第70話
ルイはさっと青年に向き直ると拳を握り、構えた。
その背中に、シャルは声を掛ける。
あぁ、うん、そうなるよな、と言うような含みを持った声で。
「ルイ、その人は違う」
「……何が」
ルイは振り向かず、ただ殺気を放ちながらそう答えた。
ルイ達の感覚からすれば、つい先ほど命を狙われたモノと色違いとはいえ全く同じような者が現れたのだ。
警戒しても仕方がない。
青年は、殺気を向けられたことに不思議そうに首を傾げていたのだが、その様子を見て納得がいったように何度か頷き、悲しそうな笑みを浮かべた。
「あぁ、彼にあったんだね。それは大変な事になっただろう」
青年は申し訳なさそうに言うのに、ルイは首を傾げた。
けれど殺気や構えはそのままなので、シャルはルイの肩に手を置いて首を横に振る。
「ちゃんと紹介するから、とりあえず抑えて」
ルイはシャルと青年を何度か交互に見た後、小さく頷いて腕を下ろして拳を緩めた。
それを見てシャルは小さく「ありがとう」というと、青年を手のひらで指した。
そして紡ぎだされた言葉にルイはまた目を丸くする。
「こちらは大父君、彼の方、命の樹、または命の神。ちなみにこの樹が本体。そのヒトは精神体」
「ユグと呼んでもらって構わないよ。私としてはそちらの方がしっくりするのでね」
ユグはそう言うと照れたように笑い、すぐ近くにテーブルと人数分の椅子を出すと座る様に促した。
ルイはぎこちない動きでそれに従い、シャルはそれを見て思わず噴き出した。
勿論、直後にルイに睨まれてその笑みを引っ込めるのだが、引っ込めたら引っ込めたでルイはあまり面白くなかった。
最近よく笑うようにはなってはいるが、大体はため息をついているか困った顔をしていることが大半なのだ。
たまの笑顔位許しても良かったかもしれないと、少しだけ後悔した。
ユグは二人が椅子に座ったのを確認すると、パチンと指を弾いてテーブルの上にティーセットを出すと、そのポットの中身をカップに注ぐ。
「口に合うかは分からないがどうぞ。一応命の樹の葉から作った物でね。今回は比較的うまく出来たんだが……どうだろうか」
カップには琥珀色の液体が入っていて、ルイは恐る恐るそれを口に入れた。
今まで嗅いだことのない爽やかな香りが口から鼻に抜け、ほのかに甘い液体は喉を潤しながらすんなりと流れていく。
それを感じると、ルイはその香りを味わうために大きく息をする。
「お、美味しいです」
「ソレは良かった」
満足そうに微笑んだユグに、シャルは赤黒く丸い球体を差し出した。
「あぁ、連れてきてくれたんだね。良かった。心配していたんだ」
ユグはそう言うと優しい手つきでそれを受け取ると、何度か手のひらの上でコロコロと転がす。
すると赤黒い球体は白い光を放ち、命の樹に吸い込まれていった。
「……やっぱり元素化は無理か」
シャルはそれを見送って呟くようにそう言うと、ユグも同じように樹を見る。
「そうだね。一度道を外れてしまったなら、もう一度戻るのはすんなりとはいかないね。けれど時が来ればもう一度戻ることができるだろう」
ユグはそう言うと大きくため息をついてルイに向き直る。
「さて……君には話しておくべきだろう。『彼』に怖い思いをさせられたようだしね」
そう言う顔はとても哀しそうな笑みを浮かべていた。
世界の闇、虚無、混沌、ありとあらゆる負の塊、最も深い闇、反射の無い黒。
もしくは破壊神。
人々は『彼』をユグと同様に様々な呼び方で呼ぶ。
けれど実際に彼を見たヒトはすでにこの世にはいない。
その人間は死ぬか、生きていながらもヒトでなくなったりしている。
なので、ルイの様に無事で済んでいるのはとても珍しい事、とユグは言う。
「彼にはとても可哀想な事をした、と思っている」
元々は自分のせいなのだ、とテーブルに置かれてあるカップの中身に自身を映し眺めた。
あの日、自身の感情を抑えきれそうになかったあの時、ユグの影からドロドロとした闇の様に黒い液体が溢れ出た。
それは辺り一面を一瞬にして広がり、その中に居た大切なモノ以外のモノを千切っていた。
千切ったものから流れ出した音や液体は、その黒い液体に吸い込まれていく。
その黒い液体が彼だった、とユグは言う。
「彼女がしたことは彼にとってはとても理不尽な事だったと思う」
彼は何も知らずにヒトのいる世界から飛ばされたが、ユグとは同じだが違うモノであったため無事に何年も、何百年も彼方への道を彷徨うことになった。
そして出た先は生まれた地とは違う命の樹と大地と空以外一切何もない、そんな世界だった。
「彼方に出たとしても『彼』は自身の能力に悩むことになるだろうけど、それでもこの切り離された世界よりはかなりマシだったのでは、と思う。彼はここに居る間もそちらの世界に何度も行こうとしていたからね」
行こうとはするが、行けても身体の一部のみであったり、精神だけであったりして思うようにはいかなかったようだが、と白と黒の花畑に目をやる。
「あれが此方に振るときに限り、彼はそちらに行けていた。初めは本当に数年に一度や二度だったんだ」
ある日、彼は降ってきたモノに興味が湧いたのか赤黒い何かに触れた。
それは自然に、まるで彼の一部だと言わんばかりに吸い込まれた。
「その時に彼は気が付いたんだろう。自分をつくっているモノと、降ってきているモノの本質が同じだという事に」
その日から彼は狂ったかのようにその何かをとり続け、とればとるほどに彼のチカラは増えていった。
そして、彼が驚くほど大きくなって気が付いた。
辺り一面に、灰色の植物の芽が出ていることに。
「その正体が何であるか、私には見当がついていた。けれど私には彼を止める事も、その芽を摘み取る事も出来なかった。そんな資格、あるはずがない」
ユグが彼を見守りながらも悩んでいた結果、何もなかった一面の大地は白と黒の花と、血と肉の降る大地、ソレを貪る黒い液体……彼が支配することになる。
「私が彼女ほどの度胸があれば、また違った世界になっていただろうね」
ヒトが伝えるような、すばらしく美しい世界になっていただろう。
ユグは泣きそうな笑顔でそう言った。




