第六十九話
それは液体から身体を出すような感触。
それは足元からゆっくりと感じ、出したところからひんやりとした空気があるのがわかる。
それが身体、顔、頭の先と全身が完全に抜けると同時に、今までよく分からなくなっていた感覚が一転し、足元に落下しているような感覚に襲われる。
否、実際に落ちているのだが目を閉じた状態のルイには分からない。
……もう少しマシな助け方は無いのか。
シャルは深々とため息をつくと、足元に意識を持って行くとどうしたいのか考える。
そう、本来ならばシャルにはそれだけでいいのだ。
そうすれば元素たちはシャルの思考を読み取り、そのままに動く。
パチンと指をはじくと、ピタリとまるでそこに地面があるかのようにシャルはそこに止まった。
灰色の大地は遥か下に見える。
「……ゆっくり深呼吸して、眼を開けて」
シャルがそう言うと、ルイはこくんと頷き大きく息をするとゆっくりと瞼目を開く。
そうしてゆっくりと首を動かし、辺りを見回すと驚きで目を見開いた。
「ひゃあああああああああ!?なにこれ!ってか何ここ!高い、高いって!」
「落ちる。落ちるから暴れるな」
シャルはパニックになっているルイを何とかなだめようとするが、聞いていないのかシャルの腕から抜け出るのではないかと思うほど身体をじたばたさせた。
シャルはなんとかルイを抱きしめていたが、何といっても相手はルイだ。
騎士学校グレイス校で血が噴き出るような訓練を受け、両手剣を軽々と片手で振り回すような人間に勝てるわけもない。
シャルがルイから腕を離してしまうのに、時間はかからなかった。
「……あ」
「……え?」
その一瞬、まるで時が止まったかのように二人は目を見合わせた。
次の瞬間にはルイは地上に向かって落ちて、どんどんと小さくなっていく。
「いやあああああああああああああああああああああああ」
シャルはそれを見てもう一度ため息をつく。
パチン
シャルが指を弾くと、ルイは地上から約30m付近で両手を広げた状態で止まった。
例えるなら……そう、水面に浮かべた浮き輪に上からすっぽりとはまるような感じだろうか。
ルイは目に涙を浮かべ、ポカンと口を開けて呆然としていた。
シャルはゆっくりとルイのいるところまで降りると、ズボンのポケットをまさぐった。
そして目当ての物を掴むと差し出した。
「……大丈夫?」
ルイは何度か瞬きをして、差し出されたハンカチとシャルの顔を交互に何度も何度も見る。
そして再び何度か瞬きをしてたっぷりと今の状況を考えた後、ひったくるようにハンカチを受け取るとそれに顔をうずめた。
「うわあああああああん、死ぬかと思った!マジで死ぬかと思った!もう駄目だって思ったあああ!」
「あぁ、うん。あ、よだれ」
「うっさい!……っんっあ!もうついてない?」
「うん、大丈夫」
「よし。っていうかね落ちてすぐ助けられるならもっと早く助けなさいよ!っていうかここどこなのよ!って、まだ高いんですけどおおおおお!!」
「うん、降りるのはやめといた方がいい」
「何で!」
「何でって」
シャルが答えようとした時、シャルとルイの真横を赤黒い塊が落ちていった。
それは止まることなく地面にビシャンと音をたてて落ち、灰色の地面は一瞬赤黒く染まる。
すると黒く蠢くものがそれに群がりぐっちゃぐっちゃと音をたて、黒いものがさっと散ると赤黒くなったモノは一瞬にして灰色に戻った。
それを二人は無言で見ていた。
辺りをよくよく見れば、先ほど落ちたもの以外にもべちゃべちゃと幾つも落ちている。
それらすべてが地面を赤黒く染め、黒いものがそれに群がり、散る。
「……あんな感じになるから」
「……あ、うん。なんだろ、今の見たら冷静になった」
「ん、ソレは良かった」
シャルはそう言うとルイに手を差し出した。
ルイは素直にその手を取りながら改めて辺りを見回す。
一面の灰色の大地、白と黄色が混ざったような色の輝く空、遠くに見える一本の大きな樹。
その寂しい風景と微かにする鉄と鼻を衝く臭いに首を傾げる。
「ここは?」
その問いにシャルはルイから視線をそらし、大きな樹を見る。
するとシャルとルイの身体は、まるで吸い込まれるかのように大きな樹の方に向かっていく。
「……ホーリーガーデン」
「え?」
ぽつりと言ったシャルの言葉に、ルイは目を丸くした。
「ホーリーガーデン、彼方の地、あの世、天国、地獄、神の住まう場所。呼び方はたくさんあるけど、指す場所は全部ココ」
「……ここが?」
流れていく景色を信じられないというように見た。
想像としていたモノとかなり違う。
「ホーリーガーデンって、もっと花が咲き乱れてるんじゃ?」
「咲いてる」
「どこが」
シャルは灰色の大地を指さした。
ルイは怪訝な顔をして灰色の大地をよく見てみる。
「……ん?」
眉間にしわをよせて眼を細めていた表情は、再び目を丸くさせる。
灰色の大地は全て白と黒の花だったからだ。
ルイは顔を上げ、「いやいや」と首を振った。
「こういう花じゃなくてだねぇ……」
「『色鮮やかな花畑に、光り輝く命の樹。そこは恵みに溢れ、死者たちを優しく迎え入れる』ホーリーガーデンなら無い」
シャルは書物の一説を引用して答える。
「ここは……死肉と血が降る呪われた大地、ってとこか」
「いや、そんな怖い事を素面で言わないでよ」
「じゃあ……」
「雰囲気だして言うのはもっといいから!!!」
ルイのツッコミに、シャルはクスリと笑うとだいぶ近づいた大きな樹を指した。
「あれだけは、教科書通り」
「わぁ」
その樹は光輝いていた。
灰色の大地に不釣り合いなほど美しく。
太い幹には蔦が這い、そこから色とりどりの花が咲いていた。
近寄れば近寄るほど色によって種類が違うのか、花の形がどれも違うのはわかる。
シャルはその樹の根元に向かって降りていくと、ゆっくりと大地に足をつけた。
その樹の周りには灰色の大地は無く、緑の絨毯が敷かれているように背の低い草が敷き詰められている。
「……すごいね」
ルイはその樹を見上げ、うっとりとした声を漏らした。
この樹が世界中の生物を支えている。
この樹が魂を浄化して恵みを作り、その恵みから生物ができる。
生物が死ねばその魂はまたここに還ってくるのだ。
誰もが本当にあるとは思わない大地で、誰もが本当にあるとは思っていない樹が世界を支えている。
「……ありがとう」
ルイは頭を下げ、そう呟いた。
感謝の想いをこめて。
「礼を言われることはしていないが、言われるのは嬉しいものだね」
その言葉にルイはサッと頭を上げ、声をする方を見た。
そこには長い白い髪を一つに編み、白い瞳を持つ白い服を着た……思い出したくもない真っ黒な青年とよく似た青年。
優しく微笑み、片手を広げ彼は言った。
「よく来たね。回って見せてあげられるものは無いけれど歓迎するよ」




