第四十二話
「シャル様、お目覚めのお時間でございます」
ノックの音と共に、エミリーはドアをノックした。
手には半分ほどまで水の入った水差しとグラスをのせたトレイ。
そのトレイは片手で持たれているのにも関わらず、水面は一切揺れていない。
扉の前で暫く待ってみるが、扉の中からの返答はない。
なので、もう一度ドアをノックする。
「シャル様!お目覚めの時間でございます!!!」
先ほどより二回りほど大きな声で呼びかける。
しかし、それでも扉の中からは返答はない。
エミリーは一つ、大きく深呼吸してから頭の中でゆっくりと30秒、数える。
それは以前シャルがここに住んでいた時にした約束だからだ。
初めは「朝部屋に入る前にノックして呼んで!」。
それでも起きることができなかったシャルはそれに加え、もう一度ノックして大きな声で呼ぶように言った。
……それでも間に合わなかったシャルは、30秒待ってほしい、と付け加えた。
「……30っと。では、失礼いたします」
エミリーはニヤリと笑みを浮かべ、制服のポケットからマスターキーを取り出す。
そしてそれをシャルのドアの鍵穴に差し込み、躊躇いもなく一気に回した。
ガチャリというカギが外れる音を確認し、エミリーはカギを抜きドアを開けた。
その部屋は本当に地味だった。
カーテンも布団カバーも絨毯も地味なグレーで統一され、本棚と勉強机とベッドがある以外は何もない殺風景な部屋。
せっかく可愛らしく彩ったというのに、とエミリーはため息をつく。
エミリーは勉強机の上にトレイを置いて、ベッドの横へ移動する。
規則正しく上下する布団の中で、シャルはすーすーと寝息をたてて眠っていた。
その姿はまだあどけなく、エミリーはそんなシャルを見て苦しそうに胸に手をやる。
まだ、こんな子供なのに。本来ならば輝かしい未来が開けているはずなのに。
我が子がもし、と思えば思うほど苦しくなる。
しかしシュデルテやシャルの家族の心を思うと、自分が泣くわけにはいかない。
一つ大きく深呼吸して、袖をまくる。
「朝ですよ!起きてくださいまし!」
そう言って思いっきり布団をめくりあげた。
その後、シャルが慌てて部屋中駆け回ることになる。
エミリーはそれを嬉々として追い掛け回すのだが。
シャルはげっそりした顔で食堂のテーブルについた。
ルイはその姿に驚き、事態を察したシュデルテは楽しそうに笑う。
「あらあら。今日もお寝坊さんなのね」
その声を聞いてシャルは余計にうんざりしたように俯いた。
「久しぶりに楽しませていただきました」
シャルの代わりに、エミリーは肌をつやつやさせて答える。
「まあまあ。私も参加すればよかったかしら」
「次回はぜひ」
「……勘弁してくれ」
盛り上がっている二人に、シャルは力なく言った。
それにシュデルテは微笑みながらも、厳しい口調で言う。
「起こされるのが嫌なら、エミリーが行く前に起きればいいでしょう?」
言い返せないのか、言い返す気がないのか、シャルは俯いたまま何も答えない。
シュデルテはその様子を見て、フンと鼻を鳴らし手を二度打つ。
「さぁさぁ、いただきましょ」
その言葉を合図に、メイドや執事たちの手によって次々と朝食がテーブルに並べられていく。
焼きたてのパン数種類にジャム数種類とバター。
サラダとスクランブルエッグ、ソーセージとコンソメスープ。
オレンジジュースに牛乳、ヨーグルトとフルーツ。
一通り並べ終わると、彼らは礼をして食堂から出ていく。
残ったのはシャルとルイ、シュデルテとエミリーを含めて2人のメイド。
「では、手を合わせてご一緒に」
にっこりと微笑みながらシャルとルイに視線を向けて、シュデルテは幼い子供が通う学校の先生のように言って手を合わせた。
シャルがそれに倣うのをみて、ルイも慌てて手を合わせた。
「「いただきます」」
「え、あ、い、いただきます」
ルイはバターロールをとって千切り、リンゴジャムをつけながらチラチラとシャルの方を見る。
そのシャルはフォークを持ってスクランブルエッグを食べようとしているところだった。
余りに落ち着きがないルイを不審に思いながらも、フォークを扱う手は止めない。
そして口に入れて少し経ってから、シュデルテはシャルに顔を向けた。
「そのスクランブルエッグの味はどうかしら?」
「……美味しい」
「でしょう?それ作ったのルイさんなのよ」
そう言われてルイの方を見ると、少し頬を赤くしながら口いっぱいにバターロールを含んでいた。
それを見てフッと笑い、もう一度スクランブルエッグを口に入れる。
玉子の甘みが口いっぱいに広がり、溶けていく。
……うん、美味しい。
「朝食が終わったら出るのでしょう?どうやって行くつもりなの?」
シュデルテはシャルに向かってそう問いかけた。
シャルは天井を仰ぎ、少し考えてから口を開く。
「東の停留所で馬車に乗って、森前の停留所まで行ってから歩こうと思ってるんだけど」
その言葉にシュデルテも同じように考えるように視線を泳がせる。
「エミリー、今日何か予定はあったかしら?」
「いえ、本日外出される予定は入っておりません」
素早い返答に、そう、とシュデルテは相槌をうつ。
そうしてルイとシャルを交互に見て、良い事を思いついたように胸の前で手を合わせてにっこりと微笑んだ。
「森前の停留所まで馬車を出してあげましょうか。ついて行く事はできないけれど」
その言葉にシャルは素直に頷く。
シュデルテは去っていく馬車を見送り、見えなくなると目をそっと閉じた。
「……よろしいのですか?」
エミリーは哀しそうに馬車の進んだ先を見て主に問う。
「良いのよ」
シュデルテはそう言って微笑んだ。
そして青い空を仰ぐ。
どうか今までと同じく、あの子たちに何事もおきませんよう。
神でも花でも命の樹でもなく、ただ空に向かってそう祈った。




