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女子高の王子様は、アタシにだけ重すぎる   作者: ちーよー
泉 真琴 幸せの余韻
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第77話 続きを、話そう


 昼休みの喧騒は、少しずつ教室から遠ざかっていく。


 食べ終えたお弁当箱を閉じる音、椅子を引く音、笑い声。


 そのどれもが、私たち二人の間だけを避けるように流れていった。


 めるは何も言わない。

 私も、言えない。


 さっきまで耳の後ろへ触れていた指先の温もりだけが、まだそこに残っていた。


『恋人でしょ』


 胸の奥で何度も何度も繰り返される。


 恋人――私は、その響きが、たまらなく好きだった。


 舞い上がってしまうような、夢みたいで、眩しくて。

 何度口の中で転がしても、幸せになれる言葉。


 でも、その言葉は同時に、私へ問い掛けてもいた。


 本当に、私たちは恋人なの?


 恋人なのに、私はどうして、こんなにも怖いんだろう。


 指先が震える。膝の上で組んだ両手を、ぎゅっと握り締める。



 言わなきゃ、私から言わないと進めない。


 昨日から、何度もそう思っていた。めるを傷付けたくない。


 もう、一人で抱え込みたくない。

 ちゃんと伝えたい。

 そう決めたはずなのに。


 喉まで上がってきた言葉は、胸の奥に渦巻く、得体の知れない暗い塊に押し返されて、また深く沈んでいく。


 もし……もし、全部話したら。

 めるは、どう思うんだろう。



『友達と話してるだけで苦しかった』

『笑っているのを見て、泣きそうになった』

『私だけを見ていてほしいって思った』


 そんな言葉を聞いて、めるは笑うだろうか。

 困るだろうか、それとも……


 嫌われたくない、離れてほしくない、壊したくない、失いたくない。

 考えれば考えるほど、胸の奥へ押し込めていた感情が、扉の向こうで暴れ始める。


 この気持ちは、私だけが知っていればいい。


「真琴」


 優しく名前を呼ばれる。顔を上げると、めるが静かに私を見つめていた。


 急かすことも、責めることもなく。


 ただ、待ってくれている。その瞳は、返事を待っているんじゃない。


 私自身を、待ってくれている。



 不意に、めるの表情がふっと和らいだ。私は、この笑顔に何度負けてきたんだろう。


 そんな顔をされたら、また、救われてしまう。


 小学四年生。


 男の子に囲まれて、何も言えなかった私の前へ、当たり前みたいに立ってくれた。


 中学生。


 同じ学校にいても、遠くから見つめることしかできなかった。


 高校生。


 もう終わらせようと思った初恋を、この子は何も知らないまま、もう一度始めてしまった。


 そして今も、結局私は、めるに助けられてしまう。


 ……それじゃ、何も変われない。


 恋人になったのに、私はまだあの頃と何も変われていない。


 助けてもらうことしか、できないままだ。


 だから



 ――対等じゃない。



「……める」


 呼び慣れたはずの名前が、今日はやけに遠かった。


 胸の奥で閉じ続けていた扉が、小さく、小さく軋む音がした。



「私……」


 言葉を続けようとした、その瞬間だった。

 ガラリ、と教室の扉が開く。


「次、移動教室だって! 」


「急ごう! 」


 昼休みの終わりを知らせる賑やかな声が、一気に教室へ流れ込んできた。


 私は思わず口を閉じる。



 こんな話をするには、学校という場所は他人の目が近すぎて、私たちの境界線は遠すぎた。


 めるは何も聞かず、代わりに一言だけ小さく言う。


「放課後」


 頷き返し、口角を上げてみた……うまく、笑えていたかは分からない。



 午後の授業も、頭にはほとんど入ってこない。

 今日、一日が同じ調子だ。どうして、こんなにも私は弱いんだろう。


 先生が何を書いていたのか。

 クラスのみんなが何を笑っていたのか。

 何一つ思い出せない。


 黒板を見つめても、頭の中では何度も同じ言葉だけが繰り返されていた。


『私……』


 あの続き。


 たったそれだけが言えなくて、何度も胸の奥へ飲み込んでしまう。


 だけど、今日は逃げたくなかった。


 逃げ続けたまま恋人になってしまった私は、まだめるの隣へ並べていない気がしていたから。



 チャイムが鳴り、放課後になる。私たちはいつものように並んで校門を出た。


 帰り道も、ほとんど言葉はなかったけれど、その沈黙が苦しいわけじゃない。


 むしろ、その静けさが、めるらしかった……めるらしい?


 付き合う前のめるは、私の気持ちなど分からずに、無邪気に話し掛けて来ることが多かった。

 それはそれで嬉しくもあり、同じくらい苦しくもあった。


 今のめるは、無理に話を引き出そうとしない。

 「まだ?」なんて急かしたりもしない。


 私が話せるまで、ちゃんと待っていてくれる。



 その優しさに甘え続けてきたから、私は今まで何も言えなかったのかもしれない。


 住宅街へ入り、見慣れた景色を歩く。


 信号を渡って、坂道を上って、家の前へ着くまでの時間が、今日はいつもより少しだけ短く感じた。


 玄関の鍵を開ける。


 部屋へ入り、制服姿のまま床へ座り込むと、ようやく張り詰めていた肩から力が抜けた。


 向かいには、める。


 何度も遊びに来ている部屋なのに、今日だけは空気が違う。


 静かで、逃げ場がなくて、だからこそ本当のことを話せる場所。


 めるは私を見つめたまま、小さく笑う。


「落ち着いた? 」


 その声を聞いただけで、呼吸が少しだけ楽になった。

 私は小さく息を吐いてから、膝の上へ視線を落とした。


 指先はまだ少し震えている。


 かけたはずの鍵を、自らの手で外すだけのことが。


 全部話したら、この関係が壊れてしまうんじゃないか。そんな考えが、まだ胸のどこかに残っている。


 それでも。



 今日は、その怖さごと伝えたかった。


 伝えなければ、私はきっと、この先も助けられるだけの恋人のままだ。


 嬉しいことも、苦しいことも、ちゃんと隣で分け合える恋人になりたい。


 そのためには、私から歩かなきゃいけない。


 ゆっくりと息を吸い込み、めるの瞳をまっすぐ見つめる。


「……続きを、話してもいい? 」


 めるは、穏やかに頷いた。


「うん」


 その返事に背中を押されるように、私はもう一度息を吸い込む。


 胸の奥へ閉じ込め続けてきた想いを、一つずつ言葉へ変えながら。


「私ね――」



 言葉を口にした途端、昼休みに吐き出したはずのあの歪んだ熱が、一気に喉の奥までせり上がってくる。何から話せばいいのか分からない。


 どこまで話せばいいのかも分からない。


 今まで誰にも見せなかった気持ちを、言葉へ変えることが、こんなにも難しいなんて思わなかった。


 視線が自然と落ちていく。


 胸の奥では叫びたいくらいなのに、言葉だけがどうしても見つからなくて、思い切り下唇を噛みしめた。


 逃げたい。


 やっぱり何でもないって笑ってしまえば、きっと楽になれる。


 その方が、今まで通りでいられる。


 でも――。


 今まで通りじゃ、駄目なんだ。

 ゆっくりと息を吸い込み、もう一度めるを見る。


 時計の秒針だけが、やけに大きく聞こえた。


 励まさない。

 急かさない。

 その静かな時間が、少しだけ勇気をくれた。


「……ごめんね」


 最初に出てきたのは、謝罪だった。


 めるは、幼い子に言い聞かせるような穏やかな笑みを浮かべる。


「ん? なにが」


 その穏やかな声に、張り詰めていた心が少しだけほどけた。

 私は、小さく息を吐いた。


「私……」


 今度は止まらなかった。


「昨日だけじゃない」


 ぽつり、ぽつりと。


 長い間、胸の奥へ閉じ込めていた想いが、少しずつ言葉になっていく。


「ずっと前から……」


 そこで一度、目を閉じる。

 もう、逃げない――そう決めたから。


「めるが誰かと楽しそうに話してるのを見るとね」


 小さく震える声で、それでも私は続けた。


「胸が苦しくなってた」


 めるの表情は変わらない。

 驚きも。戸惑いも。


 何一つ見せず、ただ私だけを見つめている。

 だから私は、もう一歩だけ前へ進む。


「私――」


 胸の奥で閉じ込め続けていた扉へ、そっと手を掛ける。


「嫉妬、してる」

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