第五十五話
「おい!坊主!しっかりしろ!!おいってば!」
セフィリアは森からフォレスティに戻ると、目を見開いたままピクリとも動かず、四肢をだらんとさせている少年の頬をぺちぺちと叩きながら呼びかけた。
けれど少年の身体は反応を示さず、その瞳に光は無い。
「すみませんが、この人の足を縛るのを手伝ってもらえますか。せっかく助けたのに失血死されてもこまりますからね」
同じように戻ったアップロックはブラウンにそう呼びかけ、小脇に抱えていた術者をおろすと自らの法衣を脱いで裂くと膝から下の無い、不恰好に千切れた足にきつく縛り上げた。
ブラウンは戸惑いながらもそれにならい、アップロックの法衣を同じように裂いてきつく縛る。
「……こんなことになるとは……」
力なく呟くブラウンに、アップロックは視線を向けることなくぽつりと言った。
「仕方ないでしょう。これがあなた方の教える世界再建への道なのですから」
その苦笑交じりの言葉に、ブラウンはただ項垂れるしかない。
そう、ニイエケではこの儀を行う事で命の樹を支え、世界に蔓延る闇を減らせると教え続けられていたのだ。
世界中のニイエケの人で行われているこの儀式で、ここまで酷い惨事になることは無かった。
大抵は支柱になる『贄』のみが消え失せるか、酷くても術者が怪我をするくらいで先ほどの様に襲ってくることは無い。
ブラウンはどうしても分からず、ただ呆然と足のない術者を見つめながら先ほど起こった事を思い出していた。
黒い、底の無い闇。
無数に伸びる手と、大小老若男女様々な目や口、声。
教えにある、世界に蔓延る闇そのもの。
どうしてそんなものが、『支柱の儀』で現れるのか理解できなかった。
「セフィリア、その子はどうですか?」
アップロックの問いに、セフィリアは頬を叩く手を止めると首を横に振った。
「……そうですか。不本意ですがこの人の治療もありますし、教会に行きましょう。エナさんにまた怒られてしまいそうですが……」
術者を抱えると立ち上がり、ふう、とひとつため息をついて教会をみる。
そしてこれからの事を考えて眉根を寄せると歩き出した。
「このまま放置しておく方がもっと怖いですからね。さっさと帰りましょう」
「あ、それ賛成。エナさん怒るとホント怖いからね」
セフィリアも少年を抱きなおすと、アップロックの後に続いて歩き出した。
ブラウンはただその背中を見送っていると、アップロックは振り返りため息をついて言った。
「貴方も来てください。怪我してるでしょう?」
「え、あ、ああ」
ブラウンは言われた通りにアップロックの後を追った。
何も考えられない。
「どうして」と、ただただ思うばかりだったからだ。
フォレスティの教会前の広場では、エナとユラ、そしてルイが忙しなく動いていた。
フォレスティの住人が、貧血のような症状になって座り込み、あるいは動機や過呼吸が起き、あるいは異様にハイテンションになって「俺、もっかい歌うんだ!」とか騒ぎ出して「静かにしろ!」と怒られたりしていたからだ。
バリューとシドは魔法具のランプを回収しに行き、シャルは未だ教会の屋根から降りてこない。
エナは心配するルイに「動けるようになったら降りてくるわよ」と言うと、次々と指示を出していく。
教会のキッチンに作っておいたスープや、溜めておいた飲み水を広場にだし、住人一人一人に渡していく。
中に具合が悪そうな人が居てすぐさまエナに伝えると、エナは急いでそのヒトの手首と首筋を触り、ポシェットから取り出した何かの粉末を水の入ったグラスに入れて渡す。
その色は緑色と茶色と黒が混ざりきっていないような色をしている上に見るからに溶けきれておらず、飲むのにも一苦労しそうな代物であった。
渡された住人は、それとエナを見比べて何やらブツブツと言っていたようだが、
「つべこべ言わず飲みなさい」
というエナの言葉と鋭い視線に、鼻をつまんでやけくそのように一気に飲み干した。
フォレスティで唯一医学に精通しているエナの言葉に従わなければ、後々病気やけがをした時にどんな処方を出されるか分かったものではないので皆が皆従った。
まぁ、飲み干した後はそのあまりの不味さに吐き気との戦いとなるのだが。
ルイはそんな忙しい中、広場に通じる階段に血をたらたらと流している男を小脇に抱えたアップロックと子供を抱いたセフィリアの姿を見つけた。
その事態を一瞬で察しエナに駆け寄り見たままの姿を話すと、エナは血相を変えて向かう。
そしてその姿を見て一瞬硬直し、しかしすぐさま我に返って驚くほど大きな声で指示を出した。
「ルイちゃんはお湯沸かしてきて!たくさんね!ユラちゃんは教会の処置室開けて道具一式取って来て!」
そう言うとルイとユラは一目散に駆け出し、それぞれ言われた事をするのに専念した。
それほどひどい有様だったのだ。
二人と入れ違うように教会から出てきたシャルは、アップロックとセフィリアを見て事を把握した。
不恰好に千切れた足の男、そして力なく四肢をだらんとさせた子供。
アップロックとセフィリアがユラに連れられて教会に入ろうとした時、シャルはセフィリアに歩み寄ると、その腕を掴んだ。
「え、あ。ああ、シャルか。お疲れさん」
驚いたように目を丸くし、その後疲れたように微笑んだセフィリアにシャルは一言「そっちも」と答えた。
そして視線を腕の中にいる子供に向ける。
見開かれている目は焦点が合わず、視線があうことはない。
そして何よりも気になったのは、その子供が纏う元素が全くない事。
けれど死体なら無いはずの脈や体温はこの子供にはある。
医学の知識は無いが、エナに見せても身体には問題ないと言うだろう。
それが意味することは一つしか思いつかなかった。
「……わかるか?」
セフィリアの声にシャルは頷く。
「この子の魂は此方側には無い」
シャルの答えに、セフィリアは分かっていたというように「そうか」と小さく呟いた。
その目は悲しそうに細められ、口は悔しそうに引き結ばれ下唇を噛みしめていた。
「とりあえず、寝かせてくるよ。お前もゆっくりしろよ」
やっとの感じでそう言うと、セフィリアは教会の中へと消えていく。
シャルは片手を軽く上げそれを見送ると、一つため息をついて広場の入り口に向き直った。
「まだ、そこから抜け出せてなかったんだ」
そう言って視線を向けた先にはブラウンがいた。
身体中を擦り傷や切り傷でいっぱいにして。
どうしていいか、何を信じたらいいのか分からないような、子供の様に不安げな表情をして。
「……とにかく無事でよかった」
もう一度大きく息をして肩を下ろすと、安堵したような笑みを浮かべてそう言った。
その姿にブラウンは目を見開き、そして先ほど起こった事、故郷の事、家族の事、『巨人と山賊』の仲間の事、色んな事を一気に思い出す。
「あ、ああ。ああああああああ」
ブラウンは崩れるようにへたりこみ両手の平を見つめて、そして顔を覆った。
あふれ出る涙が止まらない。
自分には泣く資格など無いというのに。
闇と自分がしたことへの恐怖と、助かったことに対する安堵、贄にされた少年に対する懺悔、色んな感情が混ざり心の中がぐちゃぐちゃだった。
ブラウンはまるで生まれたての赤ん坊のように泣いた。
彼が心のままに泣いたのは、子供のころ以来だった。




