第三十話
次元変わって宇宙のどこかにある銀河系の中、太陽系にあるちっぽけな第三惑星。
環境に恵まれたその惑星のアニメや漫画が賞賛される国。
コンクリートで塗装された道を、彼は歩いていた。
左手にはペットボトルに入った炭酸飲料とお菓子、カップラーメンが入ったビニール袋。
右手にはスマートフォンと呼ばれる通信機器。
それに繋がれた白く細長い線は、耳の穴に突っ込まれたイヤホンに伸びている。
そこから聞こえるのは動画サイトで流行った電脳世界の少年少女たちの歌声。
彼は器用に親指だけで操作しながら、インターネットにアクセスしていた。
……やはり時代は転生か召喚かゲームの世界にINだよなぁ。
絵師や物書きによって繰り広げられるその世界は、彼の中で都合よく変換されて楽しまれる。
その妄想は決まって「物凄い力を手に入れて魔王を倒してハーレム」になったりする。
……そういう話だけを読んでいるわけでもないのに、だ。
そしてどんな非道な敵も女性とあれば萌えに変換できるのは、やはり妄想力の賜物だろう。
むしろそんな女性ほど燃えるというのもあるのかもしれない。
彼はまだ途中のゲームをするために帰路を急ぐ。
そのゲームの内容は、勿論ハーレムゲームである。
そんな時、ゆらりと地面が陽炎のように揺らいだように見えた。
足を止め、何度か目を擦って見直すが、そこに変わった風景はない。
目の錯覚か、と足を踏みだしたその時、足元に赤い光が現れる。
「……へ?」
それは直径2mほどの円を描いたかと思えば、その中をよくわからない文字や形で埋め尽くした。
そして彼の足元から頭上に抜けたかと思うと、白く発光した。
「うわっ」
それはとても眩しく、目を開けていられないほど。
中二病と呼ばれる病気を、18歳になっても拗らせている彼にとっては恐ろしいモノではなく、逆にオイシイものだ。
……これは召喚魔法に違いない!
彼はこれから始まる冒険に心躍らせた。
そして、ふと読んだ物語を思い出して願った。
……黒歴史と言われる妄想日記が異世界で広まっていませんように。
そうして彼の、勇者としての冒険が……
始まってもらっては、たまったものではない。
シャルはギリ、と歯を食いしばって鳴らす。
エドガーはシャルに睨みつけられ、少し萎縮しているがまだ懲りてはいないようで目が笑っていた。
ルイとサラはどうしていいかわからず、焦った様子ではあるが魔法の維持に努めていた。
シャルは赤と紫であった魔法陣を見据える。
そうして、ダン!と足を踏み鳴らした。
「流れ巡る赤と紫の陣、その速度を緩やかにし、ゆっくりと止まれ」
その音に白く発光していた魔法陣は元の赤と紫の色になる。
先ほどまではあまりの眩しさにはっきりとは見えなかったが、顔のようなものはやはり顔だった。
首から下はまだこちら側には来ていないらしく、生首だけがただそこに浮かんでいた。
年の頃はシャル達と同じといった感じの少年が、ナニカを期待するように目を輝かせていたのだが、真っ先に目に入ったのがシャルだった為か少しガッカリしたようだった。
シャルはその様子にイラッとした。
そして、もう一度足をドン!と踏み鳴らす。
それには少年もエドガーもびくっとなり、ルイとサラは驚いたようにシャルの顔を見る。
そして全員が目を剥いた。
顎を少し上げ見下すように細められた目は、少年とエドガーを交互に見る。
そしてそれぞれと目があったのを確認した後、ニタァと気味悪く口が歪む。
それは、「この後どうしてくれようか」と、言葉にせずとも大いに語っていた。
特にエドガーに対しての睨みは凄いモノで、殺気とも言えそうなほどの怒りが目に見えてわかるほどだった。
シャルは左手を体の横にスッと動かした。
「まず、赤の陣は緩やかに流れよ。しかし早急且つ確実に自らが転移した場を思い出せ」
そう言うと赤の魔法陣はキイイインと音をたてて回り、青白く光った。
それを確認して、今度は右手の人差し指でくるりと目の前に円を描く。
そしてその円の中に様々な文字や図形を書き込む。
シャルの指が通った跡はまるで本当に描かれたように青い光りが残っていた。
「『設置』」
その描かれた魔法陣は生首の真下に移動する。
「紫の陣に代わり、赤の陣と共にその者を元の場に」
その魔法陣は赤の魔法陣と共に青白く光ったかと思うと、生首と共に一瞬にして消え去った。
それを見てルイとサラは「はぁ」と安堵の息を吐いた。
「紫の陣の書き換えを行う」
シャルがそう言うと紫の魔法陣が地上から剥がれ、シャルの前にふわりと起き上がるかのように移動する。
……後は召喚されたままの精霊たちを帰して門を閉じる。
元々紫の魔法陣は放たれた精霊たちを集め、門に戻す役割のもので他世界からヒトを召喚するというものではない。
そもそもそういったものは理論上可能ではあるが、成功するには奇跡というものも必要になる。
一体何をどう弄ったのか、と紫の魔法陣を隅々まで観察する。
そうして見つけたのは、『他世界からヒトを呼ぶ』と書かれている文字。
製作段階では『精霊たちを呼び集める』であったものだ。
それも外周近くに小さく書かれているモノだから気づきにくくて当然である。
左手を振り上げ、まるで円盤を回すかのように大きく横に振り、下ろす。
それに従って紫の魔法陣はぐるりと回り、問題の個所がシャルの前にくる。
それを右手で剥がそうと触れたところ、バチっという音がしたかと思うと全身をしびれが走った。
シャルは手を引っ込めて眉根を寄せた。
ぐっと歯を食いしばり、無理やりにその文字をむしり取る。
バチっという音は鳴りやまず、シャルの右手と文字の間で鳴り続く。
しびれは痛みとなり、痛みは傷となりシャルの身体を蝕んだ。
「ごほっ」
咳き込んだついでに、胃から上がってきた血液を吐き出す。
口の中に血の味と胃酸の味がして気持ち悪い。
半ば八つ当たりの様にむしり取った文字を右手でぐしゃりと潰す。
ピシっという不気味な音が聞こえた。
……今日は厄日か何かか?
シャルの眉根には深く深くしわが刻まれる。
紫の魔法陣の文字をむしり取った所に、右手で正しく『精霊たちを呼び集める』を記し、左手で魔法陣丸ごと払う。
すると魔法陣は元の……黒の魔法陣の上に降り、淡く紫に輝いた。
今度はシャルが安堵のため息をついた。
そしてルイとサラに視線を送り、頷く。
「祭りは終わり、歓迎の門は閉ざされる。招かれたモノたちよ、道に従い集まり元の場に。そうしてまたいつの日か巡り会える事を切に願う」
紫の魔法陣と黒の魔法陣が空に上がる。
黒の魔法陣は空で青く輝いている青の魔法陣と重なり、黒く輝きだした。
その手前で紫の魔法陣が輝いたかと思うと、町中に広がっていた精霊たちがまるで吸い込まれるかのように魔法陣の前に集まった。
それを確認してパン!と手をうつと、精霊たちは紫の魔法陣に包まれ、黒の魔法陣に吸収された。
そしてその黒の魔法陣も小さくなっていき、最後には黒い塊になって弾け、色とりどりの花火となった。
ルイとサラは気が抜けたのかその場で座り込み、呆然と魔法陣が消え去った空を見つめていた。
町からは歓声が聞こえてくる。
どうやらうまくいったらしい。
シャルは右手のひらを見てため息をついた。
そうして右手の人差指から落ちていった物を拾ってポケットに突っ込み、荒々しく足音をたててエドガーに向かった。
初めは歩いて、しかしすぐに早足になり、走り出した。
「いい加減にしろ!!!!」
逃げようとするエドガーを左手で掴み、正面を向かせる。
「ぐぅっ」
そうして繰り出された拳は、見事にエドガーの腹に入った。
エドガーは痛みに腹を抱えてうずくまり、シャルは人形でも転がすかのように頭をガシッと持って思いっきり後ろに倒した。
頭を打ち、頭と腹の両方に手をやりながら下腹部に触れる物を感じ、シャルの方を見た。
下腹部に触れているのはシャルの足だった。
だらだらと冷や汗が出るのを感じる。
今エドガーの最大の急所は無防備で、その足で圧力をかけられればどうなるか、想像しただけでも背筋が冷たくなった。
「……ご、ごめんなさい……」
シャルはそれを聞いてニヤリと笑った。
その直後、キュレスティアをエドガーの叫びが何度か響き渡ることになる。
目を開き、少年はあたりを見回す。
そこはコンクリートで塗装された道路で、いつものコンビニの帰り道だった。
左手には炭酸飲料とお菓子とカップラーメンの入ったコンビニの袋。
右手にはスマートフォン。
頭上には青空が続き、雲が流れて太陽が輝いていて、赤い魔法陣なんて見当たりもしない。
栗色のボブヘアーの女の子も、銀髪のロングヘアーの女の子もいない。
気味悪く笑う白髪の男もいない。
あるのはただ、いつもの帰り道。
「……帰ろ」
呟いたり掲示板に上げたとしても、「妄想乙」「夢乙」で終わるだろう。
下手すれば病院に連れていかれることになるかもしれない。
少年は深いため息をついた。
少年の勇者としての冒険は終わった。




