第七十三話
「契約だよ、人間。呼び出しておいて、やっぱやめたは通じないのは術者ならわかるだろう?」
グラデコールの前に現れた真っ黒な青年は、薄気味悪くニヤリと笑ってそう言った。
その青年の禍々しさと、周りに飛び散った贄と他の術者の血肉に群がる黒い何かの気味悪さに一瞬身震いをしたものの、ソレを隠すように髭を撫でながら不敵に笑って見せる。
「さ、名前を」
ニヤニヤと笑う青年にグラデコールは自身の名前を明かす。
多数の贄を捧げ、呼び出したものが善きモノな筈はない。
くちゃりくちゃり、じゅりゅりじゅりゅりと耳障りな音を出して肉に群がり血を啜るものが、安全なモノであるはずがない。
それでも名を明かすのは、その者の持つ力を欲するが故。
一族が今まで神を崇めていると欺いてまで、成し遂げたかった復讐と野望の為。
グラデコールの名を聞いた青年が、瞬き程の一瞬だけ驚いたように目を見開いたがすぐに面白そうにニヤニヤと笑う。
グラデコールはその一瞬に気付かない。
小さく動いた彼の唇が、いったい何を呟いたのかも分からない。
分かったのは彼がこちらに興味を持った事だけ。
それすらも可笑しかったのか、青年はククククと小さな声を出して笑う。
その姿を見て眉を寄せたのに気付いたのだろう、青年は笑いを堪えながら手を差し出した。
「僕は『ルシ』だ。よろしく、グラデコール。君の一族の願いを叶えよう」
そうして取った右の手の甲が焼けるように熱くなる。
否、実際にその手は黒い炎を上げて燃えていた。
しかし着ているローブ等の周りのものに燃え移ることもなければ、グラデコールが驚き慌てながらも突っ込んだ儀式の為に用意した水がたっぷりと入っている水瓶の中でもそれは消える事が無い。
あまりの事にルシを睨むと、彼は本当に可笑しそうにお腹を抱えて笑っていた。
「あははははは。いいね、それ。君たちは本当に面白いね。そんなに怒らないでよ、ちょっと契約の印をつけただけさ」
そう言って未だ浸けっぱなしの腕を指す。
炎が消えていることを確認し恐る恐る腕を水瓶から引き抜くと、その手の甲には鈍く光る黒い印が刻まれているのに気が付いた。
それはまるで、炎もしくは大きな大樹をかたどっているような、そんな不思議な形をしていた。
ルーズリッヒ・ミドルイアは語る。
フランから様々な可能性の内、最悪なパターンを聞かされたこと。
それは杞憂で終わると思いたいほどの惨事なのだが、残念な事に現在はまっすぐその最悪なパターンにはまっているという事。
ルイが彼方に渡ってから二カ月という時間が過ぎたという事は、ルイにとってもどうすることもできなくなるほどの事であったと。
ルイはベッドに座り、ただ淡々と話す祖父の眼を見ていた。
祖父が感情を表に出す事も無く、無機質に話すという事はそれほど大変な事で嘘偽りなどは一切ないという事を表していた。
ルイは知っている。
祖父がどれほど情に厚い人であるか。
それ故にどれほど胸を痛めているか。
部下や民が傷つき、亡くす度に教会に通い祈りを捧げていたという事も。
けれど、大臣という立場である以上感情を殺し、時には自分の意志に沿わぬ命令も下してきた。
その状態が今である、とルイはルーズリッヒの眼を見て悟る。
「今すぐ王都には帰れない。かといって未熟なお前を戦場に駆り出す事はしない……わかるな?」
その言葉にルイは目を見開いた。
「おじい様!私は元であれグレイス校の」
「グレイス校の生徒であるならば、余計に私の意図を察することができるはずだが?」
信じられないというような声に、ルーズリッヒは冷たく返した。
「何も私はお前が私の孫だからと言っているわけではない。アップロックの末娘にも同じように言ってある。未来の国を守る者に傷をつけるわけにはいかぬのだ」
ババは苦しそうな表情で深い深いため息を一つついた。
「ルーズリッヒ殿がグラデコールの表立った動きに気が付いたのは、今から一カ月ほど前と言っていたかのぅ」
フラン・ローゼリウスの話を受け、ルーズリッヒは二人の兵をグラデコールの監視につけた。
その一月後、彼らは肉片となって発見された。
その姿は四肢がばらばらどころか、全ての手のひら大の肉片という見るも無残なモノだったという。
それをご丁寧にパズルのように並べられ、頭だけは綺麗に置かれていた。
それを受け、ルーズリッヒは魔法士を含む精鋭たちで小隊を組みグラデコールを追わせた。
くれぐれも気を付けるように、近づきすぎず危険だと判断すればすぐ戻る様に念を押して。
けれどもその小隊が帰ることは無かった。
小隊が出発してから1週間後、行商人が馬車でグレイスから王都に向かう途中、奇妙なオアシスを見つけた。
ソレは王都まであと1日ほどという所で現れたというのだ。
その報告を受けルーズリッヒ自らソレを見に行くと、それはまるで荒野の中のオアシス。
但し、その中心にあるのは血の池で、周りにあるのは人の皮や見覚えのある装飾や鎧をを被った木だった。
ルーズリッヒと共に行った兵達の何人かが吐き戻してしまうほどの惨状と異臭であった、と。
その話にシャルと同席していたアップロック、セフィリアが不快そうな顔をし、ブラウンは「ちょっと失礼」と口元を押さえて食堂を出た。
シャルはブラウンを横目で見送ると、ババと同じく深いため息をついた。
いくら魔術に詳しいとはいえ、普通の人間が一小隊を壊滅させられる程の力は無い。
小隊の中の魔法士たちは、魔術に対しての訓練もされているからだ。
常人ではない力でヒトをヒトで無くし、まるで面白がっているように人目にさらす様な事をする人物に心当たりはついている。
「わしは……いや、この世界の殆どがその姿を見たことは無いじゃろうが、伝えられ、もしくは耳に入ってくる中の人物でそういった事が出来る者に心当たりがあるの」
シャルは何も言わず、ただババの瞳を見た。
そしてわかりきった人物の名を待つ。
ルーズリッヒはルイの眼をまっすぐに見据えた。
説明された惨事に顔を蒼くしながら、それでも目をそらさない孫娘に少し感心しながら、自身の表情は崩さない。
冷たいと思われても構わない。
最終的に自身の大切な者たちを守れればいい。
今はフラン・ローゼリウスの言葉を信じ、この森を守るしか手は無いのだ。
「グラデコールに手を貸した者がいる。正しくは、契約した、だが。彼は本来、呼び出されても此方に来ることはできず、此方に来たとしても大きな力を持って来られることは無いとされていた。混沌の瞳、奪う者、底なしの闇、絶望の黒、全てを飲み込む者、世界の破壊者。様々な名前で伝えられ、誰一人その姿を見たモノはないとされている」
ルイはルーズリッヒの言葉をまった。
『創造神、命の神の落とし子。破壊神・ルシ』




