引きこもり兄妹、外へ出る
自分が豪運の持ち主ではないと気付いた日の翌日。というより同じ日の午後10時。
ついに恐れていた事態が起きてしまった。
いつかこの日が来ると思いながらも目をそらし続けてきたけれど、これ以上はもう限界だ。
「…ふわぁ~、おはよ、にい」
あくびをしながら、2階からリビングに降りてきた二佳に、僕はためらいながらも伝える。
「二佳、今日はすぐにゲームというわけにもいかない…」
「…え?どうして」
「ご飯がないんだ…」
「…もしかして、貯金がもう……」
「いや、そうじゃない。食材が、尽きたんだ…!」
そう言って冷蔵庫を開け放つ。しかし、中身はものの見事にすっからかんだ。
余りものでどうにかやりくりしていたけれど、さすがに0から1は作れない。本当の本当に限界状態だ。
「僕はこれから買い出しに行ってくるから、二佳は大人しく留守番を…」
「…やだ」
「え?」
予想外の返答に思わず耳を疑ってしまう。
「えっと、お留守番を…」
「…やだ、そう言って面接に行くつもりでしょ?」
「い、行かないよ!」
二佳に問い詰められるということが珍しく、声を上ずってしまう。そのせいで余計に疑いを持たれてしまった。
「…怪しい」
「ほ、本当だって!」
「…というより、食材じゃなくてご飯なら、私がコンビニで買ってくるよ」
「それだと栄養が偏るだろ?二佳はまだまだ育ち盛りなんだし…」
「…本当は、にいには料理もせずにぐーたらだけしていてほしいのに……」
その言葉は、二佳の優しさから出たものだとわかる。
そういう二佳だからこそ、精神的に参っている今の自分が救われているのも事実だ。
「でも…」
「……でも?」
「ちゃんと自炊して節約しないと、今の生活も続けられないから……」
このままいけば、僕の貯金もあっという間に底をつく。
少しでも支出を減らす努力をしないと、僕が次の仕事を見つけるよりも先に生活が立ち行かなくなる恐れもあった。
「…それは……、困る……。私の収入もまだまだだし……。節約は大事…」
「そういうわけだから、僕は買い出しに行ってくるから二佳は留守番を」
「…やだ」
「ん~~~~~?」
あれ?
今完全に説得が成功した流れだと思ったんだけど。どうして再放送が始まっているんだ?
「…私も行く」
「え?二佳が?外へ買い物に?」
「…にいが面接に行くかもしれない」
「だから、それはないって…」
「…死ぬかも、しれない」
「……っ」
二佳が冗談で言ったのか、本気で言ったのかわからなくて、とっさに返答できなかった。
もし、本当にそれくらい心配かけてしまっていたのだとしたら僕の責任だ。
昨日の深夜も、ガチャのことで情けない姿を見せてしまったし…。
「わかった。じゃあ、一緒に買い物に行こうか」
「…うん」
それに、考えてみれば二佳と一緒に買い物へ行けるなんてまたとない機会だ。
二佳がコンビニ以外で外へ出たがることはないけれど、本当に二佳の将来を思うのなら、慣れるうちに慣れておいた方が絶対にいい。
僕だってまた働きに出なくちゃいけないし、そうなれば二佳との時間をとるのは難しくなるのだから。
お互いに部屋に戻って着替えをすませると、玄関の前でまた集合した。
二佳は、ぶかぶかのパーカーに、ショートパンツ、それから大きなリュックサックを背負っていた。
ここの所ジャージやシャツといったラフな格好しか見ていなかったから新鮮だ。
「二佳、オシャレしてきたんだね!」
「……にい、それは皮肉?」
「え?とっても可愛いと思うけど」
「……そうだ、にいはシスコンだった」
どうやら二佳的にはオシャレをしてきたつもりはないらしい。
ただ、万が一、学校の知り合いに見つかってもすぐに隠れられるようにパーカーと、後ろ姿を隠すために大きなリュックを背負ってきただけとのことだった。
僕的にはそれでも可愛いことに違いはないと思うけれど。
「今度、服も買いに行こうか。全然買ってあげられてなかったし…。ほんとごめんね…」
「…節約、でしょ。別に大丈夫」
「二佳がそういうなら…」
節約、か。
説得のためとはいえ、二佳の前でお金の話をしたのは失敗だったかもしれないな。
二佳には我慢や遠慮はしないで過ごしてほしいのに。
もしも節約を理由に進路にまで話が進みだしたとしたら、その時はたとえ二佳に嫌われたとしても、自分がどうなろうとも働こう。そう心に決めた。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
靴を履くために玄関に座り込む。
すると、急に重力が重たくなったように感じた。
少し前の自分は、ここから先へ進めなかった。
食材を限界まで使い切って、買い出しを先延ばしにしていたのもまたここで止まってしまうんじゃないかという恐怖があったからだ。
「…にい、やっぱりやめる?」
そっと僕の後ろから囁かれる。
それは僕を堕落させる悪魔の囁きのようでいて、天使の優しさも兼ね備えていた。
「大丈夫。ありがとう、二佳」
この扉の先で待っているのは辛い仕事の毎日じゃない。二佳との夜の買い物デートだ。
わくわく、期待、妹パワー。
後ろに控える二佳に背中を押される形で僕は立ち上がった。
立ち上がれた。
そのまま扉を開き、二佳も僕の後ろに続く。
「行ってきます」
「…行ってきます」
癖づいた言葉を二人で言って、扉がゆっくりと閉まった。
ついに、外へ出られたんだ。
感動を胸にスーパーへ向けて歩みだそうとしたところで、二佳が呟く。
「…にい、鍵は?」
「あ……」
重い腰を上げるのに必死で、玄関に置きっぱなしだ。
「とってくる…」
ようやく踏み出した一歩をキャンセルし、すぐに家に戻る。
「…ふへへ」
二佳は僕の失敗を見ておかしそうに笑っていた。
鍵を忘れたのは恥ずかしいけど、二佳を笑わせることができたのなら僥倖だ。




