第81話
黒く不恰好に捩じれた元は獣人族の女だった木は、血肉と人々の生み出した負の感情を糧にしてもう大樹と言って良い程に成長し、どす黒い葉を茂らせている。
その樹の枝に腰掛け、戦とも言えない、片方だけに殺意のある殺し合いを見ていたルシはニヤリと笑う。
……そろそろ頃合いだ。
初めはドン!という衝撃音だった。
その音をもたらしたものはバキバキと木々を薙ぎ倒し、大通りともいえるような道を100mほど作り砂埃や木片をばらばらと落としながら止まる。
「馬鹿か!だから言っただろうが!!」
セフィリアは腕の中でぐったりしているレイに向かって怒鳴りつけた。
レイはその怒声に応えることは無く、その口はただ小さく呻き声をあげるのみで、その時折咳と共に血を零し、ヒューヒューという音を鳴らす。
右腕はねじ曲がってあらぬ方向を向き、左腕は二の腕から先がない。
法衣の裾をビーーーと豪快に裂くとレイの左腕をきつく縛りあげるが、千切れた腕から漏れ出す赤い液体は止まらない。
「あーくそ!どうしろって言うんだよ!」
医学はもとより、応急手当の知識さえ乏しいセフィリアはガシガシと頭をかいた。
ちなみに言えば、セフィリアの使える魔法には回復するものは無い。
エトラが言うには、セフィリアの体質のような物、なのだそうだ。
セフィリア達は父方の祖父が巨人族で、多かれ少なかれその特性を引き継いでいる。
姉妹の中で一番色濃く継いでいるのは末娘のユラなのだが、次いでセフィリアも濃い。
補助魔法や攻撃魔法であればたまの暴走がある程度には使えるが、制約の多い回復となるとまったくもって駄目で、呪文を唱えてもただ集い漂うだけ。
「そんなに途方に暮れるくらいなら、普段から自分の特性を理解して医学を学びなさい」
その声と共に背後から小さな手で頭をグリグリと撫でまわされた。
驚き、手を払いのけ、レイを抱えたまま一足飛びに距離を取ると相手を睨みつけるように見据えた……のだが、その目はみるみるうちに見開かれていく。
「何、その顔。ハトが豆鉄砲って感じになってるわよ」
「え、いや、だって、なんでエナさん……その格好……」
現れたエナの恰好は、普段仕事で使う白衣とは違っていた。
鮮やかな朱色の長袖のシャツに、金にも銀にも七色にも光る糸で施されたのは薬師の象徴でもある「医学の神」とされる大きな獣の刺繍。
腰につけられた鞄は邪魔にならない程度の大きさで、ポケットも多い。
朱色の布は動きやすさと軽さ、丈夫さを追求した魔法を編み込まれた特殊なもの。
様々な色に光る糸は魔法に対する耐性をあげる効果もある。
「こう見えても私は戦場薬師なのよ?その制服を着て何が悪いのよ。ほら、早く診せなさいな」
そう言いながら鞄から液体の入った瓶、ガーゼや包帯、それとどこに入っていたのか手のひらサイズの箱とクギの様なものと紐状のなにかをいくつか出すとエナはセフィリアに優しく微笑みかけた。
「もう、大丈夫。大丈夫よ」
それはまるで虫をつぶしたような、プチという小さな音だった。
それに気づく人間は誰ヒトリ居ない。
異変に気付いた時にはすでに闇の触手は伸び、飲み込まれる寸前。
「下がれ!!退け退けええええええ!!!」
その声に反応し、闇から逃れようとする人は次々と闇の触手に飲み込まれていた。
まるで液体を零したかのようにその闇は広がっていき、津波のように押し寄せ、生きているモノを根こそぎ飲み込んでいく。
絶望とはこういうことを言うのか、止められなかったのか、そう自身に問いかけながらルーズリッヒは後退していく。
その刹那、緑に輝く何かが頭上を一瞬にして通り過ぎたかと思うと、何かが降って来た。
「おじい様!!!」
それが孫娘ルイであること、そのルイが眼に涙を沢山溜めながらもこぼすまいと堪えている事を一瞬にして見取るが、何事もないように装う。
「ルイ、何故ここに」
「ババ様からここに居るだろうと伺ってまいりました。早くフォレスティにお戻りください。シャルが」
ルイの言葉の最中、緑の光が背後から辺りを包む。
何事かと振り向くと、緑の光で出来た壁が闇の津波をせき止めていた。
ルーズリッヒがその光景を思わず目を見開いて確認した直後、ルイは瞳から緑の光を受け輝く滴を零し、その言葉を口にする。
それはこの世界が破滅から逃れられるただ一つの方法であり、聖女セリシアとキュレスティアの学園長エトラが阻止していた事。
「シャルが全ての闇を浄化するまで何が起こるか分かりません。大いなる母の加護のあるフォレスティに、早く!」
ルーズリッヒは一瞬の躊躇いの後、頷くとルイの頭を撫で、小さく「すまない」と呟いた。
「フォレスティまで急げ!!けが人や年寄子供には手を貸せ!!暴れる奴は縛り上げてでも連れて行け!一瞬の時間も一人の命も無駄にするな!」
その号令で残った兵達は各々フォレスティへと向かう。
先ほどまで敵対していた人間の生き残りを一人残らず連れて。
「此方の木、此方の夢、此方の地。彼方の地、彼方の夢、彼方の樹。彼方、此方、どちらも同じ夢を見る。彼方は此方、此方は彼方。繋げ、支えよ。捧げ、伸ばせよ」
シャルは体内でナニカが蠢いているのを感じていた。
蠢く……というのは少し違うかもしれない。
実際にはシャルの体内で枝を、根を伸ばしている、という方が正しいからだ。
その枝や根はシャルの体内を血管のように伸び、一部の枝は背中に集い翼のように広がっている。
その木の枝で出来た翼は緑に光り輝き、フォレスティから命の樹の跡まで……王都からグレイスまで半日もかからずに移動できるブルーバード程の速さではないが、飛ぶことができるという優れものだ。
シャルはその道の途中でルイを落ろし、そのまま闇の触手が伸びる最前線へと突っ込むと、言葉を紡ぐ。
本来、シャルには魔法を使うための言葉は必要ない。
けれどシャルはまるで自身に言い聞かせるように唱え、落ち着かせるように瞼を閉じる。
……大丈夫だ。問題ない。
そして瞼を開く。
「呼応せよ!!」
その言葉に反応したのかシャルの背の緑に輝く翼はグングンと伸びていき、まるで壁のように闇の前に立ちふさがる。
突然立ちふさがった光の壁を闇は触手を伸ばし退かせようとするのだが、その光に当たった瞬間ジュウという音と湯気が立ち上り、逆に闇が退くことになった。
そんな力を持っていても、守れるものにも守れる範囲にも限度があり、その範囲は決して広くない。
その範囲が『シャルの背後からフォレスティまでの道』である。
逃げ遅れた者は闇へと泣き叫びながら四肢を引き裂かれ、引きずり込まれていく。
シャルは足元に広がる惨事を一瞥すると、正面にある黒く醜く捩じれた樹を見据えた。
そこが闇の根元なのだろう、捩じれた樹の根元には赤黒く光る何かが溺れた人間のように蠢いている。
その傍に一瞬であるが青白く光りを反射する何か。
何であるかは距離があり過ぎて見えないが、様々な術式が施されているのは視えた。
加護、強化、反射。それからあれは……
「おんやぁ?君まだそんなコトしてるんだぁ?」
そう言いながらルシはまた不気味な笑みを湛え、歩く動作もなくまるで船が水面を進むように滑り、ピタリとシャルの前で止まると身体を直角に横に曲げ顔を覗き込む。
「どうだい?この最高傑作は。ヒトが如何に愚かで無用なモノか、よくわかるだろぉ」
ルシは大きく腕を広げると、ケケケケと笑う。
「これだけの闇を向こうに送れば、アイツも一瞬さぁ!いやぁ待ったかいがあったってもんだよねぇ。あの女に向こうに送られて長い間閉じ込められて、スッゴイ退屈でさ。これも何ていったっけか。あぁそうそう、グラデコール一族のお蔭だよ。馬鹿だよなぁ。あの一族に呪いをかけたのは俺だっていうのに。まぁ呪いって言うか、アイツの遺伝子を一部壊しちゃっただけなんだけどぉ。なんせ俺生まれたてだったからその辺うまくできなくてさぁ」
「煩い」
顔色を一切変えず、ただそう言い放つシャルにルシは不満そうに唇を尖らせた。
「そんなつれない事いうなよ。お前も俺と同じヒガイシャってやつだろぉ?仲良くしようぜぇ。ついでに俺と一緒になろうよぉ。俺と一緒に神やろうぜぇ。そんで馬鹿な人間どもを消し去ってやろう。お前も経験済みなんだろう?力に縋り、溺れ、畏怖し、拒絶する。そんなコロコロ変わるモンなんざ面倒だろうに。捨ててしまえよぉ」
「喧しい」
今度は睨みつけて。しかしルシはよほど楽しいのか、シャルを仲間に引き入れたいのかニタニタと笑いながら続ける。
「そんなコト言っても、ほらぁ。人間のお前にできる事なんざ知れてるぜぇ?代替わりしたならともかくよぉ、人間の器に入ったままのお前が全ての生物を守れるのかよ?すべての生物の闇を相手にできるのか?ん?どう考えても無理だってぇ。楽になっちまえよぉ。人間捨ててやめてしまえばそんな煩わしいもん、気にしたこと自体あほらしくなるぜぇ」
シャルは愉快に笑うルシに対し、これまでにない程、深く深くため息をついた。
なにも分かっていない。
まぁ、人間の負という負の感情のみを見て同化してきたのだから当然と言えば当然なのであるが、『神』を名乗るのであればもう少し学ぶべきことがあっただろうに。
何の説明もなく、問答無用で彼方に二人を送った大いなる母が原因か。
それともその母に致命傷を負わせたグラデコールの始祖が、くだらないプライドを代々受け継がせた結果か。
そもそも教えるべき者が妻の死を何年も何十年も何百年も引きずって、未だにうだうだして見るべきものを見ないのが原因か。
……否全部か。
本当にあっちもこっちも報われない。
此方でヒトを、彼方で父である命の樹を支え続ける花たち。
自業自得とはいえ呪いと迫害を受け代々恨みを重ねてきたグラデコール一族。
闇に食われ落とされていった命と、命の樹の代替わりにと送られた命。
壮大な痴話喧嘩と家族の問題に巻き込まれたって人数が多すぎる。
全くもって迷惑な話だ。
しかも尻拭いを他人であるシャルに丸投げなのだ。
とてつもなく、メンドクサイ上にやってられない。
そう、メンドクサイ。
神であれ一人が世界を支えるなんて、非効率で馬鹿のすることだ。
「……確かにあほらしい」
そう呟くとルシは勝利を確信しニヤリと笑う。
次期命の神を仲間に引き入れてしまえば怖いものなど無いに等しいからだ。
その表情にシャルは「やっぱり馬鹿の子は馬鹿」と心の中で思う。
そして大きな、大きなため息を「はぁーーーーーー」とついた。
「それよりなにより現状がめんどくさい」
ルシを半ば睨みつけるようにしてシャルは言い放った。
「……は?」
「お蔭であちこちで闇に呑まれた命やら、命を守るために削られていく命やら出てくるわけ。それがどんっっっなにメンドクサイか壊すだけしか能のない、というかそれしかしてこなかった馬鹿には想像も出来ないだろうけど。そもそも親子喧嘩は他人を巻き込むな。自分達だけで終わらせろ。というかそこまで拗れてもまだ困ってるだけって言う馬鹿も信じがたい。ほんっとうに迷惑だ。だから」
―――――引きこもってないで出てきて躾しろこの馬鹿親父。
だいたいイカのせい……




