第八十話
「人間というのは……どの種族に限った事ではないが人使いが荒すぎる。まぁ、そもそも我は鳥なのだが。思い起こせばブロッサムも酷かった。主の妻でなければけちょんけちょんにしてやると言うのに。やれ木の実もいで来いだ、空飛んでみたいから背中乗せろだ、毎日毎日喧しく図々しい女だった。主もあんな女のどこが良かったのか、我にはさっぱりわからん」
ブツブツと愚痴を零しながら巨大な青い鳥、聖獣ブルーバードは背中に黒いフードマントの女を乗せ、雲行きが怪しいだけなのに妙におどろおどろしい雰囲気を醸し出している空を飛んでいた。
「申し訳ありません、ブルーバード様。本来ならば私一人ですべきことなのですが……」
女はふかふかの青い羽毛の生えた背中に捕まりながら申し訳なさそうに頭を下げる。
女の姿は一見男のようにも見えるほど中性的な形をしていた。そして男の様に意識して低めの声を出すその姿にブルーバードは、面白くもない、と言わんばかりにフンと鼻を鳴らし不機嫌そうに言った。
「お前が気にすることではない。元はと言えばシュデルテの使いを終わらせてさっさと帰ろうとした我を元素の縄で捕らえ、『帰るの?だったらついでにうちの子連れてフォレスティまでつれてってくれない?ちょっと急ぎの用があるのよぉ』とか虫も殺さぬような笑顔でキリキリ縛り上げたセリシアの所為なのだ……否、諸悪の根源は我を捕らえたシュデルテか」
「……セリシア様の声真似、とてもお上手ですね」
「当然だ。我は命の神に仕えていた聖獣なのだぞ。その辺の鳥達にできる事が我にできない訳がなかろう。音を真似る事に関してはコトドリよりも上手くできる」
「それはそれは。潜入とか替え玉とか陽動するときに便利そうです」
感心したように言う女に対し、ブルーバードは逆にゲンナリしたように首を縦に振った。
「実際、便利だ、とアンジェは言っていた。アンジェは主の子の中で一番の探検家で、よく食料やらなんやらを革袋に詰めて独り森の中を散策に出かけるのだ。しかし、独りで森を歩くのは危険だとブロッサムに怒られるので、我に声を真似てその辺で遊んでいるように装えと。無論、我とて反対、拒否していたのだが……その、なんだ。我の恋歌を聞かれてしまって以来、ニヤニヤした顔で詰め寄られるとどうにも断りづらくなってしまってだな」
「あぁ、子供って悪賢いところありますから」
「んむ……結局迷子になって総出で探すことになるのだ。終いには我も一緒になってブロッサムに怒られることになる。あの母子達にはほとほと手を焼いた」
ブルーバードの声は、セリフとは裏腹に楽しそうに踊っていた。とても楽しく、幸せな日々であったのだろう、というのが容易に想像できるほどに。
女は目を伏せ、小さく「申し訳ありません」と呟いた。
……その幸せな日々を壊し、家族をバラバラにしたのは自身の先祖であったからだ。
「とはいえ、それも子供の頃の事。我が故郷を出て何年も経った後に成長したアンジェと会う機会があったのだが、それはもうたくましく気の強い女になっていた。ブロッサムに似て口がかなり悪く、悪賢いのは相変わらずであったが、居付いた集落に馴染み頼りにされているのが見てわかった。ヒトは成長するものなのだと、感心させられたものだ」
ブルーバードはケケケと笑うとグルンと身体を一回転させ、身体を傾けながら急降下させる。
それに驚いた女は捕まっていた手を更にきつく握り、半ば抱きしめるようにへばりついた。
「ぶ、ブルーバード様!?」
風がビョービョーと耳元で鳴き、自身の声もほとんど聞こえない。けれど不思議とブルーバードの鼓動や息遣いだけははっきりと聞こえる。
「ヒトは変わる。その切っ掛けが希望であるか絶望であるか、違いはそれしかない。主はブロッサムが死んでから腑抜けのように変わってしまった。けれど、再び切っ掛けがあれば変わることができるのだ」
ザアッと葉擦れの音を立て、直後くるりと身体を反転させる。
しがみついていた腕は自身の体重を支えきれずブルーバードの身体を離れ、そのまま地面に叩き付けられるかと思われた。
しかしその衝撃は一向に訪れず、とても柔らかい何かで包まれたような感覚がしたと思った時には、身体は地面に横たえられていた。
急いで上半身を起こすが、どこにも痛みは感じない。
「先ほどの素っ頓狂な声、お前の纏う元素らしい響きだった。傀儡の様に出す低い声よりもな」
ブルーバードはそう言って、またケケケケ笑いながら飛び去って行く。
すぐさま立ち上がり何かを言おうと口を開くが、すでにブルーバードの姿はそこにはない。
女は大きなため息を一つ吐き出すとぐるりと辺りを見回し、風に乗って来る音を拾う。
辺りは一面の木々……普通の木にまじり王都で話題になった生物の皮を纏い、血色に染まった、何とも言い難い薄気味悪い木がいくつあり、中にはオオカミであろうか、その目鼻立ちがはっきりと見てわかるほど残っているもの、枝の一つに手、幹からは脚が生えているものまである。
森を抜ける風からは地鳴りのように響く喊声と、まるで恨みでもあるかのような「おぉぉぉ」という低い音が鳴り、その音の発生源がその薄気味悪い木々からなっているようにも思え女はあまりの光景に身震いし、思わずマントの留め具を握りしめる。
それは白と黒の小さい花と青い薔薇を金の糸でつなぎ合わせたような、とても小ぶりのブローチで出立前にセリシアから「おまもり」と授かった物。
握りしめていると徐々にあるが不思議と不安や恐れが薄れていき、女が一度深く深呼吸をし終わった後には先ほどの恐れが嘘のように消え去っていた。
「……精神を安定させる術が仕込まれてあったのか。流石セリシア様。ありがとうございます」
そう小さく呟くと胸の前で手を合わせ、感謝を祈るとフードマントについた砂埃を払い、喊声のする森の奥へ奥へと駆ける。
奥に進めば進むほどに薄気味悪い木は増えていき、地鳴りは大きくなっていく。
「見えた」
視線の先にはくすんだ銀の鎧を付けた兵たちや、土色のフードマントの背に青いバラの花を縁取ったような紋章が描かれている魔法士たちが忙しなく右往左往しているが、女は彼らに話しかける事をしない。
それどころか彼らを障害物のように避け、あるいは踏み台にし、木の枝に捕まって鉄棒のようにグルンと一回転して次の枝、もしくはヒトへ。
まるで猿のようにヒトと木とを移動し、ヒトの密度が上がっていく奥へ奥へと向かう。
そして森の切れ目である命の樹の跡もそのまま突っ込もうと、最後の足場である木の枝にぐっと力を込め飛び立とうとした瞬間、「おっと、ちょっと待った」という声がしてマントフードの首元を引っ張る感覚の後、そこを中心にして景色が一回りする。
その声の主はまるでネコを捕まえたかのように軽々と自身の隣に女を置く。
そこは先ほど女が足をかけた木の枝だった。
「ごほっ、な、何をする!」
一瞬首が絞まった影響で少し咳き込みながら、女は腰につけていた短剣に手を伸ばす。
しかしそれは引き抜かれることは無く、相手の顔を見ようとしたその目は大きく見開かれる事になった。
「そんなに慌てるなよ。周り見えてないまま突っ込むと目的どころか何もできないぞ。ってか移動するの早すぎ。サルか道化師みたいにピョンピョンと……」
「っせ、セフィリア!」
「はぁい。久しぶり、レイ『ちゃん』」
セフィリアはワザとらしく『ちゃん』を強めに言ってニヤリと笑う。
女……レイは思いっきり眉を寄せ、抗議しようと口を開けるが首を横に振ってその衝動を飲み込んだ。
セフィリアのお遊びに付き合っている場合ではない。
レイは再びぐっと足に力を入れる。
「だから、待てって」
跳ぼうとした瞬間そう言って頭を押さえつけられる。
セフィリアの女どころかヒトとは思えない力で抑えつけられ、思わず「ぐぇっ」と声が出たが、セフィリアはそんな事には構わず顎でレイの向かおうとした方向をさした。
つべこべ言わず見ろ、という事なのだろう。
レイは力で勝てるわけもないので観念してため息を一つ吐き出すと、セフィリアの指す方に目を向ける。
そして見えるモノに絶句した。
フィード国の兵たちと対峙しているのは普段服と言っても過言ではない、ろくな装備を身に着けていない大勢のヒト。
装備らしい装備と言えば、手にしているクワや斧、包丁といった生活するのに必要な道具ばかり。
そして最前線にいるのは女子供、年寄りだった。
崖の前の不恰好にねじれた黒に限りなく近い色の木の横には、レイの父親であるグラデコールと見知らぬ青年。
……おそらくあの青年が、セリシアの話していた破壊神ルシなのだろう。
二人の周りを教会で見かけたことがあるニイエケの神官たち、その周りを神官騎士たち、その周りを信者の男達、そして女子供……といったように半円とまではいかないが崖を背にするように陣を取っていた。
「……なんという事を」
絞り出すように呟いたその言葉の色は、嫌悪。
レイの表情もまた、苦悶に満ちたものだった。




