第五十六話
教会の一室では血の匂いが充満していた。
エナはユラが持ってきた数々の道具の中から太い注射器を取り出すと、『取扱注意』のラベルが貼られたビンに入った赤い液体で中を満たす。
そして軽く空気を抜くと、両手と胴と頭を縛られた足の無い術者の足に遠慮なく刺した。
その表情は鬼の様に険しく、怒りで歪んでいた。
「ぎゃああああああああああ!何をする!!医者ならもっと患者を丁重に扱え!!!」
その言葉に余計に眉を寄せると、その注射器をギリギリと深く刺し込んでいく。
刺す様な視線と裏腹に、その口はとても愉快だとでも言いたげに細い三日月の様に歪められていた。
「丁重に、扱え、ですってぇ?」
その低い声に術者は驚いてエナの顔を見ると、あまりの容貌に言葉を失くし口をアワワワと動かした。
エナはそれを見ながら針の根元まで差し込むと、ゆっくりゆっくりとピストンを押していく。
「人を人と分からないような殺し方をしておいて、よくそう言った事が言えたわね?」
「俺は指令に従っただけだ!あんなになるとは思わなかったんだよ!っていうか痛ぇ!!さっきからそれ何注射してるんだ!」
まるで焦らすように行われるその行為と、エナの顔を交互に見ながら術者は言い訳じみた言葉を吐いた。
その表情には焦り。
得体のしれない液体がゆっくりと身体に入れられていく恐怖は、先ほど味わったものとは違う恐怖だ。
エナは注射器の中身を全て入れ終えると、その注射器を術者の顔のすぐ横に刺した。
「ひぃっ」
「……どちらがいいか選びなさい」
「へ!?」
注射器とエナを交互に見比べて、術者は困惑する。
「ここでゆっくり苦しんで死ぬか、私に『殺してくださいお願いします』とお願いしたくなるような処置をされるか」
そう言いながらエナはある道具の部品を取り出した。
それは直径1cm程、長さ15cm程の片方の先が鋭く尖った棒。
もう片方は小さなリングが付いていた。
「な、何をする気だ!」
恐れ慄く術者を見て、エナはにんまりと笑った。
「何って、ねぇ?こぉんな状況、こぉんな状態でも元気な患者にぴったりな、とっても素敵な『治療』に決まってるじゃない」
そう言いながらカチャカチャとその部品に様々な部品が取り付けられてある四角い魔法具から伸びる導線を繋ぐ。
「で、どちらかしら?」
エナのその微笑みは、悪魔そのものだった。
アップロックはその部屋に入ったことを少し後悔した。
部屋は血の匂いが充満し、足の千切れた術者に馬乗りになる年若い女性。
しかもその女性はとても楽しそうに、千切れた足にぐっさぐっさと棒を何本も刺している。
しかも今の彼女の笑い声は「あひゃひゃひゃひゃ」である。
いくら的確な治療とはいえ、このような狂った様子を見たらだれもが治療を遠慮するだろう、とアップロックは困ったようにその様子を見ていた。
術者は泡を吹いて気絶しているらしい。
ご丁寧に猿ぐつわを噛ませ顔を横に向けているのはエナの仕業だろう。
楽しく『治療』をしていても、そういう処置を忘れないのはさすがといった所か。
……全く知らない人から見れば、やはり狂っているようにしか見えないが。
「あら?アップロック居たの?気づかなかったわ」
血で染まった服で血に染まった手をぬぐいながら、エナは術者から降りた。
「え、ええ。先ほど来たばかりです。何か手伝えることは無いかと思ったのですが……」
「無いわね」
「……そのようですね」
アップロックは苦笑した。
エナは不敵に笑うと新しく注射針を取り出し、今度はビンに入った水色の液体で満たすと術者に注射した。
そうして術者の頬を思い切り叩く。
ストレス発散しているんじゃないか、と思うほど思い切り何度も繰り返すと、短いうめき声をあげて術者は目を覚ます。
ぼんやりとして現状がよくわかっていない術者に、エナは天使のような微笑みで近づき四角い魔法具と導線で繋がっているボタンのついた箱を手渡して言った。
「さぁ、これを押して。貴方自身で仕上げをするのよ」
手渡された箱は、握力の落ちた術者の手から滑り落ちる。
エナはそれを拾ってもう一度手渡すと、今度は落ちないように優しく、その上から握りしめた。
「さぁ」
そう言うと、術者は弱弱しくそのボタンを押した。
そう、握力が落ちた者が押せるほどそのボタンは柔らかく作られていたのだ。
「んーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!」
魔法具が発動し、肉の焼ける匂いと術者のうめき声が部屋を満たす。
全身を駆け巡る衝撃で、術者は再び失神した。
「あら、情けない。とっくに麻酔効いてるから痛みなんて感じないのに」
「いや、痛くなくても衝撃は伝わると思うのですが……」
アップロックはそう言いながら部屋の窓を開け放った。
「こんなもの、あの坊やの状態に比べたら屁でもないわ」
そう言いながら足に刺さった棒を抜いていき、消毒液を振りまいてガーゼと包帯でぐるぐる巻きにしていく。
イライラしているのか、その手つきは乱暴だ。
「……あの少年は?」
アップロックの問いに、エナは首を横に振った。
「身体には異常はないの。至って健康。幸いにも傷一つ無かったわ」
だからこそ、エナは悔しかった。
唇を噛みしめ、わなわなと震えている。
アップロックは小さく、「そうですか」と相槌を打つ。
窓から外を眺め、望む客人が一刻も早く到着することを願った。
その翌日の夜明け。
赤く輝く柵に足を引っ掛けることなく綺麗に飛び越え、フォレスティに人間のような何かが訪れた。
上半身は男性、下半身は馬というケンタウロスと、その背にしがみつくように乗った二本の猫のような尻尾を持つ老婆。
その老婆の耳は無く、頭にふさふさした毛に覆われたこれまた猫のような耳が生えている。
「やっとついたかの。もっと労って走ってもいいと思うだがの」
ため息交じりに言ったその言葉に、ケンタウロスの少年は苦笑した。
「ババ様が急げって言っただろ?僕だって一晩中走り続けて足が痛いよ」
「若いくせになっとらんの。鍛え方が足らんのじゃないかの?」
「里からここまでどれくらいあると思ってるんだよ!っもう!」
少年が口をとがらせてブーブー言うのを、猫耳老婆は可笑しそうに笑った。
「さて、はよういかんといけんの。長の家はわかるかの?」
その言葉に少年は、深くため息をついて答えた。
「僕これでも14だよ。毎年来てるんだから知らないわけないだろ」
「ひょひょひょ。それは頼もしいの。ではそこまでもう一頑張り頼むとするかの」
そう言うとまたケンタウロスの背中に捕まった。
少年は「もう、仕方ないなぁ」と言いながら、今度はゆっくり歩き出した。




