第七十九話
フランは理事長室に溜まりに溜まった書類の山の中に埋もれながら、珍しく仕事をこなしていた。
フランは理事長という立場でありながら、理事としての仕事をすることは殆どない。あいさつ以外の仕事は、学園長であるエトラが済ませてしまうからだ。
それをフランは良しとしているし、そもそも信頼のおけるものでなければ学園長に任命はしない。
『ヒトの事はヒトが。花は極力介入しない』という規律を守っているだけなのだが、今回に限ってはそうもいっていられない。
書類の束を手に持ち眼を通しながらその内容を頭に叩き込む。
脇に置いてある紅茶はすっかり冷めてしまっていて、しかも一度も口をつけていない。
それほど集中するほどに、現状を把握する必要があった。
大量の書類にはフィード国で『フランの力が届く範囲』の状況が事細かに記されている。
避難している施設と人数、食料などの物資、それらを管理する者達の人数やスケジュール。
長引くのは、やはりよろしくない。
ヒトに限らず、生物は狭いところに押し込められることに耐性を持っていない。始めは表向きであれうまくいっても、その内ストレスやらなんやらで諍いが起こる。
諍いは負のエネルギーを生み、それは元素にも多大に影響する。
よく学生がイライラしたり焦ったりした状態のまま実技授業を受け、小さな爆発やボヤなどの騒ぎを起こすのだが、原因は負のエネルギーが元素をコントロールする際に邪魔しているからだ。
鍛錬を積めば負のエネルギーなど関係なくなるほどコントロールができるのだが、やはり調子の悪い時は休息を取るよう指導、指示している。
逆に機嫌がいい時や浮かれている時は、思うよりもスムーズに元素をコントロールできる事もある。
それを自身の能力と過信して調子に乗って自滅する者も少なくはない。
元素は繊細なのだ。
扱いやすい素材であり、扱いにくい素材である。
そして無限ではない。
巡る物ではあるが、消えうせるモノでもある。
命の樹があって元素は生まれ、命が育つのだ。
命の樹がなくなれば元素も、命も徐々にであっても確実に消え失せてしまう。
フランは大きなため息を一つつくと、手にしている書類を机に放り投げる。
「さて、どうしたものかな」
目についたカップに手を伸ばし、冷めきった紅茶に口をつける。
窓の外はすでに日は沈み、本来ならばある筈の町の灯は一切ない。
キュレスティアの人々は皆、コロシアムか城に集められているからだ。
その寂しい風景をただ眺め、もう一度大きく息をする。
「できる事はやったさ。あとはなるようにしかならない」
そう呟いた刹那、世界中の多くの元素が動くのを感じた。
それはまるでおおきな雲のように集まり、その塊はゆっくりと移動していく。
「うわぁっ!」
「キャーーー!」
城のどこかで幾多の叫び声が聞こえると、バタバタと廊下を駆ける音がいくつも響く。
なるほど。生物の纏う元素は血液と等しく常に体内で生成される。一瞬にして纏うすべての元素を奪われれば、それを補おうと細胞は活発になり大量の血液が消費され、結果貧血の様な状態になるのか。
そう冷静に考えて紅茶を飲むと、バタン!と大きな音をたてて扉は開け放たれた。
「失礼いたしますわ」
そう言って大股でダンダン足を鳴らしながらエトラは書類の山を避けフランの前に立つ。
「城内で数名、貧血の様な症状で倒れました。それ以外の者も個人差はありますが、同様の症状が出ております。コロシアムの方でも同じことが起こったと、連絡が入りました」
「だろうねぇ。ここに限らず、世界中で同じことが起こってるとみて間違いないと思うよ」
呑気な返事をかえすフランに、エトラはピクリと眉を動かす。
それを視なかったふりをして、フランは手にしていたカップを机に戻しにっこりと笑う。
「大丈夫。時が来れば僕はちゃんと本気を出すし、僕が守れるだけのモノは守る。今現在できる事はしてるつもりだよ。けど残念ながら君が気にかけているフォレスティは僕の力の範囲外。だけどあそこはあそこで何とかなるように出来てるから気にしなくていい。それにあの少年……名前は忘れたけど、君の弟君の友達もいるんだろう?だったら、余計に心配いらないさ」
その言葉にエトラの眉が再び動く。
フランの言う『少年』がシャルの事をさしているからだ。
「……どうしてでしょうか?シャルはまだ若く、知識はありますが経験はないただの学生ですが」
「確かに彼は学生だけど苗なんだろう?なら簡単じゃないか」
「何が、どう、簡単だとおっしゃるのです?」
その怒りを含む声に、フランは首を傾げる。
「シャルがあの若さで『彼方送り』を……此方から消えてしまうことがそんなに簡単に済ませられることだと、そうおっしゃりたいのですか。一人の命で世界が救われるのならば簡単だと」
わなわなと震え眼に涙を溜めながら言うエトラを見て、あぁ、とフランは納得する。
「エトラ、君は大きな思い違いをしているみたいだ。君だけじゃない。知能を持つモノ全てが、間違った知識を持っている。それを正そうとしない僕たち『花』にも、話さない彼にも責任はあるけどね」
「……はい?」
半ば睨みつけるように目を細めるエトラに、フランは困ったように笑った。
「『彼方送り』っていうのは主に僕たち『花』が死ぬときに発動するものなんだ。身体はその場で花の苗床に、魂は元素化されずに彼方に送られる。そうして彼方に渡り、『父』を支える蔦になる。けど、苗は違う。苗は自分がどこにいるか決められる。どのような世界でありたいか、どのように世界を支えるか決められる。この世界にいる神の一人になるんだ」
フランは立ち上がると、信じられないという様に眼を見開いているエトラの手を取ると両手で握る。
「それでも彼の身体が大樹になることには変わりない。彼が彼でなくなるのは変わらない、か……ごめん」
『父』を支えきれなくて。
少し寂しそうに言うその姿に、エトラは数滴の涙をこぼした。
何が哀しかったのか、失う事の恐れからか。自らの知識を過信したことか、本当はシャルの事を諦めてかけていた事か。
ただ説明できない感情の処理を、こぼした数滴で終わらせたことは確かだ。
昔から、気持ちの切り替えは早い。一族の特技だと言ってもいい。
エトラは大きく息を吸うと、まるで何事も無かったかのように姿勢を正す。
「まだ、謝るには早いですわよ。まだまだやる事は沢山ありますわ。各地に送って先日テストしたフラン様の力を飛ばせる魔法具。あれの最終テストとかもありますしね。絶対あきらめるものですか」
「あ、あぁ、うんそうだね……で、エトラ、まだ言ってないことがあるんだけど」
「なんですの?」
空元気だがいつもの調子を取り戻したエトラに少し気圧されながら、フランは言いにくそうにエトラの指を弄ぶ。そしてまるで悪戯をしてバレた子供のような表情でぼそっと呟いた。
「さっきの貧血騒ぎなんだけど、ニイエケの奴らが動いた事が原因だと思うんだ」
「……え?」
「たぶんルシの力で元素を大量に使って移動してるんだと思うんだけどね」
「何が仰りたいの?移動してるくらいならまだ多少時間はあるでしょう?」
煮え切らないフランに、エトラは苛立ったように言う。
移動を始めたのならさっさと魔法具の最終テストを済まして、魔法士たちを所定の位置につかせなければならないのだ。
「いやうん、だからね。さっきの一瞬で移動したんだよ。ここから結構離れてるし確かじゃないけど、位置的に神の森の上空辺りに。ほら、僕たち花って元素で位置把握してるところあるからさ。元素たちが教えてく」
「そんなことはさっさと言いなさい!!!」
フランの言葉を遮って怒鳴りつけ、そのまま大股で理事長室を「失礼しました!」と言って出ると荒々しく「バダン!!」と音をたてて扉が閉じられる。
ばらばらと天井から何か振ってくる音と、エトラが走り去る足音が聞こえ始めたのは同時。
フランは扉を見つめたまま椅子に座ると、書類で壁が作らた机に突っ伏した。
焦ったところ初めて見た……
そんなことを考えて、ニヤけて火照る頬を机で冷やす。
不謹慎だが、今はただニヤける頬を抑えることで精一杯だった。




