第五十七話
誰かがぼくの手をひいている。
まっくらで何も見えない。
「行ってはだめだ」
誰かがぼくにそう言うんだ。
けれど、ぼくの手をひいているヒトは止まらない。
「そこで止まれ」
ねぇ、そこのヒト。誰かがそう言っているんだ。
ちょっとまってあげようよ。
「お前が止まらなければダメなんだ」
……ぼくが、とまる?
シャルは椅子に座りベッドに横たえられた少年の手を握っていた。
その手をまるで祈る様に額に当て、瞳を閉じゆっくりと息をしていた。
はたから見れば眠っているようにも見えるだろう。
扉を開く音で、シャルは大きく息を吐き、目を開けて顔をそちらに向けた。
「呼びかけておったのかの。すまぬの、邪魔したかの?」
シャルは首を横に振ると、大きな杖を持った猫耳の老婆に微笑んだ。
「お久しぶりです、ババ様」
立ち上がろうとしたところをババは手でそのまま座っているよう促した。
「そうさの、もう何年ぶりになるかの。昨日の歌は見事だったの。相変わらず良い声をしておるの」
その言葉にシャルは苦笑した。
それを見てババは「ひょひょひょ」と笑い、ゆっくりとシャルの横に歩み寄り少年の枕元隣に立つ。
「……この子かの?ふむ……確かにあまりよろしくはないのぅ。呼びかけに応えたのか完全に彼方に行っていないのが救いじゃの」
そう言って少年の頭を優しく撫で、「ちょっと痛いかもしれんが我慢してくれの」と呼びかける。
そしてその額に手を置き、手に持っている杖をガンと床に打ち付けた。
「離せ、戻せ。その子を連れてはならぬ。そちらに行ってはならぬ。我が子をかえせ。我が子よ戻れ」
ババの身体を電流が流れるように、青い筋のような光が走る。
それはババの手を伝い、少年の身体にも光が走る。
「彼方は死の地、此方は生の地。戻れ、戻せ。魂を闇に染めてはならぬ。魂を闇に連れてはならぬ。かえれ、かえせ」
知らないおばあちゃんの声がどこからか降ってきた。
もどれ、もどせ。かえれ、かえせ。
何度も同じことを言っていて覚えてしまいそうだ。
しかも、なんだかぽかぽかと暖かくなってきて心地いい。
このまま目をつぶって眠ったら、どんなに気持ちがいいだろうな、とちょっと考えた。
けれど、ひかれる手はとっても冷たくて、ちくちくしてて痛いのが気になる。
ねぇ、離してよ。痛いよ、冷たいよ。
ババは何度呼びかけてもぴくりとも動かない少年を見て眉根を寄せ、一度大きく息をする。
「早く帰って来いと言っておろうの!!聞こえてるのかの!!!子供はさっさと帰って寝る時間じゃの!いつまでほっつき歩いてるんじゃの!!そんなもんさっさと振りほどいて走らんかいの!!早くせんとご飯なしじゃからの!!」
シャルは目を丸くしてババを凝視した。
そしてあまりの言い様に口をあんぐりと開く。
誘拐されている子供に早く帰って来いって……
しかも叱ることなのだろうか。
いやまぁ、セフィリアも見るな聞くなって言っておいたのに、見たのはこの少年なのだからまぁ悪いと言えば悪いが。
それでもどうなるか分からない、それも子供にそんな門限破ったような叱り方をしなくても。
シャルが少し呆れていると、少年の指が微かに動いたのが見えた。
しかも閉じられた目からは一筋の涙が伝っている。
効果、あるんだ……
その変化を見たババはシャルに視線を向けてニヤリと笑い、今度はとても優しい声で言った。
「おお、良い子じゃの。そうじゃのそうじゃの、頑張って走るんじゃの。なに、道は見えてなくて良いの。お前が戻りたいと思えばそれが道になるんじゃの。さぁ、早く帰って来るんじゃの。戻ったらお前の好物をたんと作ってやるからの」
そう言うとシャルにウインクした。
どうやら作るのはシャルのようだ。
シャルは苦笑して思わず天井を仰ぐと、ため息を一つついた。
そして……
「ホットケーキにハンバーグっていうのたべてみたいんだああああああ!!!」
少年はそんな言葉を大声で発しながら勢いよく飛び起き、まるで流れるように立ち上がって走ってベッドから飛ぶようにして降りるとそのまま壁にぶつかった。
どうやら魂が戻った瞬間、魂が走っているから身体も走っているモノだと錯覚してこうなったようだ。
「いててて……」
少年は顔を思いっきり打ち付けたようで鼻とおでこを撫でた。
その姿を見て、ババもシャルもほっと胸をなでおろす。
……良かった、難しい料理じゃなくて。




