい、にい…」
「み、耳元で囁くのはやめ…、んっ♡」
「…ふへへ、にい、女の子みたいな声が出てるよ?」
「二佳、もう外だから!恥ずかしいから!やめてええ!」
「…ふぅぅ、そのまま女の子になっちゃえ」
「えっと、一本君……?」
「!?」
二佳の耳ふうふうに悶えていると、突然、女性の声で名前を呼ばれて硬直する。
二佳も人見知りを発動し、石造のように動かなくなった。
顔をあげると、さらさらとした黒いロングヘアをなびかせ、どこぞのお嬢様のようなおっとりとした笑みを浮かべている彼女の顔があった。
彼女のことは僕もよく知っている。僕が入社当初お世話になった相底零先輩だ。
「零先輩…?お、お元気ですか?」
「はい、元気です。一本君も元気そうで安心しました。ふふ」
「はは…、あはは…」
恥ずかしくて今すぐにでも逃げ出したい気持ちを、不器用な笑顔で誤魔化す。
背中におぶっている二佳は完全に僕のリュックサックと化して、ぴくりとも動かなくなっていた。




