第六十七話
シャルは深く考えるよりも先に走った。
正直走り過ぎて横っ腹も胸も足も痛い。
けれど、そんなモノを気にしている場合でもない。
この相手に計算や予測というものは通用しないのだ。
シャル達を見逃すという事もしないだろう。
そもそも彼の狙いはシャルなのだ。
……否、シャルの中にある物、と言った方が正しい。
現に生かしておく気はないのだろう、シャル目掛けて黒い針のようなものが飛んできている。
ソレを魔法で払い、あるいは避けシャルはルイ目掛けて走って行く。
「お?」
……のだが、シャルはルイを目の前にして直角に曲がると、ラルラであった木に向かって走り出した。
ナニカを考えてそうしたわけではなく、ただたんにルイとシャルの間に黒い水たまりができたのが見えたから方向を転換しただけだ。
それは読めていなかったのか、青年は少し驚いた後楽しそうに笑った。
「ヨユーですねぇ。いやぁサスガですぅ」
ワザとらしいその声にイラっとしながらも、シャルはラルラの足元に零れ落ちていた赤黒い物に声を掛けた。
「おいで」
『彼』には、迷いなど無かった。
むしろそれを望んでいた。
蘇る前のラルラの子供の肉体はすでに滅び、魂は彼方に渡り魂を浄化されて元素になっていた。
元素化した魂は、本来なら逆戻りして元の形を成すことはない。
ただ流れて大地を満たし潤し、あるいは実りとなり新たな命になる。
新たな命はやがて死に、また魂は浄化される。
しかし、ソレを外れたもの……『彼』の様に連れ戻された者や贄にされた者等は浄化されず、元素化もしない。
魂は彷徨い、あるいは食われ、あるいは苗床にされる。
そこに救いは無い。
あるのは孤独と苦痛、憎悪。
それはやがて闇になり、世界を蝕む。
だから『彼』は望んでいた。
本当はもう一度巡ってラルラのもとに生まれたかった。
生まれる前より感じていた胸の痛みで、自分が長くない事は分かっていた。
生まれた後も強くなっていく痛みを、どうにか隠してできるだけ長く生きたかった。
ババだけがそれを知り、何度も「なにもできぬの、すまぬの」と詫びられたが『彼』は気にしていなかった。
……ラルラに逢えただけで嬉しくて、傍に居られるだけで幸せだったから。
けれど、もう……
シャルは走り寄りソレに手をかざすと、赤黒いものはこぶし大の球状になってシャルの手の中に吸い込まれるように収まった。
それと同時に方向転換し、ルイの元に駆け寄ると腕を掴んだ。
「歯、食いしばれ」
「え?ひいいいいいいいいいいいいいいいい!?」
シャルはルイの腕を掴んだまま、そのまま崖に飛び降りる。
ルイの腕を引き、ぎゅっと抱え込むと耳打ちする。
「何も見るな、聞くな。見えているのはただの景色と同じ。大丈夫」
崖の上から伸びてくる幾つもの黒い手。
それは頭から落ちていくシャル達を追う。
どんどんと落下速度はあがり、伸びてくる手の速度も上がっていく。
シャルはそれを見下ろすように見ると、迫りくる大地に意識を向けた。
彼を撒くには先手を打つしかない。
プツンと、テレビを切ったかのようにシャル達が消えた。
捕らえようと伸びていた黒い手は大きく空振りし、青年はシャル達が落ちていった崖を見下ろした。
その下には森が広がっているだけで、他には何もない。
「あぁ、逃がしちゃったか」
そう何でもないように呟くと、青年も黒い手もまた同じように消えた。
その場は、まるで何事も無かったかのようにシンと静まり、ただ崖のそばに生える一本の木が風に揺れてざわざわと葉を鳴らしている。
それだけが彼らがここにいた事を示し、また青年が此方側に来たことを知らしていた。




