交差する境界線
アミの優しい愛撫に促されるまま、僕の内側にある生命の源であるタンパク質が、熱い奔流となって彼女の手の中にすべて解き放たれた。頭の中が真っ白になり、一瞬、呼吸の仕方を忘れるほどの快感が僕を支配する。お風呂場の床を流れる水が、二人の足元で白く濁り、やがて排水口へと吸い込まれていく。
温かいシャワーのお湯が、僕の涙のような切なさを、静かに洗い流していった。
◇
そして、次の週。僕はいつも通り、一昼夜交代勤務の真っ只中にいた。
夕方のラッシュ時。紺色の制服の襟を正し、白い手袋をはめた僕は、けたたましくブザーが鳴り響くホームの先端に立っていた。「黄色い線の内側までお下がりください」と、マイク越しに声を張り上げ、乗客の安全に目を光らせる。
その時、超満員の通勤電車のドアから、押し出されるようにして降りてきた一人の女性に、僕の目は釘付けになった。
地味なベージュのパーカーに、リュックサック。すっぴんに近い顔に、丸いメガネをかけ、胸元には保育士の専門学校のテキストを抱えている。
(……え?)
息が止まった。
派手なメイクも、露出の多い衣装もない。けれど、その小柄な体型、伏せられたまつ毛の長さ、そして独特の歩き方――間違いない。アミだ。
「……あ」
同時に、彼女もこちらを見た。
人混みの中で、一瞬だけ二人の視線が真っ直ぐに交錯する。
アミ――長谷川亜美は、あまりの衝撃に足を止めていた。
そこには、お店でいつも自分に気圧され、優しく、どこか自信なさげに微笑んでいた「お客の蓮さん」の姿はなかった。
ピシッと制服を着こなし、大勢の人間が行き交う駅の安全を一人で背負うように、凛とした表情で立つ、大人の男の姿がそこにあった。
(蓮さん……? 嘘、駅員さんだったんだ……。あんなに格好良くて、真っ直ぐに働いてる……)
亜美の胸が、激しくドキリと跳ねる。しかし次の瞬間、彼女の心に冷たい現実が突き刺さった。
(ダメ。見ちゃダメ。今の私は『アミ』じゃない。こんな昼間の、何の特徴もない、おまけに夜は男の人を相手に汚れている私なんか、蓮さんに認識されたら嫌がられるに決まってる……!)
亜美はハッと我に返ると、メガネの奥の目を伏せ、逃げるように人混みの向こうへと歩き出した。
一方の蓮も、動けずにいた。
駅員としての職務中だ。声をかけることなんて絶対にできない。何より、昼間の世界で、健気に夢を追いかけているような清楚な彼女の姿を見て、胸が締め付けられるように痛んでいた。
(アミちゃん……いや、あれが彼女の本当の姿なんだ。あんなに綺麗で、昼間の世界を真っ当に生きている子が、僕みたいな冴えない男に私生活で関わりたいわけがない。お店の外で声をかけたら、きっと大迷惑だ……)
発車ベルが鳴り響く。
電車のドアが閉まり、二人の間を遮るように、金属の塊がスピードを上げて走り去っていく。
通り過ぎる風の中で、二人はお互いに背を向けながら、同じことを思っていた。
――「あの人にとって、私はただの、その他大勢の一人でしかないんだ」




