夕暮れの「行ってきます」
お仕事に向かうシーン。本当の恋人同士になったからこそ、「アミ」としての夜の顔へ向かう彼女の後ろ姿を見送る蓮の胸に、新たな切なさがこみ上げる……そんな胸が締め付けられるような情緒的なシーンを執筆しました。
夕方の16時。西日が狭いアパートのワンルームをオレンジ色に染める頃、彼女は鏡の前で「アミ」の顔を作り始める。
昼間、保育士の専門学校で子供たちの絵本をめくっていた清楚な長谷川亜美が、少しずつ、夜の歓楽街で男たちを魅了するクールな人気嬢「アミ」へと変わっていく。そのギャップを、蓮はベッドの端に腰掛けたまま、ただ静かに見つめることしかできなかった。
実家の事情。学費の支払い。お店を辞めると決意したものの、完全に足を洗うまでには、まだ少しの期間(猶予)が必要だった。それは二人で話し合って決めた現実的なステップだと分かってはいる。分かってはいるけれど、蓮の胸には、言葉にできない澱のような切なさが満ちていく。
「……よし。うん、大丈夫」
メイクを終え、お店用の少し派手な私服に身を包んだ彼女が、蓮の方を振り返った。
その瞬間、アミの瞳からプロの強気な色がフッと消え、ただの、恋人の亜美ちゃんの顔に戻る。
「蓮さん、ごめんね。また夜のお店に、行かせるようなことになっちゃって……」
「ううん、謝らないで。亜美ちゃんが一番大変なんだから。僕は大丈夫だよ」
蓮は無理に笑ってみせた。
一昼夜交代勤務を終えて、自分の身体は泥のように疲れている。本当なら、夜の街へ向かう彼女の手を引いて、「行かないでくれ」とこのベッドに引き留めてしまいたい。今夜、彼女が別の男の背中を流し、その指先で誰かを癒やすのだと思うだけで、蓮の胸は引き裂かれそうになる。
けれど、自分のエゴで彼女の「夢(保育士)」や実家の事情を壊すわけにはいかない。蓮は白い手袋をはめる自分の手を思い出しながら、その真っ直ぐな理性を必死に保っていた。
亜美は蓮の前にしゃがみ込み、彼の大きな手を両手でそっと包み込んだ。
「お店の私は、ただの作り物だから。私の心も、本当の身体も……蓮さんのベッドに残していくからね。……行ってきます」
「……うん。いってらっしゃい。気をつけてね」
玄関のドアが静かに閉まり、カチャリと鍵が閉まる音が部屋に響く。
蓮は窓辺に寄り、アパートの階段を降りて夕暮れの街へと歩き出す彼女の後ろ姿を見つめた。
夜のネオンに吸い込まれていく小さな背中。
本当の恋人になったからこそ、お店にいた頃よりも、彼女の「仕事」への切なさと愛おしさは何倍にも膨らんで、蓮の胸をきつく、きつく締め付けるのだった。
お互いを大切に想うからこそ、夜の世界に残してきた「最後の未練」が二人を揺さぶる、非常にドラマチックで切ないシーンになりました。




