第七十六話
「おお、眼が覚めたようじゃの。身体は大丈夫かの?」
ルイが食堂のドアを開けると、一番に気付いたババはにっこりと微笑みかけた。
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。私が勝手な事をしたばかりにラルラさんが……」
そう言って深々と頭を下げるルイにババは椅子から立ち上がり、こつんこつんと杖を突きながらルイに歩み寄ると肩に手を乗せる。
「シャルから聞いておるの。ぬしが気に病むことではないの。此方こそ申し訳ない事をしたの。辛かったろうのぅ。怖かったろうのぅ。すまぬ、すまぬのぅ」
そう言うババの手は小刻みに震えている。
ルイは大きく首を振った。
黒い青年……ルシは得体が知れなくて怖かった。
けれど、ラルラは違う。
ルイが落ち込んでいた時に話しを聞き、抱きしめてくれた。
祈りの言葉と、その意味を教えてくれた。
例え自身の子をよみがえらせるという願いの対価の餌にされたとしても、あの温もりに嘘はないと思っていた。
……ラルラも寂しかったのだ。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
何度も謝るルイに、ババは苦笑して一つため息をついた。
そして大きな杖の先で、ルイの頭をコン、と小突く。
ルイが驚いて顔をあげると、まるでいたずらっ子のようにババは笑った。
「気に病む事ではない、と言ったはずだがの。確かに、ラルラが居なくなってわしらも寂しいのぅ。けれどそれはラルラの心の闇に気付いてやれなんだわしらにも責任があるのじゃから、この話はもう無しじゃの。それに、おぬしらがいない間に『しおき鍋』したしのぅ」
その言葉に、座っていたシャルが音をたてて立ち上がる。
その表情は信じられないというようなものだった。
「……な、んだって」
「え?しおき……?お塩のお鍋ですか?」
突拍子もないババの言葉に戸惑うルイに、シャルは首を振ってこたえる。
「しおきは『お仕置き』のしおき。魚人族からとった出汁で作った鍋の事」
その言葉にルイはギョッと目を見開いた。
「え!?魚人族の女王様食べちゃったんですか!?」
あまりの驚き様にババは大笑いして手を横に振る。
「いやいや、流石にあんなのを食う気にはなれんの。ただ、よぉく洗って風呂とか言って湯に入れておくと出汁がとれるんじゃが、これがまた美味での。まぁ、出涸らしはしわしわのよぼよぼじゃがのぅ。あやつの鏡を見た時の顔と言ったら……ふぉっふぉっふぉっふぉ」
「魚人族の出汁は世界一と言われるくらい良い出汁がとれる。その上、不老長寿の薬にもなるとか言われてるほど身体に良いし、美肌効果もある」
言われてみると、確かにババの肌がむきたてのゆで卵のように艶々プリンプリンしている。
「そ、それは食べて見たかった」
ごくりと唾を飲み込んで、ルイはババの肌を見ながら呟く。
「残念じゃの。あの出汁は保存がきかんからのぅ。もう一度作ってやりたいところじゃが、魚も巨人族も里に帰したしの」
「……あ」
そう言えば、あの魚人族の女王の甲高い声も、巨人族の長の地鳴りの様な声も聞こえない。
「あの者達にも役目があるからの。ちと寂しいが仕方がないのぅ。全部丸く収まったらまた祭でも開けばいいことじゃの」
そう言ってニカッと笑う。
「悲観にくれることはないの。明けない夜がないように、覚めない悪夢はないの。わしらがわしらのできる事を精一杯すればなるようになるの。大事なのは諦めないことじゃの」
ルイは頷く。
外からはトンテンカンテンという、作業する音と指示やらなんやらの声が聞こえる。
ここに居る誰もが何も諦めていない。
花の一族たちを中心としたヒトに限らず動ける生物すべての避難が始まった。
それは花との契約を断ち切った国には当てはまらなかったが、それでも花はその国も含めすべての生物たちを助けようとしていた。
ユグはその情景をただ感じていた。
みし、みし、と自身の身体が軋み、ぱきり、という音をたて小さな亀裂が入って痛みが走っても、子供たちが生きようとしている姿をただ感じていた。
できる事ならば、手を差し伸べてやりたかった。
けれどその力を使えば、自身の寿命が縮む。
それは子供たちにとってとても宜しくないことだと分かっていた。
歯がゆい。
こんな気持ちは彼女を助けられない時のものに似ている。
こういう時、彼女ならどうするだろう。
今でも思い出せる彼女は気が強くて、そのくせちょっとした事でくじけるくらい弱くて。
何でも知っていて何でも出来、失敗からも学ぶようなヒトだった。
口はとても悪くて、とても意地悪なのに、とても優しい。
本当に訳が分からないヒトだ。
『それは何でもかんでも受け身で居ればいいって事?ばっかじゃない!?ねぇ、わかる?私の言葉通じてますかぁ!?愚かだって言ってるんだよ!!!』
そんな言葉を投げつけられたのはいつだったか……
パシッと身体に痛みが走る。
大地を灰色に彩る花たちは、ユグの目の前までその生息域を伸ばしている。
その花は毒だ。
負の感情を養分にし、負の感情を生み出す毒。
自身の樹にもたれかかり、ずるずると座り込む。
なんて無力なのだろう、とユグは思う。
神と呼ばれていても、できる事は思い出にすがるだけ。
情けなくなって思わず自嘲の笑みをこぼす。
ユグはまだ気づかないでいた。
自身を支える蔦と花にも、身体の下で励ますように光っている白と黒の小さい花……ブロッサリアにも。




