第72話 真琴だけ。
ぎっしり詰まったチョコの中から、きらきらした星型のやつを指先でつまんで、一つ口へ放り込む。
パリッ。
歯先で繊細な薄いコーティングが割れた瞬間、中からとろっとろに柔らかいガナッシュがあふれ出して、舌の上でなめらかに溶け出した。
「んっ……!? 」
あまりのクオリティの高さに、ガチで目を丸くしちゃう。
「おいし……っ、文化祭の時も思ったけど、やっぱりプロ級だよ!! 」
ただ甘いだけじゃなくて、カカオの香りがしっかりするほんの少しビターな風味。大人っぽくて、上品で。でも最後に、胸がキュッとなるみたいにふわっと優しい甘さが残る。
……なんか、真琴みたいじゃんね。
「……良かった」
アタシの反応をじっと待ってた真琴が、胸のあたりに手を当てて、ホッとしたように小さく息を吐いた。
その、肩の力が抜けた一瞬の仕草だけで、真琴がアタシの「美味しい」を聞くまでどれだけ緊張してたかが痛いほど伝わってくる。
だって、あの完璧超人な真琴が、3回も作り直したって言ってたもんね。
そりゃ、アタシの口に合うかどうか不安にもなるか。
「ガチ美味しすぎて飛ぶんだが。さすがにレベチ」
「ほんと……? 」
「アタシの人生史上、このチョコが一番優勝だし、一番好き」
――その瞬間。
真琴の耳がじわっと赤く染まった。
視線を泳がせながら、口元を引き締めて照れを隠そうとしてる。
……あは、分かりやすっ!
付き合う前の真琴は、何を考えてるのか全くミリしら状態だったのに、今ではある程度気持ちが分かるから不思議だ。
普段あんなに王子様オーラ出ちゃってるくせに、そういうとこ、マジで可愛すぎるんだけど。
「……あはは」
あまりの愛おしさに胸がいっぱいになっちゃって、アタシの口元からも自然と甘い笑みがこぼれてしまう。
チョコを味わい尽くして、甘い余韻に浸ったところで。
「あ、そうだ」
スマホショルダーから自分のスマホを引っ張り出す。
「アタシからもあるんだよね」
「……プレゼント? 」
「うん。でもね――」
真琴が、黒髪のショートボブを小さく揺らして不思議そうに首を傾げる。そのきょとんとした顔すら、絵画みたいに綺麗でビビる。
「物じゃないんだけど」
「ものじゃない? 」
「まぁ、見れば分かるから。ちょっとスマホ近づけて」
画面をスワイプしながら、アタシは自分のスマホを真琴のスマホへ近づける。
「AirDrop、オンにして」
ピロン、と電子音が鳴ってAirDropの共有が完了する。
数秒後。
画面に表示されたファイル名を見た瞬間、真琴の細い指先がピタッと止まった。
『真琴だけ。』
部屋の中に、ガチな静寂が降臨する。
真琴は、スマホの画面を見つめたまま、瞬きすら忘れたみたいに完全フリーズ。
……え。
ちょ。
待って待って待って。
あれ? ヤバいかも!?
いざ目の前でそのファイル名を見つめられると、アタシが自分で名付けたくせに、急激に恥ずかしさが限界突破してきた!?
いや、冷静に考えて『真琴だけ。』ってヤバくない!? 激重じゃん!
深夜テンションって怖いんだって!!!!
「やっぱ今の無し! 大至急キャンセル!! 」
スマホを奪い取ろうと身を乗り出すアタシに、真琴は「え?」と小さく声を漏らしながら、ひょいっと器用にスマホを上に掲げてアタシの手をかわした。
「リーチの長さ、ここで発揮すんなし! 」
「無し? 何それ」
「違うの! 違わないけどガチで違うの! 」
もう! 無理無理無理!!
ちょっと待って、冷静に考えてアタシ!?
こんな気合い入りまくりのコンテンツ、本人の目の前で一緒に見るもんじゃなくない!?!? アタシのメンタル崩壊する!
「せめて、一人の時に見て! マジでアタシがいない時にスクロールして! 」
真琴の手元にあるスマホを必死に隠そうと、上から両手で覆いかぶせるも、アタシの手をまたひょいとかわして、画面をタップしようとする真琴。
「今見る」
鬼かよ!
「ダメーーーッ! 」
思わず真琴の袖をぎゅって掴んで、全力で引き剥がそうとした。
「どうして? 」
スマホを胸元に抱え込んだ真琴が、アタシをじっと見つめてくる。その、ちょっと拗ねたような子犬みたいな目で見つめられるの、ガチで反則なんだけど!
「恥ずかしいから!! 」
「なぜ? 」
「なぜって、それは……っ! 」
うわあああ、もう!!
真琴にどう説明したらいいのよ!?
「お願いだから! アタシのライフがゼロになる! 」
両手を合わせて必死に拝むアタシに、
「やだ」
「えぇっ!?!? 」
あの真琴が――ハッキリと「やだ」って言った……!?
「める」
「うぅ……なにさ……」
スマホを死守したまま、真琴はアタシをじっと見つめてくる。
「今日」
口角がきゅっと締まった綺麗な唇から、ずるすぎる言葉が紡がれた。
「私の、誕生日」
……あ。
チートじゃん。そんなの絶対反論できないじゃんね……!
「……ずるい。マジでずるい」
「うん」
「それ出されたら、アタシ何も言えなくなるじゃん」
「うん」
「……もう、分かったよ! 」
こういう時だけ押し強いんだから!
真琴は大事そうに両手でスマホを持ち直すと、ついにその細い指先で画面を優しくタップした。
ローディングのあと、動画の再生が始まる。
――スピーカーから微かに流れる静かな音と、画面に映し出された、最初の真っ黒な画面。
少しの静寂のあと。
パッと画面が切り替わったかと思えば、画角いっぱいにアタシのどアップがドカンと映し出された。
『うわっ、近っっ!! え、待って待って、これもう録画始まってるよね? 』
インカメラの距離感、間違えたまま撮ってたもんね……画面の中で過去のアタシが一人で盛大に慌てふためいていた。
「ぎゃーーー! 」
アタシは断末魔の悲鳴を上げながら、クッションをひったくって、思い切り顔を埋めた。
黒歴史の強制開示キツすぎる!! 真琴からは今のところ何の声も聞こえてこないけど、どんな顔してアタシの自爆劇を見てるんだろ!?
「……ま、真琴……? 」
恐る恐る、クッションの隙間から声をかけてみるけれど、やっぱり返事がない。
耐えきれなくなって、顔は埋めたままで、チラッと視線だけを隣の真琴に移してみた。
真琴はアタシの呼びかけすら耳に入っていないみたいに、ものすごく真剣な、吸い込まれそうな瞳で静かに動画を見つめていた。スマホを持つ指先に、かすかに力が入っているのが分かる。
そんな真琴の横顔をよそに、画面は次のカットへと切り替わる。
中学時代の制服姿。バイト帰り。コンビニ。文化祭。猫カフェ。体育祭……
クリスマス、お正月、雪の日。
変顔。笑顔。自撮り。何でもない日。
そして。
真琴との、大切なツーショット。
『いま』に近づくほど画面の中のアタシは……
どこを切り取っても。
世界で一番、幸せそうに笑っていた。
やばい。
マジで、恥ずかしすぎる。
何日もかけて。夜中まで一生懸命編集して。
お気に入りの音楽を付けて。下手くそなりに文字を入れて。
全部――真琴のためだけに作った。
「……作るの、めちゃくちゃ恥ずかしかったんだからね」
クッションに顔を埋めたまま、小さく呟く。
でも。真琴は、やっぱり何も返事をしない。
そして、ついに訪れる最後の映像。
画面いっぱいに映る、満面の笑みのあのアタシ。
『真琴!』
『お誕生日おめでとう!』
『来年も!』
『再来年も!』
『その次も!』
『ずっと、一緒に祝おうね!』
静かに、一瞬のブラックアウト。
……終わった。
心臓の音がうるさい。そう思った、まさにその瞬間。
パッと、また画面が点いた。
『あ』
『まだ終わってなかったわ』
『現場の、めるさん』
『最後に一言、どうぞ!』
動画が終わる。真琴のスマホの画面が、ふっと暗くなった。
部屋には、暖房のかすかな音だけが残る。
……やばい。
終わっちゃった。
動画の勢いで誤魔化せると思ってたのに、最後の『現場のめるさん、一言どうぞ』で丸投げしたまま終了するとか、過去のアタシ何やってんの!?
いや、知ってる。
編集してた時は、「未来のアタシ感謝しろよ」くらいのノリだった。
だから、実際にアタシと一緒の時に見てくれないと、未完成になるんだけど……
でも実際その未来が来ると、マジで逃げ出したい! 隣では真琴が、まだスマホを持ったまま動かない。
……なんか言ってよ。
お願いだから。
この沈黙、心臓に悪すぎる。
「……えっと」
もうやるしかなくね? アタシ、腹くくってこ!
小さく息を吸う。
「現場の……めるさんです」
自分で言って、自分で恥ずかしくなる。つま先から頭のてっぺんまで熱い!!
視線なんか、とても合わせられない。
膝の上で指先をもじもじさせながら、「……アハハ」と困ったように笑って誤魔化してみる。
「その……」
全然言葉が出てこない。こんなの、動画なら何回でも撮り直せた。
でも今は、一発勝負。だからこそ。一番伝えたいことだけを、ちゃんと伝えたい。
少しずつ顔を上げる。
真琴が、まっすぐアタシを見ていた。
「……十六歳」
声が少し震える。
「お誕生日、おめでとう」
一呼吸。
胸の奥で暴れる心臓をきゅっと押さえながら。
「……真琴」
名前を呼ぶ。恋人になってから、何度も呼んだ名前。
それなのに今日は、今までで一番特別に響いた。
「……大好き」
言えた、やっと全部。
その瞬間。真琴は何も言わなかった。長いまつ毛が一度だけ震える。
唇が少し開いて何か言おうとして。でも結局、一言も出てこない。
「……真琴? 」
返事はない。その綺麗な瞳が、少しだけ潤んでいた。
……あ。
もう。
これ以上、言葉なんかいらない。
アタシはそっと距離を詰める。
真琴の頬へ手を添えた。
「っ……」
真琴が小さく息を呑む、その音さえ抱き締めたい。
アタシは目を閉じる。
唇が触れるまで、あと少し。
逃げないで。
お願い。
そう願った次の瞬間。
柔らかな感触が、そっと重なった。
ほんの少しだけ。
本当に、一瞬だけ。
触れて。
離れる。
世界からログアウトしたみたいな、懐かしい感覚。
どっちからともなく、ゆっくり目を開ける。
唇が少し開いたまま、潤んだ瞳の真琴。
好きが溢れる
「……ファーストキッス」
照れ隠しみたいに笑うと。
真琴はまだ声が出せないまま、小さく、小さく頷いた。
その仕草が嬉しくて。
胸の奥が、ふわっと温かくなる。
――これが。
アタシたちの、初めてのキスだった。
唇が離れても、しばらくアタシたちは動けなかった。
お互いに視線をふっと合わせるだけで、心臓が跳ねて照れくさい。
甘いしびれがおさまらない。
「……あはは」
思わず笑うと、真琴も優しく笑い返した。
その笑顔だけで、アタシはハッピーに包まれる。
「あ、そうだ」
箱の中からチョコを一つつまむ。
「はい、あーん」
「……あーん? 」
「今日の主役なんだから、特別大サービス! 」
真琴は少しだけ戸惑いながらも、大人しく綺麗な口元を開けた。
パクッ。
「……美味しい? 」
「うん」
「作ったの真琴なんだけどね」
声を合わせて、二人で笑い合う。この時間がずっと続いてほしい。
「今度は私」
真琴が、お返しとばかりにチョコを一つ、細い指先で手に取る。
「え? 」
「口、開けて」
「ま、待っ──」
「……あーん」
くっ……。
この至近距離で、真琴に見つめられると、どうしても逆らえない。
恥ずかしさをごまかすように口を開けると、静かにチョコがアタシの唇の間に運ばれてきた。
カリッ。
甘いガナッシュが広がる。
さっき食べた時よりも、なんだか、何倍も甘く感じる。
「……甘いね」
「うん」
「チョコ、本当に美味しいもんね」
そう言って笑いかけると、真琴はアタシの頭を撫でた。
体中の力が抜けて、にやけてしまう。
「……それだけじゃない」
次の瞬間。
今度は真琴の方から、そっと距離を縮めてきた。
「ま、こ──」
最後まで名前を呼ぶ前に、柔らかな唇がもう一度重なる。
一度目より、ほんの少しだけ長く。
さっきより少しだけ、二人の熱を確かめ合うように。
お互いの唇の端に残っていた、チョコレートの甘さが、ゆっくりと深く溶け合っていく
……あ。
本当に、甘い。
ゆっくり目を開けると、ゼロ距離で真っ赤になった真琴が、愛おしさに耐えかねたように愛おしそうに笑った。
その真琴の頬を、一筋の涙が真っ直ぐ伝わっていく。
すぐに、視線は奪われた。
「……める、大大大好き」
知ってる……でも、そんな綺麗な涙を流して言うのはずるいって。
「なんで、真琴が泣いてんのよ……」
アタシだって、大大大大大好きなんだけど。
そっと真琴の頬に指先を滑らせる。
指先に吸い取った真琴の涙は、驚くほど熱かった。
一度目のキスより。
二度目のほうが、
めちゃくちゃ、
甘かったじゃんね。




