第三十一話
ホーリーガーデンフェスは盛況のうちに終わった。
皆それぞれに楽しみ、皆それぞれの家に帰る。
大勢の人が集まっていた町には、まるで何もなかったかのように普段通りの町並みに戻った。
幾つもあった舞台はすでに無く、歓声が何度も上がった闘技場はシンと静まり返っている。
通行人を惑わす屋台は全てなく、ただ、いつも通りの商店がちらほらとあるだけだ。
「……静かだな」
シャルは寮の窓から町を見下ろして呟く。
……慌ただしい日々が終わろうとしていた。
フレイアは着た時よりかなり不機嫌なようで、こちらを見ようともせずさっさと飛行船に乗り込んだ。
ジュードに至っては未だショックから立ち直っていないのか、それともその後にまた何かあったのかげっそりとした顔をしている。
ただ一人、クリスタだけが晴れ晴れとした表情をしていた。
その状況にサラは複雑そうに微笑んで見送る。
「それではまた。お待ちしております」
深々と礼をしてクリスタは言った。
「ええ。気を付けて」
クリスタは飛行船に向かって歩き出したが、ふと、何かを思い出したように振り返った。
「あぁ、そうそう。セフィリアさんによろしくお伝えください。と、て、も、お世話になりましたので」
なにか言葉にトゲというか引っかかるものがあった気がするが、表情はとても明るい。
……目が笑っていない気もしなくもないが。
サラは苦笑しながら頷いて手を振った。
クリスタはもう一度礼をして飛行船に乗り込む。
フィーーーーーーーーーーーーーーー
ドアが閉まり、出発の合図の笛が鳴る。
浮き上がり、遠ざかる飛行船を見ながらサラはただ一人そこに居た。
風が髪を掬い、そこに先ほどまで居た者の匂いを完全に消し去っていく。
……束の間の休息の時が終わろうとしている。
エドガーはだらだらと冷や汗を流しながらそこに居た。
そこは学園長室と書かれたプレートがあり、絢爛豪華な品々で埋め尽くされている。
その応接セットのふかふかとしたソファーにゆったりと座る美女二人。
どちらも自分に似た顔立ちの、敵に回しては怖い相手。
「もう一度おっしゃいなさい」
エトラは足を組み替えてエドガーを見据える。
エドガーはギュッと拳を握りしめた。
ここで怯んでは何もできない。
いつもこの二人の迫力に押されて流されて、決められた道を進んできた。
一級魔法士になれたのも、エトラの力添えがあってこそ。
それは思い出すのも辛くなるほどとても厳しい指導ではあったが、今のエドガーにとっては無くてはならないものだ。
それでも、自分には何もないのだ。
自分で決めて、自分で進み、自分で学ぶという、その経過がない。
好奇心だけで突き進んで大変なことになる、という事は幾つも体験してきた。
それから学ぶことも無かったわけではない。
けれど。
「俺、カドリアに行く」
あまりの緊張に握った手のひらに汗がじんわり滲み、小刻みに震えだす。
セフィリアはそれに気づかないほど素人ではない。
呆れとも取れるため息をついた。
「カドリアが今どのような状態だと分かっていて言っているのかしら?」
「わかってる」
「今までのように、好奇心だけで突き進んでいては死ぬだけでしてよ?」
「……わかってる」
「だれも、尻拭いなんてしてくれなくってよ?」
「わかってる!!!」
苛立ち、声を荒げたエドガーに、エトラはただ冷たい視線を向けていた。
セフィリアはただ、感情の無い視線を向ける。
それをエドガーは受け止めて、今にも逃げ出したい気持ちを、歯を食いしばり、きつく拳を握りしめて、抑えつけて言った。
「俺、カドリア行くからな!絶対にだ!」
……別れの時が迫っていた。
「手紙、書くからね!そんでカドリアにも行くから!」
飛行船の停留所で朝日を浴びながら、ルイはそう言ってサラをきつく抱きしめた。
「はい、待ってます」
そう言って微笑み、抱きしめ返す。
長いようで短い三カ月で、絆を深めるには短いからか、一緒にいたのが長かったからか別れが惜しい。
「エドガーも元気で」
サラはルイから離れてエドガーに向き直った。
エドガーは数日前には無かった、眼に強い光を湛えてサラを見る。
差し出された手を力いっぱい引っ張り、胸にサラを抱いた。
そしてサラの耳元で何かを呟いた。
それはルイには聞き取れないほど小さな小さな声だった。
けれどサラの目は大きく見開かれていき、そこから幾つもの滴が溢れだす。
エドガーの背中に腕を回し、何度も何度も頷いた。
そうして離れた後、エドガーはなぜか顔が真っ赤だった。
「じゃあ、また」
そう言ってトランクを持つ。
「気を付けてね。っもう、シャルは見送り位すればいいのに」
口をとがらせて言うルイにサラは「良いんです」と微笑んだ。
そうして彼女は帰る。
元の生活に。
シャルはキュレスティア城下町の東門に身体を預け、目深に焦げ茶色のフード付きのマントを被った旅人が、旅に出ようとゆっくりと歩を進めているのを見ていた。
それはとてもしっかりとした足取りで、これからの旅を心待ちにしているかのようで、表情は見えないがその纏う元素は踊るかのように波打っていた。
その旅人が門を通り過ぎようとした時、シャルはぼそりと言った。
「気を付けて」
その言葉に旅人は驚いたように振り返った。
風が、フードを外し旅人の表情を明らかにする。
長い銀の髪をなびかせた、見知った顔がそこにある。
「知ったらエドガー怒ると思う。人形使って飛行船で帰るように見せかけるんじゃなくて、正直に陸路で帰るって言えばいいのに」
シャルは苦笑しながら言った。
「……言っても心配させるだけです」
旅人は微笑んだ。
人形が聞いた声も、温もりもちゃんと聞こえているし感じている。
もう充分だ、と。
シャルはそれを聞いて、何かを考えるかのように空を仰ぐ。
「あいつは馬鹿でろくなことしないし、かなりいい加減」
そう言う顔はとても嫌そうだった。
先日の魔法陣の事を考えれば当然だろう。
「けど、やるって決めたことは絶対に最後までする。呆れるくらい諦めが悪い」
「……褒めたいのか貶したいのか分からないんですけど」
「……褒めたくはない」
旅人は苦笑した。
この二人は仲がいいのか悪いのかよくわからないところがある。
けれど信頼しあっているのは確かで、たまに驚くほど息の合った事をする時がある。
闘技会がそうだ。
「信頼して待ってて大丈夫」
旅人は大きく目を見開いてシャルを見つめた後、大きく頷いた。
その時の笑顔はまるで大輪の花が咲いたようだった。
シャルは旅人を見えなくなるまで見送った。




